海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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34・疾走る清兵衛は悩める海を活かすか

「――でもさ、それはたぶん本当に気にしてくれてるんだと思うよ」

「そんなもんなのかな」

「そうだよー。気にしない選手に話しかけるほどプロって自分のことに必死で、そこまで暇じゃないと思うし。なんならそれは海くんのほうがよく分かってると思うよ。今までのチームでの話なんか聞いてるとさ。もちろん、そうじゃないチームも、そうじゃないタイプの人もいるけど、海くんの置かれてる環境的には、って話」

 

順調にいけば来週にでも生まれることになる双子を腹に抱えた華耶がソファに座ったまま、海と会話していた。

 

清兵衛はなぜ今になって自分に近づいてきたのか。もちろん、元からチームメイトとはまったく会話をしていないわけではなかったけれど、限りなくこれまでの接点はゼロに近かった。それは清兵衛相手に限ったことではない。

海は部活ですら必要以上にチームメイトとはあくまで部活としてのかかわりだ、というつもりでいたものだから、誰とも親しい者はいなかったし、携帯には当時のメンバーの連絡先は誰一人として入っていなかった。

 

そんな海がプロの世界に進んだものだから、部活とは違って移籍という概念がある以上、明日の身分だって分からないのに必要以上に誰かと親密になることは相変わらずあまりしなかった。

レギュラーを争う同年代同士でつるんで傷をなめあってもどうにもならないし、かといって明日もまた頼れるほどの年上選手だって、長い間続いているバラバラで個人主義のチームの中で海は誰かを頼るということを極端に無価値なものとしていた。

 

信頼を寄せないのと、親密な関係にならないとでのは、同じ関係が希薄なものでも意味がまったく違う。

 

チームメイトとして信頼ができなければ自分の不安定なスローイングだって捕ってもらえないことは分かってるし、そうした部分をおろそかにしているというわけではない。

 

ここ数年、次々とFA移籍で選手が加入してきたり、あるいは、出場機会を求める自分を含めた中堅層が、表には露骨には出さないものの、互いにあまりいい空気を出していなかったり、かねてよりチーム全体が不満として抱えている、監督への強い不信感――。それは徐々に、チームのメンバー同士の『お前がチームの足を引っ張っているんだ』という互いの嫌悪感なんかも生んだ。

よく言う『軍団』というものすら作らずにただただそこに『個人』があるだけの、ドライでかつ、チームという空間ですら味方がもはや敵に近いような、不穏な空気がそこにはあった。

 

ギリギリのところでチームとしての体裁をなんとか保ちながらも、確約されていないスタメンの座を争うという立場や、明日突然誰が公に向かって大声でトレード志願をしたり、オフの間に監督やチームへの不満を理由に大量のメンバーが退団を決めたりしかねない。

そんな空気を分かっているからこそ、誰かとあまり密接な関係になったところで、突然離れ離れなどになって試合で出くわしたりなどして余計気まずくなることを海は嫌がった。

そうなったら、余計なことをまた考えてしまうことだって、自分だって分かっているつもりだ。

 

そんな空間で、言葉なき信頼というものを誰かとかわすことなんて武人のようなことだって、出来る気がしなかった。送球一つとっても、いつも内野の連係プレーには笑顔がないし、互いのプレーを称えるようなことだってないのだから、海もまた、いつしか併殺を決めた際に連携相手に向かってハンドサインを向けることもなくなった。

 

自分のことを考えるだけで精一杯な海にとって、家に帰ってきて華耶と話したり、スキンシップをしたり――そういった、公私の使い分けは海にとっては重要なスイッチだった。

 

もちろん、だからといって一匹狼を貫いて、誰とも関係が希薄なままでいることがあまりよくはないことだとも海も分かってはいる。

では、あまり空気の透き通っていないチーターズの中で、それでもなんとか誰かと徒党を組もうとしたところで、ポジションを争っている内野となどはあまり距離が近すぎてもよくはないだろう。

 

第一、自分と前野との関係があまりよくないものだから、それを大義名分にチームメイト同士でつるんで反旗を翻そうとしているのでは――などと前野や球団の上層部に思われるのもそれはそれで心外だった。自分がきっかけさえあればチームから出ようとしていることだって事実だし、たぶん、海はあまり顔に出さないようにしているものの、チームメイトからしてみれば海がチーターズの中で浮いていて、チームからも早く出ようとしていることだってたぶん、バレてしまっているだろう。

 

