海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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33・笑う清兵衛は悩める海を活かすか

「タイプが違う打者の真似をしろと言われても、どうしようもないでしょう」

「そりゃそうだな」

「飛距離だけが自己表現にしかならないなら、砲丸投げかなんか、馬鹿力だけで点数が決まるような個人競技でもやればいいものを、どいつもこいつも」

「それは言いすぎだ」

「仮に言いすぎだとしても、俺は訂正はしませんよ」

 

再び年が明け、今年も春季キャンプの時期がやってきた。

バットに当たりさえすれば球界屈指の重量級打線――これでもかというほどに、さらに長距離砲の内野手を補強した今年のチーターズ打線はそう揶揄されていた。

シート打撃では各々が飛距離を競い、誰がキャンプ場のスコアボードを先に破壊するか――地元紙どころか大手紙や在京キー局の取材でもそんな話題で持ちきりだったし、普段は飛距離で勝負しないタイプの選手たちもまた、飛距離を少し意識しながらのバッティングを繰り返していた。

 

そんな様子を海は何食わぬ顔で生駒からのトスバッティングを繰り返していた。

野球というものが飛距離を競い合う陸上競技のようなものだったなら、自分だってもう少し躍起になってあの打席に立つことを選んだかもしれないが、海はいまいちそれに乗り切れなかった。

120m飛ばそうが、150m飛ばそうが、一発のホームランで入る得点は変わらないのだ。

海はそうした、怪力による150mを無理に狙うことよりも、しっかりとミートした打球が120mそこそこの距離になるような、自然な長打を打てる回数を増やすために――ひたすら、去年と変わらないそのボールのクセを掴もうとした。

何も考えていないわけではないが、ひたすら、極力余計なことを考えずにバットにボールを当て続けていれば、捉えるべきポイントがどこか分かるはずだ――ただひたすら、ボールを叩き続けた。

この練習に意味があるかどうかは別としても、年間何打席立たせてもらえるかわからない状況――それも、今年のチームカラーに重量級打線という言葉がある以上、自分に残されたチャンスは今まで以上に少ない――海はそう思っていた。このチームカラーが数年続くようなら、自分のキャリアアップは一生閉ざされたようなものだ――海はそう思いながら、ひたすらバットを振った。練習だけで一体何本のバットを折ったか分からない。

願わくば、この様子を見ていた他球団の編成部が自分をトレードで狙ってくれないだろうかとも思いながら、海はとにかくボールを叩き続けた。

 

コーチだけではなく、時には球団職員や、練習の合間を縫って休憩しているブルペンキャッチャーを無理矢理引っ張ってきてまで籠いっぱいのボールを叩き続けた。そうして散らばったケージ付近に転がった数多のボールを海は自分でも拾い続けてはトスの相手をひたすら変えていった。

冷静に、でも、鬼のような形相でブツブツ言いながらボールを叩き続ける海の姿に、恐怖を覚える者もいた。

そうして、結局コーチの生駒くらいしかトスをする人間が徐々にいなくなっていった中、その生駒もつきっきりで海にいるわけにもいかず、シート打撃のほうに席を移した。

 

また投手班のところにでも行って誰か暇そうな選手か職員を捕まえなければ――。あるいは――こちらにカメラを回している取材班でもいい。誰のボールでもいいから、とにかくひたすら乱雑に放たれるトスを叩き続けなければ、海の気がすまなかった。

 

「俺がやろうか」

大鈴清兵衛【おおすず・せいべえ】。派手さもあるが、自分の脚力を生かした堅実な守備と、俊足巧打が持ち味の外野手だ。腰まで伸ばしたその辮髪がトレードマークで、背丈は170cm台中盤ほどだが、無駄のない体つきと、飄々としながらも鷹の目のような鋭い眼光もあって、まるでカンフー映画の主人公のようないでたちだ。歳は海の5つほど上だっただろうか――。

