海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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27・せめて、花束をヒットにして

前期混合戦が終了し、2日の休養日をはさんでから再び通常のリーグ戦が始まった。

5月もあっという間に後半に差し掛かり、ニュースでは連日今年の夏も暑くなりそうだだとか、しばらく続いた晴れの影響でダムの貯水率がどうだとか、暑さをアピールするニュースが続いていた。

 

『明日からお前はベンチや』

 

その理由も前野から大して説明されないまま、海は再びベンチに戻り、代打として声がかかるのを待つ日々が続いていた。

 

代わりに出場している選手が海よりもずば抜けて守備ができているかと言われれば、そういうわけでもない。海よりも豪快な打撃ができるか、と言われれば、そういうわけでもない――。

 

二人とも、前野のさじ加減ひとつで突然スタメンに呼ばれたり、ベンチに下げられたりするものだから、最終的には前野がその日その時何を考えてるか次第で立場がころころと変わってしまう。

 

それとは別にもう一人レギュラーを争っていた者だって、前野から『豪快な打撃だが確実性に欠ける』だの『守備が荒くて試合を任せられない』だの、何かしら理由をつけて海より序列を下にしたときもあった。

それでも前野のコロコロと変わる気分やチーム事情もあってか『豪快な打撃がなければやっぱり試合には勝てない』だの、その時々で言うことが違うものだから、出番を争っているいわゆる準レギュラーの内野手同士の関係は相変わらずお世辞にもいいものではなかった。

 

隣の芝は青いなんて言葉があるが、そうした中、相手側ベンチが楽しそうにしているのを見ると、環境を変えられるのならばとっととこんなところから出て行って、自分らしく生きられる場所を探したい――と海は強く思うようになった。

