海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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23・父として、男として

〈――そして、忘れてはならないのがこの人です。8回、代打で同点タイムリーを放った佳井選手です。今シーズン初出場です、佳井選手。今日はここぞという場面で、しっかり打てましたね?〉

〈そうですね。妻も娘も喜んでくれてると思います〉

〈今年はキャンプを途中で外れてしまいましたが、どうでしょうか。いいアピールになったのではないでしょうか?〉

〈妻の出産を優先してしまったのは事実ですし、ここから信頼を取り戻すことができたらいいなと思っています〉

〈打った球はスプリット。外角低めのボール球でした。しかも初球でしたね。あれは何か狙いがあったんですか?〉

〈守備が少しだけライト側に寄ってました。引っ掛けるのを狙ってたんだと思います。少し無理してでも腕を伸ばしてあれをレフトの横に持っていけたら、奇襲としては面白いのかなと思って打ってみました。監督には、あれがカス当たりだったらお前のせいで負けてたかもしれないんだぞって怒られましたけど〉

〈最後に、奥さんと娘さんに一言ありますか?〉

〈まぁ……そういうのは家に帰ってからたくさん言うので……それよりも、試合を見に来てくれた皆さんに――これからも地道に頑張るので、応援よろしくお願いします。レギュラーもそのうちちゃんと取れるように頑張ります〉

〈佳井選手らしいストイックな言葉でした。佳井選手、ありがとうございました!〉

〈ありがとうございました――〉

 

テレビの向こうでは、そうして控えめに帽子を掲げて、ぎこちない笑みを浮かべた海がいた。

「ほーら、パパだよー。かっこいいねー」

2月の末に無事に生まれた第一子――娘の晴留【はる】を抱き上げながらその様子を華耶はじっと見つめていた。

 

しばらくの間、子供の面倒を見るためだけでなく華耶のケアをするために、豊中に住んでいる華耶の叔母、美樹【みき】が家に来てくれていたのだが、美樹もまたテレビに夢中になっていた。

試合後のハイライトでスローになって映し出される海の安打に、美樹も思わず目を丸くしてじっと画面を見つめる。

 

「あんな球、よく打とうと思って打ったね。クソボールじゃん、あんなの」

「あー、みっちゃん駄目だよクソボールなんて言ったら。晴留に感染【うつ】っちゃうよ、言葉遣い」

子供の頃から美樹のことをみっちゃんと呼んでいた華耶。

美樹のことを指でつんつんとつつきながらその言葉遣いを笑いながら大げさに嫌がってみせ、美樹もまたけらけらと笑いながら口元に指でバツ印を作ってみせた。

 

「ごめんごめん。えっと……おクソボールですわ!って言ったら最近の流行になるのかな?」

「晴留が大きくなる頃にはたぶん、お嬢様言葉だって廃れてるよ」

「それもそうだねえ。それにしても――やっぱプロって厳しいんだなぁって。こんなすっごいヒット打ってもスタメンになかなか選ばれないんでしょ?」

「今年は結構大きい補強あったからね。仕方ないよ。海くん、打撃もまだ発展途上だし、だからってどこでも守れるかって言ったらそれもアレだし、まだまだ一塁以外は器用に守れるわけでもないし」

「そっか。実際、どうなの?華耶ちゃんの目には、海くんはどう見えてるの?野球選手としては」

眠たそうにしている晴留を抱きかかえながら、美樹が華耶に問いかけた。華耶はうーんと首をかしげながら、顎の辺りをぽりぽりとかき、再びうーんと唸った。

 

「やっぱ、思いつめてるよね。純粋に、監督と合わないんだと思う。アレコレ理由つけて使わない理由を監督は探してるっぽいけど、よそだったら試合もっと出ててもおかしくないもん。でも……じゃあ仮にCリーグに移籍できたとして、海くんを指名打者で使いますか、って言われたら、もうちょっと長打が欲しいって思われても仕方ないところはあるよね」

「スポーツも、偉い人と合う合わないで苦戦してる人は少なくないしねぇ。そのへんは私たち下界の住民と同じどころか、もっとシビアだよねぇ」

「うん。……そういう世界でどうやって頭ひとつ抜けられるか、っていうのはやっぱ……プロの世界の厳しさだよね。海くんは頑張ってるけど、他の選手だって当然頑張ってるわけだし。あたし個人は、それでも絶対にここから這い上がってきてくれるって信じてるけど……あたしが監督やってるわけじゃないしね」

いつしか野球中継が終わり、テレビにはドラマの映像が流れ始め、美樹はテーマソングを口ずさみながらチョコ菓子を口へと頬張った。

 

「でも、あれでしょ?今年からバット長くしたって聞いたよ。本人的には狙って一発大きいのを打つ気はないわけじゃあないみたいだけど、やっぱアレなの?形だけでもちょっと大きい当たりを狙ってますって感じにしとかないと監督が納得しないとか?」

