海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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37・運命のFA権

 やってられへん!

  華の中堅豹戦士、一斉FA宣言 崖っぷチーターズ

 

ある朝、地元紙の1面に大々的に打たれた物騒な大見出しの写真の中には、ひときわ背の高い男が混じっていた。

端正な顔つきと、紙面でもはっきり分かる、輝きの強い金髪だけでもそれが誰かは分かってしまうのだが、隣に他の選手が立っているものだからそれが余計にその男――佳井海の存在感を強めていた。

 

FA権を取得した、あるいは既に権利を持っていたいずれも25~6歳の中堅内野手4人が一斉にFA権を行使したのだが、これが決して自球団の評価を聞きたいがためだけにFA宣言をしたわけではない、ということは球界にもそれなりの衝撃を与えていた。

 

『そもそも、内野の中堅どころがもっと前へ前へ出てきてくれてたなら勝ちきれない試合はここまで多くなかった。数だけ多くて、どいつもこいつもドングリや。使えへん』

 

ポストシーズン出場がかかっていたシーズン最後の3連戦、あと1勝に泣いたチーターズは3位とわずか1ゲーム差で出場を逃した。

仮に勝利数で並んでいたならば、直接対決で18勝6敗と大きく勝ち越していたチーターズが繰り上げ3位になっていただけに、地元メディアや地元のファンはその落胆を隠せなかったし、恨んでも仕方のないことを恨みもしたし、想像したところでどうしようもない『もしポストシーズンにさえ出られていれば』という想像をしてやまなかった。

 

そうした中、監督の前野への取材で明らかになった中堅内野手への八つ当たり発言が大きな波紋を呼んだ。

中堅内野手の多くはFA権を行使する権利だけは一応持っていたから、使うなら今しかない――と、レギュラー争いをしていた中堅全員の思考がダブるというまさかまさかの最悪な状況が起きてしまった。

 

ここ数年、レギュラーとして一定の地位がありながらも、前野のそのあまりに身勝手な起用法に散々振り回されていた2名すらもFA権を行使するくらいだから、市場はそれはそれは賑わった。かつてないFA市場の豊作――そんな言葉が紙面やニュースをにぎわせた。

 

中でも、遊撃手のレギュラーだった者はすぐさま球団から慰留するよう、契約金やその契約条件が高く積まれていた。金額の詳細は明かされなかったものの、どうしても球団としては残って欲しいという部分があったらしく、オーナーが『どうにか残ってはくれないか』と漏らしたなんて記事すら飛び交った。

 

それでも本人としては、一秒でも早く球団から出て行きたいという思いのほうが圧倒的に強かったらしく、契約条件では劣っていたはずのコンドルスへと早々にFA移籍を決めた。

2年1億8850万――他球団より契約面でやや後れを取っていたこともあり、まさか契約が決まるとは思っていなかったコンドルスのオーナーが『親会社が運営している通販サイトのポイントを上乗せしなければ』だとか『特別セールでも開かなければ気が済まない』などと嬉しそうにコメントし話題を呼んだ。

 

同じリーグのスカイクロウズもまた熱心にこの市場に目をつけていたようで、今シーズンは代打に甘んじた回数こそ多かったものの、今年も快調に豪快な一発を打ちながら、スタメンとして出場した際には三塁と一塁をたびたび守っていた準レギュラーは、本来獲得したかった遊撃手のレギュラーが獲得できなかったことからこちらへの契約を少し上積みし、2年4億円での契約を決めた。

 

二人とも、FA宣言をしてからあっという間の出来事だった。

 

その一方で、海の契約は難航していた。

 

どこでもいい、というわけでもない。華耶の実家のことや、今後のことを考えると関東圏に戻ってしまいたい――という思惑はあった。

 

今シーズン、そのほとんどを代打で過ごしながらも最終的に打率を.476で終えた海は、その契約内容にも、自分の持つ将来性にも自信があった。

しかし結局この年、代打部門のベストナインは受賞できなかったし、確実性のある打撃を持ち味にこそしているが、どこの球団も、内野全てを守れるだとか、打席数こそ少ないが4割半ばを記録しただとか、そういったものよりも、結局のところは一発のほうが魅力的らしい。

それでも遊撃手が大型契約を結べることができのは、結局海よりもはるかに優れた遊撃守備なんかができるからなのだ。

 

FA権を行使しスカイクロウズへ移籍を決めた準レギュラーが、今年の代打ベストナインを受賞したことに異議はなかったし、結局、長打力で張り合う事になったときには絶対自分は勝てないというのが現状なのだ。仕方がない。

とは言え、5割にも迫るかという打率をまぐれで残せた成績ではないという自負があった海にとって、12月を回っても球団からは連絡のない日々は、海の神経をすり減らした。

 

内野守備だって守ろうと思えばどこでも一応守れるようになったし、年間で使ってもらえれば首位打者だって夢ではないくらいにはヒットだって量産できる。

一発が打てないだけで、あとは自分の何が不満なのだ――やはり自分が本当の意味で日本人ではないことが不満なのか――海は華耶に見せないように、時折クッションなんかに八つ当たりをした。

