海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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188・子は親に似るもの

「それじゃ、かんぱーい」

「……なんでお前が仕切ってるんだよ」

「え?我、今日の主役ぞ?主役我ぞ?」

 

監督不在につきヘッドコーチが監督代理をするという状態で行われた秋季キャンプは、打撃コーチ、守備コーチらが各メニューによって指揮を執るという見切り発車のものとなった。

一応、秋季キャンプの間はまだコーチとしての職についていた海は、あくまでも打撃コーチである生駒の補佐をするという形で練習に帯同したが、実際は体力づくりだとか若手への見本を見せるような、手本としての役割のほうが強かった。

シーズン中だって結局はそんなものだったし、わざわざコーチ兼任という職は必要だったかどうかと言われると、やはり無駄だったように海は思った。

 

キャンプが終わってすぐ、ジェネルは今季のベストナイン授賞式に出席した。40本という大台まであと1本に迫ったその打撃力は、もはや誰が見てもチームの顔であり、球界の顔だった。

今年の秋季キャンプが無事終わったその打ち上げと、ジェネルのベストナインの労い。そして――

「大体、主役はもう一人いるだろ」

と海がジェネルの隣でまるで他人事のようにしている晴留を指差した。

 

「いや、私なんか別にいいから」

「よくないだろ。繰り上がりで急に採用になったって」

「いや、まあ……うん」

と、晴留は控えめに合否のメールを見せた。

 

ダイワビール。チーターズとも縁があり、この吹田にも大きい工場を構えている大手企業だ。グループ会社であるダイワ飲料のCMにも海は何度も出たことがあるから、実になじみのある企業だった。

つい先週、就職が決まったということで晴留を自宅に呼び寄せ、そのついでに真結と広乃もついてくる形になり、久々に自宅には家族のほとんどが集まっていた。

 

「誰でも知ってるような会社に受かったなんて、よかったじゃないか」

「そうだよ。ごめんね、ライバル社のビールなんかも飲んじゃってて」

と、少し茶化すように、他社のビールを見せびらかすようにしながら華耶は晴留を見つめた。晴留は少しだけ噴出したように笑って、あいまいな笑みをずっと浮かべていた。

 

「まあ、いきなり社会人になるってやっぱり、怖いよね」

と、薫が晴留の向かいから気の利いた言葉を投げかけた。一応、"社会人"というくくりでいるのは華耶と薫くらいだ。変に何か言うよりも、薫たちのほうが寄り添った言葉を言えるだろう。海はあまり喋らずにおいて、薫に任せることにした。

 

「私、あんまりやりたいこと、っていうようなやりたいことって、結局この7年、よく分からないまま、単位だけとっちゃった気がするんです。繰り上がりってことは、結局私、もともとはそこに入れなかったわけですし。志望理由だって、あんまり残業がなくて、リモートワークがほとんどだっていうのが大きい理由ですし」

「いいじゃない。勤めちゃったら、何だって仕事だよ。働き続ける理由なんて、働きながら考えたらいいし、合わなかったら辞めちゃえばいいんだから。案外、なんとかなるもんだよ」

華耶が明るく口を挟み、晴留を励ました。

 

「そりゃ、うん……そうだけど」

「まあ、働いてみないと分からないよね。分かるよ。就職決まったあと突然なんだか嫌になるの。あたしは割と第一志望で受かった会社だったけどさ、周りなんかはなんか、決まったら決まったで、なんか浮かない顔してる奴多くてさ」

「私の周りも、そんな感じでした。何だかんだ言って、大学、皆楽しかったからなんだろうなって」

 

大学が楽しかったかどうかと言われれば、確かに、知識が一つ一つ増えていく楽しさというものは晴留の中にはあった。でも、その増えた知識というものが、働いているうちにどんどんなくなっていくような気もしていた。

使わなくなった知識なんてものは段々消えていってしまうものであって、受講した第二外国語だってきっと、仕事だとか、あるいは趣味だとか、何かに活かしていかないときっとすぐになくなってしまうだろう。

だからこそなるべく楽しく勉強をするように自分も心がけてはいたのだが、必修だから嫌々受けたような科目のことなんかは、今はともかく、あと何年か後に抜き打ちで聞かれたら、少し危ないところがあるかもしれない。今はともかく――というか、今ですらちょっと怪しいかもしれない――。

