海の彼方で   作:錫樹トシアキ

24 / 238
24・アイデンティティ

「……」

かつてない手ごたえ、と言えばいいのだろうか。プロ6年目の春季キャンプを迎えた海は、外角の球を強引に捉えてもセンター前へとしっかり勢いのある球を飛ばすことができていた。

 

逆に、内角の球をわざと反応を遅らせても、三塁の頭を越すような角度の打球を飛ばせている。

 

海の理想としては、どんなコースに来た球も自然にはじき返し、安打にできるというものだった。

得意なコースがあるから対策を張られるし、苦手なコースがあるからそこを突かれるのだ。

ではどうだろう、逃げてスイングを奪うような球、食い込ませて詰まらせるような球――そんな球すらも捌けるようになったら、投手はどこを攻めるだろう。

強くスイングするのは、その後の話だ。

 

去年から、いつどう気が変わって大振りしたくなったとしても対応できるようにわざと細長いバットを注文していた海だったが、そんな極端なバットを自在に使いこなせるようになったらきっと自分はもっと鋭いスイングをしても対応できるはず――海にはそんな狙いがあった。

 

3割で満足してもらえないのなら、では4割が目標ならどうだ――海はひそかにそうしてどうせ代打でしか使ってもらえないのであれば、代打で4割を狙うという狙いを打ち立てた。それで駄目ならば、もう自分の野球人生というものの区切りを考えなければならない。

 

「なんだよ、色男。随分気合入ってるんじゃないか?」

バットで股の当たりを小突く生駒。海はそれを汚物を見るような蔑んだ目線で睨んだ。

 

「若いっていいねえ、色んなことができて。変態じみた打球ばっか打って、家に帰ったら変態じみたことをして、ってか」

「嫌味言いにきただけなら、次はあんたの頭を打ちますよ」

「半分は嫌味だよ」

「分かりました」

そのまま本当に生駒に向かって素振りをする海。

生駒はそれを死に物狂いの表情で避け、尻餅をついた。首筋に今までかいたことのないような汗が伝い、あまり高鳴ってはいけないタイプの心臓の鼓動がドドドドッと響いているのを生駒は感じた。

表情ひとつ変えずにスイングした海に、かつてない恐怖を感じずにはいられなかった。

 

「危ねぇな馬鹿野郎!当たってたらどうするつもりだったんだよお前!」

「宣言したじゃないですか。嫌味だったら頭打つって」

「本当にやる奴がいるか!」

「俺が冗談でモノを言うタイプだと思ってたんですか、今更。あんまり人を自分の基準でおちょくらないほうがいいですよ」

次は本当に加減せずスイングしそうな、なんとも思っていない冷静な目つきの海を見て、尻餅をついたまま生駒は立ち上がれずに居た。

やられたのが前野ではなく自分で本当によかったと思いながら――それでも腰の力が抜けてしまい、ずっと立ち上がれないまま生駒は海を見上げた。

 

「あぁあぁ、分かった。俺が悪かったよ。お前につまらん冗談なんか言った俺が悪かった。とにかく!とにかくだよ。今のお前、他のレギュラーに差をつけるためにはこれしかないなって思いながらスイングしてるのが分かるよ。単なる愛の力ってだけではないんだろうな」

やっとの思いで立ち上がり、砂埃を払う生駒。

それをふん、と鼻で蔑むようにしながら見つめる海。練習の邪魔だから、早くどこかに行って欲しい――そんな気持ちで海はバットを構えていた。

 

「愛の力っていうのがコーチにとって何を指してるのかよく分かりませんけど」

「何すっとぼけてるんだよ。二人目、夏に出産予定なんだって?お前、随分奥さんに負担かけてるんじゃないのか?まだ子育てだって慣れたかどうかだってのに、遠慮のない奴だなあって思ってるんだよ、俺は。そんなに鬱憤たまってるのか?」

「鬱憤はたまってますけど。あんたらのせいで」

「ほらなー。その結果が二人目ってわけだろ。お前、そんなんじゃ子供に性格、感染るぞ」

「あんたにうちの性事情の何が分かるんですか。俺ばかりがいつも抱きに行ってるわけじゃあないです。まさか子供ができた日も、俺があんたらに文句言われて抱いた日だったとでも言いたいんですか?」

「違うのか」

チッ、と舌打ちをしながら海は生駒を睨みつけた。今さっき情けない顔をしながらバットにビクついていたくせに、ちょっと調子に乗るとこうだ――と海は生駒を軽蔑した。

 