その清兵衛が、いっぱいに積み重なったボールの籠の隣で薄ら笑みを浮かべながら――ひょっとしたら、それが素顔なのかもしれないが――ケージにもたれかかりながら海を見つめていた。

「……大鈴…………さん」

それまで海は清兵衛とはほとんど会話をしたことがなかったから、ぎこちなく挨拶をし、どうしたものか悩みながら清兵衛を見つめた。

清兵衛は嫌そうな顔をしながら――

「苗字で呼ぶと他人行儀みてぇだからやめろ。俺のことは清兵衛でいい。いいな?下の名前で呼ばなかったら罰金取ってやるからな。お前さん、敬称つけて話すのも妙にぎこちねェから、俺の事ァ呼び捨てでいいからな。お前のそのデカい図体で清兵衛さんだの、大鈴さんだの言われると、滅茶苦茶気を遣われてる気がしてムズムズするんだわ。自分のキャラってもんを大事にしろ」

と海の言葉を突っぱねるようにしながら頭をかいた。

 

海は敬称をつけるべき相手というものを未だに悩んでいた。明らかに目上の人にならつけないといけないことくらいは分かっているのだが、同僚はさん付けするべきなのかどうか、どうにも分からずにいた。年上や経歴が上の人間にはつけたほうがいいと言う者もいれば、同じ集団では気を遣わずに呼び捨てで言ったほうがいいという者もいる。もはや人生の半分ほどを日本で過ごしてきたが、言葉を喋るときは頭の中でいったん英語やフィンランド語として考えるクセが今でもあるせいで、そうなると敬称という存在をついつい忘れそうになってしまう。

さん、というのはコーチや監督のように、身分を表す言葉なのだと思ってしまえばいいのだろうが――などと考えると、どうにも敬称をつけるときに口がどもってしまいがちな癖が海にはあった。

 

「キャラで許されていいものと、許されないものだってあるでしょう、正直言って」

「あァー、駄目だ駄目だ。俺の前じゃそのお前さんの丁寧語っ"ぽい"のもやめてくれ。本音っぽく聞こえなくなるからな。変に行儀のいい言葉で俺に接するのはナシだ」

 

清兵衛はそう言いながらケージの前に座りこみ、じろじろと海を眺めた。どうやら、勝手にトスを引き受けたつもりでいるようで、海はそんな清兵衛に促される形で、バットを構えた。

 

「サマになるよな。その構え。背が高くてバットを高く掲げるもんだから、合体モノのロボットみてぇだ」

「バカにしてんのか、褒めてるのか、どっちかにしろよ」

「ガハハ。やっぱそのナリじゃ、その口調のほうが合ってるぞ、お前さん」

おちょくったような態度で、清兵衛はトスを始めた。

何球か普通に投げたあと、清兵衛はわざと少し外に外れるようなトスをしたり、ふわっと高めにタイミングを崩すようなトスをしたりしたが、海は特に動じることなくしっかりとした打点でそのボールを捌き続けた。時折、海自身もタイミングをずらしながら、流して打ったときの感覚を確かめるようにしてスイングを続けた。

 

「なァ、海――佳井海よ。これは別に俺が誰かに言うようなモンじゃねェから、ちょっと大きくでても構わねぇ話なんだが」

「ああ」

「お前さんが掲げる、お前さんの理想ってぇのは、どのくらいの成績なんだ。現実的な数字を言えって言うわけじゃないぞ。大きく出てどのくらいをイメージしてるかっつー話をしてるんだ。まさか、漠然としたイメージくらいしかないわけじゃねぇよな?」

突然、清兵衛は痛いところをついてきた。理想は全打席ヒットを打てればそれに越したことはないが、そんなことくらい誰だって無理なことは分かっている。気持ちだけは全打席ヒットのつもりで打席に皆向かうだろうけれど、自分がどのくらい打てていれば自分に納得するのかなど、海は考えたことがなかった。

