海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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186・晴れの名のもとに

「ナイス、真悟」

「俺にかかれば、こんなもんです」

「バカ、そこはちょっと謙遜するところなんだよ」

 

9回の先頭打者だった真悟はこの日2本目のホームランを放っていた。

後期混合戦を前に、正捕手が今季二度目の戦線離脱をしたことから真悟がしばらくの間マスクをかぶることになり、真悟は思わぬ形でスタメンにその名を連ねていた。

結局、今野が思っていた以上に真悟の競争相手の質や成績が悪く、今野も「あんなものを使うよりなら当たりさえすれば大きいほうを選ぶ」と大分機嫌を損ね、真悟を使わざるを得ない状態に渋々納得しているようだった。

 

その真悟は混合戦の間『スタメンで使ってくれさえすれば成果を出せる』とカメラの前で向けていた自信を見事に有言実行してみせていた。バットに全く当たらない日も目立つ一方、ここまで10試合行われた後期混合戦の中だけで、今放ったもので4本目となるホームランを放っていた。

 

短期間のチャンスをモノにし、強打者の片鱗をしっかり見せつけていた真悟。その姿は海からしてみれば素直に羨ましかった。

自分が6年目――23、24歳の頃というと、初めて代打部門のベストナインを受賞した年だ。

その頃の海というと、塁に出なければいけないという気持ちと、木製のバットにうまく自分の打撃をフィットさせなければならない、という使命感だとか、代打で結果を示さなければ前野に使ってもらえないだとか――その頃から既に言われていた『勝利に繋がらない打撃』ということを気にして、今よりも確固たる"自分"はそこにはいなかった。

だが、やがて歳を経た自分の元にジェネルが現れたときがそうだったように、真悟にもそこに確かに"自分"がいる。自分の信念を持って、自分の生き様をバットにこめて全身でそれを表現している。

限られた出番の中で、それでも自分のスタイルを貫き、そしてそれを自己表現する――真悟はそれを徹底していた。

 

他人から見たら自分だって、自分のスタイルを貫き通してきたからこそ今の自分があり、真悟と同じくらいの年のころの海だって"自分"が既に出来上がっていたはずだ、と思われるのかもしれない。

ただ、海からしてみればただただバットにうまく当てて、まずは確実に率を残すことだけが精一杯だった自分のあの頃のバッティングなど、今の真悟ほど誇れるものではなかった。

 

今がよければいいじゃないか――というのは、ジェネルも、華耶も、自分に対してよく言う言葉だけれども、もっと早くから自分が実っていれば、こんな歳になってまで優勝だとかシリーズ制覇だとか、そんなものに固執して生きなくてもよかったのではないか――そう考えると、海は自分の生き方について、真悟を見ていると反省せざるをえなかった。

 

「私のことももっと褒めてくださいよー」

ジェネルがそんな海の思考を台無しにするような甘ったるい声で隣に座った。

「せっかく海さんが代打でヒット打ったんだから、私も気合入れてタイムリー打ったのに。もっとこう、褒めてくださいよ。愛の力ですよ?愛の力」

「満塁のチャンスでランナー一人しか返せない浅いところのシングルヒットで終わっといて褒めてもらえると思ったの?お前」

「あー!きっつい!きっついなあ、海さんは!ねえ真悟くん、今に真悟くんもこうやって海さんからきっついことしか言われなくなるからね。ハードル越えたらもうこの人、ほんときっついしストイックの塊みたいなもんだから、全ッッ然褒めてくれなくなるからね!褒められてるうちがほんと、華だからね!?」

「ああ、まあ……」

真悟はジェネルの勢いにたじたじしながら、なんとなくな返事をしてそれ以上は何も言わずにおいた。

 

「で、次期チームの顔さんはその2打席目のあとはどうだったんでしたっけ」

海はわざとらしい丁寧語を使ってジェネルを睨んだ。

ライトのエラーによる出塁、ランナーを一塁に置いて勝ち越しのチャンスで大きく狙ってキャッチャーフライ、そして同じくランナー一塁に置いてもう一度やってきた勝ち越しのチャンスで緩急でタイミングを外され、スプリットを空振り三振――。

今季、4割40本も夢じゃないのではないかと言われていたペースで打ち続けていたはずのジェネルは、まるで別人のようにきょうは調子を崩していた。

 

「まーそんな日もありますよ」

「あっちゃ困るんだよ。調子の波っていうのは当然誰にだってあるものだけど、それを極力作らないようにするのがプロだろ」

「もーう。分かってますってば。分かってるけど、実践できないことが世の中たくさんあることだって海さんも分かってるはずじゃないですか。海さんだってそういう調子の波に今までもずっと苦しめられて来たのも私は誰よりも――それこそ、華耶さん以上に、誰よりも見てきたつもりですし。私にだってイメージどおりに打てない日くらい、どうしてもあります。それが出来てたら、4割どころか5割打ててますって。自分にできなかったことを私に押し付けないでくださいよー」