もちろん、家庭の都合もあるからできれば関東圏に引っ越したかった、というところも同じくらいあったのだが――。

 

~~~

 

「FA権?」

「そうだ。お前、忘れてるんじゃないかって思ってな。トレードが駄目なら、FAで出て行くという手もあるぞ。声がかかるかどうかは別として、お前の頑張り次第じゃ、よそだとレギュラーの確約だってあるかもしれない。お前、忘れてるかもしれないだろうけど、どんな選手でもこの球界は今、年間110試合1軍に登録されていれば権利だけはもらえるからな」

「試合に出てないのに権利だけもらえるのもおかしな話ですけどね」

「今年、来年とこのまま行けば一応お前はFA権を取得できるはずだから――ここからの1年半が勝負だと思え。まぁ……ここぞというときのために、権利をとっておく手もあるけど」

キャッチボールの相手を名乗り出た生駒から、突然FAについて話しかけられた海は、少し眉をしかめた。

 

「名乗るだけ名乗って、どこも名乗りを挙げなかったら?」

「その時はその時だ。自球団の契約を飲むしかない」

「無責任なことを。正直言って、FA権持ってるのは俺だけじゃないんですよね?俺以外だって突然FA権を使う奴だっているわけじゃないですか、ぶっちゃけ」

「それはまあ、そうなんだが」

 

FA権を行使した場合、選手の保障として自球団は必ず契約条件を提示しなければいけないというルールが現在の球界には制定されていた。

そのため、引き取り手がいなくて未所属になるということはないものの、行使するだけ行使してみたけれど結局移籍できなかった――ということもこの球界ではしばしば起きてしまっていた――。

 

海はそうした事例を華耶から聞かされていたから、FA権の行使にはあまり乗り気ではなかった。

 

「なんでもいいから、とっとと俺をトレードで出してくださいよ。今のままじゃ、どこも俺なんかを使ってくれる奴なんか居ないでしょうけど。使うだけ使って移籍できなかったら、あの監督【ハゲ】から何されるか」

「やさぐれるなよ。一応代打では出してもろてんのやから」

生駒は海の態度にふと関西弁が出てしまったが、海はそこにはあまり気づいていないようだった。

 

「3割打ってるのに監督の気分ひとつでギャーギャーと文句言われても、面白くないんですよ、正直言って。別に、甲子園で野球するのが嫌だって言ってるわけじゃないんです。あの無能のさじ加減一つに俺の人生を振り回されるのが嫌なだけなんです」

 

勢いよく投げた海のボールがまた左にずれていく。

キャッチボールひとつとっても、少し力んだり気持ちがブレでもすると、人間相手へのスローイングは海はなかなか改善せずにいた。

最初から人に向かって投げているという気持ちを放棄できればよかったのだろうが、そうもいかないまま月日だけが過ぎていった。

 

「まぁ、お前の気持ちも分からないでもないが……」

「『分からないでもないが、お前がもうちょっとスローイングが安定するか足を磨くか長打を放てればなぁ』でしょう。分かってますよ、今の俺に武器が足りないってこと。でも、正直言って、あんたらからしてみたら、そんなに努力してないように見えますか、俺?別に、自分で自分を努力家ですなんて言うつもりはないですけどね」

「そういうわけじゃないんだよ。そういうわけじゃあないんだ」

 

堰を切ったような海の畳み掛けに、生駒はたじろいだ。

言っていることがそれほど間違っているわけではないからこそ、かける言葉に生駒は悩んだ。

こんな状況でやさぐれないほうが難しいし、きっと自分だって同じ状況に立たされていたらもっと何かやらかしていただろう。表立って監督と殴り合いをしたりしないだけ、十分すぎるほど海は理性を保っていることを生駒は理解していた。

だからこそ、こうした愚痴を生駒は真正面からは咎めないようにしていた。

 

「ま……別に、どうでもいいですけどね。正直言って、俺も自分の明日のことをまったく考えてないわけでもないですから」

「明日のこと?」

「今から大学入ったら何ができるか、とか、一年くらい勉強しなおせば、啓皇に入りなおせるかな、とか、いろいろ考えてるんですよ」

「おいおいおい、何をとんでもないことサラっと言ってるんだよ。折れるなって言っただろ」

「ギターだって、なんとかして金にする方法を考えてます。いつ監督の気分次第で俺が突然子供を養えなくなるか分かりませんからね。こんだけ打って、努力してないように見られてしまってるならしょうがないです。監督がその気なら、最悪、俺から辞めてやりますよ」

やけくそに放たれた海のボールが再び上ずり、生駒は腕を伸ばしてなんとか捕球した。

伸ばした腕や肩からあまりよくない音が聞こえたが、海が突然言い出した言葉のほうが生駒にとってはそれどころではなかった。

 

「そんなつまらないこと言うなよ。何を自分の進路が全部断たれたような言い方をしてるんだよ。まだ23歳だぞ?大卒だったら2年目だぞ?お前、23歳でそんなことばっかり考えてたら、奥さんにも色々言われてるんじゃないのか?考えすぎだ、って」

「……余計なお世話ですよ。正直言って」

うつむいてボールを握ったまま、海はそのまましばらく黙ってしまった。

 

「まぁ、でも一応頭には置いておいてくれ。FA権ってのは、選手の権利だからな。お前が使いたいと思ったタイミングで使えばいい。子育てのこととかもあるだろうしな。二人目、もうすぐなんだろ?」

 

~~~

 

前期混合戦を負け越したチーターズだったが、Aクラス争いが団子状になったEリーグの中で2位から4位を行ったり来たりしていた。

 

6月の嫌な熱気と湿気が一日ずつ甲子園を徐々に夏色に染めていく中で、今年こそはAクラス入りを、という前野の気持ちは、海にも一定の理解はできた。

だが、理解はできたとしても、納得できるかどうか――まして、気分ひとつでコロコロと立場を変えられている当事者なのだから、話はまた別だ。

 

「……はい。はい。……分かりました。ありがとうございます。試合が終わったらすぐ行きます。……ええ。本当に、ありがとうございました。……妻を、そして子供をよろしくお願いします」

 