「……4割強……理想だけ言うなら、5割打てれば、あとは別に」

そう言って、計画のなさを海はごまかした。

「仮にそんだけ打てれば、おのずと長打を打つ技術も身についてるはずだって思ってるってことか?」

「まぁな。……まぁなというか、そうであってほしいと思ってる」

そう海は本音を漏らしたが、清兵衛は咎めるでもなく、そのままトスを続けた。話しながらも、ケージに向かって海は白球を叩き続けていた。

 

「じゃあ、仮にそんだけお前さんの思うままにバットを捌ける日が来たとしてだ。案外長打がしっくりこなかったら、たとえば、盗塁を仕掛けにいくつもりでいるのか」

「足の速さと盗塁技術は別だから、なるべく使わずにすむようでありたいと思ってるけどね。今からそっちに神経回すには、俺は歳を取りすぎたよ」

「あぁ。それで間違ってねぇ。お前、25だよな。25からいきなり盗塁技術を磨きます、っつーのは、相当努力しないといけねェからな。お前がその気なら盗塁も教えてやってもいいが、お前みたいなのはセカセカと盗塁しまくるよりも一打で魅せるほうが、よっぽど絵になるだろうしな」

「絵になるかどうかで野球なんてできるかよ」

「でも、そのほうが自分でもしっくりくると思ってるんだろ?周りがお前に盗塁技術を磨けって言ってることに消極的なあたりよ」

「そりゃ、まあ」

そこでピタリと清兵衛のトスは止まった。

「じゃあ、話を戻すか。仮に4割打てるほどの自在なバット捌きが身についたとき、お前さんは何本ホームランを打っていたいと思ってる?」

 

パキン!とボールが叩き潰れるような快音が球場に響く。海が打った打球と同じタイミングで、シート打撃をしていた打者の打球が空を切り裂いていた。引っ張った打球は高く高く舞い上がり、ポール際の方向へ――場外へ場外へと伸びていき、その行方は木々によって阻まれた。

150mどころか、160mほどは飛んだのではないだろうか――と取材陣や、キャンプを見に来ていた一般客がざわつきはじめる。

 

「30本打てたら、いいほうじゃないかな。4割なら、シーズン休みなく出てたら250本くらいヒットが必要だろ。自然体なスイングのまま、30本くらいがうまいことホームランになってくれれば、それでいい。別に俺は、あんな奴らみたいな飛距離だけを求めたスイングをしてるわけじゃないから。かといって、250本もヒットが生まれていて、30本くらいホームランが出ていないと、さすがに見劣りするだろう」

「いーや、もっとだな」

清兵衛はじろり、と海を睨むように見つめた。

「お前さんの高校時代の打球を、俺ァ知っている。二塁打打とうとして、打球がそのまま伸びてホームランになった打球が何度かあったよな?」

「……あぁ。あったな、そんなことも」

よくそんな事を覚えているものだ――と海は内心清兵衛のことを鬱陶しく思った。プロでそんな打球が一体シーズン中に何度狙って打てるとおもっているのだ――と口に出したくもなった。

「年間通してスタメンで居続けられる日が来れば、二塁打ってのは多いやつだとシーズン50くらいは生まれる。そのうち、足で二塁打になるヒットなんて、いくらあるかどうかだ。二塁打ってぇのは大体、打ちあがってしまえば、見た目で二塁打だってわかるもんだ」

「ああ。その延長線にホームランがあると思ってバットを振っている」

「なら、二塁打の数くらいホームランが生まれててもおかしいとは俺は思わんね。お前さんの自然体なスイングがいつか、常に二塁打になるような、綺麗で鋭い打球を生むようになってるなら、な」

「……俺が二塁打を狙って50打てるようになってる頃には、同じように50本近くホームランが打てると本気で思ってるのか?馬鹿言え。あいつらですら狙ってシーズン50本台だぞ」

