〈――さて最近巷で人気のこちらの落ちものパズルですが、開発者はなんとこちらのご夫婦だそうです!うわっ、すごいですね、部屋いっぱいにチーターズグッズが並んでいます。おはようございますー!〉
〈どうもおはようございます。チーターズファン一筋でやってきました、四宮福史です〉
〈妻の四宮未来です〉
〈福史さんがプログラミング、そして設計などを一人で担当し、背景やデザインを奥さんの未来さんが手がけてるということです。65歳になった今、福史さんがなぜゲームアプリを作ってみようかと思ったのかをあらかじめお聞きしました――〉
「あ、この四宮って人……」
晴留は朝の情報番組を見ながら、ふと見覚えのある顔に思わず手を止めた。
「あのタクシーの運転手さんなの」「送り迎えしてもらった人なの」
「だよね、やっぱりそうだ」
真結と広乃もまた、そのテレビにふと目を釘付けになって動きを止めた。
上からひたすら根菜が降ってくるのでそれを上手く落とし、根菜以外のものははじかなければいけない――といういわゆる知育系のパズルゲーム、『ネモノゲーム』が巷で話題で、晴留は最近配信にも使っていた。
その製作者が四宮だということに驚きを隠せなかったし、四宮がいつの間にかタクシー運転手を引退していたことも今はじめて分かったことで、驚いていた。
〈――夢を追いかけるというのはやはり、簡単なことではないです。でも、夢に挑み続けることに価値があると私は思っています。もちろん、そのために努力は必要ですよ。どうせ自分には……なんて気持ちで仕事や生活をしていたら、あっという間に歳を食ってしまいます。ですから、私は元気なうちに、もう一度アプリ製作を今度は自分たちの手だけで作ってみたいなと思ったんです〉
〈メーカー名のSEA25SOFTというのも、大ファンだった佳井選手からとったものだと聞いていますが〉
〈佳井選手が毎年のようにもっと上を、と言い続けてきたことを私はよく見てきたので。佳井選手のように、歳をとってもずっと上を見続ける挑戦者でありたいと思ってアプリを作っております〉
〈以上、中継でした!〉
〈――いやー、素敵なご夫婦でしたね~〉
「やっぱりさ、お父さん……自分じゃ否定してばっかりだけど、たくさんの人動かしてるんだよ。私たちだってそう。四宮さんだってそう。……お父さん、この放送見てたらいいな……見てないと思うけどね」
晴留はそう言いながら軽く着替え、自室へと戻ろうとして、一度引き返した。
「お弁当そこにあるからちゃんと持ってくんだよ?」
そう真結と広乃に告げ、再び自室へと晴留は向かった。真結や広乃もまた、時計をふと確認し、慌てて弁当を片手に家を出る準備を始めた。
とうの昔に直人は家を出たようで、靴箱には直人のいた痕跡はすっかりなくなっていた。
暖房が届いていないはずの玄関は太陽の光で暖められていて、まもなく3月になろうとしているカレンダー以上に家の中は春の訪れを感じさせていた。
もう間もなく、海や華耶、そして江坂に住んでいた残りのきょうだいもこの家に引っ越してくる。
そして、その華耶の身体には、新たな命が宿っている――。
慌しさの中で、久々に一家が揃って――そして、これからはずっと、自分たちが家を出ない限りは家族一緒に時間を共有することが出来る――その事実に真結と広乃は、気分を浮かせていた。大学生活も忙しいし、その合間を縫ってオーディションや番組出演をこなすことももちろん大変だが、一家のほぼ全員が揃って生活できるということだけで、二人は頑張れそうな気がした。
リビングに飾られた新の新しいポスターもまた、一段とツヤを増していたように感じられた。
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「とにかく真ん中。シンプルにここ目掛けて投げるって意識して投げてみて」
田中は薫の球を相変わらず受け続けていた。オープン戦が始まってしまった以上、誰も居なくなった夜間に室内練習場を借りる形でひっそりと練習を続けていた二人。
どうしても長い間コーナーの隅を突く投球を続けていたせいか――それも、打撃投手になってからは絶好球のど真ん中だけでなく、海やジェネル相手に内角ギリギリいっぱいに投げる習慣がついてしまっている薫。
どれほどリラックスして投げたつもりでも、その一球一球を丁寧に投げなければ――とどうしても頭が意識してしまうせいで、その球は内にも外にも大きくブレてしまっていた。
セレモニーでは難しいことを考えずに、ただキャッチャーミットが構えた楽なゾーンに投げればいいだけなのだから、意識から変えていこう――そう思っていた田中だったが、薫は無意識にコーナーの四隅を突くイメージで投げてしまう癖が抜けていなかった。
左打者に対しての外角ならまだしも、内角に向かってしまった球があの時のようにことごとくすっぽ抜けてしまうものだから、薫はその度に表情を歪め、そして暗く重い表情から抜け出せない悪循環を繰り返していた。
「いっそ、直球じゃなくて若干山なりにカーブを投げるイメージでやってみたらどうだろう。思いっきり気持ちのいい直球を投げようとしなくていいからさ」