 

「在京球団だったらどこからでもいいよ、なんて言ってた俺がバカバカしいよ。子供たちに見せる顔がないね、こんなんじゃ」

「大丈夫だって海くん。期限の1月の頭までは一応、何が起きるか分からないんだしさ」

「俺が普通の選手だったならね。分かってるよ。俺は結局、"イロモノ"扱いされてるってことだろ」

「そんなこと言わずにさあ」

 

交渉の連絡があり次第すぐに関東圏の物件を探せるように、11月初旬にFA宣言をしてから数日後、長野にある華耶の実家に海一行は移動していた。

滅多に会えない華耶の父、竜匡――子供たちからしてみれば祖父との会話だとか、広々とした自然だとか、家だとか――晴留も新も、華耶の実家には満足しているようだった。

 

里帰り入園として短期で通っている幼稚園もおおむね満足しているようで、関東圏のチームに移籍さえできれば、いっそ子供たちは長野でゆっくり育てるという手もあるのでは――という気持ちさえあった。

だからこそ、レギュラーと同じように、自分もこの期に乗じて移籍を目論んでいたのだが――現実は甘くない。

 

「代打の成績なんてものは生ものだから、去年調子が悪かったように、来年また同じように調子を崩されちゃねえ、とかいう評価をもらったとこもある。内野は余ってるから、外野に回ってもらえるならひょっとしたらスタメンで使うかもしれない、なんて言われたとこもある。あとは……忘れた。要は、今現在の俺はどこも要らないってことなんだよ。だったら、チーターズから仮に出て行けても、また準レギュラーかどうかくらいの同じ未来しか待っていない」

監督と揉め事起こすような選手はちょっと、なんて言われたとこなんかもあるよ――という言葉を海はぐっと飲み込み、手を組みながら前に背を傾け、首だけは華耶に向けながら、力なく笑った。

 

「関東圏のチームからの連絡はどうだったの?」

「仮に関東圏のチームからの連絡だったなら……それでもいいから提示をくださいって言おうと思ったけど。引越しの事とか考えたら……そう簡単に他には行けないよ。明日だって保障されてないっていうのに――」

「――見返そうよ」

 

華耶の口から飛び出したのは、意外な一言だった。

「見返す?」

「そう。見返すの。今、海くんは思わぬ形でレギュラーを手にしようとしてるんだよ、何気に。二人出て行くってことは、そういうことでしょ。さすがにここまで来て海くんをかたくなに使わないってことは、さすがにあんな監督にもできないはずだよ。ファンから何されるか分からないよ、そこまできたら」

「何気に、は余計だろ」

「いーや。ちょっとだけ言わせてもらいます。何気に、はわたくし、撤回いたしません。あんな監督だからこそ」

抱っこを求めた新を、座りながら腕で抱きしめて拘束する華耶。

時折、新をからかう様子であやすのだが、海を見つめる表情は口では冗談こそ話しているが、真剣そのものだ。

 

「叔母さんやお母さんに迷惑かけてるって思ってるんでしょ?そういうのは海くんが考えなくていいんだって。うちは一家総出で――佳井家久々の野球選手を全力でサポートするっていうプロジェクトがあるんだから」

「……それ、初耳なんだけど」

「今ここに、海くん補完計画と名づけよう」

「名づけなくていいよ。補完なんてさ。まるで俺が色々足りてないみたいじゃないか」

「……あれ?ひょっとしてこう……ちょっとしたネタ、通じてない?」

「……ごめん。ちょっと分からない。ドラマか何か?」

相変わらずちょっとしたネタが通じないことに華耶は海が生粋の日本人ではないことを思い出し、苦い思いをしたが、わざとらしく咳払いをし、変な空気を一蹴しようとした。

 

「……仕切りなおすね」

「どうぞ」

「とにかく。海くんを全力でサポートするっていうプロジェクトがあるの。何としても野球に力入れたくて、野球スクールなんか運営しながら、誰かしらプロに進める直系の子孫が出てきてくれないかなー、なんてやってる佳井家本家ですらプロ野球選手が長い間出てないんだから」

「そんなにプロにこだわってたんだ」

「こう見えて、ご先祖様がまあまあ活躍した家だからねー。本家ですら出てこないんだから、分家で、しかもちょっと本家の血筋からは離れてるとこからは野球選手なんか出るわけがない、っていう風潮が正直ね、ちょっとあるの。でもさー、そんなの、悔しいじゃん。同じ佳井の血なのにさ、本家が一番偉いです、みたいなの。だから、お母さんも叔母さんも――叔母さんの兄弟もそう、その叔母さんたちだってそう。何かあったときは、全力でうちを支えるっていう結束力が今あるんだ」

「もう一回言うけどさ」

「うん」

「初耳なんだけど」

海は困ったような表情で華耶を見つめた。

 

「あんまり言うと海くんプレッシャーになると思ってさ」

「おかげさまで、この数分間の間に本来背負わなくてよかったはずのプレッシャーがめちゃくちゃのしかかってきたよ。ありがとう」

海は嫌味を華耶にぶつけたが、華耶の表情は真剣だ。まるでこちらの話に怯む様子もなく言葉を続けた。

 