「あんまりその辺、海くんもあたしに細かくは話してくれないからなんとも。あたしだってあんまり詮索して海くんの神経使わせたくないし」

「できた奥さんですこと」

「茶化さないでよー。限られた場面で結果残せって言われて、いざ長打狙って凡退するか、とりあえず率を優先するかは……あたしが同じ立場でも迷うし。日常生活くらいは海くんにリラックスしてもらいたいしね」

 

華耶は紅茶をすすりながら、始まった刑事ドラマの内容をじっと見つめていた。

美樹は決して冗談で言ったわけではない『よくできた奥さん』を横目で眺めながら、ふふっと笑った。

 

「――監督。こいつは今大事な時期です。行かせてやってください」

「ああ、ほならそのまま戻ってこんでええわ。今年期待せんでええやつが一人確定しただけでもこっちとしては計算しやすくてええわ――」

 

出産予定日が少し早まり、やや予断を許さない状況だということですぐ来て欲しい――そう医者から連絡のあった海は、まさに春季キャンプの真っ只中だった。

もうじきオープン戦も始まろうという時期、突然の呼び出しに海は思い悩んだ。華耶の父母に代わりに行かせようかとも思ったのだが――華耶だって初めての経験だ。そんな時に自分がいなくてどうするのだ――そんな思いで前野に直訴したところ、案の定口論になった。

 

『親の死に目だって俺は見とらんっちゅーのに、たかが嫁の出産ごときで――』

 

前野のそんな言葉に海は黙っていられなかった。

自分が現地に行ってどうにかなるわけではない。自分が出産を代わってやれるわけでもない。ただ、予断を許さない状況だ、ということは何かしら大きいトラブルがあったということだ。

 

これがさすがにシーズン中だったなどであれば、さすがに断ったかもしれない。

海自身、理由をつけて春季キャンプを休みたかったわけでもないし、そうして穴を開けてしまって出遅れた分も取り戻すつもりでいた。それに、風邪でキャンプに出遅れたり休んでいる選手だって少なくない。

それを『出産ごときで』と言われたことに我慢がならなかったのだ。

 

そうして両者がつかみ合いになったところに慌てて仲裁に入ったコーチ陣が事情を聞き、なんとかその場を収める形となった。

 

その日のうちにキャンプ地を発ち、急ぎ病院へと海は向かったのだが、病院に着いた頃には華耶の容態は安定していた。

何も知らされていなかった華耶は『本当に大丈夫なの?』と病院に飛んできたことを心配していたが、『どうせ何やったって監督に信頼されてないのには変わりないよ』と海は笑ってみせた。

決して笑い事ではないのだが、そうして笑うしかなかった。

 

「辛いよな。……いや、辛いなんて言葉言うのもよくないよな。辛くて当たり前なんだから。……俺、こうして見てることしかできないんだ」

「そばに居てくれるだけでも十分だよ。そりゃあ、辛いけどさ――もうすぐ会えるって思うとさ、ドキドキするんだよ。……手、握ってていい?普段より強く握っちゃうと思うけど」

「普段も結構強く握ってるから別にいいよ」

「えへへ」

 

不安と期待が入り混じった顔と、それらを交互に切り替えながら華耶は海の手を握った。少し震えていたが、それを海は茶化さなかった。

こんな小さな体に、新たな命が大きく宿っている。

罪悪感と、無力感とが海の中でぐるぐるとコーヒーをかき混ぜたときのように、溶け込んで、憂鬱が襲ってきた。

 

「華耶。ちょっと早いかもしれないけどさ、二人目はやめようか」

「何言ってるの。あたし……大変だけどさ、嫌じゃないよ。大事な人との証だもん」

「……ごめん」

「あーもう、謝らないでってばー。そんな顔、もうすぐ出てくる子に見せたら海くんみたいに辛気臭い性格になっちゃうじゃない」

「……そうだね」

ごめん、と言いかけた言葉を引っ込ませ、海は堅く握られたその手の先を見つめた。

 

4月、5月とカレンダーがめくられていく日々の中で、相変わらず海は出番をなくし始めていた。

 

前野の起用はこの春は一段とよくブレた。

守備で負けたからと言って守備を少し重視すると、今度は打ち負けたからと言って打撃を重視し、それで負ければ今度はまた逆を繰り返し――内野の中で確固たるレギュラーを保っている者はほぼおらず、誰もが突然ベンチに降ろされてもおかしくないほどに前野はビリついていた。

 

前野だけではない。内野を守っているレギュラーも、準レギュラーも、控えも――皆ピリついて、ベンチの中、ミーティングルーム、ちょっと顔を合わせようものなら、皆殺気立っていた。

守備の連携練習なんかも、足の引っ張り合いのようなしょうもないプレーがあってみたり、海がそうして連係プレーの練習の場に立つとボソボソと小声で呪詛のようなものを唱えてばかりの者もいたり、わざとトスや送球を乱し、ろくに練習させてくれない者だっていた。

 

信用されていないタイミングでの途中出場ばかりだったし、一度試合に出たらそこからしばらく出場がない――という日々を繰り返していた海は、我関せずといった様子で自分のスタンスを貫き続けていた。

 