田中の言葉に薫ははじめあまり納得しない様子だった。海に投げる最後の一球が、自分の投げられる最大の力をこめた球でなくてどうするのだ――カーブなんて――そんな思いが薫にはあった。
ただ、左打者の海へ向かう形でボールが内側に逸れてしまうのであれば、カーブが曲がってくれさえすればそこからキャッチャー側にボールは向かってくれるはずということもまた確かなのだ。
自分だって、もう一度海に恥をかかせることはしたくないし、何より、大観客の前で自分が海へ向けてすっぽ抜けた球を投げてしまい恥をかくということだってしたくない――。
次の恥はついに自分を殺すだろう――そう思うと、薫はここ長い間投げていなかったカーブを試すことを決意し、田中に向けて一度真剣な眼差しを向け、そして一度深く頷いた。
しっかり腕を振って指を切っていくようなスライダーでは、今の薫では必要以上に力みすぎ、かえってよくないだろう――しかし、指の間から抜くようなカーブなら、今の薫でもリラックスして投げられるはずだ、という田中のアイデアだった。
放り込んだボールが必要以上に力んでしまっているのが自分でも分かる。変化球を投げる感覚なんてものも少し忘れてしまっていて、久々に握りを変えたボールはふわっと浮くだけ浮いて、そのまま大して曲がりもせずにキャッチャーの手前あたりで、指の間から抜いたその軌跡は力尽きるようにしてぽとりと落ちてしまった。
「……あれ?」
たまたま――だろうか。不思議と、描いていたイメージどおりのコースへ向かってボールは逸れることなく、確かにそのボールはキャッチャーミット目掛けて飛んでいた。
真ん中に投げようとしているのだから当然ボールはまっすぐ飛んでないと困るのだが、直球を投げようとしていたときほど自分の放り込んだボールが逸れなかったことに薫は驚いていた。
「……?」
数多くボールを投げていれば、こんなまぐれだって起きるだろう――。
それでも、薫は田中から受け取ったボールを見つめ、今の特に何も考えずに漠然と投げたボールのイメージをもう一度取り戻そうとして投げ込んでみた。
相変わらずしっかりと曲がっていく感じはしないが、ほどよくストライクゾーン目掛けて雑に飛び込んでいくそのボール。思い切り腕を振っているわけではない上に、以前ほどボールに勢いがないせいでキャッチャーの手前でそのボールは相変わらず落ちてしまいがちだが、もう少し勢いをつけられればしっかりミットまで届くだろう。
田中もまた、言葉には出さなかったが、薫のボールにふと手ごたえを感じていた。
ここで変にカーブにこだわるような言い方をすると薫の繊細な心身に影響を与えそうだから、いいボールだということだけを褒めながら、薫に投げさせたいようにボールを投げさせ続けて薫なりの調整を続けさせた。
つかみかけていた何かが、確信に変わり始めた薫の表情。それは徐々に、薫の顔から血色を取り戻そうとしていた。
「……田中さん。ちょっと、しばらく続けていいですか」
「OK」
薫はそう告げて、あまり曲がらないカーブ――言い変えるならば、見え見えのチェンジアップのような棒球を投げ続けた。その白球は徐々に飛距離と精度を伸ばし、キャッチャーミットになんとか届こうとし――10球ほど投げたあたりから、その軌道は飛距離をしっかりと伸ばし、やがてミットにしっかりと届くようになった。
これまでの薫の投げていたような球には程遠いが、それでも薫の中には投手としての自信が蘇ろうとしていた。
球に乗った薫の魂が、速度以上に回転数を伴ってミットへ向かってくる。田中はそんな薫の球を、やや大げさに鳴らしてがっちりとキャッチした。
間違いない。浅井薫は死んだままではいない。ここからどれほどの復活を遂げられるかは分からないが、浅井薫はこのままでは終わらない――。
ミットにしばらく収めたままの球を田中は薫に返し、笑顔を向けた。薫もまた、かつてのような爽やかな笑顔をこちらに向けた。
「さあ、もう一球」
「……はい!」
田中はキャッチャーミットを鳴らし、再びミットを構えた。薫もまたボールをしっかり見つめながら、田中の構えたミットをしっかりと見据えて投球動作に入ろうとしていた。
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「……」
なんとなく、海はDOE'zの代表曲『ROUGH TANDEM』のフレーズを弾いていた。
別に、一日中だらけていたわけではない。華耶が仕事をしている間に家事を済ませ、ふと作業中にラジオを聞いていたところ、DOE'zの曲ばかり続けて5曲ほど流れたものだから、そういえばそんな曲もあったな――と、暇つぶしをしていたのだった。
ニコやマルコがDOE'zにサポートメンバーとして参加したことは世の中ではごくひっそりと伝えられる程度だったが、音楽雑誌なんかでは結構な騒ぎになっていたらしい。
もともと一緒にバンドを組んでいた人間なのだから、ライブにくらい一度は行ったほうがいいのだろうけど、DOE'zのライブチケットなんかは簡単に手に入るわけでもないし、前線で輝いている二人を見て自分は黙っていられるだろうか――そんなモヤモヤを海はギターにぶつけるしかできなかった。
