海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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189・審判の時(前)

この年、大宮テルミナーレは新という、自己顕示欲の塊と他を追従しない身体能力の持ち主を得て――そして新がこの一年でめきめきと判断力と周りを生かす力を身につけた結果シーズン15位に踏みとどまり、1部リーグの残留確定を決めていた。

 

累積警告による出場停止やレッドカードによる出場停止など、審判や相手選手との数多くのトラブルこそ抱えたが、27試合で33得点と最後までその得点力を維持し続け――鳥居と監督に徹底的に鍛えなおされたパスを生かし、8つのアシストも記録した。

ほぼ当然の形で最優秀選手賞を受賞し、その最年少記録を打ち立てただけでなく、得点王と最優秀選手賞の両方を記録した新は、ベストイレブン、そして最優秀新人賞にも輝き、文字通りタイトルを総なめした。

 

カメラの前で新は、鳥居への感謝だとか監督への感謝を告げるとともに、公約どおり来年はイギリスへと戻り、再び世界で通用する選手を目指すことを堂々と話していた。

記者から海についての質問が飛び交うと、新は少し苦々しい顔こそしたものの――

 

『一人のスポーツマンとしてこの一年、苦悩していた姿は僕も少しは知っています。僕もいずれ歳を取ったらああなる可能性だってありますから、一日一日を大事にしようと思って今年一年を戦い抜きました。父はこのままみすみす終わる人間ではないでしょうし、僕もまた、今年がピークと言われないように頑張りたいです――』

 

自分たちの知っている新の姿ではあったものの、やはりどこか角の取れた姿がそこにあった。それでも、新は自分の足で家に戻ってきたり、積極的に華耶や海のもとへ連絡を取るようなことはしなかった。

 

「とてもあれがマイクパフォーマンスには思えないんですけどね、俺は」

木村が携帯で記者会見だとか、インタビューの内容だとかを振り返りながら海へ新の話を振った。

「マイクパフォーマンスだろうがなんだろうが、別にいいよ。アイツなりに何か色々あって今年一年、成長して、結果を残した。それだけが事実だよ」

「でも、実際、どうなんです」

 

木村が他の記事を取り出し、海へと見せ付ける。

 

「どうって」

「正月セール向けのビールのCM、なんか今度は実際に対面で収録するらしいじゃないですか。向こうがOKを出した、って。先輩的にはどうなんです?息子さんがパフォーマンスのためにやってることっぽいですか?これ」

「知らないよ。別に、パフォーマンスのつもりだろうが、本当にちょっと気が変わったのか知らないけどさ。変なクスリだとか宗教にだとかハマったとかじゃなければ、なんだっていいよ」

「ちょっ……無関心ですね……実の息子ですよ?心変わりしたのかどうかとか、それの何がきっかけだったのかとかくらい、気にならないんです?」

「無関心なんじゃないよ。アイツの行動に過干渉したくないだけだよ、俺は。どのみち、会ったら分かることだし」

「まぁ、どっちだっていいですけど」

と、木村はコーヒーをすすった。

 

「で、どうです。選手専任に戻る、って話。手ごたえのほどは」

11月の終わり、海は公式に来季は選手専任で行くことを球団を通して発表していた。次の監督が一体どういう手積りでいるかは分からないが、自分の中ではまだ自分なりのパフォーマンスをギリギリ発揮できるとは思っていた海。年齢的にも来季もダメなようなら、きっともう後はないだろう――そう思っていた。

 

海の中では『仮に日本一になるときがきたとならば、それは自分が動けるうちでありたい』という思いがあった。仮に今後日本一をつかめたとしても、そこに自分がパフォーマンスを残せない形でチームにいるだけの状態でいたならばきっとそれは、自分でつかんだ勝利とは言えないからだ。

 

旬を過ぎてしまいながら、現役にしがみつき、夢にしがみつき、ただただジェネルがどうだ、真悟がどうだ、と、理由をつけて後味の悪い夢を、それでも逆転できるものだと思って見続けようとしている――その姿は果たして、世間が望んだものだろうか――?

