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「……ごめん。私、海が何考えてるか分からないや」
「そう」
「……それじゃあ、ね」
「あぁ」
センバツへの遠征を来週に控えた海は、公園で一人の女の背を見送った。
「……追ってきてよ、バカ」
一度振り返った女は海には聞こえない距離でそう呟き、走り去っていった。
勝手に好いてきて、思い通りに行かないから自分の都合で離れていくとは、随分身勝手なものだと海は思った。
一高校生が着こなすにしては随分と高価なブランド物のジャケットに身を包み、長く透き通るような金髪をなびかせた、近所の公園には場違いなそのルックス。海の身長はさらにとどまることを知らずに育ち続け、次の4月で高校三年生となる今、その背は195cmまで伸びていた。
7年ぶりに甲子園の土を踏む啓皇。秋の大会の成績がよく、関東代表の一校として春の甲子園に出場することになった。
自分のことで精一杯だった海は相変わらず、甲子園に進もうが進めまいが、どうでもよかったし、関東代表として選ばれた他の高校の中に、普段予選大会で当たる強豪校が混じっていることだとか、去年の夏の甲子園を制した高校が入ってることだとかも、どうでもよかった。
まして、ドラマなんかでやたらと神格化されているその甲子園というものが、決してフィクションではないほどにありとあらゆる人にとって特別な存在であるということは、海が日本に来るまでは知らなかったことだった。
春の甲子園に出場すること自体が大変だ、だとか、その大会に命を賭けてる者が本当にいることだとか――海にとってはまだぼんやりとして、理解の及ばないものだった。
日本に来てまだ数年の海にとって、そうした周りの人間との価値観のズレが、周囲が言うように"なんとなく"で付き合ってみた女ともうまくいかないきっかけを生んでいた。
いざ文化として分かっているつもりでも、バレンタインデーの文化が海にとってはなぜそこまで重要視されるのかが分からなかった。「あぁ、うん」と受け取ったその態度が気に入らないのだと言う。
これは手作りのチョコなのだ、と熱弁されたが、そもそもバレンタインデーとは手作りのチョコを送る文化だったか……?という疑問が、海を惑わせた。
テレビなんかでもチョコレートは買うもの、という報道をされているのを見たから、付き合ってるから手作りを渡すのか、それとも、何か別の見返りが欲しくてわざわざ手作りをしてきたのか……。
もちろん、ありがたい、という気持ちは全く無かったわけではないが、『何を考えているのか分からない』というのは海にとっても同じことだった。手作りだからなんだというのだ。何か手作りの料理を渡したいのならば、普段からすればいいことではないか――。
抱いて欲しいとひどくせがむものだから、言われるがままに抱いたときだって、結局よく分からなかった。抱いてくれと自分から言い出したのに、抱いたら抱いたで、なんだか不満そうというか、思ってたのと違うような表情をされたからだ。
付き合ってみたら何か変わるはず――なんて部員の言葉を鵜呑みにした自分がバカだったと海は思った。
自分のことだってずっと浮いていて理解しきれてない人間が、他人のことなど理解できるわけがないのだから、そんな状態で付き合ったって何も変わらないのだ。分かっているのに、ひょっとしたら本当に変わるのかもしれないと思った自分がバカだった――この上なく無駄な半年間だった、と海は後悔した。
「相変わらず考え事が多そうな顔をしてるね、君は。そんな顔でテレビに映るつもりかな」
「テレビ?」
「何をいまさら。地区大会だってたまにテレビに映ってるんだぞ。こういう大きい大会は当然全国区で放送されるに決まってるじゃないか。下手すりゃサッカーの国体なんかより大々的に顔が知れ渡るチャンスだぞ。え?そのくらい分かってるよな?さすがに」
「いや、分かってはいるけど……そんなにですか」
「当たり前じゃないか。これまでも取材があったよね?本番は夏の甲子園なんて思ってるかもしれないけど春のセンバツだって立派な甲子園だ。夏と違って全都道府県が出場しないだけで、ちゃんとしたデカい大会なんだから、君もしっかりしてくれよ。ほら、地元メディアだって今日も取材に来てるんだから」
