海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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36・今はただ、ヒットの山を

〈きょう4打数4安打、そして1つの四球という文句なしの成績を残しました、佳井選手です――!〉

〈――ありがとうございます〉

〈――10割男の復活ですね〉

〈いやまぁ……あの時は今よりもっと長打を打てていたので、あのときよりだいぶ小さくまとまってしまったなあとは思います〉

〈ですが、ファンが望んだ甲子園の地での全打席安打です。この姿を見たくて球場に通ってるファンの皆さんだっているでしょう。今一度、ファンに向けてお願いします〉

〈正直言ってちょっと不甲斐ない成績が続いているので、これをきっかけにもっとたくさん打てるようでありたいと思います。スタメンで使ってもらえてる間は自分をアピールできるような打球をたくさん打ちたいですね〉

〈ご自身の応援歌にも、唯一の高みという歌詞がありますが、理想は高く高く、ですね?〉

〈……一応代打でベストナイン獲ったことがあるので、さすがに去年みたいにずっとスコアボードに1割2割をうろうろしてる打率がずっと映ってると辛いので。シーズン終わるくらいには4割近くを期待させるような数字が残ってるといいなと思いながら頑張りたいです〉

〈さて佳井選手、先日、双子のお子さんが生まれたそうですね。4人目となったわけですが、パパとしてどうでしょうか〉

〈こないだこの球場で打席に入ろうとしたときでしたかね、ホームランの数より子供の数のほうが多いぞって野次が飛んできたんですけども。そろそろホームランと子供の数を比べられるような選手からは卒業したいですよね――〉

 

「ねー、かっこいいね、パパねー」

「パパかっこよかったねーって、おかだせんせーとね、むとーせんせーがゆってた。あとね、えーかいわのね、がやせんせーもやきゅーみてるってゆってた」

「へー。先生もパパ見てくれてるんだ」

「おかだせんせーもね、むとーせんせーもね、けっこんはやくしたいなーっていってたよ。パパみたいなひとがいたらいいのになーっていってたよ」

「それはー……そうだね、パパみたいな人はあんまりいないだろうからね」

「パパおっきーからね」

「あぁ、うん。そうだね……確かにあのくらいの背もあんまりいないもんなあ」

 

 凍て付く森が産んだ白きサムライ――

 

あるテレビ局が、選手紹介の前口上として海にそう与えた二つ名だ。

 

来月の末には26歳を迎えるかどうかという、若々しさと成熟具合とがちょうど入り混じった年頃のその海の姿は、結果がどうであろうと期待を抱いてしまう――端正な外見という大きなアドバンテージがそこにはあった。

既に高校時代の活躍を覚えていない者も出始めている中、『佳井海』というそのルックスと、決してブレない態度だけは地元メディアでもよく使われたし、最近はファッション雑誌やCMで目にした――という者も少なくない。

 

〈ジェーシンで、ギターを買おう〉

〈今なら、チーターズ柄のギターが当たる! ジェーシン♪〉

 

「ねー。なんでパパ、ギターもってるの?」

「パパはね、ギターも得意なんだよ」

「ギターとさー、やきゅーとさー、どっちがとくいなの?」

「えー?どっちもだよ?」

「ええ!?どっちも!?」

「パパに聞いたら、パパは絶対ギターって答えるからね。ママは、どっちも得意だよって思ってる。パパ、すごいんだよー」

「へー!」

 

4月から晴留は幼稚園に通うようになった。明るい性格は華耶に似たらしく、特に激しいイヤイヤ期というものを経験しないまま毎日送迎バスに乗せられて幼稚園へと送られていく。

 

家では華耶が録画した試合などをよく一緒に見ているものだから、晴留は海が普段家に居ないことを不思議に思わなかったし、仕事で大変だということも子供なりの世界観でよく理解していた。