ふぅ、とため息をついて、ぼうっと通路の天井を見つめる海。

壁にもたれかかり、携帯電話を見つめたまま、しばらくそのままじっとしていた。

試合前の練習の合間。決してサボっているわけではない。その電話の内容をかみ締めたまま、なんとなく、動けずにいたのだ。

 

「どうかしましたか」

「ああ、コーチ」

トイレから戻った小室が、海の様子を見て話しかける。

「電話ですか」

「……ええ、まあ」

歯切れの悪い返事をしながら、携帯を一瞬見つめてから腰の後ろに携帯を隠そうとした海。

そんなしぐさに何かを察した小室はじっと海を見つめながら――

「僕はなかなか恵まれなかったんですよ」

と突然話を切り出した。

 

「いわゆる、種無しのようなものです――13年かかりました。その間に離婚と再婚もしました。子供ができたらきっと、楽しい日々がやってくると思ってたんですが……難しいものです。守るべきものが増えると、考え事だって多くなります」

「……」

「でも、子供ができてやはりよかったと思うことは日に日に多くなりました。大変ですけどね。それでも、頑張ろうと思える自分がいました。僕は万年二軍暮らしのままキャリアを終え、社会人リーグに移籍する事になりましたが――それでも、家に帰れば、家内も、息子も僕を応援してくれました。どんな形であれ、働く父親というものを息子は応援してくれる――それだけで、不思議と頑張れたものです。一人目のお子さんは、まだ喋るかどうかですか?」

「……最近、チーターズという存在と、テレビに映ってる俺の存在は分かり始めてきたみたいです。まだちゃんとは喋れませんけど」

「そうですか」

腕を後ろで組みながら小室はそう頷き――

 

「奥さんがよくできた人だそうですね、君の普段の言葉を聞いていると」

「……ええ、まぁ」

「きっと娘さんや息子さんも、奥さんの遺伝子を受け継いでいるのであれば――君の力になってくれると思います。君が多少、思うように行かなくても」

「華耶も――嫁もよくそう言っています」

「そうですか。では、僕からは、トイレですれ違ったと監督に話しておきますので。早く練習に戻ってくるように」

そう言うと、小室はすたすたとベンチのほうへ向かって歩いていった。

海はもうしばらく天井を見上げながら――続けるようにしてベンチへと向かった。

 

〈バッターは、佳井――背番号――25――〉

 

ここのところ、先発を早めに降ろす時の代打は決まって海は打席に立っていた。今日も5回裏という早めのタイミングで海は呼ばれていた。先発をずいぶん早い段階で切りたがる前野の悪い癖がよく出ていたように海には感じられていた。

 

3対4。たった今勝ち越したばかりのタイミングでの代打起用というのは滅多にないことだ。残り4イニング、この勝ち越しをしっかり守りきるために早めに継投策で逃げ切るつもりなのかもしれないが、逃げ切るなら逃げ切るで、もう数点欲しいということなのだろう。

 

無事にランナーを送りバントなりで進めるか、あるいはここでしっかりヒットを放てば、打者は1番へと戻る。うまく打線が繋がれば、そのままビッグイニングになる可能性だってある。

試合を決めにいく展開としては少し強引な気もするが、まったく理にかなっていないわけではない。

 

マウンドには、緩急を生かすタイプの投手が上がっていた。カーブやチェンジアップを引っ掛けてそのままゲッツー、なんてことだけは絶対に避けなければならない。

 

幸い、さほど速球は速いわけではないから、ストレートを引き付けて打つという手もあるが――。

ヤマを張れば張るほど、かえってドツボにはまりそうな状況だというような気が海には感じられた。

 

来た球を何も考えずに打つ――シンプルに思考を切り替えて海はバッターボックスでゆらりとバットを構えた。

 

一度、二度と投手は首を振ってサインを確認しあう。内野は少し後ろに下がってゲッツーを狙おうとしているのが海にはしっかりと確認できた。

 

素早いモーションから放たれたのは――直球だ。

力んだのか、低めに投げようとした姿勢から少しだけボールが上ずっている。すっと力みなく打ち抜いた海の打球は、セカンドとショートの間を射抜くように、センター方向に向かって鋭く低い弾道で飛んでいく。

