海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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184・狩人との対峙

〈そりゃあ、涼しいことに越したことはないですよ。日本の夏は暑いですし〉

〈汗のべたつきはパフォーマンスにもかかわりますから、風通しがいいに越したことはないですね〉

 

〈はい!ということで、ご覧いただいたのは大衆向け衣料ブランド・ジェネクロからこの夏発売される速乾性と涼しさがウリの機能性インナー、CooDyの新CMでした!どんな場所で、どんなことをしても涼しさを、というアピールから今年のCMキャラクターにはプロ野球・兵庫チーターズ所属の佳井海選手と、そしてその息子であるサッカー日本代表・大宮テルミナーレ所属の佳井新選手が間接的ではありますが親子初競演!現在得点ランキング首位の佳井新選手に早速スタッフが取材に行ってまいりました!〉

 

朝のワイドショーでも親子競演が取り上げられ、華耶は目を細めながらその様子を眺めていた。

今月の中ごろには新が20歳を迎えることから、8月発売のビールのCMには二人がこれもまた"間接的に"競演することも既に決まっている。

 

新は相変わらず、海とは距離をとっていた。海は新には積極的に自分から距離を近づけようとすることはしなかったが、日本に居る以上、メディアがそれを許してくれなかった。

だからこそ新は直接二人が同じ場所で収録するような状況を拒み続けた。海も新のそうした態度を分かっていたから、大体のCMは海を通してから話が来るのだが、海の口からも『多感な時期だから二人が同じ場にいるような演出や収録になるのはやめて欲しい』と告げていた。

 

新は相変わらず周囲との軋轢がありながらも、間に鳥居や監督が入る形でなんとかチームは体裁を保っていた。

普段は新に対しパスを供給する役目を持ちながらも、チャンスがあれば自らも飛び出しに行く鳥居。そして、ポジショニングを放棄して飛び出したがりの瀬戸や、そうして隙を突いて奇襲を仕掛ける鳥居などへのパスも時折混ぜ込みながらも基本的には最前線で積極的に得点を狙いにいく新。

 

チームは2部リーグ降格圏内ギリギリのところながらも、得点王争いで頭ひとつ抜けている新中心の攻撃がそれなりに機能していることもあり、結果的に周囲は新を認めざるを得ないような状況になっていた。

もっとも、監督や鳥居にスタンドプレーを咎められ、以前よりはチャンスを作るパスの頻度も増えてはいて、新のプレーは一皮むけつつあることもまた、事実だった。

しかしながら、キーパーと1対1の状況やPKにおいてのプレイ精度はすこぶる悪く、未だに新がワールドカップでのミスを気にしていることもまた事実であり、大きな壁に新はぶつかってもいた。

 

〈――目にも留まらぬ速さでドリブルで敵陣を切り裂き、そこから間を縫うような豪快な弾丸シュートがやはり佳井選手の一番の持ち味だと思うんですが、今の課題はありますか?〉

〈1対1の枠内精度や駆け引きですね。気にしてないつもりではいるんですけども、PKの練習なんかももっとしないと、肝心な試合を落としかねないので〉

〈肝心な試合のために、ということはよくお父さんも口にしていましたが、そのあたりは何か互いに意識したりとかは?〉

〈父親は父親なので。プロスポーツやってたら、肝心な場面でしっかり決めるために練習を積み重ねるのが当たり前だと思いますし。父親を見てきたからそういうわけとかは別に〉

 

相変わらず、露骨に海の話を振られると言葉を硬化させる新の姿に、華耶はため息をついた。

こういうのは、たとえばジェネルがそうであるように、『周囲が求めるからキャラとして言ってやってる』という者も少なくない。華耶がたびたび仕事で取り上げる選手の中にも、キャラクターとしてあえて強気なことを言っているが、本来はそこまで強い言葉では思ってはいないという選手は少なからずいる。

プロスポーツというものが興行という側面を持っている以上、ヒールに徹することをあえて選ぶ者だっている。

 

しかし、新のそれは作られたキャラクターではなく、新そのものだ。メディアだってそれを分かっているが、新のそうした、海に対する挑戦的な態度やストイックさ、それでいて結果を残してしまう強さは、ワールドカップでの失敗という印象をあっという間に塗り替え始め、既に世間には新が一人の独立した存在として日常に浸透しつつあった。

