海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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31・蝉の意地

8月に入り、今シーズンの後期混合戦が開幕した。

このまま今季はスタメン出場などないものだと思っていた海だったが、開幕戦であるホーンズ戦、珍しく1番打者としてセカンドで起用されることを告げられた。

 

「なんでまたこのタイミングで。しかも1番でなんて」

「さあ。監督の考えることは俺には分からんし、知りたくもない」

 

甲子園のスコアボードに長ったらしい演出とともに、滅多に起用されたことのない1番としてその名が刻まれる。

 

久々のスタメンということに海も高揚感があったが、地元のファンからの声もまた一層大きくなる。一応、これでも期待され続けているということなのだろう。

ドラフト1位――『ドラ1』という立場がある以上、中途半端な立ち位置ではいられない、ということを前野も生駒もよく言っていた。

 

今の自分にとっては、ドラフトの順位など自分ひとりではどうにかなるものではないから実際のところどうでもよく、試合で結果が出せるかどうかが全てなのだ――海はそう思い続けていたが、ファンというものは今の自分がどれほど情けない姿だろうと、ドラ1ゆえの期待を海全てに集中して乗せたがる。

 

長く優勝から遠ざかっているチーム事情というものがそうさせるのか、単にチーターズの荒々しく縄張り意識の強いファンの血筋というものなのかは、海には分からないし、そんなものもどうでもよかった。

ただ、どんな形であれ、今季ここまで長くスランプに陥っているにも関わらず、スタメンとして選ばれただけでこれほど期待されているという事実が今の全てで、それに応えなければならないというものがプロなのだ。

 

 ――侍の魂 燃やせ――♪

  ――唯一の高みを目指し

  ――羽ばたけ佳井 海の彼方へ――♪

 

心なしか、いつもより応援歌が大きく聞こえる。……そう思っているのは自分だけなのかもしれない。

いつぶりかのスタメンに、思わず海のスイングは平常心を保てそうになくなった。普段は自然体で流して打つような、外に逃げていくシュートについつい大振りで手が出てしまう。

 

たった2球で追い込まれた海。いつもの代打ならこんな状況で、余計なことを考えてしまいがちだが、今日は次の打席がある――。

 

内角やや少し高めのストレートを続けざまに海は空振り三振をしながら帰ってきた。

 

「空振り三振なんて、随分珍しいな。しかも、珍しく一発狙ったかのようなあんな大振り。この後雪でも降らないかどうか俺は心配だよ」

「……」

「びっくりしたんですよ」

「はあ?」

 

想像してなかった海の返答に、思わず生駒は身を乗り出しそうになる。

「普段はもっとストレートが速く見えてたんです」

「はあ?」

まったく同じような抑揚、声量、表情のまま生駒が海を見つめる。

あほらしい――何を言ってるんだ――自分が置かれている立場が分かっているのか――ありとあらゆる言葉が生駒の中を巡ったが、とうとう言葉に結びつかなかった。

 

「今季、俺に本当に足りなかったのは――冷静さなのかもしれません」

「……いや、なんでもいいけど。んじゃあ何だ?次は打てるって言いたいってことか?そうだよな?」

「次があると分かってるから、ですかね。向こうが手を抜いて投げたとかでなければ、あの直球は俺の中で1、2テンポ遅く構えてもはじき返せそうです」

「問題はそれをどう運ぶかどうかなんだよ。お前の中でリズムは分かっても、今季のボールは飛ばないだろ。お前、今季テンポどうこうより、打球が飛ばないことのほうがよっぽど……」

「なんとかしますよ、そこは」

コーチの言葉が濁ったところを見て、海は少し食い気味に、面倒くさそうに答えた。

 

「おまっ……お前、それでなんとかなったら今季ここまで不調にはならないだろ。なんとかするって、具体的に何をどうするんだよ」

 

思わず生駒は海の態度に腕が伸びそうになったが、ぐっとこらえて海を見つめた。

海の目つきどういうことか自信に満ち溢れている上に、それが虚勢ではなく本気で今の打席で何かを掴んだような顔をしていたから、生駒はそれ以上のことができなかった。

 

こういうとき、出任せでものを言おうものなら顔にビンタのひとつでも浴びせてやるところだが、本人なりに何かスイッチが入ったのであれば、コーチはそれを止めることはできない。

 

「3、4打席あればなんとかしますよ。1打席しかないのと、次があるのとでは、やっぱ違うもんです」

「……まぁ、言うだけならどうとでもできるからな」

「ええ」

 

生駒が海の表情を見て察した以上に、海の胸中には確かな自信があった。

去年も、それまでもそうだったように、数試合起用されたのち、自分はまた1日1打席もらえるかどうかの日々に戻ってしまう。数試合どころか、明日の保証だってない。

 

