〈――本日はどうもよろしくお願いします〉
〈お願いします〉
〈早速ですけど、息子である佳井新選手。まさかの大宮へのレンタル移籍ということですが――手の届く距離で活躍されている息子さんの影響力というのは、どうでしょうか?〉
〈まあ……はい……ありますよ、そりゃあ。俺が、俺が、って言って前に出て行ってばかりのプレーばかり目立ってますけど、結果的にそれで得点王争いに食い込めてますからね。数打ちゃ当たる数字だって言われたらそこまででしょうけど、飛び出し方が悪かったりとっさの脚力勝負ができないと、シュートを数多く打つまでたどり着けませんからね。それだけ前でボールを受け取る構図が自分の中にあるわけですから……自分が同じくらいの歳の頃のこと考えると、余計、色々考えますよ〉
〈本日、佳井選手が二十歳だった頃の映像をお持ちしました〉
〈あるんですか……〉
TVの向こうでは、夜のニュース番組のスポーツコーナーで海がぎこちなくアナウンサーと対談するコーナーが流れていた。
晴留はその映像を、ビールにアイスクリームを浮かべながらバスローブ姿で眺めていた。画面には、まだプロ入り2年目だった頃の秋季キャンプの映像――ちょうど、海が二十歳だった頃の映像が流れている。
「うわ、お父さん若っ。いや今とあんま変わらないけどさ」
同じく、バスローブ姿の真結と広乃が、コーラにアイスクリームを浮かべながら、晴留を両サイドで挟む形でテレビを眺めていた。
「でも今より大分目つきが悪いの」「だいぶ性格キツそうな感じなの」
「キツそうっていうか、周りが全部敵みたいな顔してるの」「誰だって必死で練習してたらあんな風になるのかな?」
別に晴留に聞きたくてそんなことを言っているわけではなく、ただ互いに言葉を発しながら、二十歳の頃の海が
「――5打席あったら2安打打つだけで4割じゃないですか。でも、代打のままじゃ1打席しか回ってきませんからね。1打席で勝負をつけろっていうのは、難しいもんです」
と、カメラの前で汗をぬぐいながら語っている姿が映し出されていた。
今とあまりフォームも変わらないが、放つ打球の鋭さだとか、スイングに漂う自信だとかが段違いだ。
ずっと体格だってほとんど変わらないままここまで海はプレーを続けてきたが、ただ、顔つきのいくらかの若々しさの違いだけがそこにあるだけで、大して老けたわけでもない海の姿を三人はまじまじと見つめていた。
まだ自分たちが生まれる前。年齢を考えると、結婚だってまだしていない頃だ。華耶とはこの時点で既に交際していたことは三人とも知っていたが、今の自分たちとほぼ同世代の海の姿は、父親である、ということを除外したとしても、三人には性格のとっつきにくさがどこかアニメ然としていて、魅力的に映っていた。
「お母さんが一目惚れしたって言うのも、分かるよ。こんな男の人目の前にいたら、そりゃ……ねえ?」
うんうん、と真結も広乃も黙って頷いた。
〈――さて、ここまで今季は代打中心での出場となっています。若手の頃からあまり代打は得意ではないとおっしゃっていましたが、今でもやはり苦手ですか〉
〈そうですね。試合の中の流れだとか、ちょっとした自分の中の修正だとか……1打席で仕事をしてこい、っていうのはやっぱり難しいものがありますね。まあまあ序盤は調子よかったんですけど、その後混合戦で指名打者として起用してもらえましたけど……周りが僕に期待していたほどは、パっとしませんでしたよね。やっぱり一つ一つの試合の中の流れとか、ちょっとした気持ちの移り変わりみたいなところを自分でうまく修正できなかったりしましたし。ここで躓くとやっぱ、また代打に戻ってからもよくない流れ引っ張っちゃうんですよね〉
〈でも代打で5割近い成績を残したり、代打ベストナインに輝いた年もあったじゃないですか。これからですって〉
〈買いかぶりすぎですよ〉
海が相変わらずぎこちない笑みを浮かべながらアナウンサーの声を手で振り払った。
それでも、過去の映像と比べるといくらかは自然体な笑みになっていることに気づいた三人はくすくすと笑いながら、じっと画面を見入っていた。
「……三人して、暑苦しいな」
エアコンを効かせているとはいえ、涼んでいるのに三人が密着してテレビを見ていることに新は少し呆れたような顔を浮かべながら、冷蔵庫の中からプロテインを取り出し、対角線のあたりのソファに座った。