代打専用の応援歌が作られてなお、海はそうして、世間が望んだ佳井海という姿にとらわれていた。ずっとそうして、過剰すぎるまでの期待の中で生き続けてきたのだから、それは仕方のないことだ。今更、自分だけのために生きられるほど割り切れていたならば、前よりはいくらか少なくなった頓服薬だって、飲まずにいられるはずなのだ。

 

「キャンプが始まってみないと、なんとも言えないね。俺の中では自分はまだできる、まだできる――って思ってる。でも、しっかり芯を捉えたときの当たりはいいんだけどさ、ちょっとしたズレを感じるのも確かだ。でも、そのズレの原因が自分の中ではよく分かってない。前ならこんな感じで打ててたはず、って思ってるからね。これがきっと、年を取るってことなんだろうけど。……でも、気持ちだけはなんとか前を向いてる。今更俺一人がスタメンに居たところで何も変わらないんだろうけどさ。それでも、戦う前から自分自身を諦めたくなんかないだろ。勝負の世界に居る以上は」

海はなるべく笑顔で話そうとしたが、徐々に目を伏せ、うつむくような形で木村から目線を逸らしてしまった。

自信と葛藤と不安とが三位一体となり、海の気持ちをかき乱しているのが木村からもよく見て取れた。

 

「先輩はやっぱ、先輩ですね。気持ちだけはほんと、昔のままでよかった。ここで年取ったから仕方ないよなんて事ばっかり言い始めたら、俺の去年一年はなんだったんだ、って怒るところでしたよ」

木村はなるべく明るい声色で海を励まし、笑った。

 

「それに、アレでしょう。俺、聞きましたよ。来年、頑張りたいって思ってる理由、きっとアレでしょう」

「なんだよ、アレだ、アレだって。健忘症か」

海が不快そうにして木村の顔を見ると、木村は携帯の画面をスっと差し出した。

 

「ほんと、女性の話が尽きませんよね。フィンランドからわざわざ密着取材させてほしいって依頼がきたらしいじゃないですか」

「ああ……」

カメラを前にしてピースをしているオルガの写真を見せ付けた木村は、海をニヤニヤした表情で見つめた。

 

「これ、女だから引き受けたんですか」

「そんなわけあるかよ。別に男だから断るとかそういう話はない。お前の取材だってこうやってちゃんと受けてるだろ」

「冗談ですよ」

木村はケラケラと笑いながら携帯をしまった。

 

二週間ほど前オルガは来日し、一年かけて密着取材をさせてほしいという依頼を直接球団と交渉しにきていた。

オルガはこれまでも、華耶の勤めているCリーグTV――その海外版や、チーターズの公式チャンネルを積極的にフィンランドで取り上げていた。

 

野球未開拓のフィンランドにおいて『カイ・ヨシイ』という、フィンランドを祖国にした男が日本という遠く離れた地で英雄となり、そして、40を過ぎた今なお、最前線でなんとか輝こうとしている――その事実を発信していたフィンランドメディア。

オルガとしては、海がフィンランドに帰りづらい事実こそ受け止めていたが、帰りづらいなら帰りづらいなりに、せめて自国に向けてその元気な姿とメッセージを発信させてほしい――という狙いがあるようで、その結果が今回の密着取材の依頼だった。

 

「しかもなんか、ヘルシンキに球場まで建てるって」

「なんか俺の映像なんかを見て、野球してみたいって言い出してるやつらがそれなりにいるんだとさ。でも、野球専用の球場なんかはむこうにないから、じゃあ建てようかってなってさ。……おかしいよな。俺本人は、フィンランドになんか決して足踏み込んじゃいけない身分なのに、国にはこんなことしてさ。1つ球場建てたところで、何も変わるわけなんかないのにさ。……それこそ、マイクパフォーマンスだよ」

 

海は鼻で笑いながら、カイ・スタジアム(仮称)と書かれた写真の建設中の画像を指差した。

「来季は年俸だってごっそり減るのに、球場のために結構な額払っちゃってさ」

「CM出演料とかがあるじゃないですか。いまさらちょっと億単位支払うくらい、わけないでしょう」

木村の嫌味のないつもりで言った嫌味に海は顔をしかめた。自分が何億支払って手元にあとどのくらいの資金が残っているのか分かっているからこその言葉なのだろう。その『ちょっと億単位』を稼ぐためにどれほど大変か分かっているのか、こいつは――と腹も立ったが、別に怒ったところで今更何かが変わるような男でもないので海は「まあ、そうだね」と軽く流しておいた。

