海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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28・生傷にひとつの勲章を

「……なんだよ、こんな時に。……悪いね、華耶。ちょっと電話みたいで」

「何だろう?よっぽど大事な話なんじゃない?」

 

シーズンを終え、毎年のようにハードで離脱者が続出する秋季キャンプも無事に終えた後、半ば倉庫状態になっている借りたままの武蔵小山のマンションに海たちは子供たちを連れて移っていた。

 

今となってはこのベッドも硬く感じられるようになってしまった、などと二人で笑っていたのだが、子供の面倒は自分が見るからしばらくできずに居たデートなんかをしてこい――と華耶の母・三葉に半ば呼びつけられる形で、長野の実家で過ごしていた。

 

バスタオルを拾い上げ、背中の汗を拭きながら少し不機嫌そうに携帯を取る海。生駒からだ。思わず舌打ちが飛び出す海を華耶は微笑ましそうにして見つめていた。

 

「……もしもし。なんですか、こんな時間に」

〈悪いな、こんな時間に。こんなニュースは早いほうがいいと思ってな〉

「正直言ってオフの日にあんたからの電話って時点で正直言ってあんまりいいニュースじゃないんですけどね、俺としては」

〈まぁそう言うなよ。聞いて驚け〉

「トレードの話ですか」

〈もっといいニュースだよ。まあ、黙って聞いてくれ――〉

 

「ええ!?いいニュースじゃん!よかったね、よかったよ海くん!」

電話の間にほどいていた髪を留めなおした華耶は、用件を聞くなりまだ少し呆然としている海に飛び掛り、ベッドに押し倒すような形で海をぎゅっと抱きしめながら、無防備な胸板に頬ずりをした。

 

「……素直に喜んでいいのかどうかだけどね」

海は華耶とは対照的に、少し浮かない顔をしながら華耶の頬ずりからは目線を逸らしていた。

「なんだっていいんだよ。褒められてるんだからさ」

「打点1がか?」

「得点圏で打席が回ってこないんだから、仕方ないじゃん。打点なんて、前にランナーいないとほとんど記録されない指標なんだから。仮にソロホームランでも打点は記録されるけど、ホームランだけが一人歩きしたら今度は『二倍打点ニキ激怒』、とか言われるんだから。欠陥指標だよ、あんなの」

「……打点王に失礼だよ、華耶」

「別に打点王に言ってるわけじゃなくて、今は海くんに言ってるだけだもん。盗聴器仕掛けられてるとかなら別だけど」

「やめろよ。縁起でもねぇ」

海は電話がかかる前に一体何を華耶に向かって口走ってたか――同じように、華耶が一体ついさっきまで何を言っていたかを思い出すと、ぞっとした。

 

代打部門のベストナインが確定したらしい――公式よりも先にその報告をコーチから受けた海は、武蔵小山の部屋に置きっぱなしのスーツが何着あったかどうかを考えた。せめて何着かスーツくらい持ってくればよかったな――とすら思った。

 

幸いなことに入団当初から今に至るまでほとんど体型を変えずに、自然な体で野球をし続けているから、武蔵小山の部屋に置きっぱなしの服でもなんとかなるだろう。

 

次によぎったのはベスト"ナイン"なのに代打部門とは一体どういうことなのだろう――という疑念だった。これはCリーグには指名打者部門があるのにEリーグにはその代わりがないのは不公平ではないか――とのことで設立されたものらしいのだが、どうにも海はそのあたりがモヤモヤとした。

 

「でもさ、6月に24歳の誕生日迎えたばっかりでしょ?海くん。24歳でそんな渋いタイトルなんてさ、いいもんだよ。どんな形であれさ、公式に賞をもらえるってことは認めてもらえてるってことだもん」

「半分馬鹿にされてるような気もするけどね。シーズン打点1の代打がベストナイン受賞なんて」

 

海の自虐的な笑みに華耶は海の肩をゆさゆさとつかんで振った。

 

「だーかーらー、打点なんて気にしたら負けだって。打率3割後半……3割7分だっけ?そんな高打率の代打なんてさ、ファンからしてみたらポジっポジのポジっポジじゃない。え?マジでメディアが言ってるように4割でも打つつもり?まさかだよね?」

「4割打っても信頼されなさそうだけどね、あんな監督からじゃ。……冗談抜きで、アイツを納得させるには、代打なら5割は打たないと」

海はそう言って、わざとらしく人差し指を立てて打点1を揶揄するように指を振り、華耶の頬を一度押した。

 