「……」
リモコンを握った新を見て真結は思わず、HDDレコーダーがちゃんと点灯しているかどうか細目で睨んだ。広乃はとっさに新聞を取り出し、テレビ欄を急いで確認した。
「音量上げるけど」
「え?」
晴留は思わず新の声を聞き返した。間の抜けた顔で新のほうを向き――きっと自分の顔も間抜けに映っているのか、新は思わず眉間にしわを寄せて晴留を睨み
「音量上げるって言ってるんだよ」
と少し大げさな言い方で言ってみせた。
「え?……ああ、うん」
晴留はあまりに意外だった言葉に、夢でも見てるのかと思いながらアイスクリームをつつき、やや甘ったるくなったビールをぐっと飲み込んだ。
いくらか中和されてはいるものの、やはりしっかりと苦い。
晴留はなかなか慣れないビールの味に思わず顔を渋くしながら、少なくともこれが夢ではないということを味覚で確認した。新はというと、魂が半分ほど抜けたというか――特に何も考えていないような表情でテレビを呆然と眺めていた。
〈――さて、通算4500本安打も目前に控えています。そのほか、通算400本塁打、2000打点も目前に迫っていますが〉
〈あんまりね、自分の個人記録というものに興味がないんですよね。4000本打ったときのことも……あんまり覚えてないんですよね。覚えてないっていうか、多分、負けてるとかだと思うんですよ。あんまり記録どうこうって意識したこともなかったですし、なんかあまりパっと思い出せないってことは、多分負けた試合か、あるいはなんかあんまり納得いくヒットじゃなかったとかじゃないですかね〉
〈では、そのときの映像がこちらです。えーと……一昨年の8月16日。後期混合戦、ワイルドベアーズ戦ですね〉
〈ああ……負けた試合でしたね。外野が大分後ろにいたので浅いところ狙ったんですが、三塁コーチがランナー止めたときのやつでしたね〉
苦い表情を、なんとか笑顔で誤魔化そうとしている海の姿がワイプに映った。
一塁ベース上で球場スタッフの若いチアリーダーから手渡された海の映像は、さらに険しい表情で首をかしげながら――それでもなるべく邪険にしまいというような対応で――気まずそうに花束と4000本安打達成と書かれたボードを球場全体に向かってゆっくりと回りながら大きく掲げていた。
スタッフがボードや花束を回収したあとはやはり今のヒットに納得していなさそうな、渋い表情をして海は唇を歪めていた。
〈敵地、北海道ネクサスドームでの達成。しかも同点という状況でランナーを返せなかった当たりから、やはり苦々しい表情でした〉
〈まあ、どれほど記録を積み重ねてきても、落とした試合がそこにたくさんありますし。結局このチャンスでランナー返せなくて負けてますし。こういう一つ一つの節目の場面でも負け試合が出てくるあたり、多分僕は相当勝負弱いって思われちゃってるんでしょうね。……そりゃ、映像見せられたら思い出しますけど、あんま覚えてないものですよ。記録のために試合してるんじゃなくて、勝利のために試合してるので。お前のヒットは勝利につながらないなんてずっと前の監督とかから言われ続けてきたわけですから、節目のヒットなんて、振り返ってみればどれもあくまでも1つのヒットですよ。節目なんて、次の節目のための過去のものになりますし、勝てなきゃ、意味ありませんからね〉
〈そんなことないですよ。たくさん勝ちを届けてきたじゃないですか〉
渋い表情のままの海をアナウンサーが茶化すが、海は相変わらず硬い表情で「まあ野球ファンの皆さんは僕にいろんな感情を思い浮かべてると思いますけども……。結局、世界一にはなれましたが、日本一にはなれてないままですし」と苦笑いを浮かべた。
テレビではさらに海のWBCSでの活躍シーンが映し出されるが、晴留は映像の中身があまり入ってきていなかった。海がインタビューで答えている内容なんかもほとんど聞こえてなくて、むしろ、足を組んでその映像を眺めている新が気になって仕方がなかった。
真結も広乃も、少しやりづらそうにしながら、海のように渋い顔を浮かべながらその映像をじっと眺めている新とテレビとを交互に見つめていた。
〈――それでは、シーズン後半戦も更なる飛躍を期待しています。本日はありがとうございました!〉
〈ありがとうございました――〉