ただ、華耶としては、完全に心を入れ替えることが出来ないなら出来ないで仕方がないので、心のどこかには、海に対しての負の感情だけでなく、リスペクトする部分があってもいいのではないか――そう思わずにはいられなかった。

 

「そのうち家族でCMなんてのもあるのかもしれないね」

晴留がTVで早速流れているCMを見てフフッと笑った。何の嫌味もなく、ただ、純粋な思いで放った言葉だった。

真結も広乃も、あまり乗り気とは言えないようで、表情を沈ませた。

新は晴留の料理を一応黙っては食べ、文句のひとつも滅多につけないのだが、その新もムスっとした表情で

「別に俺はそういうのいいから」

と言って早口で料理を食べきり、部屋へと戻ってしまった。

 

家には女三人に新が一人――それも、昔とは違い皆それぞれが独立した一人の男女に育ったこともあり、新が家に引っ越してきた時点で、居間には海が本来自分で使うつもりだったトレーニングルームと、そして風呂の使用予定時間を記入するホワイトボードが晴留によって設けられた。

新が雑な字で入浴予定時間を記していったのを晴留は一応確認し、テーブルへと戻った。

 

「お姉ちゃんも、あんまり新を刺激しないほうがいいの」「それに、私たちは今の新とはあまり競演したくないの」

晴留は困った表情を浮かべながら、新が片付けなかった皿を軽くすすいで食洗機へと入れた。

一応、試合には見に来て欲しいのか、ホームだろうが、アウェーだろうが、近場の試合の関係者用席はなるべくチケットを持ってきていた新。

今週末にもヴォンベル東京との試合が調布のサッカー場で行われる予定だったが、この日はエンペラーズとの試合のために海が東京に来ているタイミングでもあった。

 

「たまにはさ、試合、行ってあげようよ。新は寂しいんだと思うんだ。そりゃあ、私だって……素直には応援できないけどさ。行って、何かが変わってくれるなら、行ってみようよ」

「どうせ、何も変わらないの」「俺TUEEEして終わりなの」

「真結、広乃――」

晴留は悲しげな表情をしながら、二人の向かいの席に座って、まだいくらか食べ残しのある二人をじっと見つめた。

 

「……同じこと、お父さんやお母さんの前で、言える?自分たちのきょうだいのこと、こんな風に思ってます、って、そんな言葉で言える?」

「それは……」「お姉ちゃん、それはちょっと詭弁なの」

「自分のことしか考えてないようなきょうだいを応援できないだけで」「新の態度が変わったら私たちも考えを改めるの」

「でもそれじゃあ、一生変わらないよ、私たち」

晴留はなるべくにこやかに二人を見つめるが、真結も広乃もあまり納得したような表情ではない。晴留もきっと二人から同意はなかなか得られないだろうな、と思ってはいたが、心のどこかでは賛成してくれたらというつもりでいたものだから、やはり現実を突きつけられると悲しいものがあった。

 

「お姉ちゃんだって新のことよくは思ってないの」「無理してなんとかしようとしてるだけなの」

「それで無理してお姉ちゃんが潰れるのは」「私たちは嫌なの」

箸を止め、晴留をじっと見つめ返す真結と広乃。晴留は二人のいつになく真剣な眼差しに、少しだけ目を伏せた。

 

「……ありがとう。でもね、お姉ちゃん、別に無理してるわけじゃないんだよ。こんなの、無理のうちに入らないよ。私はただ、このビミョーにやりづらい空気をどうにかしたいだけ。そりゃあそうだよ。私だって……新のこと、正直言って許せないよ。でもね、新が日本にいるうちに……どうにかできるところはさ、どうにかしたいんだ。お姉ちゃん、こう見えて新とは何度も喧嘩してるからさ。二人が知らないところでも、何度も」

「……」

 

