海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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230・プロという矜持

清兵衛から半ば押し付けられるようにして送られてきた釣竿を持って再び釣堀にやってきた海の隣に、オルガは居た。オルガは釣りにはあまり興味がないようで、ただ海の隣に居てその釣りの様子をカメラを持って窺っていた。

オルガから見ても、海は釣りそのものに興味があるかどうかというよりも、単に時間を潰せるコンテンツとしてたまたま釣りがあっただけのように見えていたから、きっと海のこの趣味は長続きしないだろうとこの間の水彩画の件もあり思っていた。

 

《顔に出やすいタイプだよねー、ヨッシ》

《よく言われるよ》

《ぶっちゃけ今の奥さんみたいなちゃんとした理解者さ、たまたまヨッシの近くに居てよかったと思うよ。ヨッシは分かりやすい言葉で接して欲しいって言うのに、自分じゃ顔に別の感情が出てるから、面倒くさい》

《分かりやすい言葉で言っちゃ気まずいことくらい、多少あるだろ。お前はそんなことを気にせずズバズバ言うから、分からない世界だろうけど》

《じゃー、今の私には何か気まずいことがあるわけだ?》

《……》

《図星だね。何?こないだのファンレター、重めの愛情表現でも書いてあった?》

《ああ、もう。お前が脇でピーピーわめくから、魚が逃げちゃったじゃないか。今、かかってたんだよ》

海はキッとオルガを睨んで不機嫌そうにしながら、持ってきていた水筒の茶を口に含み、再びカバンにしまった。

 

持っているものをギターから釣竿に変えた海の姿は、オルガからしてみたら、似合っていない。密着取材こそしているものの、そこまで長く付き合っているわけではない自分から海の釣り姿が似合っていないと思うくらいだから、きっと、付き合いが長い人物からしてみれば、よほどだろう。

やはりその両腕には、バットかギターがないと、この男はらしくないのだ。

その"らしさ"に縛られることや求められることを海は嫌ったから、きっとこうして新たな自分らしさを見つけようとしているのだろうけれど――。

 

《で?釣ったところで魚、捌けるわけ?》

《清兵衛から捌いてもらえる店をいくらか紹介してもらってるから、そこに頼むつもりだったんだよ。……俺が捌けるかどうかなんて別に、どうでもいいじゃないか。大体、そこまで料理だってできないわけじゃあない。お前が思ってるほど、俺は生活能力がない人間じゃあないんだよ。親が家を空けがちだったから、自分の料理は自分で作るくらいのことはしていたからな、もともと》

海はオルガの茶化しを鬱陶しそうにしながら睨み、再び糸をゆっくりと足元のあたりへと垂らし、当たりを待った。

 

オルガは「ふーん」と、言われてみれば確かに海の生い立ちを考えれば、魚くらいは捌けるか……と思いながらも、どうにもこの男が手際よく料理をする姿が想像できなかった。

それはたぶん、海がカメラや自分の前で度々華耶がいなかったら自分はきっと堕落していたという話をしていたからだろう。

海の人生というものは華耶ありきで、そしてその華耶に母親を求めた海――。その固定概念が、オルガから一人で生きる海というビジョンにもやをかけた。

 

《で、仕事柄聞かなきゃいけないからこっちも聞くけどさ。個人的には、あんまり興味ないっちゃないんだよねー、ヨッシが機嫌悪くしてることがなんなのか。映像的に使えそうなことだったら使うけどさ》

《ああ。多分、使えないと思う》

《どーせ、そんなことだと思った。ヨッシのことだからどうせしょーもないことで腹立ててるんだろーね。何?CMの内容が気に入らないとかそういうの?》

《そこまで低レベルなことで腹は立てないよ》

 

華耶からラジオの内容に腹を立てたことがあるという逸話を聞いていたオルガは、そんな海の即答に思わず噴出して笑いそうになった。

 

《じゃー、何?使うか使わないかは私たちが勝手に決めることだからさー。もったいぶらないでとっとと話してくれればそれでいいよ。別にこっちも仕事柄聞いといて損がないことくらいにしか思ってないから。植木鉢に独り言話すような感じでちょっと言ってみてよ。こっちも別に聞くだけ聞いて変に詮索はしないからさー》

 

