3700gで生まれてきた晴留。
3300gで生まれてきた新。
そして、4月12日――ともに2500gで生まれてきた真結【まゆ】と広乃【ひろの】。
ベビーベッドで眠っている二人の姿を見ると、やはり前の二人よりはいくらか小ささを感じるのだが、この二人がつい数日前まで一緒に華耶の中にいたと考えると、よく言う女の強さ――というよりは、華耶の強さというものは自分の計り知れないものがあるように海は感じていた。
開幕戦からホームでの6連戦を迎えていた海は、家に帰るとそうして毎日子供たちや華耶の姿を見て、自分も頑張らなければ――という気持ちにはなるものの、相変わら海はこの春もなかなか出番をもらえずにいた。
それだけ今年もレギュラー争いが厳しいものという現れでもあるし、そこで自分が前野からの信頼を勝ち取れずにいるというのもまた事実だった。
前野のことだからどうやっても自分を積極的には使いたがらないだろうけれど、好き嫌いのレベルで自分を使わないという次元から抜け出せていない自分の力量不足が、海の胸を締め付けていた。
「華耶。今年結果が出せないようだったら……俺、啓皇に一般で戻ろうと思ってる。今から大学に行っても、大学を出る頃には30だ。たぶん……正直言って就職という部分でも来年の入試がラストチャンスだと思ってる。今からどっかで雇ってもらおうとしても、今の俺が直接就職しようとしても絶対最初に来るのは『チーターズで代打打ってた奴』ってしか思ってもらえない。だから……仮に仕事考えるなら、大学行かないとって思ってる。なんでもいいから学歴が肩に乗ってないと、雇ってくれないんだろ、この国は。子供4人養うって考えたら――」
「海くん……」
牛乳をぐっ、と飲み干した華耶は海の背中をばちん!と叩いた。
「っ――!?」
思わぬ行動に海は本気で驚いた様子で華耶を唖然とした表情で見つめた。半分くらい、まだ自分が何をされたか理解が及んでいない様子で、目をきょろきょろさせていたが華耶は構わず話し始めた。
「シケてるなぁ、海くん!いいんだよ。最悪さ、うちの……うちの、っていうか、叔父さんとこの会社で働かせてもらったらいいんだよ。曲がりなりにも日本を代表する大手有名企業だよ?うち。そんなさ、自分を必要以上に追い詰めないでって、あたし普段から言ってるでしょ?」
「……だって、叔父さんの会社ったって……コネだろ、そんなの」
「コネで何が悪いの?あたしの家系に入ったんだから、コネもなにも、家業を継ぐと考えたら何もおかしくないでしょ。だいたいさー、海くん、曲がりなりにもここまで10年くらいプロにいたんでしょ?そしたらさ、プロでしか見てこれない知識や景色があるわけじゃない。それを仕事に生かしてしまえば、たった10年なんて、なんてことないよ。言うほどみんな10年の間、毎日モチベーション高くバリバリ働いてるほどみんな立派な社会人してないから」
「それは……ちょっと言いすぎなんじゃ……」
華耶のやや辛辣な言葉に海は押され、言葉に詰まったが、そんなこともお構いなしに華耶は再び海の背中を軽く叩き始めた。
「とにかく!いーい?海くん。仕事のこと考えるのも、今後の進路のことを考えちゃうのも分かるし、家のこととかお金のこととか考えちゃうのも分かる。野球がうまくいかないこと考えちゃうのも分かる」
「分かってるならさ――」
「そーれーに、大鈴選手にも言われたんでしょ?考えすぎだ、って」
「……それはそうだけど」
「そりゃあもう、考えすぎ中の考えすぎ中なの、海くんは。海くんはさ、海くんで居続けることだけ考えてくれればいいの。現役辞めるなんてのはさ、いつかほんとに自分のプレーができなくなったときくらいでいいんだよ。30まで芽が出ない人なんてこの世界、ザラなんだからさ。それでも、あたしが野球を諦めちゃったときみたいに……本当に自分が分からなくなって、野球っていうか……ううん。自分自身を辞めたくなったら……そのときはあたし、海くんを責めないよ。あたしのわがままで海くんを10年頑張らせた分、あたしも海くんの10年を取り戻すためのことはするからさ」