 

ランナーを進めることを最優先した打撃だった。自己満足と言われようが、続く1番打者に無事にランナーを得点圏まで進めたのだから、海の中では仕事は果たしたつもりでいる。

 

1番は俊足巧打だし、2番はボールをしっかりと見極めながら、引き付けて流し打ちをするのが得意な、こちらも俊足巧打の好打者だ。ランナーをためて機動力で守備を撹乱するにはもってこいだろう――

前野に何を言われようが、反論する材料はあった。

 

相手のエラーで1点を追加し、ベンチに戻ってきた海。相変わらず前野はあまり機嫌がいいように見えなかった。随分とひざをガタガタと震わせながら、こちらを見ようとしない。

「佳井くん」

小室が海のもとへ近づいてくる。何も自分ではまずいことをしたつもりがないから、何か用かと言いたさげな顔で海は小室を見つめた。

 

「きょうはもう帰りなさい。きょうの君の役目は終わりました」

「俺には……俺には、試合の続きを見る権利すらないってことですか?」

「誰もそんなことは言ってないでしょう。君は、僕たちに呼び止められるときは自分にとって悪いニュースだと思い込みすぎですよ」

「じゃあ、何でです」

納得いかない表情の海に、生駒が肩を抱くようにして後ろから耳打ちする。

 

「二人目、産まれたんだろ。早く行ってやれ」

「だけど――俺は一人の父親である以上に、一人のプロ野球選手です」

「そういうのはレギュラー獲った奴が言うことなんだよ。嫁さんと子供、お前に会いたがってるんだぞ。待たせてやるなよ。レギュラー獲ってない今しかできないことだぞ」

「ええ。君はもうきっちり、きょうの自分の仕事をこなしました。……これは準レギュラーという今しかできないことなんです。レギュラーを獲ってしまえば、試合中に何があろうともレギュラーでいることが求められます。だから――今のうちに、会いに行ってあげなさい。監督には話を通しました」

「……あまり後ろめたいことさせないでくださいよ、あんたら。揃いも揃って」

守備についたチームメイトを差し置いて試合から抜け出すということに海はあまりいい気はしなかったが、コーチ二名がそう言うのであれば――と、海は二人へ頭を下げ、ベンチから下がって球場を後にした。

 

日曜のデーゲーム。

球場は外までしっかりと伝わるほどの熱気に包まれ、相変わらず異様な空気を出していた。熱狂的なファンが今日も詰めかけ、球場の外からも野次が聞こえそうな勢いで凄んでいる。

 

小室たちがあらかじめ用意してくれていたタクシーに乗り込み、そうしたファンに気づかれぬうちに海は病院まで足を運んだ。球場を出てしまいさえすれば、なるべく早く会いに行ってやりたい気分だったが、タクシーの運転手には特別急ぐよう指示はしなかった。他の選手はまだ試合をしているのだから、という後ろめたさがどうしても海にはあったからだ。

 

「元気な男の子ですよ」

「そうですか。……ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」

病院の看護師に案内されながら、海は病室へと向かっていた。

 

「ずっと、旦那さんの名前呼んでたんですよ。旦那さんが頑張ってるから私も頑張る、って」

「俺は……そんな立派なもんじゃないですよ」

海は髪をかきながら、廊下を歩いていく。看護師はにこやかに笑顔を見せながら、海の言葉を否定こそしなかったが、海の腰のあたりを二度ほど叩いた。

 

「素敵な旦那さんだと聞いてますよ。羨ましいです。……たくさん、褒めてあげてくださいね」

「ええ」

病室の前で一度、ドアを開けるのをためらった海。試合を抜け出して来て――しかも、出産も終えてしまった今頃のこのこと来て何になるのだ――という後ろめたさや罪悪感があった。

前回とは違い、一人であの過酷な場を乗り越えてきた華耶に対して、自分はどんな声をかけるべきなのか――そんなことばかり考えていた。

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