幼稚園では地域柄ということもあってか職員にチーターズファンが多くいることもあり、海の話はたびたび園内でも話題になった。自分の父がテレビの向こうで活躍していて、それが他の園児だとか、保育士の間で話題になっているということが晴留には嬉しかったし、そのおかげで寂しいと思うことはなかった。

 

前期混合戦、12試合の間の打率は.537――その間、猛打賞4回。決して去年のベストナインはまぐれで獲った物ではないと証明するかのように集中してヒットを量産し続けた海。

それでも、前期混合戦が終わり、指名打者制の試合が終了したと同時に、海は当たり前のようにレギュラーを剥奪された。レギュラーから再び外すという旨も、直接前野から海は聞かされていた。

 

レギュラーが安泰だと言われていたFA加入選手ですらここ最近はスタメンから落とされ、代打で出場を待つという状況がこの数日続いているというのに、ちょっと二塁や遊撃が守れるからというだけの理由で自分が混合戦が終わった後もレギュラーで居続けられるわけがない。

それこそ、冗談でもなんでもなく、今の自分の力ならば4割どころか5割付近を打ち続けていなければ前野はきっと自分をスタメンで使いはしないだろう。

晴留が野球をなんとなく理解できるようになるまでには、できれば試合くらい寂しい思いをさせないようにスタメンには座っていておきたい――そう思っていた海だったが、生活がかかっているのは自分だけではない。

 

結果で示せばいいのだ――。

 

この何週間かの間、本当にそうして5割を打つことが出来たのだから、このペースで年間打ち続けてしまえばいいのだ――数日の休養日を挟みリーグ戦が再開してからは、海はそういった強い意気込みで試合に挑み続けた。

いつ出番が来るか分からないという状況下で、しかも、1打席というチャンス――。

最初のうちは力んでいた海だったが、それでも、混合戦で5割を打ったという自信が、海の中では自分のスイングは間違っていないという強い自信に繋がった。

ランナーがいないときは、あくまでも、試合開始直後の1番打者のつもりで打席に立てばいい――そう発想を転換させることで、海は徐々に落ち着きを取り戻していった。

 

『お前のヒットは勝利に繋がらない』

 

かねてからそう前野は言い続けていたが、自分の出塁から得点のきっかけになる場面や、チャンスを広げるような場面は徐々に増え始めた。

それでも勝ちきれない試合が多いのは、今年のペナントレースがそれほど壮絶な順位争いの中にあるからだろう。一時期は首位争いをしていたチーターズだったが、いつどこがどうBクラスに落ちてもおかしくないほど、順位は二位から最下位までがびっしりと団子状になり、かつてないほどの接戦が続いていた。

 

首位のエンペラーズが頭ひとつ抜けた状態だが、とはいえ今年のリーグ戦は何が起きても不思議ではない――それこそ、むしろこういったシーズンこそ後世に伝えられてもおかしくないことが起きるのではないか――そんな激戦が毎日のように繰り広げられ、シーズンは流れていった。

 

「――でもさぁ、すごいよね。最後の3連戦残して、試合結果次第じゃ5位が2位まで浮上する可能性あるって」

「逆言うと、この3連戦ひとつでも落としたら俺たちはポストシーズンに行けないかもしれないってことだからね」

「こんなシーズン、いつか仕事でも出くわしたらきっと燃えるんだろうなあ」

「華耶は黙ってしっかり仕事休んでてくれよ」

「えへへ」

 

昨シーズン3位でシーズンを終えたチーターズはポストシーズンに挑んだものの、あっという間にレッドフィッシュに2連敗を喫し、その短期決戦を終えていた。

 

優勝争いとは別にポストシーズンというものがあって、それに勝つ事によってようやくBBLシリーズ――リーグごとの王者同士の決戦が行われる、というこの国の野球を取り巻くルールに、海は分かりづらさを感じていた。

もちろん、聞けばアメリカの野球なんかもこうした文化があって、そもそも野球そのものがこうしたプレーオフありきのスポーツらしいのだが――優勝を目指すべきなのか、いわゆる『下克上』と呼ばれる、シーズンは優勝できずともこのシリーズ戦だけを考えればいいのか――。

