海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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2・~独白~ なりそこない

正直言って、俺は野球よりもサッカーのほうがしたい――そうクラスメートには言っていたけれど、なかなかこちらの言うことを聞いてくれなかった。

中二の秋、周囲とは少し遅れて、俺は野球部に入ることになった。その頃既に身長が180cmを超えていた俺は、要は『見かけの威圧感』でハッタリをかます役割を持っていたらしい。

顧問も『何も考えずにただ思いっきりバットを振ってくれればいい。そしたら相手は勝手に自滅してくれるから』なんて適当なことを言っていた。そんな適当な扱いでサッカーへの道が閉ざされてたまるか、と俺は不満を訴えた。

 

別にそこまでしてサッカーをやりたかったわけじゃない。自分の意思とは関係なく勝手に話を進められるのが嫌だっただけで、そこに俺の意思がまったくないことを訴え続けていた。だけど、誰一人としてその耳を貸してはくれなかった。

俺が野球部に入ったといううわさを聞いてグラウンドは黄色い声援がやけに多くなった。部員からも『お前のおかげで皆から注目されるようになって嬉しい』『今年はチョコレートの数期待できそうだな』なんてどうでもいいことを言われるようになった。

客寄せパンダ、という言葉をこれほど身近に感じたのは、はじめてだった。

 

だけど、そんな野球にも一つだけありがたいことがあった。

練習やら試合やらで、家に帰る時間が遅くなりがちで、休日なんかもあまり家にいなくてよくなった。

そんなに強豪でもないくせにいやに練習試合が多かったこともあって、少しでも親父の顔を見る時間が少なくて済むというのは、俺にとってはこの上ないメリットだった。

 

思い切り振ればいい、という顧問の適当な言葉の裏には、正直なところ選手としては期待しておらず、一塁でひたすらボールを拾い続けることのほうがよっぽど期待されているということが隠れているのだろう。この頃俺は5番のあたりをよく打たされていたけれど、大柄で当たれば大きそうだからという理由だけでその打順に座っていただけで、練習に関しては、野球未経験の俺は別枠で延々顧問やコーチのボールを受け続けるというメニューが続いていた。送球は二の次で、とにかく悪送球を拾い続けるということをさせられた。

 

正直、退屈だった。

 

そうしてろくでもないボールばかり目で追っていたからか、たまに打撃練習で打席に立つと投手のボールというものは随分とやさしいコースに投げてくれるな、と思った。それをバットでうまく打ち返せるかどうかはまた別として、頭を超える高さだとか膝より下のボールだとかは打たなくていいし、比較的自分の体が届く場所にばかりボールが放り込まれるのを見て、打撃というものは捕球なんかに比べたら随分楽なものだ、と思った。

 

楽なものだ、なんて言うけれど、それがバットに当たるかどうかはまた別だ。

 

一塁を守る者は命に代えても内野手の悪送球を逸らしてはいけない、と俺はきつくコーチや顧問に言われていた。捕球は常に100%を求められる。ただ、打撃なんてのは一試合のうち回ってくる4、5打席で2回くらいヒットを打つだけで褒められる。もちろんヒットを打つタイミングにもよるのだろうけれど、100%以外は失格、なんて言われていた守備なんかに比べたら、圧倒的にプレッシャーがない楽な仕事だなと当時の俺は思っていた。

 

それからしばらくして、高校に進学することになった。幸い、勉強はできるほうだったから、神奈川の名門・啓皇に推薦入試が決まり、しばらくは家のこともあまり考えなくていいことになった。

わざわざほぼ東京とはいえ、川口から神奈川まで通学するのか?と周囲からは言われたが、通学はほぼ埼玉スタジアム線で1本道だし、通学に1時間半もあれば電車で時間を潰すことができる。

いかにして親父のただれた情事から目を背けるかのほうが俺にとっては重要だった。

 

高校に入ってなお、俺は野球なんかよりもサッカーのほうが好きだったし、休日は一人でリフティングをするくらいには野球にはあまり熱はなかった。だけど、さすがに高校になってからいきなりサッカー部に入ったところでどうしようもないことを知らないくらい俺は馬鹿ではなかった。

それに、啓皇が野球の名門でもあることは分かっていたけれど、面接で野球について適当に出任せを言って受かってしまった以上、入学してから野球は一切やりません、では教師からもあまりいい顔をされないのは分かっていたから、モチベーションというものはあまりなかったけれど野球を続けることにした。