海の言葉を遮って、ジェネルは膨れっ面でブーブーと不満を口にした。

 

「ジェネルさん、ちょっとその……最後の言葉はちょっとどうかと……」

真悟はジェネルの言葉に思わず口を挟んだ。

ジェネルも海とは長い付き合いだし、大体の言葉を言って許される仲だった。真悟は二人の関係を見ていてそれはなんとなく理解しているし、きっとこの二人の間には単純な男女の仲を超えた"何か"があるとも思っていた。

だからこそ、不意に出たその言葉が迂闊なように真悟には思えてならなかった。

 

「……悪かったよ。俺に出来ないことをお前になら出来るなんて態度で振って」

ジェネルの言葉より先に、海は帽子を取ってジェネルを見つめた。

「あ、いや……私は別にそういうつもりじゃ……その……ごめんなさい」

普段なら軽く流す言葉を海は真に受けたあたり、ジェネルは海の中で何か複雑な感情がうごめいていることを察知し、ジェネルもまた、帽子を取って謝った。

 

「いや、おかしいでしょう。なんで佳井さんが先に謝るんですか」

真悟にはそれがおかしくて、理解できなくて、ついツッコまざるをえなかった。

海が何かと気難しく、色々と考え事をしがちだということもこの半年ほどの間によく見てきた姿ではあったが、この二人の関係は、知れば知るほど、理解すればするほど――どこか不可思議なものがそこにはあった。

 

「――そう言えばですけど」

「ん?」

試合後、ジェネルと真悟を連れて水炊きのうまい店へと足を運んでいた海は、料理を待っている間真悟に質問をされた。

「俺、今24じゃないですか」

「24って、歳のこと」

「他に何があるんですか」

真悟の『何をつまらないことを聞き返してるんだ』という表情に、自分の考えを他人が常に共有しているものと思うなよ――と木村に対してのように海は言い返そうと思ったが黙っておいた。

「で?歳がどうかしたのか」

 

「佳井さんとこの子供、上は大体同じくらいの歳じゃないですか」

「晴留……長女が今21歳で、新が20歳か言うほど同じってほどじゃあないと思うけど」

「同じみたいなもんじゃないですか。21ってことは、大学3年ですか?」

「いや。アイツは早生まれだから――」

ガタン、と海は思わず立ち上がった。

「次の春でアイツ、大学卒業じゃないか」

 

「……気にかけてなかったんですか?」

真悟がなんともいえない表情で海を見つめる。

「……いや。気にかけてないっていうか……早生まれの子が多いから、たまに子供たちの歳の計算がたまに分からなくなるんだよ。新と1歳違いだから来年だよな?ってなっててさ。こういうところが父親失格と言われるんだな、俺は」

「実際は2学年違いってことですね」

「そういうこと」

海は冷静さを取り戻し、椅子に座った。

 

「……いや、そういうこと。じゃないよ。アイツ、自分なりにうまくやってることは知ってたけどさ。……もう9月だぞ。俺、あんまり大学生の就職戦線のことは詳しくは知らないけど……アイツ、ちゃんと就職決まってるのかな」

海はとたんに不安そうな顔を浮かべ、コップの水を口につけた。

 

ジェネルは何か言いたいような、気まずさを浮かべながら、海と同じような表情でコップの水を口に含んだ。

真悟はその様子があまりに同じすぎたので笑いが噴出しそうになったが、少なくとも笑うべき場面ではないので抑えておいた。

 

「……たまに、自分の金銭感覚がおかしくなることがあるんです。ぶっちゃけ、このまま仕事なんかしなくていいかな……とか思っちゃって。違うはずなんです。本当は私、今まで稼いだ学費だとかなんだとかをお父さんに返そうと思ってやってきたことだったのに」

と、次々と投げ銭が投げ込まれていく様子だとか、広告収入の画面だとかをタブレットでジェネルに見せた晴留。

 

後期混合戦が始まる少し前の休養日、ジェネルは晴留を個室つきの居酒屋に呼び込んで話をしていた。

 

今までのことが点と点で繋がり、そして全てが繋がったジェネルは、直接会って晴留――もとい、"シエル"というガワを持ったその女性と事実の確認をしなければいけなかった。

確認したところでどうにもならないことはジェネルもなんとなく分かってはいたが、会わずにはいられなかった。

別にシエルを推していて、ジェネルもまた大分大きい額の投げ銭をしたことがあるからだけではなく、そもそも何故晴留が突然そんなことをしようと思ったのか、聞かなければいけない気がしたからだ。