まして、誰かとつるもうにも、"丁寧語"というものがあまり得意ではない。

清兵衛は気にしないと言っているが、他の選手が海にとって楽な言い方を許してくれるかどうかはまた別だ――

 

――と、海はそんなことばかり考えているものだから――

 

「大鈴も大鈴で、他にいじれる後輩がいないだけで、それで俺のところに最後に転がってきただけなんじゃないかなって思ってるんだよ、俺は」

「それはよくない考え方だなー、海くん。そんな他意をもって近づいてくる人なんか、大体顔に出てたり言葉に出てくるって。海くんのほうがたぶん……その……そういう悪い人を見てる回数なんか多いはずだから」

「あ、馬鹿にしたね今。そっか……華耶まで俺のことそんな風に思ってたわけ。あ、そう。そうなんだな」

華耶は海の言葉を否定したが、肝心なところで歯切れが悪くなってしまい海に鼻で笑われてしまった。

 

「あっ、別に馬鹿にはしてないんだって!なんでそう卑屈になっちゃうかなぁ~、すぐにさぁ。違うんだよ、海くん。海くんのこれまでを考えると他の人に距離とっちゃうのは仕方ないー、ってことをあたしがこの世で一番理解してるんだよーってを言いたいわけでさ。いやなんかそれもちょっと違うっちゃ違うんだけど、意味合いとしてはまあ……うん。そういうこと」

「まぁ、華耶が冗談で言ってるのは分かってるよ。……他の選手には見せられないよな。俺がこんな無愛想な顔浮かべておきながら、家じゃこんな風に華耶にベタベタなの。正直言って、皆が皆……俺もその皆の一人なわけだけど、皆、華耶みたいにまっすぐで、分かりやすい子だったらいいのにな。……お前たちは華耶みたいにまっすぐに育つんだぞ」

隣に座った海が華耶の大きな大きな腹を撫でながら、語りかける。

 

華耶は海がただでさえ息苦しい世界の中で、まして自分から首を絞めるようなポーズで生きている――というよりは生かされていることに、自分だけが海の本当の姿を知っているのだという優越感と同時に――よほど普段から海が心にダメージを負いながら生きていることを感じると、思いが腹の中にのしかかるような感覚に陥った。

 

「華耶」

「ん?えっ、あっ、海くんちょっと待ってって――」

くい、と華耶の腕をやさしく掴み、ゆっくりと立ち上がらせた海。

なんだろうか、と華耶が不思議に思ったが、海はすっと膝の裏に手を回しいれ、華耶を抱きかかえて持ち上げた。

 

「駄目だって海くん!今年もあんま調子よくないのにこんなことで腰や膝なんか痛めちゃ本当にクビになっちゃうって。海くん、そんなガッシリしてるわけじゃないから今あたしを不用意に持ち上げたらほんとに――」

「……華耶。お前さ……普段、こんなに重いもの抱えて歩いてるんだよな」

「ただでさえ重たいもの2つ抱えてるのに、今はさらにお腹の中に重たいもの2つ抱えてるからね」

「……?……重いもの……?ああ、俺のこと……だよな?」

「……まぁ、うん……なんでもいいよ、そこは……」

「……?なんだよ。分からない奴だな」

かれこれ7、8年もの間自分を抱いていた海ならば自分の身体に抱えている『重たいもの』というものが何を指してるのか分かるだろうと思っていた華耶だったが、海にはまったく通じなかった。

いまいちスッキリしなかった海は眉間にしわをよせ、黙り込んでしまった。

 

「ごめん、忘れて」

「……ああ、分かった。重いものってのは、あれだろ。右脳と左脳の事言ってるんだよな……?脳って思っている以上に重いらしいから」

「あーもう、通じなかったジョークの説明するときほど人間むなしいことないんだからさ。忘れて。ねっ?いい子だから」

「……分かったよ。……とにかくさ。俺……もうちょっと頑張るよ。今までも辛かっただろうけど……双子産むのって、俺が想像できないレベルの辛さだろうし……前にも言ったけど、家とかのことだってあるし」

「なるほど、海くん。ということは、少しはあたしが仕事休んでる間……期待していいのだね?」

「いったい何キャラなんだよ、お前のそれは」

「たまには、ね。ふふっ」

華耶は相変わらず、子供のような笑みで海を見上げながら笑った。

 

幼児用のベッドで寝ている晴留は最近、華耶の顔つきに似てきた。きっといつか自分が、大きくなった晴留をこのようにして抱き上げたときも、同じような顔でこちらを見上げるのだろうな――そう海は思った。