それを無理と言うのだが――と二人は頭の中で同じ事を考え、一瞬顔を向かい合わせて笑った。そして再び晴留を見つめ、

「お姉ちゃんがそれでいいなら別にいいけど」「今のままじゃ私たち、絶対新のことは素直に応援なんて出来ないの」

「それでもいいなら」「一緒に試合見に行くけど」

と、決して新の試合を見に行く、というよりは、晴留が試合を見に行くという行為そのものについていく――という態度で二人は晴留の提案を渋々引き受けることにした。

 

~~~

 

「へーぇ、そーうなの。試合、見ーに来てくれるーって?よーかったじゃなーいの」

鳥居はリフティングを軽々とこなしながら、そのボールを新へとトスし、新もまたその場でリフティングを何度かしながら再び鳥居へとボールを返した。

 

「正直、あんまり見に来てくれるとは思ってなかったので」

「どーして」

「うちの家は、野球というか……父親にしか興味のない人間の集まりだと思ってたので」

「うーん、僕はねーえ、そーうは思わないーんだなーあ。代表戦だーって、見ーに来てくれたーんでしょ?」

「それは、父が国歌を歌ったからです」

「違ーうね。試合、最後まで見ーててくれたーんでしょ。佳井選手【あっくんのパパ】が国歌を歌うのを見ーに来ただーけだったら、わーざわざ試合なんて見ーないでしょ。もともーと、野球に傾倒してーる一家なーら、なーおさーら」

「……どうだか」

「あっくんさー。……じゃあ、あっくんはどうなりたいの。どうしたいの?」

ふふっ、と笑った後、鳥居はボールをつかんで、腋へとはさんで新を見つめた。

大宮に来てから、自分の知っている限り笑顔を絶やさなかった鳥居が、かつて自分がグラウンドで見たような、『狩人』と当時言われていたあの目つきが戻っていた。

新は背筋に寒気が走るのを感じながら、鳥居に睨まれながら一歩も動けずにいた。1対1の駆け引きでこんな表情をされると、ディフェンダーは恐怖だっただろう。今まさに、新はそんな鳥居の本当の姿と向き合わなければならなくなったのだ。

 

「試合に見に来て欲しいのは、どうして?自分が頑張ってる姿を見て欲しいから?それとも、父親に対抗したいから?両方?それとも、僕が今言った言葉よりももっと歪んで強い意志を持った自己顕示のため?」

「それは……」

「まあ、別にね。なんだっていいよ、見に来てもらいたい理由なんて。あっくんが色々複雑な状況にいることは、僕も大体は分かってるつもりだよ。一応、それなりに僕もニュースとか見てはいるし。でもねえ、別にプレーでエゴを出すのはいいよ。あっくんは、前に積極的に出て行かないといけないポジションだから、強い気持ちで前に出て行かないとフォワード失格だからね。でも、プレーの視野が狭いだけならまだしもね、人としての視野が狭いのは、僕ぁ、どうかと思うよ。せっかく見に来てくれてる家族だとか、知り合いにすら『どうだ、俺は凄いだろ』だとか、『俺のほうがお前やお前の知り合い、お前の推しなんかより凄いんだぜ』とかいう態度でプレーしてます、みたいな感じで接したり、自分がいかに凄いかだけ考えてプレーするのはね、そのうち自分の身内から誰も応援されなくなっちゃうよ、それ」

「……俺は――」

何か反論したかったが、新の頭からありとあらゆる言葉が滑り落ちては、落ちた言葉をつかもうとして、つかめなかった。どんな言葉を落としたかすら、新には判断できないほどうろたえていた。

 

「別にね、週末の試合、普段どおり個人技でプレーしようが、僕ぁ別にまあそれがあっくんとしてはいつものことだし、としか思わないと思うよ。でも、週末は同じ時間帯に佳井選手が東京で試合してるんでしょ?」

「ええ、まあ……」

「だけどあっくんの家族は、わざわざあっくんのプレーを見にきてくれるって言ってくれたわけ。それをまさか、『お父さんより俺のほうが凄いんだぜ』みたいな気持ちと、『ほんとは向こうの試合見に行きたかったくせに』みたいな、身内も信じられない気持ちでいたら、そーゆーのって絶対プレーに出るよ、それ。あっくんが自己顕示をしたがるときは大体、プレーがいつもよりもだいぶ悪い意味で独りよがりになるから」

「俺はッッ……!俺は、そんなこと――」