 

「高校の頃から、あれこれバイトはしてたんです。さすがに、一人暮らしするのに夜遅く帰るのはまずいから、家でデータ入力のバイトとかしてました。それでコツコツためたお金と、仕送りを毎月積み立てて……大学になって少し自分の時間が取れるようになったら、ちょっとVをやってみようかなって。英語ができるから、ちょっとした話題性に火がつけばいけるんじゃないかなって。そしたら、なんか思いのほかうまくいっちゃって」

晴留はデビューした頃の映像を流しながら、ため息をついた。

 

「お父さんがどんなに必死でお金を稼いでるかを、身をもって経験したかったんです。公に生きるってことがどれくらい大変か。確かに、SNSの使い方だとか、絶対に中身が私だってバレちゃいけないような工夫とかもたくさんしました。何かとトラブルの多い世界ですから、そりゃ、色々私なりに研究したんです。そしたら……そりゃ、伸び悩んだ時期なんかもありましたけどね。でも、なんか、うまくいっちゃって」

 

〈みなさーん!Hello,everyone!皆、心に太陽灯ってるかな?シエルでーす!〉

 

普段の晴留よりもテンションが高めで、いかにして晴留がシエルとしての人格や声と、普段の晴留との使い分けを徹底してきたがタブレットから流れる音声から伝わる。

確かによく聞くと声の吐息の漏れ方が似ているのだが、よほど注意して聞いていなければ分からない声色だった。きっと、晴留なりに創意工夫を凝らして生み出した声なのだろう。

 

「お金を稼ぐことの大変さを知って、学費だとか、好き勝手自分のためにたくさん投資してくれたお父さん、お母さんのために、いつかこのお金を返して、いつか……お父さんが引退したときに、これからもたくさん楽させなきゃ、って思ってやってたことのはずなのに、楽にお金が稼げ過ぎちゃったんです」

 

〈あー!スパチャありがとう!えっ、こんなにいいの!?え、皆ほんとに……自分の生活大事にしてね!?別にスパチャの額で殴りあうとかそういう企画じゃないからねこれ!?〉

 

「もちろん、就職くらいはちゃんとしなきゃいけないとは思ってます。でも、せっかくちゃんとした大学出たっていうのに、まさかVとしての活動をするために、その辺の会社にテキトーに勤めるなんてこと……そんなの、お父さんもお母さんも、望んでないはずなんです。じゃあ、大学院まで進むかって言われたら……やっぱ、ヘンじゃないですか。結局、Vとしての日々を優先させたくて、なんとなくうまくいき続けて、大して挫折もしないまま過ごした学業をなんとなーく延長するだけに過ぎません。別に、私が自分で使うためのお金を稼いでるわけじゃないんです」

 

〈あの、お絵かき的な意味のパパとかママとかじゃなくて、私のリアルなパパママにこのお金はちゃんとなんかの形で還元しようと思ってます。結構ね、私色々好き勝手やらせてもらってるから。皆も私だけじゃなくて親にもお金渡そうね!〉

 

〈あー!違うって!だから、そこで私にスパチャするようじゃダメなんだって今言ったばっかりじゃんー!!〉

 

「でも……お金って人を狂わせますよね。こうして身体張って稼げたお金の、一体何分のいくつになるんですかね、その辺の会社に勤めて、身体なんか壊してみたりして。そう考えてるうちに、最終面接まで行ってた会社とか役所なんかも、何社か落ちちゃって。……私、長女失格ですよ。結局、一番堅実な生き方してるのは私の"ガワ"だけで、本当の私は、新をバカにできないくらいキラキラしたところに依存してるんです。真結も広乃も、『お姉ちゃんまじめに勉強しててすごいの』とか言ってくれるけど……あの二人よりもずっとキラキラしたところに私、身を置いてしまったんです。今年のコミケなんかも、なんか、私……私っていうか、シエルの本とかなんとか、新刊の数、エグかったらしいじゃないですか。一応こう……私も女の子なんで、気にはするんですよ。どういう目で見られてるのかとか。まあうん、皆そういうジャンルばっかりだよねー、って感じではありますけど……」

 

ジェネルは遅れてやってきたパフェを頬張りながら、じっと晴留を見つめた。

 

「"シエルたん"はこれからどうしたいの?ギターが弾けるようになったら、いずれこの勢いのままCDも出したいって言ってた。いずれは日本だけじゃなくて海外とかのイベントとかにも出席できたらー、なんても言ってたけど、それはどっかでケリつけなきゃって思ってる?それとも、お金があるからやりたいの?」

 