「もーう、またそんな事言って。そんなことできたらさー、もうそれ多分野球のルールかよほど飛ぶボールに変わってるときだって。大丈夫、いつか見返せる日が来るって。今はとりあえずさー、受賞できたってことを一旦喜ぼうよ。素直に自分の賞を喜べないようじゃ、いつか賞にだって嫌われちゃうよ。……いやまあ、素直に喜べないっていうか、そういうとこストイックだから海くんには難しいんだろうけどさ」

「……」

そう言って頬をつんつんとつつき返した華耶をほったらかしにしながら、海はずっと黙っていた。

 

「でも、よかったね。会場、東京なんでしょ?なんかちょうどいいタイミングで東京来れてよかったなーって。式が終わったらどっか行こうか?」

「スーツのまま?」

「まさか。さすがに着替えの場所くらいあるでしょ。お祝いだってしたいしさ」

「お祝いは、ここでしたらいいだろ。華耶の両親……違うな、俺はもう婿養子に入ったから……お父さんもお母さんも、か。きっと二人とも祝ってくれるだろうし」

「それはそうだけど、それはまたそのうちってことでさ。あたしが直接祝ってあげたいんだよ、海くんのこと独り占めして、さ」

「そっか」

「なんかいい店、考えておくよ」

「いいよ、そんな大げさな」

「大げさなことなんかないよ。リーグで10人しか選ばれない賞なんだから」

「それも……そうか」

 

言われてみたらそうだ。ベストナイン、なんてわざわざ言っているのだから、そのポジションの人間だけが選ばれる賞なのだ。ベストナインを目標に年間戦っている選手だっているに違いない。

自分は代打のベストナインなんて……と思っていたが、代打の一振りに本当に全てを賭けている人間だっているかもしれない。

 

自分のような曖昧な気分で授賞式に乗り込むのは、球界どころか全ての野球人に失礼にあたる――まして、華耶のように野球を諦めざるを得なかった人間にとって、最大の侮辱になってしまう。