じゃあなんで人のプライベートにズケズケと踏み込んできたんだよ海は思いながら、オルガのほうを向かずにしばらく押し黙った。

 

《……お前さ。お前んとこの母親とは、上手くいってるんだったっけ》

《はあ?……まあ、うん。別にヨッシに心配されるようなことは何もないよ。父親が亡くなってからは私か家政婦が面倒見てること多いけど。あー、まあ、そうだね。孫は早く欲しいってたまに言われてるかな。そんなの、こっちの都合じゃんって話だけど。ま、親なら仕方ないことだよね。孫の顔も見ずに死ねないだろうし》

《これまで、隠し事とかはあったりしたか?》

《私が気になるようなことは別にないと思ってるけどね。前の旦那の話なんかはあんまり話さなかったし、私も別にあまり母親にそんなことをいちいち干渉しないっていうのもあるけど。親のすべてを知ってる娘なんて、今日日そうそういないでしょ》

《まあね》

海は一旦ルアーを引き上げ、今度は少し遠くへとキャストした。なんとなく、遠くまで飛ばしたい気分だった。

 

《こないだのファンレターね、お前が言うように、確かに、重めの愛情表現があったよ》

《ああ、そう》

オルガは興味なさそうにしながら、しゃがんでため池の様子を見ていた。魚の気配はするが、本当に釣れるのだろうか――?と思いながら、その静かな水面をじっと眺めていた。

 

《一個、俺はお前に謝らないといけないことがある》

《へえ。一個で済むんだ》

《茶化すなよ。大体、お前は俺の倍じゃ済まないぞ》

海はそう言って、一度ルアーを巻き上げ、手早く遠くへ投げた。ぽちゃん、とあまりよくない水音を立てて水面が波打つ。オルガから見ても、そのキャストが下手であることは見て取れた。似合っていないなりに、それなりにたたずまいには風格があるのだが、ふとした一挙一動にセンスがない――そんな風にオルガには見えていた。

 

《前にお前の母親にビデオレターを渡したとき、俺はお前の母親の名前のことで『リップサービス』って言ったよな》

《あー、あったねそんなこと。あったっけ?あったか。……まあ、あったかもしれないね、ヨッシがそう言うんであれば》

《覚えてろよ。自分の母親のことだぞ》

《あんな状況だからきっと誰にでも言うような言葉だったと思うよ。言われてはじめて思い出したくらい、自然な流れだったから》

オルガの無関心な言葉をよそに、海は再びリールを巻き上げ、そしてもう一度ルアーを投げた。今度はたまたまうまく行ったのか、静かな水音を立てて、そのルアーはゆらゆらと水中をさまよい始める。

《……本当はね、リップサービスでもなんでもない。本当に同じ名前だったんだよ》

《ああ、そう》

 

突然、海は当たりを感じてリールを巻き上げ、水面で跳ね上がりたがる大きめの魚を引き上げようとするのだが――その最中に逃げられてしまい、再び遠くへとルアーを投げた。

あと少しのところで引き上げきれないもどかしさに海もオルガもまた悔しい言葉を上げそうになり――互いに発しなかった。

 

《おふくろには黙ってくれって言われたけど、素直に白状する。いずれ分かってしまうことだろうし、華耶からも、それは言ったほうがいいって言われた》

《いいよ。そんなにもったいぶらなくて。で?その話、要点は?》

自分のことはダラダラと話すくせに、他人の話は黙って聞けないタイプなんだな――と海は思いながら、ゆらゆらと誘うようにして竿を動かす海は、オルガに目線だけ向けて――

《お前の母親は――俺のおふくろだ》

と一言、つぶやいた。

 

《あぁ、そう》

オルガの興味なさそうなリアクションと共に、遠くで魚が飛び跳ね――水しぶきとともに、ビシャリと大きな音があたりに響いた。

 

《は?え……?はぁ……?……いやいやいやいや、ちょっとないわ。え?ヨッシ今いくつだっけ?40……48くらいだっけ?》

《46だよ》

《いや、ちょっ……待って待って。私ついこないだ31になったばっかりなんだけど。え?いや……ないわー。ってことは兄妹ってことでしょ?一応は。はぁ?……それで、15歳離れてるって……。え?何それ、ちょっと冗談でもキモいんだけど》