「いいですか、あんたは女の性欲っていうのを神格化しすぎですよ。なんすか?俺がいつも俺様気取りでいつも抱いてるみたいな言い草で。まぁ、そんな日も、あんたらのおかげでたまにありますけどね。でもね、華耶から強く求められて抱くことだってあるんですよ」

「分かった、分かったから」

海の苛立ちをなだめるように生駒は肩をぽんと叩くのだが、海はその生駒の腕を振り払い、睨んで指を突き立てた。

 

「いいえ。分かってないでしょう。あんたが吹っかけた話題ですよ。球場全体に聞こえるような声で言ってやりますよ。まるで俺が毎日好きに抱いてるみたいな言い草ですからね。誤解のないようにここでハッキリ言ってやりましょう。公序良俗を盾にするつもりなら、もともとこんな話題を掘り下げようとしたのはあんたですからね。嫌というほど聞いてもらいますよ。さて、何から話しましょうかね?華耶が俺に抱かれてる時にどんな声出すのかとかでも言えば満足しますか?それとも好きな体位の話でもしたらいいですか?あんた、わざわざ人の練習止めてまで話しかけたんですからね」

「分かったからもうやめてくれ!問題になるじゃないか!」

「問題になるも何も、あんたから話しかけてきた話題ですから。俺は別に、問題になっても何も困らないので。どうせ監督と揉めてるような人間がコーチともうまくいってないってメディアに思われるのも時間の問題ですからね」

「分かったから!あとで小遣いでもやるからもう黙ってくれ!お前のプライベートを聞き出した俺が悪かった!もうお前のことはほっとくから黙ってくれ!練習邪魔して悪かったな!それじゃあ!!」

 

生駒は海に冗談だとか軽口なんかを飛ばしたことを本気で後悔した。

半ば逆切れする形で生駒は話を突っぱね、海に背を向けた。監督にすらも遠慮せず物を言うものだから、あのような性格の前野に嫌われてもおかしくない。

子供ができ父親になったのだから少しはこの辺も丸くなったのではないか、などと思った自分の見積もりの甘さに腹が立ったし、普通の人間ならば多少はオブラートに包んで隠すであろう話題にすらも本気で言葉を浴びせてくる海を改めて変に冗談で刺激してはならないと生駒は思った。

 

今日は非公開の練習だったとはいえ、取材陣のカメラはしっかりと回されていた。

話題が話題だけに週刊誌も新聞も、一連の流れの全ては使わないだろう。変に海が首脳陣と確執があると報道されてしまうことにつながる。自分のことは悪く書かれても別に構わない。

ただ、情報が独り歩きしがちなメディアに海のことを悪く書かれるのは、もとはといえば自分の軽率さが招いた事態なのだからそれはよくない――そう思った生駒はいったんベンチから取材陣のいる内野席へと向かった。

 

ただでさえ、海は出自もそう、ドラフト1位という存在もそう――デリケートな存在だ。週刊誌の書かれ方次第ではいくらでも海の人生を潰すことができる。

考えれば考えるほど、自分の迂闊な発言で海を殺してしまいかねないことに、生駒は苦悩した。どうにも歳を取ってから口が軽率になり、嫁をも最近は怒らせてしまいがちだ。気をつけてはいるのだが、どうにも口が滑る。

 

決して海が自分の指導や言葉に噛み付いてきたわけではなく、プライベートに関することを自分がセクハラ交じりで話しかけてしまったから不快に思った海が文句を言ってきたのだ、ということを生駒は取材陣に話すと、取材陣はけらけらと笑った。

 

「いまどきの子には珍しく、自我の強い子ですな。そんなカッカせんでも、流せばええものを。せっかくエエもん持っとんのに、こーゆーとこが勿体無い選手ですわ」

と取材陣は笑いながら遠くで快音――というよりは、玄人好みの打球を飛ばし続ける海をメモした。

 

「まぁ、うちらも気をつけますわ。こういう話題が読者の興味を引く時代はもう終わりかけてはりますし」と言いながら生駒にタバコを渡しかけ――「そういや、禁煙中でしたな」と再びカバンにしまった。