そう言って、シート打撃で飛距離ばかりに喜んでいる打者を海はチラリと見つめた。

「あぁ。お前さんのことだから、4割打てるほどの技術を手に入れてもきっと今と同じように、ランナーをどう進めようかだの小難しいことを考えて打席に立ち続けるんだろうな。それで結局、色々気にしすぎて、理想の打球が打てなくて、ずっとベンチでブツクサ言ってる姿が目に浮かぶようだ」

「なんだよ。結局聞くだけ聞いて、俺のことバカにしたいだけじゃねーか」

「だが――」

清兵衛は不意打ちのようにボールをトスし、海がそれに反応するようにして――それでも、慌てながらも清兵衛のいる方向に打球を飛ばさないように、十分に引き付けてからカットするようにしてスイングをした。

 

「仮にお前さんが4割40本……それも、50本に近いほうの40本をだ。それくらい打つ日が来て、そんな時でもお前がまだ自分のスイングに納得できずに、まだ俺はもっと上を目指せる――なんて一生納得しない、サムライみたいな男になってる未来――俺は嫌じゃないね」

そう笑みを浮かべた清兵衛の表情は、華耶のニッとした笑顔とは全く異なるニヤリとしたものだったのだが、どこか華耶の浮かべる笑顔とそれとはダブって見えた。

どうしてこう、自分の周りにいる人間は自分のことを無条件で持ち上げたがるのだ――海は少し嫌になりながら、吐き捨てるように言った。

「所詮、机上の空論だ。年間5本のホームランすら打ったことのない、それも、晩年ベンチスタートの奴が40本、50本打つ世界なんて」

「ガハハ。夢は大きいほうがいいだろ」

 

あくまで冷静に自分で居続ける海。それを軽くあしらうように、今度は豪快に笑う清兵衛。対照的な二人が延々とそうやってトスバッティングをしている光景は、取材陣にはとても不思議な光景に見えた。

何故あの二人が長々と会話しているのか――そんな風に首をかしげながら、カメラはしっかりと二人を捉え続けた。

 

海はこの1年を勝負の年だと考えていた。順調に行けば4月の中ごろには子供がまた生まれる。あっという間に4人目にもなった子供たちを養うだけの家を考えると、そろそろ稼ぎということも真剣に考えなければならない。

そのためには、今年のより熾烈で、火花がやがて大爆発を生みそうなこのレギュラー争いを勝ち取らなければならない。選手層が厚くなっていく中で自分の存在感をアピールできないようであれば、あとは、昨シーズン末に取得したFA権を行使するくらいしか道がない。

そのFA権だって、今年しっかりと活躍しなければ――どこも引き取ってもらえない可能性だってある。

清兵衛は話を大きく出してきたが、海にはそんな余裕はとてもなかったし、まずは今年しっかりと結果を残してからでなければ到底4割だの40本だの、言える状況にはないように海は思っていた。

 

『お前さんは、考えすぎだ。きっと、嫁さんにも言われてるだろうから俺なんかに言われても、ちーとも嬉しくないだろうがね』

『何も考えずに、自分のスイングをしろ。じゃないと、お前さんの言う自然体のスイングなんてできるわけねェだろ。自分では自然なスイングをしてるつもりだろうが、どう打ったらいいか悩んでる時点でそれはもうお前さんの思うような自然なスイングじゃあねーわけだ。打席でどうするか悩むことができるのは、一丁前になった奴だけの特権だ。そうじゃないやつの打席での悩みなんてモンは、単に自信のなさか努力不足が原因なだけよ。逆に、自分を過信しすぎてるやつは打席で思い悩んだりなんか絶対しねェだろ?』

 

清兵衛の言葉は、生駒よりもさらに遠慮がないものだから、よく耳に残った。

意識一つで結果が変わってくるなら、楽なものだが――そう思いながら、海は開幕戦の行方を、ベンチでその出番を待ちながら見守っていた。

清兵衛のしぶといバッティングを見ながら、果たして清兵衛はあっさりとカウントを追い込まれながらもファウルで粘ってみせたりして――そんな状態でどれほど無心でいられてるのだろうか――そんなことを考えながら。

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