正直、ニコやマルコが羨ましいと思ってる部分は海にはあった。
もちろん、あくまでもサポートメンバーというものだから、彼らは裏方に徹して演奏しなければいけないのだけれど、きっとこの経験を経てさらに自分たちの音楽とは何かを考えていき、これからも音楽に向き合っていくだろう。裏方とはいえ、DOE'zのメンバーであることには違いない。世間への関心があまり強くない自分ですら、彼らの人気や影響力がどれほどなことかくらいは知っている。
自分は音楽から離れて久しいし、歌声だって別に極端に衰えたわけではないけれど、これからは今まで出た音域が出なくなっていくことに直面することだってあるかもしれない。過去の代表曲を歌ってくれと言われても、昔ほどの声量で歌えないかもしれない。
キーを下げてまで演奏し、そのせいで奏でられないギターの音が生じるならば、そうしてまで演奏することに何の価値があるのだろう――海は仮にこれから再び自分以外の意志で音楽をすることになったときのことを考え、憂鬱になった。
ソロ活動できるほどの熱量があるわけでもないし、もともと自分の感情をぶつける先がたまたま音楽だけだった海。
今の自分が音楽にぶつけられるほどの何かとてつもないエネルギーがあるかと言われると、自分の心は昔ほど何かに感情をぶつけなければいけないほど攻撃的でも破壊的でもなければ、その根底が憎悪が伴うものでもない。
時々、ソロ活動をしてみてはどうかとテレビ番組のオファーなどと一緒に音楽のことに触れられることもあるのだけれど、そのたびに海は断っていた。佳井海が曲を書き、演奏したからこそ楽曲に価値がある――そんな目で自分の歌を扱われることが、海は嫌だった。
「……」
ふと、モッキンバードをスタンドに置き、中古のギター市場を海は眺めた。別に、値段が重要だったわけではない。譲ろうと思えば、晴留にこれまでのギターや機材を全て譲ってしまってもいいと思っている。
いっそ、これまで音楽をしてきた経歴自体を放棄してしまおうか――海はそんな気持ちになっていた。手元にギターがあって、いつでも弾ける状態だからこうして手に取って弾いて、そのたびにモヤモヤした気持ちになるのであれば、二度と音楽のことなど考えないように、と――。
「……」
海はため息をついて、携帯をテーブルに置いた。
仮にこれらを手放すならば、出来れば、自分が使っていたということを隠して売り払いたい。しかし、自分がギターを売り払うということは、常にそのことが付きまといかねない。売った先の業者が自分の住所を知って、自分が使っていたギターやエフェクター類だと勝手に価値を付加することだって、全く起こらないことでもないだろう。
球団で訪れた介護施設にサインをつけた車椅子を寄贈したところ、これをオークションにかけられていたり、聞けば、かつて家電量販店でプレゼントした、自分のサインが入ったギターがオークションにかけられていただとか――佳井海という名前そのものに、価値がつけられてしまっている。
結局のところ、モノではなく、自分の名前なのだ。
あれほど自分で手に入れたかった佳井海という名前に、今度は自分で悩み始めている。なんて自分は贅沢で浅ましい人間なのだろう――海はそう思い悩んだ。
かつて、ガワがどうのこうのとバカにしていたVtunerを、今は否定できる気がしなかった。自分にも、佳井海という名前を包み隠せるガワが何かあったならば――そう思って仕方がなかった。しかし、こんなことを思うことが、華耶や、華耶の両親に対する裏切りや侮辱であり、失礼極まりないことなのではないか――そんな気持ちも海の中で渦巻いていた。
真結や広乃は、自分の名前が気に入っているということもあり、芸名を使わずに本名のまま佳井真結、佳井広乃の名義で活動していた。立派なことだと思う。自分の苗字や身分を包み隠すこともなく、自分が佳井海の娘であることから全く逃げなかった。そして、今は実力やその見た目の人気で仕事をつかんでいる。
華耶によく似た、可愛げのある顔に似合わないそのグラマラスな体型という特徴もあって、ファッションショーの仕事も最近では手に入れた。
新が時間をかけて佳井海の息子ではなく佳井新というひとつの固有名詞を手に入れたように、真結も広乃も、"佳井海の娘"ではなく、佳井真結、佳井広乃というひとつの固有名詞を実力で完全に手に入れたのだ。
子供たちがどこまで行っても必ず最初は佳井海の息子だということがスタートになり、そして、どれほど地位を手に入れようとも必ず最後までその看板がつきまといながらも、それでも確固たるアイデンティティをそれぞれが手にしている。
だというのに、自分だけがその"佳井海"という看板から逃れようとしている――。
「……駄目だな、俺は」
考えれば考えるほど悪い方向に引きずられていく自分の気持ちをシャットアウトするために、海は頓服薬を口にしてソファに横になった。
いやに大きく感じる鼓動が、ただただ鬱陶しかった。