生駒もまた「これも時代です」と苦笑した。タバコをやめてからはどうにも最近太り気味の身体に少しだけ腹を立てながら生駒はそうして練習に戻っていった。

 

~~~

 

シーズンが開幕し、相変わらず海は代打でベンチを暖めていた。

シーズン最初の出番は、ランナーを一塁に置いての打席だった。外のボールを引っ掛けさせてアウトにしたい――そんな意図の取れる球を、海は強引に引っ張ってライト前に運んだ。

 

決してまぐれ当たりではないことを見せてやる――そんな思いで、翌日の試合――同じようにランナーを一塁に置いた打席に海は立っていた。

目の覚めるような直球が持ち味の投手が相手であることも、昨日の試合と変わらない状況だった。

 

初球、ベースのあたりでバウンドするようなコースのストレートを海は見送った。

さすがにこんな球を打つほど自分は冷静さを失っては居ない――海は少しだけ苦笑しながら、バットを高く掲げて見つめた。

少し間を置いてから、内角高め――自分が投手だったならば、思わず気合の雄たけびが飛び出しそうなほどの非常にいいコースの球が飛んできた。伸びたボールはさらに浮き上がり、自分の顔や体にめがけて飛んでくるような、気合の入った球だった。

 

内角を意識させた後の外角は反応できない――とでも思ったのだろうか、サインがほとんど交わされないまま、早いテンポで投げられた球は、高めでも低めでもない、外角へといったん逃がすような速球だった。

 

昨日も、内、内と立て続けにスライダーを投げ込まれてからの外角のストレートだった。違うことといえば、昨日は大きなビハインドからの打席――今日は3点リードからの打席だ。

 

相変わらず、自分がヒットを打ったところで勝敗には何も影響しないような、信頼されていない場面での起用であることに海は少なからず不満を感じていた。

 

今日も甲子園の風は強い。強い風に吹かれながらも、開幕最初のホーム戦とあって、球場の応援は熱を帯びている。

自分がどんな気持ちで打席に立っていようが、応援団のラッパは常に必死だ。そっくりそのままその言葉、子供に聞かせられるのか――と言いたくなるような下品な野次を飛ばす連中と違って、いつだって必死だ。

 

自己流――孤高――そんな言葉を最近、海に対してメディアは使うようになった。

決して監督との確執やコーチとの温度差をネガティブな意味では扱わなかった地元紙が、苦労した末に導き出した海の代名詞だ。

そんな言葉に影響されてか知らずか、今年から変更になった海の応援歌の歌詞もまた、そうした雰囲気の言葉を使っていた。

 

 ――侍の魂【こころ】 燃やせ――♪

  ――唯一の高みを目指し

    羽ばたけ佳井 海の彼方へ――♪

 

唯一の高み。

確かに、自分が今目指しているのは、そういう、単に自分が求めたい高みなだけなのかもしれない。

 

こんなボールをもっと強引に飛ばせたら、楽にレギュラーを取れたかもしれないが――今、同じようなタイプの選手はチームに多い。だからこそなおさら、自分に今本当に求められているのは、自分の中のスタイルをしっかりと確立させることだと海は思った。

生駒はきっと、そこにたどり着くまで『腐るな』と言いたかったのだろう。

 

今年の自分はこういう球も引っ張って打てるのだ――そんな思いをこめて、フェアラインからファールゾーンへと転がるような軌跡を思い描きながら、外に逃げたがったボールを昨日に引き続き、海は思い切り引っ張った。

 

少し強引さのある打球は、少し浅めに守っていたライトから逃げるように、スライスする低い弾道で鋭く突き進み――そのうちバウンドし、転がっていった。

 

今のはほんの挨拶代わりだ――そんな気持ちのこもった睨みを、相手投手ではなく、自軍のベンチで不機嫌そうに座っている前野に向ける海。

 

この打球が自己満足だと言いたいならば、言えばいい。

相変わらず勝利につながらない打球だと思うなら、そう言えばいい。

いつかその"自己満足"で、安打の山を築き上げてやる――そんな険しい表情で海はベンチを睨んでから、内野席に埋まったファンからの声援にぎこちなく笑みを浮かべ応えた。

 

「なーに。自信ついてきたじゃん、海くん。そうだよ。そういう顔。きっと晴留も、これから生まれてくる子も……次の子も、その次の子だって海くんのそういう表情見て育つんだから。世界で一番かっこいいパパだってね」

「あーあー」

「そうだよー、晴留。パパ、家に居ない間もね……すっごい頑張ってるんだから」

よしよし、と晴留を抱きかかえてよしよしと揺らす華耶。

時折、もうすぐ生まれる新しい命も自らの意思を持っているようにしてどんどんと華耶の腹を鳴らした。

 

「っ……君も、きっとそんなパパが好きになると思うから。もうちょっと待ってね。もうすぐ会えるからね」

華耶は腹をさすりながら、語りかけるようにしてつぶやいた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。