「はぁ」
練習中にコーチに呼びかけられた海。しっかりしろ、と言われても、普段どおりのことをやればいいだけのことをなぜそこまで気合を入れるのだろうか、と考えると、やはり就職や進学、進路のことを考えているやつが多いからなのだろうか……と海は解釈した。
「すみませーん」
「はい」
地元の新聞や雑誌の編集者が練習の合間を縫って声をかけてきた。
「すごい背の高さですね」
「あぁ、はい」
「やっぱり牛乳とかたくさん飲んだりするんですか」
「いや、そういうわけでも……」
「お父さんも身長やっぱ高いんですか」
「親父は……」
しばらく黙り込む海。背のことを答えればいいだけだ、ということは分かってはいるが、それ以上のことを聞かれそうな気がしてなかなか言葉が出なかった。
「まぁ、高い……かな。今は俺のほうが高いけど」
「そうですか。失礼ですが、ハーフの方ですよね?」
「……」
やはりそういう話になるか、と海は髪を掻いた。事情が複雑なゆえに、答えづらい。
「あの、一応断っておくんですけど、変な書き方しないでくださいね。あんたらも仕事で自分の名前、名刺配ってまでやってんだから、変な書き方したらすぐにあんたらの会社に電話しますんで」
「分かってますよ」
本当かよ、と思いながら海は記者二名を何度かチラりと同意を求める目で睨み付けながら、深く息を吐いた。
「おふくろは生粋のスウェーデン人、親父はアメリカ系フィンランド人。仕事の都合で中学校の頃日本に来てそのまま帰化。ハーフと言えばハーフですが、一応日本国籍です。おふくろは……親父と離婚してから連絡が取れてません」
「そうですか。分かりました。それじゃあ……意気込みだけ教えてもらえますか?」
「……いつも通り頑張ります。普段頑張ってない人が本番で頑張れないわけないので」
「ストイックなんですね」
ストイック、という言葉がどこか自分を馬鹿にしたような風に聞こえて、海は嫌に思った。思っただけのことを言っただけでストイックと言われるのであれば、目の前に居るこの記者たちは、普段から頑張ってないということを自分でアピールしていようなものだったからだ。
「そうですかね」
「僕はそう思いますよ」
「ありがとうございます」
記者たちの何を考えているか分からないようなニタニタした顔から早く視界を切り替えたかった海は、そう会釈して手早く練習に戻った。
こうなることなら甲子園になど出なければよかったな、などとも思ったが、どうせ無理をしてサッカーの道に進んでいてもどのみちこうした事態は回避できない。
今時、ハーフなんてものは珍しくない。ただ、その多くはどちらかに日本人の血が流れている。自分のようにもともとどちらも日本人ではない者は、日本人からしてみれば珍しいのだ。自分の話になるたびに今後毎回こうした話になるのかと思うと、『いつも通り頑張る』という言葉が海には少し重く思えた。
なるべく平常心で居続けることがある意味では自分をギリギリのところで押さえつける手段だと思っているからこそ、それをし続けることの難しさを海は痛感している。あれから何度もSGに八つ当たりをしそうになったし、風呂場の壁を殴りそうにもなった。
相変わらず一塁手としてのレギュラーを任されていた海は、バントをせずに積極的に外野への当たりを狙っていく2番打者として啓皇の中軸を担っていた。高い身体能力と、捕球練習で徹底的に鍛え上げられたボールを見極める力を生かした海の打棒はめきめきと開花し、徐々にメディアからも注目されるようになっていった。
直接の取材は大体意気込みや持ち味だけ聞かれることが多かったが、甲子園ともなるとこうした踏み込んでくる取材も増えてくる。勝ち進めば勝ち進むほどそうしたことが増えていくと考えると、高校生の就職活動も楽なものではないなと思った。
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「……『北欧から来た白いサムライ』、ねぇ」