 

~~~

 

〈――代わりまして――バッターは、佳井――背番号――25――〉

 

4月12日。

広島の地で、海はいつもどおり代打のコールを受けながら打席へと向かっていた。試合前には『一応予定日は今日だけど、ちょっと遅くなるかも』と華耶から連絡が来ていた。

こんなときに近くにいてやれたらといつも思うのだけれども、きっと自分がこの仕事をしているうちは、いてやれないだろう。海は新のときがそうだったように、なんとしても今日はヒットを打って華耶に届けてやりたい気分だった。

 

20時53分。局地的な大雨で20分ほど試合開始が遅れた球場は、今まさに試合の流れを左右する大事な場面にあった。

8回表、3点差を追いかけるチーターズ。

一死、ランナー一・二塁。

長打にさえなれば一気に勝利への道が近づく場面で海は打席に立っていた。二塁には、この日6番を打っていた清兵衛が塁に出て、少し大胆なリードを取りながら構えている。

 

一球目の落ちる変化球には思わず手が出てしまい、空振りをとられた。

見逃せばボールになったかもしれない球だが、振らせたくなるほどのキレと落差がそこにはあった。投げるコースがずば抜けてコーナーいっぱい、というドンピシャで投げているわけではないからこそ、下手に振らずにおくと、それはそれでストライクを告げられそうな危うさが常にそこにはあった。落差の大きい球というものは、そういう怖さがある。

 

しっかりと見極めて流して打つ工夫くらいのことは海もしているのだが、落差を自由に操れる投手の変化球というものは、引き付けて打つ打者の対策くらいはしているものだ。

 

いったん、この変化球は捨てるしかない――海はストレート一本に一度狙いを絞る事にした。

同じ狙いで投げ込まれた落ちる球は同じようにコースをやや外れ、ボール。これをうまく引っ掛けてもらってゲッツーに討ち取り、試合を片付けてしまいたいのだろう。

海はわざと、打ちたいような気分でいるそぶりをして、足をわざとらしくダンダンと打席で均した後、一旦打席から外れて普段よりも少しだけ大げさな素振りを二度ほどしながら戻り、バットを上下に何度か揺らし、早く投げないことに苛立ってるような演技をしてみせた。

 

間をおいて投げられたのは、先ほどとは違う、落差の大きいシンカーだった。

どちらかというと横にずれるよりは、縦に割れていくようなシンカーだ。先ほどの落ちる球とのコンビネーションでバットをかすらせて打ち取りたいという作戦なのだろう。思っていたような球ではなかったのか、海が振ってくれなかったからなのか――投手は首をひねりながら、審判から返された球を握ってから、少しだけボールを見つめた。

 

その後、投手はサインに三度ほど首を振った。不機嫌そうに眉間にしわを寄せて、口元をなにか動かしている。思うように意思疎通が出来ず、苛立っているのがしっかり打席に伝わってくる。

渋々首を縦に振った投手は、外角高めにストレートを放り込んだ。

 

いっそ四球にするつもりで歩かせたかったのか、それとも、いったん変化球を忘れさせるために外に直球を投げたのかは、海には分からない。

ただ、そのストライクかボールか、審判によっては判断が変わってきそうなきわどいコースへの直球は、腕の長い海にとっては、振り切ればしっかり届く範囲だという事実だけがそこにあった。

 

『お前さん、腕が長くて羨ましいねェ。外のボールなんかほれ、こんな風に俺が投げてもしっかり打てる』

 

 パキンッ――!

 

『フォワードなんかはもう無理かもしれないけど、今からサッカーのキーパーに転向したら、また違う人生があるかもしれないなって正直言って思ってる』

『馬鹿言え。お前みたいに考え込むやつがキーパーなんかやってたら、試合のテンポが悪くなるだろうが』

 

 パキンッ――!

 

『似合ってるかどうかで言ったら?』

『悔しいが、きっとお前さん、日本代表の青いユニフォームはサマになっちまいそうだな。顔がいいってことは、何着ても似合うってことだからな。お前さん、顔立ちだけは誰も文句つけられねェからな。人を選ぶような服なんかも、お前さんなら何だって着こなしちまうだろう。だが、お前さん、キーパーってガラじゃあねぇよ。お前さんは、もっと目立ってしかるべきだ』

 

 パキンッ――!

 