優勝したところで短期決戦を落としてしまえば優勝なんて意味がないものではないか――。

 

当然、優勝したチームが有利には変わりないルールで行われているものだし、優勝したチームはポストシーズンを戦い抜ける力があるからこそシーズン通してずっと強かったのだということくらい分かる。それでも、短期決戦というものは何が起きるか分からないものだ。

 

そう考えると、果たして、とりあえずはポストシーズンに出場できる3位以内ならなんでもよいのか、とりあえずポストシーズンは何が起きてもおかしくないのだから、リーグ優勝を目指し、ポストシーズンは『そういうもの』と割り切って、とりあえず体裁としてだけのリーグ優勝を大事にしていればいいのか――。

あるいは、ポストシーズン安全圏にさえ入ってしまえば自分のことだけ考えて個人成績だけ考えていればいいのか――。

でもそれでは、あまりにシーズンを争う意味がなさすぎないか――。

 

シーズン残り3試合になってまで順位が確定していないほどの混戦の中で、海は今、そして今後もこうして戦い続ける意味をふと考え込んだ。

 

『あたしの代わりに、あたしが見たかった景色に行って欲しいって思ってる――』

 

華耶が本当に見たかった"景色"とは、なんなのだろう。

そんな事を本人に聞いたら、自分が野球をやり続けているだけで十分だ、ときっと華耶は言うだろう。

だが、華耶が本当に喜ぶのは――華耶が見たかった景色というものは、自分が優勝する姿なのか、それとも、どんな結果であれ、下克上を果たしてシリーズを制することなのか――。

 

いつか、自分が納得するような打撃ができるようになったとして、納得のいく成績でシーズンを終えられるようなときが来たとしよう。きっと、そのときは華耶が心の底から祝福してくれるだろう。

だが、そのときも、自分のヒットが勝利に繋がってないままだとしたら、華耶は本当に自分の活躍を心の底から喜んでくれるだろうか?

自分の数値化された成績を見て喜んでくれるのは嬉しいけれど、そんな短絡的なものばかり追い求めていていいのだろうか――?

本当に、自分が自分らしく野球をやり続けているだけで華耶は満足なのだろうか――?

 

「――海くん。海くんってば」

「……ああ、ごめん。何?」

「まーたなんか難しそうな顔しちゃってさ。ポストシーズンに絶対出なきゃ!とか考えてたんでしょ」

「……別に、そういうのとはまたちょっとだけ違うんだけどさ」

「じゃあ、なんかそういうことが絡む何かを考えてたってわけだ」

「まぁ、うん」

 

まさか、華耶がかつて自分に対して言った言葉の真意に対して考え事をしていたなどとは、華耶のことを考えたら、到底言えるものではない。いつの間にか自分の世界に入っていたことを華耶に笑われながらも、海はその真意を話そうとはしなかった。

 

今やるべきことは、自分の仕事をこなすことだけだし、それを続けていればいつかこんな事を考えなくても、華耶は満足してくれるはずだ。

清兵衛が言うように、華耶が言うように、生駒や小室が言うように、自分は考えすぎなのだ。

 

「どうせ、あれでしょ。打率の割にホームランが一本も出てないこと、気にしてるんでしょー」

「それは……あんまり気にしてないよ。今年はとにかくヒットの数を最優先しただけだし」

 

結局、好調をキープしていたにもかかわらず今年はずっとスタメンに上がれずにいた海は、混合戦での貯金や、その後定期的に訪れた好調の貯金があり、打率は一時期5割に迫ろうとしていた。

 

立っている打席数が少ないのだから参考にしかならない打率ではあるが、スポーツ誌にて簡易的に載せられた.472という今年ここまでの打率が、昨シーズンあれほど苦戦した、少し質の変化したボールに完全に適応したという事実とともに、その数字の異彩さを放っていた。