「でも――」
「『でもそれじゃあ、俺が男じゃないみたいじゃん』みたいなこと言うんでしょ?いいんだよ。家の中くらい……あたしの前でくらい、甘えることなんてさ、バチ当たらないよ。だから、今は大学だとか、自分の取り巻く環境のことなんか忘れて。明日だって、試合なんでしょ?」
そう言いながら華耶は海の隣に座り、海の左腕に自分の腕を組み始めた。
「その明日の試合を前にイチャつきたがる奴はどこのどいつだよ」
「この子たちにもしっかり見せたいなーって。パパもママもずーっと昔から変わらずにこうしてきたんだよー、って。二人とも出会った頃のままイチャイチャし続けてきたから皆が生まれたんだよーって」
「……お前、子供にそのうちヤキモチ妬くんじゃないぞ」
「妬ーかーなーいーよー。世界で一番海くんを愛せて、一番海くんを幸せにできるのは自分だけっていう自負が、わたくしにはありますもので」
「何キャラなんだよ」
「多少浮気されようが、他の女の人と腕を組まれようが、ある日突然なりゆきで女の人抱いちゃった、女の人に押し倒されちゃってそのまま抱かれちゃった、なんて言われてもわたくし動じません。最終的にわたくしのもとへ海くんが戻ってくるという自信がございますので」
必要以上にゆとりを持ちながら手元にあった新聞紙を丸めて華耶は手元で仰ぎ、わざとらしい笑みを浮かべてみせた。
「だから、それは何キャラなんだよ」
「日曜20時のテレビによく出るほら――あの夫人みたいな」
「……行動力は確かにちょっと似てるかもしれないな」
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5月に入り、今年も前期混合戦の時期がやってきた。
今年は前期混合戦のほうで指名打者制を取るということもあってか、海は再びスタメンに昇格した。
打力を買われたというよりは、混合戦に入る少し前、内野のレギュラーが一人調子を崩し、しばらく欠場することになったために昇格したという形なのだが――どんな形であれ、スタメンに呼ばれるというのは海にとってはまたとないアピールのチャンスだった。
打撃偏重になってしまったチーム事情もあって、一応内野ならすべて守れる、ということがまさか自分にとってプラスの材料になるとは海は思っても見なかったので驚いた。
まさか打力ではなく、別に自分の中では得意というつもりではない守備を評価されてスタメンに昇格する日が来るとは――。
それほど打撃にもう期待されていないのだろうか、という思いもあったが、相変わらず定まらないスローイングに不安を覚えながらも、海は『3打席あれば1安打打つだけでいい』という思いを胸に打席に立ち続けた。
二試合続けて4打席1安打に終わった海だったが『それでも無安打ではなかった』ということをプラス材料として捉えるようにした。
自分のヒットは勝利に繋がらないと前野はずっと言っていたが、1番を打たされている以上、どんな形であれ出塁すれば一応の任務を果たした事になる。文句は言われないはずだ。
相変わらず、海はその足を積極的に生かせるタイプではなかったが、2番――自分の後ろに清兵衛がいるという強い安心感があった。
派手なスイングや構え方をしながらも、そのプレーはおおむね堅実なプレーが中心だった清兵衛。奇抜なプレーをすることはあっても、それは『たまにやるからこそ効果がある』というスタンスでいた清兵衛は、本当の意味で変幻自在なプレーヤーだった。
バントも得意だったし、一発を狙ってもいいような状況にありながらも華麗なバットさばきで相手の裏をつくような逆方向へのヒットを決めにくる――ある意味では、清兵衛のそうした相手の裏をかくバッティングは、自分のものと少し似通ったところがあるように海は思った。
まっすぐ走るだけなら足の速さはおそらく清兵衛とはそんなに変わらないはずなのだが、盗塁技術や、相手のクセを読む力、そして、走塁技術が圧倒的に海よりも優れていた清兵衛。そのセンスは球界でもトップクラスのものだった。