 

「年俸、6億7千万から3億6千万でしたっけ」

「3億8千万。メディアにはもうちょっと少なく報道してもらってるけどね。もらいすぎにもほどがあるよ。監督コースへの前払いなのかな。だとしたら、無駄なあがきだと思うけど。俺は監督になんか絶対ならないから」

ハッ、と自虐的な笑みを浮かべた海はコーヒーをストローでぐるぐるとかき混ぜ始めた。カラコロ……と、湿っぽい打撃音がコップから流れる。海はその音がやかましかったのか、ストローを混ぜることもやめて、コーヒーをすすった。

 

「でも、私財を投げ打って祖国に球場を建てるんですよね。なかなか出来ることじゃないですよ。球場だけじゃなくてなんか室内運動場とかも併設されるとかって」

「……俺の口から祖国って言っていいのかどうかだけどね。どこまでいっても、俺は中途半端にフィンランド人だし、中途半端に日本人だ。サッカーの代表だってみんな暖かく出迎えてくれたけど、どこまで本気か分からない。名字も捨て、名前も捨て、国籍だって捨てた。国籍や名前は親が勝手に捨てたものだけど、名字は俺の意思で捨てたものだ。俺はフィンランドの英雄です、なんて、とても自分の口からは言えないよ」

「皆それを理解して先輩を応援してくれてるんですよ。日本の野球ファンも、フィンランドの人たちも。先輩がそれを否定しちゃうと、二つの国に失礼だと、俺は思いますがね。先輩が自分から国を捨てたわけじゃないから、代表の人たちだって握手してくれたんでしょう」

「……」

 

木村の言葉に、海は言い返す言葉もなく黙ってしまった。

何か言い返そうにも、木村の言葉もまた事実だということを海は理解できたし、結局、本当に気にしているのは自分と、ごく数パーセントいるかどうかのそうした自分の生い立ちを理解できない人たちだけなのだということだって、海も頭では理解していた。

そのたった数パーセントの声と、自分の罪悪感を取り除くことさえできればもっと自分だって堂々とできるのだろうけれど、数パーセントの声は取り除くことはできても、自分の罪悪感まではやはり自分の最後のときまで胸の奥で疼いてそうな気が海にはしていた。

 

その頃、華耶はひとり東京へと向かっていた。本当ならば海を連れて行きたかったのだが、先に自分一人で行かなければならないと思っていた。

親としてあまり褒められた行為ではないことも自分では分かってはいたが、どうしても新に一人で会わなければいけない――そう思っていた。

電話だってどうせ出ないだろうし、電話なんてものは、直接顔を見ないものだから思ってもないことだっていくらでも言えるし、顔を通してないと人間、本当に訴えたいものなんてわからないものだ。普段リモートワークをしているからこそ華耶にはそれが分かっていた。

 

直接会っていないと気が緩む部分だってあるし、カメラに映っていない部分で一体人間、何しているか分からない。自分だって、カメラに映っていない足元なんかはバタバタさせてみたり、ちょっとモノを探しているような素振りで少しだけ手元の飲み物を飲んでみたり――他の社員だってそうだ。直接その場にいないからこそ、誰だってどこか緩んでいたり、本当の姿を見せずに居る。

一方で、直接その場に居ないからこそ鋭い意見なんかも言えたりするのだから、そこに確かに功罪はあるのだけれど、新のような人間に対してはテレビ電話なんて機能ではどうしてもうやむやにしたくはなかった。

 

すぐ近くに曹青大学の第三キャンパスがそびえる世田谷区深沢。

飛行機で東京に着いてからはタクシーで直行した華耶。大阪でお土産を買っておいたので、荷物なんかを考えたらとても品川まで電車で行ってそこからタクシー……という気にはなれなかった。まして、観光目的ではないのだから。

 

「ただいま」

 

広い玄関を空け、リビングへと入る。どうやら晴留は外出中らしく、真結も広乃も家を空けているようだ。恐らく、芸のレッスンだろう。なんでも、来年の春からはロボットアニメの主人公になる双子の役として声優に挑戦するらしい。