 

「実際、どう?仮にこのままスタメンに上がれたらどのくらい打てそうとか、ある?」

「それは、スタメンになってから考える事だろ。でも、これがまぐれだとはやっぱ……思ってほしくないよね、正直言って。本当に5割近く打ってやってるのに、こんな大事な3連戦ですらスタメンで使うって言ってもらえないくらいだから……ここまでくるともはや好き嫌いの問題だよ。好き嫌いでスタメンを選ばれたら、もう出て行く以外どうしようもない」

「でもさ、こんなの言ったら海くん怒るだろうけどさ」

「うん?……なんだよ、そんな切り抜き。やめろよ」

 

華耶が海の前に見せたノートに、海は思わず露骨に嫌がった。

自分の写真や、新聞に使われた見出しをスクラップしたノートだ。きっと、毎日新聞をチェックして作っているのだろう。

 

「言っとくけど、これとは別にパソコンに別にデータとしてもあるからね」

「うわ……やめてくれよ本当に。なんかそういうの……なんだろう、痛いファンみたいだろ」

「愛人でもあり彼女でもあり妻でもあり、海くんの一番のファンですから。あたしは。痛くて結構」

ふふん、と鼻を鳴らしながら得意げにしてみせた華耶の姿を海はまた嫌そうな目で見つめた。

 

「言ってることがまんま痛いファンのそれじゃねーか。彼女でも愛人でも妻でもなかったらいつか事件起こしてそうなやつじゃないか」

「えへへ。でもさ、海くんさ……20時半の男、って呼ばれてたりさ、代打で出てくるときのあの球場の空気とかさ……あたしは、あれはあれでかっこいいと思ってるよ。嫌味とかじゃなくてさ、本当に。海くんがスーパーサブ向きじゃないのも分かってるし、それじゃ勿体無いのも分かる。でも……海くん、たぶん自分が思ってるよりもさ、今の海くん、ほんとかっこよくなったと思うよ。また一段と」

「……ふーん。……ありがとう」

華耶の表情を直視した海は、あっさりとその言葉を流そうと思ったのだが――ぎこちなくそう言葉を返し、そのまま黙り込んだ。

 

「照れてるんだ。これは子供には見せられませんなあ。パパの威厳というものがまるでないですなあ」

「なんだよ。こういうときだけお姉さんぶりやがって」

「実際、お姉さんだからねえ。ふひひ。……あっ、ちょっと――後ろから抱きつくのは駄目だって――」

からかったはずだった華耶は、すぐさま隣に座った海に両手で持ち上げて拘束され、身動きが取れなくなった。

 

「ねーえそうやってさー、何かあったら体格差で分からせようとするの海くんほんと……子供っぽいよ」

「お前の前では子供でいいんだろ、俺は」

「それは……まぁ…………うん。嫌じゃない、けど……さ……。あれだよ。展開が急すぎるんだよって!」

海の言葉に流されそうになる華耶だったが、いつもこんな風にしてベッドに運ばれたりしていることを思い出し、海の腕のなかでじたばたとしながら――それでも、自分がこの男の女なのだ、ということを改めて自覚したりして、華耶の気分は秋の天気のようにころころと入れ替わった。

 

「ちょっと。5人目にはちょっと早いんじゃない?」

トイレに起きてリビングへとやってきた三葉がその様子を見て、からかうようにしてつぶやいた。

「お母さん――」

それをまじめな目でいったん見つめた海。

そういうところはあまりからかうべきではない――とでも今にも言い出しそうなシリアスな声色に、華耶は思わず首を回して海のほうを見つめた。

 

「6人目になるかもしれないじゃないですか」

「海くん!!」

「ははは。それもそうだね」

「お母さんってば……!!」

海の言葉に笑い声を上げながら、満足げに二人の様子をじろじろと見つめ――満足したのか、笑顔のまま三葉は寝室へと戻っていった。

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