この手のプレーには身体能力とは別にセンスが必要だということを、海はここ最近清兵衛を見るたびに感じていた。
まして、ここ最近はチーターズの中で走塁や盗塁の手本になるようなフットワークの軽い選手は清兵衛くらいしかいないほどには重量級の選手が多かったから、リーグ全体で言ったら清兵衛の脚力というと上から5番目くらいとはいえ、清兵衛の機動力は海にとっての身近な世界では特別抜きん出ていた。
「よぉ色男。調子よさそうじゃねェか」
試合前に軽くスローイングの調整を行っていた海のもとに清兵衛がやってきた。
「後ろにあんたが控えてるからね。プレッシャーをあんたからかけられなくて、気が楽だ」
「ガハハ。俺にお世辞を言っても何も出ねェぞ。どうよ、1番を打つ気分ってのは。気楽か」
「まぁ、塁に出ることだけ考えたらいいから、気楽だね。初回先頭打者っていう重みは感じるけど、代打のときほどプレッシャーにならないね。次の打席が誰よりも先に回ってくるんだから」
豪快に笑った清兵衛は、自分の膝を叩いたあと、海の左肩を叩いた。右肩を叩かない気遣いくらいはできるらしい。
「お前さん、メンタルが強いんだか弱いんだか、分からんな。1番打者ってのも、普通は結構プレッシャーになるもんだが」
「前にランナーがいる確率と、絶対に塁に出ないといけない場面に出くわす確率考えたら、1番っていう重みなんて、全然だね。今の俺は、率を残すのが第一だから。ランナーを帰すことまで考えなくていいのは、楽だよ。さっきも言ったけど、後ろにあんたがいるから楽だしな」
「ガハハ。お前のために打ってるんとちゃうぞ」
清兵衛のわざとらしい関西弁に海は特に反応せず、素振りを続けた。
「分かってる。でもあんたは、状況によって打ち方を器用に変えられるからね。あんたが思ってるよりもずっと、前の打者はやりやすいと思う」
「おいおい、褒めても何も出ねェっ言ったからな、俺ァ」
「俺があんたから何か見返りが欲しくてあれこれ言ってるように見えるか?」
「ま、確かにお前はそんな性格じゃあねェワな」
清兵衛はそう言って笑い声を上げながら、海に背中を向けた。海はそんな清兵衛を特に振り返るでもなく、ちょっとしたフォロースルーの確認を続けていた。
初回、海は外に逃げるシンカーをうまく流し、レフト前へと運んだ。その後チーターズはエラーと二つの犠打で一点を先制し、続けざまにライト前へのタイムリーであっという間に2点をもぎとっていた。
次の回には早くも打席が回ってきたが、フルカウントからきわどいコースへの直球が外れ、海は一塁へと足を運んだ。
続けざまに清兵衛も再びフルカウントとなり、同じように放たれたきわどいコースの直球を見逃して一塁へと歩いていった。
結局この回は得点が入らなかったのだが、ベンチへと戻っていく際に海は思わず「お前、四球の出し方まで真似すんなよ」と清兵衛を小突いた。「真似したのは俺じゃねえ。あの度胸のねぇピッチャーのほうだろうが」などと小突きあい、久々に試合中に笑顔を見せた海。その様子はしっかりとイニング間のCM前にカメラにおさまっていて、家で試合を見ていた華耶と三葉は『あれ何言ってるんだろうね?』などと話し合っていた。
一方で、海は内心冷や冷やしていた。
初回、それもプレイボールと同時に放たれた初球打ちが自分の守っている二塁の定位置正面へのセカンドライナー。その後は2本のヒットが自分の守備範囲の少し横。2回にもセカンドゴロ。5回には二度、セカンド方向へのフライアウトとゴロアウト。6回には自分のジャンプ力よりも少しだけ上をすり抜けていったライトへのヒット。そして、ランナー一・二塁を置いた状態での3-4-3のダブルプレー。
「たぶん、君はこの試合、狙われてると思います」
そう冷静に話す守備コーチの小室。
海のスローイングに不安が残る事はもう相手11球団には隠しようがないくらいに知れ渡っている。この試合、1点を追いかけるベアーズが――それも、スタメン復帰して間もない海を多少意識して突いて来ても不思議なことではない。