『だったら、今からでもファッションモデルになってやるよ。そういう華がある仕事しろってことだろ、俺に』

『そうブツクサ言いながらお前さんは俺のこんな外のボールを捌いてしまう。お前さん、もう野球人としてのサガがそこにあるんだわ。お前さんは野球からは決して逃れられねェとこまで来ちまってるんだよ』

 

 パキンッ――!

 

『……馬鹿言え』

 

清兵衛がそんな事を言いながらわざと外にトスしたボールと、投手が放り込んできた高さは、海にはずいぶんと似通ったコースに感じられた。

 

清兵衛もまた、リリースの瞬間、何かを感じ取ったのか――豪快にグラウンドの黒土をあたりに蹴散らす勢いで、バットが白球を捕らえるコンマわずかのタイミングでその俊足を飛ばし始めた。

レフト前に飛ばすだけで、清兵衛の走塁技術ならあっという間にホームへと帰ってこれるだろう。

 

海は確信を持って――いかにしてこの場面、少しでも逆転に結び付けられるか、という思考の凝り固まったスイングで、その白球を2、3テンポずらしてレフトの少し左に落ちるような打球を放った。飛び出した清兵衛のことを考えると、空振りだけは絶対回避しないといけない。

 

清兵衛が突っ込むことを多少考えていたレフトだったが、送球はできず――ボールを持ったまま、左右を見てショートへと中継を行った。悠々とホームに向けて走る清兵衛は、ボールが来ないことを確信しその足を少しだけ緩め、大きく腕を突き上げて大げさな万歳を決めてみせた。

 

ショートは投手に『まだ2点ある』『今のはレフトの判断ミスではない』というようなサインで落ち着かせようとした。投手もまた、ひきつった笑顔でショートに対して頷いた。

 

一方の海は、清兵衛のエンドランをなんとか成功させられたことにほっと一安心した。

慣れている打ち方だったとはいえ、あれほど自分の打撃は考えすぎだ、などと言っていた清兵衛がまさか自分を考えさせるようなプレーをしにくるとは思ってなかったから、一塁にたどり着くころには冷や汗が首を大量に伝っていた。

 

ベンチで清兵衛が海に向かって、海が流し打ちをしたときのフォロースルーの真似をしながら豪快な笑みを浮かべ、こちらに指をさし、海の目線に気づいたのかわざとらしく腕を突き上げていた。

 

「……馬鹿かよ、アイツ」

海は思わず失笑しながら帽子のつばを二度ほどくいっと触り、会釈のつもりで清兵衛を睨んだ。

 

試合後、チームはホテルのレストランで夕食にしていたのだが、海は清兵衛の隣に座って少しでも文句を言いたい気分だった。

 

「きょう生まれた子供にいい思い出話ができたじゃねーか。ガハハ。これが友情プレーってヤツだ、ってな」

「あんたの後ろ打つ側の気にもなれよ。あれが失敗してたら、完全に今日の試合負けてたじゃねーか。俺を戦犯に仕立て上げたいのか、お前は」

「勝負なんてのはな、いつも博打なんだよ。賭けるべきときに賭けられない奴ァ、一生勝てねぇ。お前さんも、少しは命を賭けるべきタイミングがわかったんじゃねェか?」

「1打席で人生が変わるほど、野球の神様ってもんは甘くはないと思うけどね、俺は」

海は清兵衛の言葉を一蹴するようにして乱暴にステーキを頬張り、清兵衛を睨んだ。清兵衛もまた、酒でも飲んでいるようなそぶりで冷えた水を飲み干し、海を見つめた。

 

「だが、今日の試合はお前さんの打席で流れが変わった。そいつぁ事実だ」

「そんなの、言ったもん勝ちじゃないか。俺の打席結果のおかげじゃなくて、お前が好走塁を決めたからっていう風にも捉えられるからね。お前の作戦一つで、俺もお前も、今日はこんな風に食事ができなかったかもしれない」

「ああ。言ったもん勝ちだ。出たとこ勝負で何が悪い。勝とうが負けようが、次の日試合はやってくるんだからよ。言っただろ?打席で悩むのは一丁前になってからにしろ、って」

「……アンタと一緒にいると寿命が縮みそうだよ。正直言って」

「縮んだ寿命はまた、嫁にでも伸ばしてもらえ。お前の活力は、嫁が与えてくれるんだろ」

「まぁね」

 

そう言ってカキ料理を平らげながら、海は携帯に入っていた病院からの留守電と、三葉から入っていた『母子ともに健康』というBINEのメッセージに今一度安心し――今日のようないい話を持って大阪に戻りたいものだ、と思った。

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