 

「でも、続けてればきっとなんかあるよ。薫ちゃん、この1年で球速5キロ上げて、140にだってもうすぐ届きそうなんだから。ひょっとしたら田中さんのときみたいに、緊急で選手登録なんかあるかも」

「ないですよ。大体、私が打撃投手を辞めたら、誰が海さんやジェネルさんや……真悟くんの打撃投手をするんですか」

ジェネルが薫の肩を組みながら、晴留の肩をバシバシと叩いた。

 

「ありがとうございます。そうですよね。勤めてれば何かしらこう……なんか、ありますよね。何もつかめなかったらちょっと……それはそれで、考えますけど」

「そうそう。それくらいでいいんだよ」

ジェネルはそう言って晴留に再びビールを注いだ。晴留はアイスボックスからアイスクリームを取り出してコップにそれを浮かべ、またちびちびとそれを飲み始めた。

 

「まあでも、本当にオールドルーキーなんて感じで選手登録もあるかもしれないんじゃないかなー。うち、投手難続いてるし、補強だってなんか全然だし。監督の件とかもあるし、結局は球団代表だって今まで全然しっかりしてなかったから、なかなかうちらに入ってくれない選手が多いっていうのもあるだろうしさ。そうなったら、薫ちゃんの選手登録も夢じゃないんじゃないかなって私は割とマジで思ってるんだけど」

「……私、もう28になるんですよ?今から選手登録なんてされたら、笑いものです」

ジェネルの言葉に薫は失笑し、ビールを少しだけ口に含みながら――

「……でも、もしそんな話があったら、ちょっと面白いかもしれないですね」

と、笑ってみせた。

 

なんとか年内に就職の内定をもらうことが出来た晴留。その晴留が、実のところ勉強することだけが楽しくて、勉強以外に自分を表現できるものがない気がした――そんなことで苦悩していたという話を聞いて、直人は内心、安心していた。

 

人間、目的意識を持って生きていなければならない、というのがテレビだとか、あるいは学校の教師だとか、いろんなところから聞こえてくる。ただ勉強しているだけではいけない、なんてことを言われるが、ただ勉強しているだけではいけないのに、教えるのは教科書に書いてあることばかりだ。

 

直人にとって学校というものは相変わらず窮屈だった。

家に帰ってからとりあえずで高校受験の参考書のほかに、大学レベルの学術書なんかを買ってみて、適当に流し見したりして、自分が本当に興味を持って勉強したいと思えるものは何なのだろう――と思いながら、結局どれもピンとはこなかった。

気分転換にと大学のホームページなんかも見てみたのだが、ホームページなんてものは大体どこも自分たちのいいところだけを切り取ってよく見せているのだから、具体性があるようでなかなかない。自分がそうしていろいろな学校で勉強し、よりよい自分として生活できるビジョンが直人には全く持てなかった。

 

とりあえずもっとしっかりしたところで勉強したいという思いから、姉たちを追って啓皇への進学を考えてはいるが、本当にそれでいいのだろうか――そう思っていた矢先の晴留の言葉から得た安心感は、直人にとっては計り知れないものがあった。

 

部屋の隅で携帯を触って動画を見ていた直人のもとに晴留が近づき、椅子に腰掛けた。

 

〈――今日はお酒を飲みながら配信したいと思います!あんま得意じゃないんですけどね。お酒飲みながらゲームするので皆もね、飲める人はお酒を片手にね、そうじゃない人も麦茶とか飲んで見てくれればなーって思います!〉

 

つい数日前に見逃したライブ配信の動画を見ていた直人に、晴留はぽつりと呟いた。

「直人も"そういう子"、好きなんだ?」

「"そういう子"っていうか……なんだろう、絶対人の悪口言わないからさ、シエルは。こういうPvPなんかやってるとついつい口調荒くなりがちじゃん。でも、シエルはヘタクソなりに言葉遣い気をつけてるっていうかさ」

「ヘタクソって……」

弟からの容赦ない言葉に晴留は胸を刺されたような気持ちになったが、直人は構わず話し続けた。

 

「それだけじゃないよ。なんか、常にまっすぐ見ててさ、明るく振舞ってるよね。ギターがなかなかうまくならない時期なんかもあったけど、必死でさ。でも、必死さだけじゃなくて、明るく振舞うってことを徹底しててさ」