「ファーストが一塁ベース踏まずに先にこっちにボール投げてきた瞬間、心臓止まるかと思いましたよ」
海はベンチで水分補給をしながら、隣に座っている小室に小言をぼやいた。
「でしょうね。一塁を踏んで確実にひとつアウトにするべきか、先に二塁を潰して、仮に一塁をアウトにできなくても得点圏を潰すべきなのかは、判断に困るところですかね、あの場面。まあ、結果ゲッツーになっただけでもよしとしましょう。ゲッツーはゲッツーですから」
特に一塁手も、海の守備も咎めるでもなく小室はそう言って腕を組みながら――
「ところで君、久々の猛打賞がかかってますね」
などと話題を切り替えた。
「……猛打賞なんて、それが勝利につながらなきゃ意味なんてないじゃないですか、正直言って。だから監督【アイツ】だって俺のヒットを意味のないヒットだって馬鹿にしている」
「ですが、今日初回の得点はあなたのヒットから始まってるんです。決して意味のないヒットじゃなかったでしょう。少なくとも今日のヒットに関しては、君はその殊勲を誇るべきだと思いますよ」
「どうだか……」
「今のうちに、お立ち台、考えといたほうがいいですよ。このまま勝ったら、君がお立ち台に呼ばれるでしょうから」
「それは、このあとうまいこと猛打賞取れたらでしょう、そんなの」
「……君、この試合で猛打賞を取るくらいの気概がなければ、来年の今頃も、このままですよ」
「分かってますよ、んなこと」
小室の小言に毒づきながら、海はネクストバッターサークルへと向かっていった。
要するに、このプレッシャーに打ち勝てないようならレギュラーはまだ遠い――小室はそう言いたかったのだろう、と海は考えた。わざわざこのタイミングで猛打賞の話をするくらいだから、単なる表向き激励をしようとしただけではない――海はそう確信していた。
6回裏、二死、1対2。
1点リードしているとはいえ、もう1点は欲しいところだ。アウトカウントと試合の流れから考えて、恐らく、次にもう一度打席が回ってくるときは、よほど打線がうまく回ったときか、逆転された状態で9回を迎えるかのどちらかだろう。
そう考えると次の1点は大きい。こんな場面で出塁できなければ、それこそ代打でいつも凡退して帰ってくるのと同じだ。
この打席の『いつも見てきた景色』感、そして『いつも乗り越えられなかった景色』感が、海へプレッシャーをかけた。
初球、控えめな振りかぶりから放たれたボールは――内角のさらに内から、手元をえぐるようにして切れ込んでくるシンカーだった。大きく曲がって、見逃せばストライクとなりそうだ。
流せばヒットになるだろうか――少し強引に打った打球は三塁側へ大きく逸れてファールとなった。
あのコースに投げられては、なかなか厳しいだろう。
続けて投げたボールは、低めの外に逃げるようなストレートだ。縫い目がしっかり見えた、きれいなストレート。外いっぱいに投げたかったのだろうが、腕の長さがしっくりくる外のボールに、海は思わず『絶好球だ――』と声に出そうになった。
こういうときだけは自分の背の高さや恵まれた体格を海はありがたく思った。
自分が生まれたとき、果たして父親は何を思ったのか分からないし、母親とはどういう関係で自分を産んだのかは分からない。
今からでも母親に連絡を取れる状況だったなら、いつか自分の生い立ちというものを真剣に聞いてみたいものだった。
この一球は、自らを産み落とした母親に捧げるよう――海は普段どおり、流れに逆らわずしっかりとしたタイミングでその白球をバットに乗せ、セカンドとショートの合間を引き裂くような打球を放った。
このセンター返しを毎打席打てるようになれたなら――と海は思いながら、一塁で控えめにファンの声援に向かって手を振った。
球場に響く、ウグイス嬢による猛打賞のコールもずいぶん久しぶりに思ったが、ひときわ賑わう球場に今一度手を振り――一昨年の好調が決してまぐれではなかったとアピールしたい気分を押し殺しながら、そのまま一塁で控えめにリードを取った。