その自信が単なる虚勢や思いつきの自己暗示ではないということをコーチや球場全体に示すように、海は次の打席、ボールかどうか際どいコースに逃げていく変化球や、逆に思い切り内側に差し込んでくる球をぴくりとも振らなかった。

 

そうして3ボールノーストライクという絶好のカウントで放たれた、内角を狙ったつもりであろう甘いコースのストレートを少し力をこめて振り抜いた。

 

投手が追い込まれたとき、次に投げる球をどうするかは悩むところだ。いっそ歩かせてしまったほうがいいのではないか、などと思うときだってあるだろう。

そんな中で投手は、打ち取ることを選んだ。

 

しかし、そのストレートはやはり若干の躊躇いが乗り移っていた。

根拠のない強気が乗り移るボールはボールは上ずってしまうものだし、弱気になって放り込んだボールというものは、不思議と速度以上に球威がなく、弱弱しく見えるものだ。

 

きっと普段からボールが飛ばないのだから、少しばかり甘いコースに力八分で投げても、普段の形だけでも当てるだけのスイングならば打ち取れると思う――そんな投手の弱気がスローモーションで近づいてくるのが見えた。

 

セカンドとショートがいつも通り少し後ろで構え、外野は前に出てきている。

引っ張ることよりも、素直に正面にはじき返すことを選んだ海。

願わくば、投手にぶつけてしまったり、あるいはそんなぶつかりそうなほどの弾道が低く鋭い打球を、すさまじい反応速度で捕球なんてしてくれるなよ――と思いながら、しっかりとボールをバットに乗せた。

 

カコンッ――と、不調のくせに相変わらず音だけは一丁前に意思を持ったような音が響いた。

 

それでもこの打球に海は自信があった。しっかりと勝算があった打球が、自分の手からやがて離れていく。

 

投手のすぐそばを横切りながら、セカンドとショートの間を射抜くかのようなコースへと白球はしっかりとはじき返されていた。

普段よりも少し意図的に力を入れて振ったボールは、相変わらず海のイメージほど上がってくれない低い弾道ながらも、内野手がさすがに反応できないようなスピードでセンター前へと運ばれていった。

 

久々の球場の歓声に、海は手を振りながら一塁ベースでひっそりとほくそ笑んだ。ほら見たことか――そんな気分で海はベンチに向かってくい、と帽子のつばを上げ下げしながら一塁でリードを取る準備をした。

 

心の余裕というものが普段どれほどないかということを証明するような打球だった――と海は自己評価したが、逆に、いかに普段の打席でこうした冷静な対処ができていないかを同時に痛感した。

 

3打席目は1打席目に手を出したような外に逃げていくシュートをスイングしかけたが――その腕をピタリと止め、しっかりと見極める形で四球で出塁した。

 

今のハーフスイングはバットが回っているのではないか――とホーンズの監督はベンチから出てくるが、塁審が回っていないとサインを出し、球審もまた回ってないと監督に説明をし始めた。

 

仮に今のハーフスイングが回っていたと判定されたとしても、次のボールを海は打つ自信があった。先ほど同様に追い込まれた状況ならば――と、海の中でいいビジョンが生まれ始めていた。

 

結局、この日海は3打席2安打、そして1つの四球を選んだ。

そうして、去年ほどの勢いではないにしろ、12試合行われた後期混合戦全てにスタメン出場した海は、全試合出塁をマークし、その中で無安打だった試合はわずかに2試合だった。

 

相変わらずボールが飛びづらかったり、イメージほど打球に角度や勢いがついてくれないことに苦戦はしたものの、『4打席あれば1回はヒットは打てる』というその言葉をしっかり世間にアピールすることに成功した海。

 

それはまるで、夏の間必死で鳴き声を上げ、そして最後には地面に這い蹲りながらなんとかもう一度飛び立とうとする蝉のようだった。

ただ、それでも混合戦が終わると再びスタメンから外されることになった。夏の終わりを告げるようにして、海の出番は終わったのである。

結局、どうして前野が突然海を1番で起用したのだとか、どうして混合戦の間だけは使う気になったのかは、分からずじまいだった。

 

1打席という重圧が再び襲い掛かってきた海は、案の定、普段の起用法に戻ったその初戦――長打を狙わずとも、多少狙って鋭いスイングで内野の守備の穴を突けるという自信を打ち砕くように、結局ファーストゴロで凡退して帰ってきた。

 

通常の試合に戻った最初の3連戦で1本のヒットしか打てなかった海は、ならば3試合に1本打てさえすれば――そう思うようにしたが、去年はそんな弱気なことを考えずに自分のスイングを自分の思い通りのままにできていたという現実や、毎日毎日が微妙に気持ちも体調も異なるという事実が海のスイングの邪魔をした。