「……皆がシエルを待ってるんです。でも、皆が待ってるからだけじゃなくて……音楽に対することなんかは、本当に思ってるんです。お父さん、きっと、引退したら本当に趣味なんかもなくて……何もできなくなっちゃうと思うから。あくまでも……Vをやってると稼げるからとかじゃなくて、活動の根っこは変えないままいきたいんです」

じっと見つめるジェネルに、訴えかけるような涙目で晴留は語った。

「なら、よかった。楽に稼げるからです、とか言ったら私ちょっと……シエルたんを推せなくなってたかもしれないから。じゃあ、"晴留ちゃん"はどうしたいの?」

 

再び突きつけられた言葉に、晴留は思わず目を伏せた。

「私は……」

そこから先の言葉が、晴留にはなかなか出てこなかった。

 

「……今まで散々楽させてもらった分、ちゃんと恩返ししたいんです。私たちのためにこっちに家だって建ててもらってますし。普通に働いて、普通に生きてるだけできっとお父さんもお母さんも喜んでくれるはずって思ってるはずです。でも、私は今まで……あまりに楽をさせてもらえすぎました。……やっぱ、ダメですね。お金あるからやってる、っていうとこ……やっぱあるんですよ。新が、自分は親父の倍じゃ足りないくらい稼いで見せる、とか息巻いてる脇で、私はもう裏では新よりもずっと大きいお金稼いでるんだぞー、って……内心、言葉には出さないけど張り合っちゃってるんです。私、どうしても、新のあの態度に勝てる何かが欲しくて。でも……私は、お父さんのために、自分のできることをし続けていきたいんです。それがたまたまシエルという形で表現できてるだけで」

「……そっか」

ジェネルは腕を組んで、しばらく考えた後――ニッと笑った。

 

「……でも、よかった。『楽して稼げるから働きたくないんです』とか、決して晴留ちゃんも、シエルたんも言わなかった。だからきっと大丈夫。大丈夫って言葉くらいしか私は言えないけどさ……お父さんのためにギターあんな必死で練習できる行動力があるならさ、なんだって出来るよ、シエルたんにも、晴留ちゃんにも。だから……それが分かっただけでも私はよかった。もしどうしてもダメなら、私も同級生とかにかけあって、なんかいい働き口とか探してみるからさ。だから……あんまり思いつめないで欲しいな。いちリスナーとして、そして……いち家族として。ちょっとずうずうしいかもしれないけどさ」

「いえ、別にそんな……」

 

晴留はジェネルの笑顔を見ながら、目に溜まった涙をぬぐった。ぬぐってもぬぐってもなかなか乾かない瞳を晴留は鬱陶しく思った。

 

「――ル。ジェネル。おい、聞いてるのか?」

「へっ?えっ?」

海に横から大きく揺さぶられ、連動するようにして胸を大きく揺らしたジェネル。真悟はそこから顔を逸らしながら、目線を二人に気づかれない程度にわずかにだけ向けていた。その一割だけでも自分に向けてくれればなという気持ちもあったし、自分もこういうときに男を隠しきれないなという気持ちが真悟を襲ったが、顔を静かに覆って悟られないようにした。

 

「アイツと連絡取ってるんだろ、お前。何か最近なかったか?親にも言えないこともあるだろうし、お前なら何か聞いてないかなって思って」

「えー……まあ、はい。うん」

 

今海に色々明かすには色々と気まずいことばかり情報として蓄えているジェネルはあいまいな返事をした。

 

「うまくいってなさそうってことか」

「うまくいってない、っていうか、なんというか……」

「どっちなんだよ」

どっちなんだよ、と言われると微妙に回答しづらいものだから、ジェネルはどう返事をしたものか迷った。

変に本当のことを言いすぎるのもきっと海にはよくないし、適当なことを言ったところできっと海にはすぐ見透かされてしまう――ジェネルは少し考えた結果――

 

「まあ、色々悩んでるみたいですよー、自己表現のしかたに。学業を頑張りすぎた結果、自分を表現できる分野が分からなくなる子ってたまにいるじゃないですか。勉強だけが自分みたいな感じになっちゃってるみたいな」

と、嘘は言っていないような言葉をなんとかひねり出した。

「いるのか、そんなやつ」

「いるんですよ」

「晴留がそのタイプだと?」

「ええ」

「……」

海はあごに手を当てながら、確かに突然野球や新体操などを辞めた後の晴留は直人のように勉強一筋でいる時間が長かったことを思い出した。

 

「なるほどな。なんとなく、理解できた」

「ならよかったです」

頼むから早く話題を変えてくれ、と思いながらジェネルは真悟を睨みつけた。真悟ちゃんが娘さんの話なんか振るから……と思わずにはいられなかったが、当の真悟は先ほど目に焼きついたジェネルの胸元ばかりが頭に焼き付いてどうにもできなかった。

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