「今は僕があっくんがシュート決めやすいように相手のフリーなところにパス出してるからいいけど、僕が怪我なんかしてパス打てる人が長期的ににいなくなったら、あっくん絶対、目に見えて点数減っていくよ。言っちゃ悪いけど、瀬戸くんはクロスが雑で、正直言ってパスの出し方にセンスがないし、おまけにあっくんが前に出てるのを気づけるほどの視野だってないし。彼もフォワード失格の判押されてサイドハーフに移った経緯があるから、隙あらばフォワードに復帰するチャンス窺ってる。フォワード失格の判を押されるくらいにはあの子、周りを見る能力がないからなんとかパワープレイでなんとかしようとするけど、それでいてあの子決定力ないし、申し訳ないけど得点の嗅覚についてもあんまりセンスないし、じゃあポストプレーやヘディングがうまいかって言ったらそれもだし。だけど本人は自分がまだフォワードでやれるもんだと思ってるから、もし僕が欠場したら今以上にますますプレーが独りよがりになるよ、あの子は」

遠めでシュート練習をしている瀬戸を見ながら鳥居がひどく残酷な表情で、ごく残酷な言葉を吐き散らした。

 

「あっくんはあまり周りを信用してないし、そんなあっくんを周りだってあんまり信用してない。周りを信用するのは難しいかもしれないけど、自分の家族だとか、近しい人間を信用できないままの人間は、周りのことなんて一生信用できないよ、多分。素直な応援は素直に受け取れないと、あっくん、またイギリスに戻っても同じことになるよ。イギリスに戻れないままになっちゃうかもしれないけどね、今のそういう態度のままだと。そういうのはいつかプレーに出て、そのうち瀬戸くんを笑えなくなるくらいにはあっくんは落ちぶれると思う」

鳥居の容赦ない、鋭い言葉がグサグサと新のあちこちに突き刺さった。伊達にイタリア1部で世界トップクラスと渡り合ってきたわけではない、シビアな言葉が次々と飛び出し続ける。その間、ぴくりとも笑わず間延びも一切しない言葉を放ち続け、鳥居は再びリフティングをしはじめた。

 

「瀬戸くんみたいなもう27、8歳くらいで、キャリアだけはそれなりに長いくせに視野が狭い人間なんかはね、もう修正なんかきかない。だって、もう自分はこれで正しいって思っちゃってて、それで今まではまあまあ結果残し続けちゃってるから、その結果を盾に誰からの言葉も素直に受け取れなくなっちゃう。あれでもA代表の予備メンバーに呼ばれたこともあるしからね、瀬戸くん。けど、あっくんはまだ20になるかどうか。今のうちにそういう心の歪みを直さないと、瀬戸くんみたいになっちゃうか、俺みたいに、ある日突然、何もかもどうでもいいやってなって、心が折れちゃうわけ。あっくんは世界で通用できるポテンシャルを秘めてるからこそ、今そのあたり直さないとって思ったんだけどね。これがもし余計なお世話だったら、聞き流してちょーだい」

「いえ、俺は……」

 

誰からの言葉も素直に受け取れない、という言葉が、新の心に追い討ちをかけた。

 

『世界で戦えることの証明?笑わせるよね。1月から数えてたった半年くらいの間、ちょっと調子よかっただけでさ』

 

『何ちょっと自分は既に世界で通用しますみたいな顔でいるのさ!!お父さんみたいに10年、20年と戦い続けたわけでもないくせに、何大物ぶってるのさ!!』

 

自分のやり方そのものまでを否定するようなことが出会ってからのこの数ヶ月、まったくなかった鳥居からの辛辣な言葉は、新にとってはあまりに痛手だった。

 

鳥居のような、若干腑抜けてはいるが、自分のスタイルそのものまでを否定しない人間が父親だったならどれほどよかっただろう――などと思っていた新にとって、その言葉はあまりに傷口を抉り出し、そして見ずに済むと思っていた自分の現実を突きつけるにはあまりに十分な――まるで、最悪な結果の健康診断を見せられているような気分だった。

 

《……監督。今日は練習、上がろうと思います》

《顔色が悪いね。週末の試合、間に合いそうか?》

《大丈夫と言いたいところですけど……なんとかします》

《そうか。お大事に》

ふらふらとベンチで様子を見ていた監督のほうへと歩き出し、新は練習の早退を申し出た。

家に帰って、自分だけの部屋でこもって、それで何かが変わるとも思えなかったが、とにかく今は、何かしら自分だけの空間にふさぎこんでいたい気分だった。

 

残酷な言葉をシャワーで洗い流すには、その傷口は新にとっては大きく感じられた。

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