《そんなこと言ったらお前、菜巳と晴留は20歳以上歳が離れてるぞ》

《いやー、それはそうなんだけどさ。違うのよ。こう、いや……いざこうして……ええ……?『俺はお前の兄だが?』みたいな顔されるとなんかこっちもなんかどうしたらいいのか分からないんだよね。え?なんか私を試そうとしてる?これがジャパニーズジョークってやつ?え?ヨッシはなんで平然としてられるわけ?バカなの?》

《バカ言え。俺だって気まずいのを必死で押し殺してるんだよ。俺は……俺は、種違いの妹にこの長いこと密着取材されてたっていうことだぞ》

《いやそれは私も同じ立場だから》

《だからだよ。もっと早く知ってたらこんな取材、突っぱねられてたものをよ》

どうしていいか分からず顔をしかめるオルガをよそに、海も渋めの表情をしながら、再びルアーを引き上げてはキャストして――を繰り返していた。

 

《おふくろが国に戻ってから、おふくろなりに幸せをつかんだことが知れたのはよかったよ。でも、今更こんなことを知ったところで、どうにもならない。……分かってるんだよ。多分、俺とおふくろは、会った方がいいんだと思う。華耶だってずっとそう言ってる。でも、お前にこの事実を伝えずにおふくろと俺が会うのは不自然だろ。……いや、会った直後はいいよ。おふくろがお前を通じて俺と会いました、その後もおふくろが俺としきりに連絡を取りたがりました、じゃ、ちょっと不自然だろ。何か裏でやましいことがあるってお前だって気付くだろ。そうなったとき、引き伸ばし引き伸ばしで、実はお前の母親が俺のおふくろでした、って後になって気付くのは……ちょっと後味悪いだろ》

《それは確かに》

《おふくろだってそれを分かってたから、できればこの事実はお前には隠しててほしいって書いてあったんだと思う。でも、会ったらきっといずれ分かってしまうことだ。バカな奴だよ。なら、会わないままのほうがいいじゃないか。お前、俺の言ったことをジャパニーズジョークなんていって見せたよな。むしろ、ぶっちゃけ、アレだろ。お前のほうがこうやって、試写会か何かにおふくろを俺に黙って呼ぼうと思ってたんじゃないのか?》

《はぁ?私がそんな安っぽいサプライズするわけないでしょーが》

とオルガは海の意見を突っぱねた後――しゃがんだまま、海の方を見ずにぽつりと呟いた。

 

《……まー、ちょっとはさ……考えてたよ。そんな安っぽいサプライズを。きっとヨッシはフィンランドには戻らない。ウルスラだって、今は病気が安定してるけど、いつどうなるか分からないっちゃ、分からないからね。だったら、無理してでも一度だけでも日本に連れてきてやろうとは思ってたよ。明日突然、自分の身に何かあっても自分の人生を誇って逝けるようにね。マジで入退院繰り返しててヤバかった時期あったくらいだし》

《……》

海はオルガの独白に口を挟まずにキャストを続けた。相変わらず、当たりがないまま時間だけが流れていた。2月になったものの相変わらず風は冷たく、春はまだもう少し先のような風が時折強く吹いた。

 

《……一応さ、俺とおふくろとの秘密ってことになってるからさ。お前、しばらくは知らないフリしててやってくれないか。嘘つくことには慣れてる仕事だろ》

《心外だね、そんな言い方は。一応、真実を伝える側の人間やってるつもりだよ、こー見えても》

《真実を伝えるためにどれほどの嘘をついてるものかよ》

海の漏らした皮肉に痛いところを突かれたオルガはしゃがんだまま見上げ、まっすぐな瞳でじっと海の横顔を睨みつけた。

 

《お前、おふくろがこのことを黙ってたことには、あまり怒ってないんだな。お前をダシに俺に近づいたことをおふくろは随分気にしてたみたいだけど、見当違いだったみたいだ》

《別に。離婚なんかも、堂々と他の男女と付き合ってそれ以上の関係になることだってありふれた国だからね。誰が誰の子供なんか、本当は誰も分かってないまま生きてる人だって少ないと思うよ。本当に自分が誰の子供なのかを証明してくれるものだって、案外そこまで世の中にはないし。だから……自分の仕事を実の息子に近づくために使われたのは……別に。ヨッシ側の事情も私はそれなりにちゃんと見てきたつもりだし、理解してきたつもりだから》