海は自分の成績には胸を張れなくても、受賞そのものには喜ぶように気分を入れ替えるようにした。

 

~~~

 

「――それでは、続きまして代打ベストナイン受賞の佳井海選手です。佳井選手、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

フラッシュが大量に焚かれ、海は思わず顔をしかめそうになる。ライブハウスなんかでも大量の光を浴びることはあるが、いつカメラを向けられても眩しいことには変わりはない。

 

これほど大量のフラッシュを焚かれ、マイクを向けられ、そして大勢の取材陣の前に人前に立つというのはドラフト指名直後以来だろうか――。

ここまでの日々が、海にはずいぶん長い道のりのように感じられた。プロ生活の中であくまでこれは通過点であって、自分のキャリアはここから羽ばたいていかなければならないはずなのだけれど、時間がかかってしまったな――と海は自虐的に笑みを浮かべた。

 

「レギュラー争いが厳しい中、今シーズンは代打でしっかりと結果を残しました。なんと今シーズン、打率.375。打点はわずかに1ながら、投手からの代打で出場し安打を重ね、上位打線への起爆剤として大活躍の一年でした。いかがでしょう、今シーズン振り返って?」

「……自分にできるのはやはりしっかりリラックスして打球を捌くことですから。練習で長打を打つことができても、実戦でそれができるかどうかはまた別ですし、長打を狙うべき場面かどうかも問われる場面にも度々直面しました。自分なりに考えて、自分のできる範囲でヒットを打ったっていう結果が評価されたなのであれば、これほど嬉しいこともありません」

 

真面目なコメントを求められるというのは、海にとって思わぬプレッシャーをかけた。

ただでさえ自分の日本語は時々崩れるのだから、俗に言う"丁寧語"なんて言葉は、練習してもどこか自分の中で違和感を常に感じていた。

 

普段どおりの口調で話させてくれればこれほど楽なものはないのだけれど、日本語というものは場面によって使い分けなければならない――そんな格式を海は鬱陶しく思った。

 

「6月にはご自身の誕生日間近、17日に第二子となる息子さん、新【あらた】くんが産まれたそうですが」

「そうですね。もっと頑張らないといけないと思っています。子供が言葉を話すようになるまでには、レギュラーをがっちり掴んでいる状況にいたいなとは正直言って思っています。それがどこのチームであっても」

 

海はつい口が滑り、早く移籍をしたい旨を言葉にしてしまったが周囲はあまり気にしていないようだった。ひょっとしたら気を遣って触れてやらなかっただけなのかもしれないが――と思うと、海は空気をごまかすために頭をかかずにはいられなかった。

 

「今シーズン、一番思い出に残ってる場面はありますか?」

「混合戦でライガーズと当たったときですね。あの試合、猛打賞ができたことが個人的には今年唯一の打点よりも思い出深かったです。レギュラー争いが激しい中で、『長い眼で使ってもらえればこのくらい打てるんだ』という材料ができましたし。……結局、今年はたった5試合しかスタメンとして出られませんでしたけども、そのうち2試合で猛打賞を達成できたのは、自分のプライドなんかもそうですけど……自分のバッティングは決して間違っていないんだという確信に繋がりました」

 

言ってしまったものはしょうがない――海は素直に『使ってくれ』というメッセージをカメラの前でしっかりと残した。いずれトレードに出されたとき、生駒が言うようにFA権を使ったとき――自分を必要としてくれるような場所に届いて欲しいと思わずには居られなかった。

 

「ドラフト1位という重圧はやはりあったのではないですか?」

「自分では順位なんてのはどうでもいいんですが、周りがそう言ってくるので……。どちらかというと、そういう周りの声のほうが正直言って僕にはよっぽどプレッシャーになりましたね。何位だろうがプロなら頑張るのは当たり前のことじゃないですか。周りがあんまり順位のことを言うので、自分は周りが認めてくれるほどには頑張ってないのか?って悩むことはよくありましたね、正直言って」

 

司会を含めて、会場から苦笑が漏れる。海の中では死活問題なのだが、海の素直すぎる言葉に周囲は反応に困っていたようだった。

とはいえ、順位のプレッシャーはありますと言えば、具体的にどういうところが、と聞かれるのは目に見えている。そうなると結局、最終的には周囲……もとい、コーチだとか監督がガミガミと言ってくることばかり出てくるのだから、それを素直に言ったら言ったでまた何かと言われてしまう。

実のところメディアは、自分のこうした性格を面白がってからかっているのではないか――と海は思わずにはいられなかった。

だとしたら、嫌味な世界だ――と海は鼻で笑ってテーブルを蹴飛ばしたい気分だった。

 

「最後に奥さんに一言」

「……結構これ言われるんですけども、そういうのは家に帰ってから言うので。なんかこう……ここでなんかコメントして、あー、普段そういう事言ってるんだね、って思われるの、恥ずかしいじゃないですか。皆さんが思ってる以上の言葉ややりとりを普段してるので、ここでは省かせてください」

「フフッ……これは失礼しました。では最後にチームに向けて一言」

「もうここまで言ってしまいましたからね。素直に言わせてもらいます。来季はもっと使ってください」

「ッフフ……ありがとうございました」

 

華耶への一言だとか、チームに向けての一言だとか、こういうのはウケ狙いの場面らしい、と後に海はコーチらから聞かされた。狙ってできていたなら満点だ、なんてからかわれてしまった。

 

しかし、自分は決してウケを狙って言ったわけではない――と海はそれが不満だった。

 

海としては素直に思ったことをありのままに言っただけだった。