結局、東北代表、最近は青森代表の常連となっていた聖戒を相手に二回戦で5対6で敗れて帰ってきた啓皇。一回戦には結果的に決勝打となる先制タイムリーを放ち、これが新聞やテレビで扱われるや否や、二回戦も9回裏に同点弾となる3ランホームランを決めた瞬間が新聞に抜かれており、敗れたとはいえ見出しが作られていた。
その見出しはやはり、自分の出生をもじった文面が使われていた。同じ日本国籍なら、日本人として扱ってほしいのだけど、こうした文面はやはり人の心をひきつけるらしい。
こうして海なりに"まぁまぁ"の結果を残して地元に帰ってきたものだから、廊下を歩いているときなんかに度々連絡先の交換を求められたりした。
いっそ、『もう彼女がいる』ということにしてこれらを断る最大の口実を作ることができればいいのだろうけれど、なかなかそうもいかない。
結局既成事実として彼女を作らなければならないとして、それが前回みたいな女では海もさすがに付き合いきれないからだ。
では年上の女でもナンパでもしに行こうか、などという考えにも至ることは無かった。外見で口説き落とせる自信はないわけではないが、それでついてくるような女というものは結局自分の外見や生い立ちを買いに来ているだけで、今や多少は世間に顔が知られてしまった荒屋海という人間そのものを買いに来る女はいるわけがないと海は思っていたからだ。
「――まぁ、海外企業もチャンスはあると思うよ」
「そうですか」
「バイリンガルともなると、引く手は数多だろうし。うちの大学でも十分チャンスはあると思うけどね、無理に他の大学に行こうとしなくてもさ」
進路担当の教師にこのまま大学に進学したあと、大学を出てすぐに海外に出ることは可能かどうかを尋ねに行くくらいには海は早く自分の環境を変えたいと思っていた。
海外に出たら自分の居場所がある、という確信は持てなかったけれど、何か動かずには居られなかった。
あと1年。
あと1年我慢すれば、家から出る理由はいくらでもつけられる。エスカレーター式に進学することだってできることは知っていたが、とにかく家を出るための理由が欲しかった。
今すぐにでも、理由があればどこかに引っ越したい気分だった。
母親が帰国してからも、連絡は取れない代わりに、父親からの相変わらず妙に羽振りのいい小遣いとは別に自分の口座に毎月金を振り込んでくれていたが、この金にはなるべく手をつけないようにしていた。この金で何とか自分の未来をつかまなければ――海はそう思い続けていた。それが来年の今頃にはようやく実現する……はずだ。
大会を終えてすぐ春休みになり、しばらく部活はリフレッシュ期間として休みになった。そんな日にわざわざ進路を聞きに来るくらいには海は落ち着きがなかった。
学校を出てしばらくして、ネットで購入したサングラスをかけて一旦東京へと向かう。
大人びた風貌と背丈もあいまって、東京の雑踏にまぎれてしまえば自分も一人の"人間"になれる。海外からの旅行客も多い秋葉原にでも行って、ゲーセンにでも入り浸ろうか……などと考えながら、目黒までの電車に揺られ、そこから乗り換えをした。
滅多に山手線など乗らないから、川口とは違って人の混み具合の違いを海は感じた。移動中のサラリーマン、遊ぶことくらいしか考えてなさそうな学生、人生に疲れきったような老人――彼らは一体何を感じ、どう生きているのだろうか――。
……などと眉間に深いしわを寄せて考えている海を奇抜な目で見る者も居ない。電車の中で外国人を見ることがそう珍しくないこともあり、電車の中だけはかえって自分にとっての平和があるように海は感じた。窮屈だし息苦しいが、だからといって自分にわざわざ『外国人ですか?』などと声をかけてくる者は居ない。
それだけでどれほど落ち着いていられるものか――海はそう思った。
〈次は、大崎――大崎――〉
〈――ただいま品川駅で発生した人身事故のため運転を見合わせております――運転再開までしばらくお待ちください――お急ぎの方は――〉
乗り換えてすぐ、電車が立ち往生してしまった。別に急いでいるわけではない海は、携帯の時計を見ながら別に構わないそぶりで足を組んだ。