《そうか。よかった》

《それで仕事に支障出て穴空けたら、私のキャリアに大きな傷もついちゃうからね。作品に私情は挟めない》

《さすが、プロだね》

海は茶化すようにしてわざとらしい言い方をしながら、ようやくヒットした魚をゆっくりゆっくりと引き上げ始めた。

 

《……まー、親孝行として知らないフリしといててあげるよ、ヨッシが実の子供だってこと。私が認める認めないにかかわらず、血までは私のペンじゃ断ち切れないしね》

《悪いね》

海はゆっくりとその魚を網で掬いあげ、クーラーボックスへと入れた。サイズが大きいかどうなのかはよく分からないが、釣上げた魚が鯉だということだけは海にもよく分かった。……それがいったい何鯉なのかと聞かれると、海にはよく分からないのだが。

 

《でも……ヨッシが私の兄だってことは、まだ、認められないかな》

《それは俺もだよ。置かれてる籍だって違うし、なんなら国籍だって違う。別に、俺が兄だって分かったから態度変えろなんて、俺は思わないし、それはお前だってそうだろ。今更お前を妹だと思うことだって、これからもないと思う》

《まーね》

オルガはクーラーボックスで尻尾を跳ね上げる鯉をしばらく見つめながら、普段どおりの適当さで軽く海の言葉を流した。

 

《……ところで、おふくろは日本語で喋ってたりするの見たことあるか?おふくろ、途中までは日本語で手紙書こうとして断念してたからさ。……日本語に馴染めなくて国から出てったのに、おふくろなりに日本語をなんとかしようとしてたんだろうな、って思ったんだよ。ふと》

《いーや、見たことないね。でも……書けないし言えないけど読めるとか、聞けるとかはあるでしょ。日本の野球中継なんか熱心に見てたけど、あんなの翻訳なんかできるわけないしさ。私だって旅行やビジネス上の挨拶くらいの日本語は聞き取れるし、話せるけどさー、だからって、ネイティブ同士の会話までできるかっつったらそれはできないしさー》

《そうだよな》

《まー、でも私も母親の全てを見てるわけじゃないからさ。親子って、そんなもんでしょ。自分が知ってる姿なんて、ほんの一握りだったりするでしょ。知るきっかけが何もないとさ。親子って、意外とそんなもん》

 

オルガが言った言葉に、ふと海は晴留の言葉を思い出した。

 

『お母さんにはさ、前に二人きりになったときに一応伝えてはいたんだ。私が裏でこういうことしてる、って。裏、っていうのも変だけどさ』

 

たまたま知るきっかけがあったから、晴留がVtuberをしていることを知れた海。家にいる時間帯が変則的な真結と広乃の仕事ぶりやその多忙さは海はその全てについては把握できていないし、鳥居と一体どれほどの関係を築いたのかだとか、イギリスでの日々は目に見える部分以外は分からない新――。

 

確かに、子供のことは何でも知っているつもりでいるのが親だと思っていたし、そうでなければいけないと海は思っていたが、その全てを把握するということは簡単に言うものだけど、難しいことだ。

同じようにきっと子供たちだって、自分はその全てをさらけ出してきたつもりではあったが、例えば華耶との夜の生活だとか、自分が長く苦しんだ心の病だとか――何もかもさらけ出していたかと言われれば、意図して隠してきたものだってある。

 

《……俺がこの30年、身をもって知ってきたことだな》

海は気軽に呟いたであろうオルガの言葉をかみ締めるようにしながら、再びルアーを池に向かってキャストした。

 

《そーゆー意味では、私だってそう。ヨッシと私の関係だって、ウルスラはあくまでヨッシの母親として、私には隠してきたわけだしね。世の中、知るきっかけがないから――話すきっかけがないから知られてないことなんて、親しい人の間にすらたくさんあると思うよ。だからこそ、私たちがこーゆー仕事してるわけだけど》

《なるほど、プロだね》

海は再び茶化すようにしてオルガの言葉を笑って流したが、オルガは海のうっすら浮かべていた笑みを見てオルガもまた自慢げに笑みを浮かべた。

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