いつまで役者を続けるかも、逆に、続けられるかも分からないのだから、チャンスがあるならいろんなことに挑戦して、ダメならダメで社会勉強だったと思おう――そんなつもりで二人は様々なオーディションを受けていた。

 

春からは予定通りならばここに直人だって住むはずだというのに、がらりとした家を見て華耶は少しだけおかしさを感じた。

風呂や地下のトレーニング室、音楽室の使用状況が書かれたホワイトボードを見て華耶は思わず「オフィスじゃないんだから」と笑った。仮にも一人の成熟した男女が生活してるのだから仕方ないとはいえ、家族なのだから……と華耶は思ったが――

「……新、か」

そもそも、新が家に住むようになってからこのようなホワイトボードがつけられたのだろうと察すると、華耶は自分が新をここに住まわすことを提案したとはいえ、罪悪感も湧いた。

 

華耶が持ってきていたノートパソコンで作業をしはじめた頃、新が練習から戻ってきた。

「……母さん」

「おかえり、新」

華耶を見るなり、気まずそうな表情を浮かべた新。連絡もなく突然ここに来たということは、何か華耶にとって思うところがあったから、というのは新にはよく理解できたし、それが恐らく自分に対して向けられたものだということも新は痛いほど分かっていた。

だからこそ、新は華耶に直接目を向けるのが怖かった。

 

「まさか、家に帰ってきてすぐ、別の用事があるからって言ってまた出かけたりなんかしないよね?」

「……」

華耶からの先制攻撃に新は今すぐにでも逃げ出したい気分だった。

言い返す言葉もなかったし、反論できるほどの幼さから脱皮した新は、華耶から向けられた視線の意味に激しく後悔をした。

 

嫌なタイプの沈黙が、しばらく居間中に漂っていた。エアコンの音だけがそこにあって、テレビからはかれこれずっと万能ミキサーの通販番組ばかりが流れている。同じ決まり文句、同じ値段、同じ紹介、同じ芸能人からの推薦が延々と流れ続け、まるで時間がループしているような気分にさえ新はなっていた。

「さて――」

華耶が、まるで判決を言い渡すかのようにして、新をじっと見つめた。実際にはさっきからずっと見つめてはいるのだが、より一層、何かメッセージを込めたような、じっと目を凝らしたような目つきに変わった。

幼い頃、どうしてもニンジンが食べられなかったのでこっそりゴミ箱に投げようとしたときのような――かつてないほどの威圧感がそこにはあった。

 

「インタビューとかもね、全部見た上で聞くけど」

「……」

「まず、鳥居さんって人への感謝。あれは本当なんだよね?」

「トリさんのことまで疑うのかよ!」

テーブルに手を突き、思わず立ち上がって華耶を睨みつける新。華耶の問いただすような目がただそこにあって、新は今一度、自分が華耶に言い返せるような状況ではないことを思い出し、素直に椅子に座りなおした。

 

「……そうだよ。トリさんのことは、本当だ。試合を見に来る身内のことまでバカにする奴は、何やってもダメだ、って、かなりキツめに言われた。トリさんは、テレビ見てても分かると思うけど、いっつもヘラヘラしてて、大体のことは褒めてくれたし、俺が多少わがままやってもそれ自体をそんなに責めもしなかった。練習してる間、俺は……トリさんが俺の父親だったらよかったのに、っても思ってた。だけど、トリさんは俺に一度だけ、俺の家に対する態度に本当に怒った。逆らったら殺されるんじゃないかってくらい……真剣な顔つきだった」

「で、心を入れ替えましたー、ってわけ」

華耶の突き刺すような言葉に、新は傷口を搾り出すような顔をしながら答えた。

 

「……入れ替えたっていうよりかは……単に、トリさんに嫌われたくなかったってところがあるよ、正直言って。トリさん、俺が子供の頃憧れてた選手だったから。トリさんから盗める技術があるなら全部盗みたかったし、トリさんの海外の経験なんかも全部糧にしたかった。他のチームメイトなんか、所詮、下部リーグをうろちょろする程度の選手くらいにしか思ってなかったから、トリさんにだけついていたらきっと、って……思ってたから」

新は目を伏せながらそう話し、水を少しだけ口に含んだ。異様に喉が渇き、唇までもがカサつくような嫌な感じがした。

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