待てばよかったであろうボールも、強引に振ることもあった。四球を選んでも評価されないことは分かっていたから、少しでもヒット性になるポイントを広げようとした。

どうせ結果が出ないのならば、どうせ信用されないのならば、少しでも自分のプラスになる材料を増やそう――そう思いながら日々を過ごしていた。

 

『どっかの誰かが自己満足な安打やなくて外野の頭越してくれてたら、その後の試合展開も変わってたかもしれへんのにな』

 

試合後のミーティングで相変わらず前野から嫌味を言われて帰ってきた海。久々の勝ち越しタイムリーを放った日すらもこんな言われようだから、面白いわけがない。

もちろん、満塁でランナーを複数人返せなかった当たりを放った自分にもまだ未熟な点がある。

だが、まるでその後の逆転負けすらも自分のせいにされるような言い方は海にとっては腹立たしいものだった。

 

試合終盤から振り出した雨がなかなか止まないまま家に戻った海は、肩をうなだれながら呆然とテレビを眺めていた。

 

〈――明日は全国各地で晴れ。ところによっては――〉

〈――首相官邸には多くの報道陣が詰め寄り――〉

〈――だからブサイク芸人ていうくくりが俺は気に入らん!別にブサイクを売りにしてるわけやないもん俺!――〉

〈――ご覧下さい!カチコチに凍った氷もこのとおり真っ二つです!〉

 

この時間帯、多くのチャンネルはニュース番組か、机上の空論を並べてばかりの形ばかりの討論番組か、下らないバラエティ番組か通販くらいしかやっていない。海はうんざりした様子でBSの自然番組にチャンネルを回し、ようやくリモコンを手放した。

 

美樹は、晴留の面倒を見るために3階の個室で子守をしている。

華耶の体力はどこから沸いてくるのだろう――海はそれが不思議でならなかった。

叔母が晴留の面倒を一緒に見てくれるから、と、6月からは早々に仕事に復帰した華耶。リモートワークの強みはこういうところだよ、と海に自慢げに話してくれた。そんな華耶を見ていると、自分がものすごく情けなく見えるようで、海は辛かった。

 

華耶のほうが辛く大変なはずなのに、自分だけが大変なような顔をしながら家に帰ってくる自分というものは一体、なんなのだろう――。あまりに無様が過ぎないか――。

 

「……華耶?」

気づかぬうちに寝てしまっていたようで、海はソファに横になっていた。

横になっていた、というよりは、見上げた天井より先に華耶の顔――正しくは、顔の上半分と、それを覆うような華耶の大きなふくらみがそこにあった。そんな華耶に海は横にさせられていた、というのが正しいだろうか。

 

「ほんとさあ、海くんは顔とか態度に出るよね。また考え事してたんでしょー?」

「……俺、父親としても夫としても全然だからさ」

「まーたそうやって。監督にどうせまた何か言われたりしたんでしょ?あたしに無理させてないかとか思ってたんでしょ?おねーさんはすべてお見通しなのだよ」

ふふん、と自慢げに鼻で息をする華耶の顔上半分を海は直視できなかった。

 

「……俺さ、心折れそうだわ。さすがに」

「家の中でくらい、折れてもいいんだよ」

「父親になったのに?」

「父親が折れちゃいけない理由なんてあるの?」

「俺は……だって、男だから」

「男だって、父親だって、それより先に海くんという一人の人間じゃない。何を今更」

「でも、惨めなんだよ。華耶を見てると」

「男なのにー、とか考えちゃってるんでしょ。今時そういうの、あんまりカッコよくないよ。……あたしのことだとかそういうのはいいから。それを叔母さんの前だとか、人前で出さないだけ海くんは立派。あたしの前だけでしょ?そんな顔するの。それができてるうちはさ、海くんはよーやっとる。よーやっとるよ」

「……茶化すなよ」

そう言いながら海は華耶の腰のあたりに顔をうずめ、そっぽを向いてしまった。

 

「いつかさ、監督、見返してやろうね。あたしも……きっと晴留も、応援してくれるはずだから」

「俺が応援してやる側になれなくてどうするんだよ」

「海くんが頑張ってるから、あたしだって仕事マッハで復帰したんだからさ。本当は、もっと休んでもいいかなって思ってたんだよ。海くんにはそれがプレッシャーになってるのかもしれないけどさ……海くんが頑張ってなかったら、あたし、たぶん叔母さんの厚意に甘えて来年までずっと休んでたかもしれない。ほんとだよ」

「……ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」

「お世辞じゃないんだってばー。海くんの卑屈ー。自虐癖ー。残念なイケメンー。髪をわしゃわしゃして嫌でもお風呂入りたくしてやるからなー」

そう言いながら華耶は海の長く透明感のある金髪を両手でくしゃくしゃにし、指で巻いたりして癖をつけた。

 

「変に子供っぽいんだからー」

自分に厳しくあっても仕方のない日々を送ってきたとはいえ、なかなか結婚してからもその性格が変わらない海を、華耶は難しさを感じる一方で――それでも、決して自分には当たってこない海を、子供っぽいと言いながらも、変に長い間大人として振舞おうとしてきたから、子供である部分が目立つのだろう――と思いながら背中を撫で回した。

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