アナウンサーの大げさな挨拶とは対照的に控えめな挨拶をしながら海がカメラ正面に向かって、嫌々やらされているのか両手を振りながら、そのままVTRはフェードアウトしていった。
結局、黙ってそのインタビューの様子を途中から見続けた新は、そのままリビングへと居座ったままだった。チャンネルを変えるでもなく、次の天気予報に関してはあまり興味がないのか、勝手にチャンネルをバラエティ番組に替え、組んでいた足を逆に組みなおした。
〈――こうしてニセ企画にまんまとだまされた一行だが、どうやってコンビ解散を切り出すかに迷っている様子――〉
「……そんなに、記録なんてどうでもよかったのかな、"父さん"は」
新はポツリと呟いた。
「記録?」
晴留は現実に引き戻されたかのようにハっとした表情を浮かべ、新の声に反応した。一度はっきりと、久しぶりに新の口から飛び出した"父さん"という声に耳を疑ったりもした。
「……親父だよ。4000本も打ってたら少しくらい、記憶に残したくなったりするもんだろ。勝てなかった、勝てなかったって言っても、4000本は4000本だろ。4000本なんて、打ちたくても打てるもんじゃないはずだ」
「あ……うーん、お父さんは多分、そういう積み重ねなんかはどうでもよかったんだと思うよ。二塁打の記録を塗り替えたときだって、そんなに嬉しそうな顔してなかったし」
「4000本すらも、単なる通過点なのか、親父には」
「いや、通過点っていうか……どうでもいいんだと思うよ。さっきの映像なんか見てても。勝つ事にこだわってるっていうか……自分のせいで試合に負けたくない、っていうところにやたらこだわってるから」
「自分のせいで負けたくない、ね……」
新はうつむいて、頭をうなだれた。
晴留も少し今の言葉は新に対しては迂闊だったと思いながらも、すぐ否定したら否定したで、新にとってあまりよくないと思い、何も言わなかった。
「3番打つことに妙にこだわってたのも、多分それだけ、誰かが作った流れをさらにつなげる打撃に自信があったからだと思うし。単に上で打たせろって思ってるっていうよりは、チャンスを広げたり、チャンスをしっかり生かす打撃をしたかったからなんじゃないかなって思う。それがたまたま、打点につながってるだけで」
「俺には、きっとできないね。俺にさえボールを渡してもらえればあとは俺がなんとかするってつもりでいるから。……トリさんもきっと、親父みたいなつもりでトップ下にいるんだろうな。やろうと思えばトリさんだって、トップ下ばかりじゃなくて一枚目や二枚目に戻れるはずなのに」
トリ、というのが一体誰のことなのか晴留も、脇で黙って聞いてた真結と広乃の二人もピンとは来ていなかった。
ただ三人の中でハッキリと今分かることは、新の中で"何か"が変わった――かもしれない、ということだ。小学校高学年のあたりから、黙って海の映像なんかを見ることが一切なかった新が突然海の映像を見て、感想まで呟いている。
頭でも打ったのか、あるいは、変な薬でも打ったのか……と三人は少し気味悪がったが、あまり顔には出さないようにした。
「――ふうん」
〈ふうん、じゃなくてさーあ。なんかさー、もうちょっとさ、息子が意識改革みたいなのをしたんだからリアクションってもんをさ……〉
華耶は試合を終えた海に早速電話をしていた。
気味を悪くした晴留はすぐさま華耶に新のことを相談し、そして華耶は海へそのことを報告した――という、伝言ゲームのような状態がそこにはあった。
「別に俺が直接なんかしたわけじゃないし」
海は頬を指で掻きながら、早く会話を終わらせたかった。別に華耶の電話を鬱陶しく思ってるわけではないのだが、新の心変わりなど別に、海からしてみればそれ以上の関心を呼ぶものではなかった。
〈それはそうなんだけどさー、今に新が何か海くんに親孝行らしきものをだね〉
「ああ、別にいいからそういうの。子供から見返りが欲しくて親をやってるわけじゃないし」
海は華耶の言葉をバッサリと切り、通話終了ボタンにゆっくりと指を伸ばしかけた。
〈そりゃそうなんだけどさ。なんかこう、今までの分を……〉
「そんなこと言ったら、今まだスタート地点に立ててすらないし、アイツ。いいんだよ、別に。アイツの中で何か変わったかもしれないんだろ。じゃあ、アイツの好きなようにさせておけよ。俺、今それどころじゃないんだから」
〈抱くの?遂に?抱くの?ジェネルちゃんと一線越えちゃうの?〉