 

人間、変わらずにいようとしても変化を求められる日がいつか来るものとよく言うが、今の自分はやはり発想の転換なんかよりも1打席に賭ける集中力をもっと磨かなければ――そう強く思った。

思うだけなら、誰にだってできるのだが――と、そうして自嘲しながら。

 

「ところで、華耶」

「うん?」

 

そうして、試合後ゆっくりと夕飯を食べていた海は、相変わらずリビングでノートパソコンとにらめっこをしている華耶の姿をしばらく見ていたのだが――

 

「ううん。やっぱ、いいや」

「えー?なになに?気になるじゃん」

「なんとなく話しかけただけだよ」

「えー、絶対嘘だー」

「嘘っちゃ、嘘だけどさ。なんとなく、からかってみたくなっただけだよ」

「えへへ。なんだよそれー」

 

嬉しそうに海を見て微笑む華耶。

今回は双子、ということもあるからなのか、華耶は最近つわりや貧血を繰り返すようになり、本社への出社をプロデューサーに相談し、産休までの間は在宅勤務でも大丈夫だということになった。

 

三葉が海に望んだように、そして、華耶が海に託したように――確かに、思い通りにはなってくれたのは事実なのだが、それで苦しむのは結局華耶なのだ。華耶の小さな体にそれほどの大きな負担をかけているきっかけは自分なのだから、海はそんな華耶を見て罪悪感により一層苛まれた。

 

「でもね、海くん。あたし、これは双子ちゃんがあたしを応援してくれてるんだと思ってるんだよ」

 

そんな海の考えを見透かしたように、華耶はノートパソコンのキーボードをを叩き続けながら話し続ける。

 

「応援?」

「そ。無理して出勤しなくていいよー、家に居続けていいんだよー、って。正直言って、あたし、しばらくはそれでも出社命令には従うつもりでいたもん」

「そうなの?」

「そりゃそうだよ。今の上司――部門全員に喧嘩を売ってるような状況だからね。売られた喧嘩は、買わないと気がすまないじゃん」

 

華耶がそんな気でいるから、三葉は海に華耶を止めるための策を打つよう相談したのだが――という事実は海は黙っておいた。

親というものは、子供の考えなどお見通しなのだろう。海はそう思うと苦笑を隠せなかった。

 

「あー、なんで笑うかなー。あたしにとっては大事なことなんだけどな。上司を見返すっていうのは」

「でも、辛そうだったよ」

「海くんの想像を絶するひどさだったからね。いや、でもさ。それだけじゃないよ」

「それだけじゃない?」

「あたしね、考えちゃったんだ。確かにムカつく上司だなー、って思ったと同時にさ……海くんだって、上司とうまくいってないわけじゃん。こんな風な言葉上司から言われたら、そりゃあ悔しいだろうし、辛いだろうなって考えたらさ……なんか、あたし自身の悔しさもそうだけど、海くんが普段どんなこと考えて働いてるかなんて考えたら、あたし、随分身勝手に海くんにがんばれがんばれ言ってたんじゃないか、とか色々考えちゃって」

「……ふっ」

「あー!!!!ひっどーい!!!え!?笑うとこ!?今の笑うとこ!?!?すごくすごく真面目な話してたつもりだよあたし!?えー!?どこに今ツボがあったの!?」

 

『長く暮らしてたら性格なんてちょっと影響されてもおかしくないもの』

 

三葉が先日海に対してそう言っていた言葉を思い出すと、海は噴出しそうになる笑いをこらえきれなかった。

 

自分の中で、華耶のメンタルというものは完璧なものだと思っていたのだが、長く暮らしていて性格が伝染ったのか、あるいは、もとから実のところ似たもの同士だったのだろうか――華耶がまさか自分と同じような次元で悩むことがあるとは思っていなかったから、海はそれがおかしくて、そして――それが愛おしくてたまらなかった。

 

「きっと、なんで笑ったかなんて言ったら怒るだろうから言わないよ」

そう言いながら、食事を済ませた海は後ろから華耶の肩から首にかけて腕を回し、ソファ越しに軽く抱きしめた。

 

「華耶をバカにしたわけじゃあないよ。それは本当。でも、理由は言わない」

「なんでさー」

「きっと怒ると思うから」

「もう怒ってるよー。ぷんぷんだよ。ただでさえこの時期女の人はナーバスになりがちなの、海くんだって分かるでしょ?」

「いつか話すよ。今聞いたらたぶん怒ると思うから、落ち着いた頃に話す」

「ふんだ。じゃあ、いつか海くんが落ち着いた頃に、海くんの全てをあたしマスコミとかにでも暴露してやるんだから。……ふふっ」

怒りながらも、そうして自分でもおかしくなったのか華耶もまた笑みを浮かべた。

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