晴留は『ちょっといいかな』と手招き、直人を連れ出し、地下の音楽室へと向かった。

 

海のギターが何本かかけられている。年季の入ったSGにモッキンバード。かつて、ジェーシンの販促イベントで景品になっていたギターや、番組の企画でもらったギターに、誰かしらのサインが掘り込んであるギター。

晴留はその中から、おもむろにモッキンバードを手にとって、海がセットしたと思われるエフェクターのセットにケーブルを繋いだ。

 

「姉さん、あんまり父さんの私物は勝手にいじらないほうが――」

 

直人の声を無視するようにして、晴留はスタンドからピックを取り出し、ギターをかき鳴らし始めた。

あまりに耳なじみのあるフレーズに、直人は表情をハッとさせ、じっと晴留の表情を見つめていた。

晴留もまた、なるべく笑顔を維持したまま――

 

 ――晴れ女だからね 褒めてくれていいんだよ

 君が素直に笑えるような 空にしといておいたよ

 どこまでも続くスカイブルー クリームソーダみたいだ――♪

 

ここ毎週のように耳にした歌声と同じものが、部屋に響き渡っていた。普段と違ったのはギターのエフェクターのかかり方だとか、かかっている音だとか、ちょっとしたリズム感の違いだけがそこにあって――その声は、あまりに直人がよく知るものだった。

 

「……お母さんからさ、ちょっと聞いてたんだよ。直人が、色々迷ってるってこと。でも私……結局、自分を表現できるものがこれしかなかった。私からシエルをとったら、何も残らなかったんだ」

絶句する直人。なるべく笑顔のままで向けてはいるが、晴留もまた若干の申し訳なさを直人に向け、次の言葉をしばらく言いあぐねていた。

 

「……本当は、お父さんにこれまで楽させてもらった分の恩返ししようとしてただけなのにね。……リモートワークを選んだのだって、結局、配信に不自然に穴あけたくなかったから。でも、いい大学出て、働かないなんてわけにもいかない。世間はそんな私の甘さを結構、的確に射抜いてきた。面接でその辺、ガンガン言われてさ。言葉でどれほど取り繕っても、私が正直特に何も働くビジョンが持ててないこと、見抜かれてた。ダイワビールにだって運よく就職できただけでさ、私、本当は大したお姉ちゃんじゃないんだ」

「そんなことないだろ――」

否定したが、その続きをどう言っていいか、直人には分からなかった。

 

「いつか、お父さんにもお母さんにもちゃんと明かそうと思ってる。大体のものはバイト代で買ったけどさ。機材とか、パソコンとか、イラストとか……いろんなことにお金、たくさん使っちゃったから。送ってもらった仕送り、趣味がないからってしばらくお金貯めておいて、それでこんなことに使っちゃったこと……ちゃんと謝らないといけないし。結果的に、お金はしっかり返せるし、これからもたくさん返していける見積もりはあるけどさ。……でも、こんなやり方してお金返そうとしたこと、含めて……全部謝ろうと思ってる」

「……」

直人はうつむいたまま、晴留の言葉を聞き続けていた。

 

「直人はさ、お父さんとか……新とか、真結とか広乃みたいなキラキラしたものに憧れて、でも、自分には武器がなくて、悩んでたんだよね。私もさ……お父さんに憧れてた。でも、憧れてただけじゃなくてさ……傷ついてボロボロになって帰ってくるお父さんが、見てられなかったんだ。だから、少しでもお父さんがもう野球なんかしなくても楽に過ごせるように、いい高校出て、いい大学出て……その最中に、何か自分に出来そうな表現を見つけたかったんだ。それがたまたまVtunerで、それがうまくいきすぎちゃってさ。……でも、表向きは、みんなのための堅実で真面目なお姉ちゃんでいなくちゃいけなくてさ。……真結にも広乃にも、ついこないだ、初めて明かしたんだ。それまでずっと周りには隠してた」

「……やめなくていいと思うよ。姉さんからシエルをとったら、何も残らないんだろ。姉さんにとっては、シエルが姉さんの全てなんだろ。無理してケジメつけてやめなくていいと思う。僕は……姉さんのことも、シエルのことも好きだから、どっちかが欠けちゃ……嫌だ」