「バカ」
今度こそ本当に通話終了ボタンを押し、海は携帯をポケットにしまった。
「新くん、何かあったんですか?」
「このくだり面倒くさいな」
海はソファにドカっと乱暴に座り、足を組んだ。ジェネルは海の足元にすりすりと寄って、ニヤニヤしながら通話の内容を知りたがった。
「なんですかー、このくだりって。新くん何かあったんですか?何かあったんですよね?」
「聞きたきゃ、晴留にでも直接聞けよ。お前、連絡先知ってるんだろ」
「知ってますけど、さっきから何度か電話かけてるんですけどなんかこの時間帯繋がらないんですよー。毎回留守電になっちゃって」
「そりゃ、晴留にだって晴留の都合があるしね」
海はもっともらしいことを言って、じゃれつく猫のように膝に手を乗せるジェネルを振り払おうとした。
「でも、まだ23時半ですよー。大学生が寝るにはちょーっと早すぎる気が」
「早く寝ようが、遅く寝ようが、別にいいじゃないか。皆が等しく同じ大学生活を送っているわけじゃない」
「まあ、そうですけど」
無防備な胸の谷間が時折覗かせるのを海は嫌そうな目で逸らし、後ろの他愛もないバラエティ番組を見ていた。
「ま、いいです。この時間帯、シエルたんがギター練習配信やってますからそっちでも見て時間を潰します。シエルたん、だいぶ海さんの曲弾けるようになったんですよ」
「なんだよそのシエルタンっていうのは」
「あー、また忘れてる。人気の英語できる系Vtunerですって」
「ああ」
忌々しそうな態度で海は携帯をいじりはじめた。いっそこの無防備なジェネルでも撮影してやろうかと思ったが、よしておいた。
〈ごめんねー。ちょっと今日携帯がよく鳴ってて。通知が来るとやっぱそっち見ちゃうよね。さっきちょっと家族とBINEで話したばっかりだったからさ〉
と、明るい声を響かせながら、ところどころ途切れそうになりながらもなんとかギターのコードがリズムを保っている様子がジェネルの携帯から鳴り響く。
「おい、音消してくれよ。自分の曲を自分以外の奴が弾いてると気が散るんだよ」
「……?」
「……ジェネル。聞いてるのか?」
首をひねってるジェネルが、眉間にしわを寄せながらそこに指を突きたて、昔楓悟に見せてもらった刑事ドラマの主人公のようなポーズを海の膝元でとっていた。
「お前さ、俺の目線に入るような形で胸元見せ付けるのか、動画見るのか、突然考え事し始めるのか、どれかにしてくれよ。ポーズひとつひとつがお前、うるさいんだよ」
ジェネルはすくっと立ち上がり、一瞬海を見つめ――気まずそうな顔をしながら、言葉が出ないままで居続けた。
「……悪かったよ。確かに、ちょっと見えてたから……その、なんだ、見えてはしまったのは事実だけど」
海もまた、気まずそうな顔をして目線を少しだけ逸らしながらジェネルを見つめたが、ジェネルは
「いや、別に私の身体は減るもんじゃないから、いいんですけどね。なんなら、全部見せてもいいくらいですけど」
と、服の紐を解こうとしたので海は慌てて止めた。
「違うならいい」
「見たくないんですかー、私の全てを」
「その質問にはどう答えてもお前の失礼にあたるから回答を控えるよ」
「じゃあ、私も本当のことは言いませーん」
ぺろり、と舌を出したジェネルは、一瞬笑ってみせたものの――眉間に再びしわを寄せて指を眉間に当て始めた。
「いかにして俺に抱かれる手段を考えてるつもりなら、よそでやってくれないか」
「それは別に、やろうと思えば私、今すぐにでも海さんを押し倒して達成してやるんで大丈夫です」
「……じゃあ、何悩んでるんだよ」
「いや、その悩みを私が海さんに言っていいものかどうか……」
「……?抱かれる抱かれないの瀬戸際以上に言いづらいことなの、それは」
「ええ。ガチめの、結構こう……気まずい、っていうか……その……」
ジェネルは何か確信を得たような様子で、一度携帯の受話器を耳に当てた。やはり電話は繋がらない。
〈ごめんね、一瞬だけスマホいじるね!〉
ジェネルの見ていたライブ動画から、申し訳なさそうな快活な声が響いた。
〈 ごめんね、ジェネルさん
〈 30分くらいしたらまた折り返すから!
既読 23:57
ジェネルはははぁん、と頷きながらも、携帯と海との顔を交互に見つめ――不快そうな表情を浮かべる海の表情に、ぎこちない笑みを浮かべるしかできなかった。