スポーツ……というか、サッカーを職業にする道がダメなら音楽という手もあると思っていたから、家に居る間はこの頃は、勉強かギターかのどちらかしかしていなかった。親父が女を連れ込んでいることが分かっている時はずっとヘッドフォンをつけてギターをかき鳴らしていた。いつか音楽で自分が有名になったとき、このエピソードは一体どのようにして誤魔化そうかと考えると、憂鬱だった。

 

「次の秋季大会は君を2番ファーストで使うからな、海」

コーチからそう告げられた一年の夏の暮れ。突然のその声に俺は「あぁ、はい」となんとなくで返事をした。

「もう少し喜んでもいいんだぞ」

「突然だったんで」

「ははは。まぁ、そういう性格だからな、君は」

 

そっけない返事に対してコーチは特に咎めるわけでもなかったけれど、お前は俺のことどこまで分かってるんだよ――とつい言いたくなった。

高校に入ってもなお身長が伸び続けた俺は、そうして呆気なく一塁のレギュラーを一年で掴んでしまった。

やる気はないなりに練習はそれでもちゃんとしていた。強豪ともなると、幼い頃から真剣に野球に取り組んできた奴だって少なくない。背が高いから、身体能力が高いから、なんて理由でレギュラーをあっさり獲られてしまう年上や同級生のことを考えると、表立って『やる気はないです』とはさすがに言えない。レギュラーを譲れるなら譲ってしまいたいけれど、選ばれてしまったのだから、内心野球なんてやりたくないのにと思っていても、少しは練習に打ち込まないと、そんな俺にレギュラーを奪われた部員たちに失礼だ。

とはいえ、そんな気持ちで野球なんてやっていていいのか――という気持ちも常に隣り合わせていた。

 

「でも、俺は君の練習態度を信頼してるから起用するんだ。君は自分なりに考えて努力しているようだからね」

 

こんなことまで言われてしまっている。人から見たら俺は努力家らしい。仮に冗談や皮肉で言ってるなら性格が悪いし、本気でそう思っているなら、申し訳ないけれどコーチはもうちょっと人を見る眼を養ったほうがいいと俺は思ったし、そうでもして俺をおだてておいて、まじめに練習してほしいと思っているからこんなことを言ってくるのだ――とも思った。俺みたいなのが努力家だったら、世の人間は皆努力家になってしまう。

コーチは本当に褒め上手だった。

『楽しくなければ野球じゃない』とよく口にしているが、こうした言葉をうまく使って部員をやりくりしているんだろう。コーチは滅多に部員に怒ることはしなかったし、俺が内心練習をする気分なんかじゃなくて、それが顔に出ているときなんかは『あまり無理するんじゃないぞ。怪我のもとだからね』としか言わなかった。

 

楽しくなければ野球じゃない――

 

だとしたら、俺がやっているのは一体何なのだろう。就職活動みたいなものだろうか。

実際、就職活動も兼ねて部活をやっているやつもきっといるはずだ。それを言葉に出さないだけで、内心本当にプロになりたいと思っているやつはどのくらいいるものなんだろうか――意外となんとなくで同じように部活をしているやつも、きっといるんだろうか。

人の心にずかずかと土足で踏み込むような、聞きたくても簡単に笑い話として聞けるような話題ではないから、結局こうしたモヤモヤは常に俺は胸の中にしまっておいていた。

親父のように女にだらしない生活をして、日々をもっとポジティブな意味で"なんとなく"で過ごせたなら、どれほど楽だっただろうか――。

 

長い長い帰り道を電車に揺られながら、それでも毎日のように変わっていく町並みや人並みの中で、ただ流されているだけの自分が俺はみっともなく思えていた。

このままではいけない――そう思った俺は、わざと栄えているほうの南鳩ヶ谷で電車を降り、大きめの書店で大学の過去問を買って帰った。どこの大学だろうと、なんの学部かなんてどうでもよくて、とにかくうわべだけでも、次を目指す学力を養っておかないとこのまま俺は駄目になってしまう――そう思った。

 

相変わらず誰も居ない家に一人で灯を点し、過去問を眺めながら次に襲ってきたのは『結局何がしたくて大学に行くのかまで考えないと社会は生きることを許してくれない』ということだった。目的もなく生きる人間に、この社会は冷たい。そんなドラマや漫画を俺は数多く見ていた。

ドラマや漫画なんてあくまでも架空の物語だってことくらい理解していたけれど、あんなふうに描かれる以上、実際に起こっている問題だからああした漫画は理解と共感を得たり、多くの人々――俺のような人間を時々心のどん底に突き落としていく。

 

本当に俺はこの国で生き続けるのか――。

 