「……ありがとう」

晴留は直人の髪をぐしゃぐしゃとかき回した。しばらく見ないうちに直人の背も自分と同じくらい伸びたが、弟っぽさは相変わらずで、顔つきもまだ頼りなく、幼いままだ。

 

「……あんまり参考にならない生き方だと思うよ。お姉ちゃんのやりかたは。幻滅もしたと思う。結局、私がやってることは、新とも、真結や広乃とも同じだしさ」

「まあうん……ショックっちゃ、ショックだよ。でも……なんか、僕もすっきりはした。悩んで生きててもいいんだな、って」

 

晴留だけは堅実に生きているはずだと思っていた直人の中を鉄の棒でかき混ぜてぐちゃぐちゃにするような衝撃がそこにはあったが、それでも、直人は『何か自己表現を見つけなければ自分のように悩んで生きてばかりだったのだろう』と解釈し、晴留に向かって笑顔を向けた。

 

「……でもお姉ちゃんの真似だけはしちゃダメだからね。お金、すっごくかかるし色々大変な世界なんだから」

「知ってるよ」

晴留のやけに姉ぶったポーズと言葉に直人は少し鬱陶しさを見せながら、二人揃って防音室を出て行った。

 

リビングはサッカーの話で持ちきりだった。

新が出ている試合を、ジェネルや華耶がサッカーをよく知らないながらにかじりついて見つめている。

新に最終パスを何度も通していた選手が膝の怪我で秋からずっと欠場しており、新は今まで以上にパスでのチャンスメークや、中盤に下がっての守備参加を必要とされていた。それでいて得点ランキングで1位を維持し続けているのだから、大したものだと海は試合を見て思っていた。

 

試合は前線に飛び出した選手が相手のディフェンスに両方から挟まれる形になり、ディフェンダー2名にイエローカードが出る少し荒っぽい空気になっていた。

 

後半42分、1対1。PKを蹴るのは――新だ。

 

得点ランキングではトップにもかかわらず、今年の公式戦で蹴ったPKは3回中3回全てを外していることが画面に表示されている。

天を仰ぎ、目を閉じ――何かをブツブツと話しながら、新はゆっくりとボールに向かって走り出し、シュートを放った。

 

「ああっ――」

思わずジェネルが力んで前のめりになり、声を出した。

左上の枠いっぱいに放たれた弾道は、ゴールポストに愛されたと言うべきか――ポストの下に当たったボールがそのままゴールネットに吸い込まれるようにして跳ね、しっかりとネットを揺らしていた。

 

新は珍しくガッツポーズを取り、天に向かって人差し指を立て、スタジアム中央へ向かって走り始めた。ベンチで試合を見守っていたのは、海によくキラーパスを出していた選手だろうか。立ち上がって笑顔で拍手している様子が映し出された。

そのきつめのパーマがかかった長髪の男は、いつかどこかで見たような顔をしている気がしたが――あいまいな記憶はとうとう海の中の情報を引き出さなかった。

 

「アイツ、これで悪い流れが吹っ切れたらいいな」

「まあ、もう大丈夫でしょ。自分の力だけでゴール決められたんだから」

海の言葉に華耶が寄り添い、じっとその画面の向こうの新を眺めていた。

 

「笑えるようになったんだな、アイツ」

「海くんもああいうぎこちない笑顔しか浮かべてないよ」

「……そうだろうけど」

「華耶さん。海さんはもっと硬い笑顔ですよ」

華耶のフォローをぶち壊すようにしてジェネルは海を茶化した。

「……そんなことないだろ」

と海は薫を見つめるが、薫は逃げるようにして顔を逸らした。

 

「……なんだよ。人が笑ったことないような言い方して」

「仏頂面がたまに笑うからギャップ萌えが起きるんですよ。海さんはそういう感じでのままでいいんです。海さんが晴れやかな笑顔なんか見せるのは、きっと、最後の日か、栄光をつかんだ日ですよ」

「どうかな。このままだと思うよ」

ジェネルの茶化しに海は仏頂面のまま答え、華耶も薫も、そしてジェネルもまたくすくすと笑った。

後ろでその様子を見ていた真結や広乃もまた笑っていて、海は不機嫌そうにビールを飲み干した。

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