それを周囲から、ウケ狙いとしては満点だとか、あるいは、笑いを分かっているだとか、面白いことを言う奴だ、だとか、そういう場面は笑いに走らず謙虚に言うべきところだ、とか言われたりするのが海にはよく分からなかった。

こうした場で質問という形で言葉狩りをしたり、よくないところをあぶりだそうとしている――まるでそれは魔女狩りのように海には思えてうんざりした。

 

特に知りもしないしかかわっても居ない選手たちの自信に満ちたインタビューなんかを聞いても海は正直どうでもよかったし、チームの仲なんかを長々と話されると海はうんざりした。

自分の置かれている環境にはそういったものがまるでないものだから、本気で信頼関係を築けているなら、ずいぶん甘い世界で野球が出来ているものだと海は思ったし、仮にそれが『思ってなんかいないけどとりあえず言っておいている』言葉なんだとしたら、こんな場のインタビューなんか意味を成さないように海は思い、テーブルに置かれた水を何倍も飲んで不快感をなんとか飲み込み続けていた。

 

早くこの堅苦しい場面から開放されて、好きなように振舞いたい――海はそうしてテーブルの下で貧乏ゆすりを続けていた。

 

かれこれ10年以上日本で暮らしているが、華耶のもとで本当の意味での日本人になりたいと自分から言い出したものの、日本のこうした空気感は海にはまだまだ馴染めない部分があった海。

内心、自分はバカにされるために今日この場に呼ばれたのではないのだろうか――そんな気分になって、閉会とともに海は少し不機嫌に場を去った。

 

かつて自分の取材をした芸人が、自分の発言を聞いてゲラゲラと笑っていたのも、あれは、自分の言っていることが面白かったのではなく、そもそも自分をバカにしていたからなのだろうか――そんな風に思えて仕方がなかった。

 

会場入り口近くで待っていた華耶がタクシーを手配してくれていた。

そのままお台場へと向かったタクシー。何年かぶりにイルミネーションが目の前に迫ってくるが、海は車中、なかなか口を開こうとはしなかった。

 

タクシーから降りる頃には街はすっかり暗くなり、イルミネーションの明かりがひときわうるさく感じられた。

 

「なんか、イルミネーション見ると、あたしが自分で言ったこと自分で思い出しちゃって、ちょっと恥ずかしいな」

「恥ずかしいって……華耶が自分でお台場の予約取ったんだろ」

「そりゃ、そうなんだけどさ。……え?海くんひょっとして、ファッション不機嫌とかじゃなくて、今日だいぶご立腹?」

「……まぁ、腹が立ってるかどうかって言われると、若干」

「えー。何あったのさ……?タクシーの中でも全然話してくれなかったし。……とりあえずおいしいご飯でも食べて機嫌直してよ。肉料理のお店、予約してあるからさ。ホテルの予約も一緒にとってあるし」

「うん」

 

イルミネーションの余韻に浸っていたい気分はあったが、先に二人はホテルのチェックインを済まし、同時にホテル内のレストランへと向かった。

ちょっと奮発した、という華耶の予約した店は、確かに普段の外食よりはよっぽど高い店だった。

 

高い店、というのはどちらかというと雰囲気を味わうものでもあるのだろうけれど、それと同時に、他の客に邪魔をされない――という利点もある。

 

さすがに今季、ベストナインを受賞するほどの選手となった海を人の群れに突っ込ませて機嫌を損ねられてはたまったものではない。華耶なりの配慮だった。

 

食後、室内に一旦戻った海はやっと普段の革のジャケットに着替えなおし――華耶を連れて外へと繰り出した。

高い店、高いホテルなんかよりも、自由に過ごせる空間のほうがよっぽど気が楽だ――海はそう思った。

 

食事が少し遅かったものだから、近くの商業施設は食事を終える頃には軒並み店を閉めていて、あちこち回るにはなかなか思うように行かず、海辺を歩いたり、イルミネーションを腕を組んで歩いたりするくらいのことしかできなかった。

 

「いつか、新も晴留も……ううん。その後生まれてくる子たちも一緒に、ここで夜景を見られるといいね」

「プロポーズした場所にか?嫌だよ」

「えー、何で?」

「俺と華耶がここでプロポーズしたんだよ、なんて子供に言って何になるんだよ」

「素敵だなーって思ったりしない?」

「子供が親のそんな話聞きたいと思うのか?」

「あたしは結構興味あったけどなあ」

「正直言って俺はやだね……」

 

〈ご来場のお客様へご連絡いたします――イルミネーションは――30分後に消灯します――〉

 

「海くん。あたしね、前にも言ったかもしれないけど、まだまだたくさん子供欲しいな。海くんのお父さんが羨むくらいの幸せな大家族を作ってさ。それで――引退する頃には……ううん。引退した後でもいい。海くんが――あたしと一緒にここまで歩いてこれたの、幸せだったって思ってもらえるように――もっと、もーーっと……幸せ、増やしていきたいなって思ってる。あたしのワガママかもしれないけどさ」

「……華耶」

 

振り返ってそう微笑んだ華耶は、あの時よりも少しだけ色っぽさを増したように見えていた。20代中盤に差し掛かり、小動物のような可愛さだけでなく――一人の女として、改めて華耶は磨きを増したように見えた。

メリハリのある体つきが、イルミネーションに照らされて、少しだけ妖艶みと――母性を放っていた。

 

まもなく消灯するせいか、徐々に人が閑散としていくお台場。どうせ誰も見ていない、と思って海は華耶を抱きかかえた。

 

「あっ、ちょっと待ってってば……!」

「お前さ……俺には勿体無いくらい、いい奥さんになったと思うよ。……今日はありがとう」

「それは分かったからさ、このままホテルに戻るとか駄目だからね!?海くん自分の立場分かってるよね!?こういうの週刊誌に抜かれたらめっちゃ書かれるんだからね!?」

それでも、小動物っぽさは相変わらず残したままの華耶を海は愛おしく思った。

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