とにかく、まずは独り立ちしないといけない――そんなことを考えたら、むしろ過去問なんかよりもバイトを探して自分の力で金を稼ぐことのほうがよっぽど先なんじゃないか――むしろ、それなりにしっかりした高校なのだから、進学なんて考えずにすぐにでも職を見つけるべきなのか――色々と考えると、結局ろくに過去問にも手をつけられないまま俺はベッドに倒れこんだ。そうして結局、浅い眠りを繰り返して、眠れぬ夜が続いた。

 

「随分気合入ってるねぇ」

「そう見えてるだけじゃないかなって思いますけど」

「いーや、今日は気合入ってるよ。レギュラーがそんなに嬉しかったのかな」

「……別にそういうわけじゃ」

 

悪い循環だとは思いながらも、ひたすらシート打撃を繰り返している間は何も考えずに済む――翌日から俺はしばらくそうして、ひたすら体を動かしてなるべく無心でいるようにした。コーチの期待に応えたくて連取に励んでいるわけでもないし、そもそも、励んでいるという言葉を使うのも憚られた。

そうして帰りの電車では泥のように眠りこけ、家に着いたら余計なことを考える前にギターを構えてひたすらにギターをかき鳴らし、思いついたフレーズはひたすら録音していく――そんな生活が続いた。

これを全力と言うべきかどうかは分からないし、少なくとも俺の知る限りこれは健全な生活ではない。これを見聞きした他の誰かが憧れるような、キラキラとした青春でもない。

 

「……くそったれが」

 

無意識に高く振りかぶった愛用のSGを振り下ろしかけたところでハッと我に返り、俺は髪をかきむしった。

楽器に罪はない。今やSGは、数少ない俺の感情の代弁者だ。現状、唯一の肉親でもあり、唯一心を通わせることの出来る友人と言っても過言ではない。

そのSGを自らの手で殺めようとした自分が、最高にダサかった。

くそったれは、俺自身だ。

 

「……申し訳ないけど、今そういう状態じゃねーんだよ俺」

 

あくる日の昼休み、話があるからと俺は別のクラスの女子に呼び出され、人気のない特別教室のあたりの廊下へと連れ出された。

こんなベタな誘いをしてくるということは、そういうことだろうな、と思ったら、案の定その通りの内容だった。突然刃物で刺されなかっただけマシだと思うことにした。

 

今、同い年や年下に俺が定期的に感じているモヤモヤをぶつけて、どうにかなるとは思えない。

「彼女の一人でも作ってもバチ当たらないって」などと無責任なことを言う部員の言葉が、遠ざかっていく背中を見送りながら頭の中でこびりついて離れなかった。

「大会も控えてるし」

なんて言葉の便利さを思い知ったけれど、内心嫌々やっている野球を盾にして女を振るのも、あまりいい気分はしなかった。

いっそ遊びで付き合ってしまったほうがいいのではないか、という思いもあったけれど、それだと俺は親父と何も変わらない生き物になってしまう。

 

それに、結局こいつらが見ているのは『外国から来た男』というフィルターがかかっている俺の姿だ。こいつら本当に好きなのは俺ではなく、外国と、外国から来た男というステータスだ。そうに違いないと俺は思っていた。

顔を真っ赤にして告白してきたあの女が、いったいどこまで本気で俺に対して思ってくれてるかは分からなかったけれど――

 

『荒屋くんはかっこいいから――』

 

いっそすがすがしいほどにそうして俺の外見について語ったその言葉を俺は、よくは受け取れなかった。かっこいいから付き合うなんていうのは、俺ではなく、俺のガワしか見ていないからだ。

 

「何だよ、本当にフっちまったのかよアイツ。アイツのこと狙ってる奴、他にもたくさんいるってのに」

「そんなの、俺の知ったこっちゃないね」

どこかからその様子を見ていたクラスメートがちょっかいを出しに来たが、鬱陶しくてしょうがなかった。

「まさかとは思うけどお前、ブス専とかじゃないよな?」

「関心しねーな、そういう言い方は」

「言ってみただけだよ」

「軽々しく言っていい言葉じゃねーよ」

「何だよ。お前、外国から来た割にはその辺硬いんだよなぁ」

「……っ」

気がつくと俺は左腕で思い切り、ぐっ、と制服を掴み上げ、クラスメートを睨み付けてしまっていた。

「……じょ、冗談だよ、冗談。撤回するよ。撤回。撤回するから、離してくれよ。か、金ならやるから、許してくれよ」

「要らねーよ、たかが学生の小銭なんて」

結局、どいつもこいつも俺は最終的には『外国人』だ。『荒屋海』という名前は結局何も守ってはくれない。

ただそこに、形だけの『日本人』というものがあるだけで、結局俺は"なりそこない"だと痛感した。

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