「だから、ぶっちゃけた話、海くんとしては関東圏に引っ越して楽させたい、っていう気持ちは分かるし、とってもありがたいけどさ。あたし、別に大阪にいても何も苦労してないよ。見たいドラマだってちゃんと放映されてるし、アニメだってちゃんと放映される。大体の番組は見逃しサービスで配信だってされてるしね」

「テレビのことばっかりじゃないか。土地には慣れたのかよ」

「あたしは割と気に入ってるから。大阪」

「……ああ、そう」

これで少しでもあまり大阪に慣れてないなど言ってくれれば海としてもやりやすかったのだが、どうやら居づらさを覚えているのは自分だけのようで、海はぶっきらぼうな返事をした。

 

「だから、海くんは今――自分のためだけを考えてほしいんだ。割とマジで。とりあえずあそこから出たいっていう気持ちも分かるし、海くんが関西という土地柄にちょっと苦手意識があるのも分かる。こないだあたしは――今の海くんでも十分カッコいいって言ったけどさ、海くんが自分の力でもぎとった権利を、あたしたちのことで無駄にしないでほしいんだ。本当に自分が次の4年、戦い抜くための方法は何なのか――もう一回考えて」

「……華耶……」

本気で華耶は自分をサポートするつもりなのだ――という熱意だけは分かったが、だからこそその華耶の熱意に自分が応えられるかどうかが海には不安でたまらなかった。

きっと不安を吐露すれば華耶は慰めてくれるだろうし、いくらでも自分を甘やかしてくれるだろうけれど、そんな関係が自分にとって適切なのかどうか、海には分からなかった。

 

「でもさ」

「でも?」

「白黒基調のチームのユニフォーム以外着てる海くん、あんま似合わないと思う」

「……ユニフォームの似合う似合わないで移籍を左右されたら、球団もたまったもんじゃないよね、正直言って」

「パパはちーたーず!」

二人の会話に割り込むようにして晴留が棒切れを振り回し、海の真似……をしてるつもりなのだろうか。左手と右手の握りを逆にして、打席での構えのようなものをしてみせた。

 

「むとーせんせーがさ、パパをしあいでみれなくなったらさ、かんとくにさ、なまたまごぶつけてやるんだってゆってた」

「……武藤先生、過激派なんだね」

「それでさ、おかだせんせーはさ、かんとくにさ、みんなでおてがみかくんだって。もうかんとくはおじいちゃんだからさ、かんとくをかわったほうがいいよ!ってさ、おてがみかくんだって」

「……岡田先生もあんなやさしい顔してるのにずいぶん過激派なんだね」

華耶は普段やりとりをしている保育士の意外な一面に苦笑いを浮かべた。

 

「むとーせんせーもさ、おかだせんせーもさ、パパがいなくなったらさびしーなってゆってた」

華耶はケラケラとそれを笑いながら聞き、海をじっと見つめた。

「だそうですよ、佳井選手」

「過激派のファンが二人もいるようで嬉しいものだね。移籍していったあいつらにもそのファンを譲ってやりたいよ」

海は笑っていいのか、眉間にしわを寄せるべきなのか――よく分からない気分で、あいまいな表情を浮かべながら天井を見上げた。

 

それから1月までの間、一応チーターズからの2年契約――契約面に至っては年俸は現状維持という、契約してもらえるだけでもマシと思うべきか、少しでも文句を言って最低限契約面だけでも保障してくれと球団に訴えるべきか悩むような提示を保留し続けた海。

それでも、いっそ関東圏でなくてもいいから、どこかが自分をしっかりと評価してくれて、レギュラーとして拾ってくれるならば――とその連絡を待ち続けたが、とうとうその連絡はなかった。

 

期限切れにあたる最終日、海は内心今すぐにでも引退会見に切り替えてやろうかとも思うような気分で残留を決め、記者会見を開いた。

この間、同じく契約を保留していたもう一人のFA行使者はベアーズへ移籍を決めた。結局、この騒動の中でチーターズに残留したのは自分だけということになってしまった。

 

『監督やフロントのために残るのではなく、自分は、自分を信じてくれるファンと、そして、今が見返す最大のチャンスだと言った妻、そして、子供たちのために残留を決意しました――』

 

『――監督はきっと自分のことを嫌々使わざるをえないつもりでいるのでしょうが、去年の打率がまぐれだとは絶対に言わせないような打率を残すことを来季の目標にしたいと思っています。自分がここに残ったということは、同時にこれが自分にとってのラストチャンスだと思っているので――』

 

記者会見で、センセーショナルな言葉で強気に出た海。自分にはもう後がない――その思いを率直にぶつけた。ここまで言っておいて4年以内に結果を出せないようなら、本当に諦めるくらいのつもりで海はその場に臨んだ。

多少、虚勢でも張っていなければやりきれない思いだってあったし、自信があるからこそ、会見そのものに少しくらい悔しさをぶつけなければ――自分のここまでの不甲斐なさを含めて、みっともなくて死んでしまいたい気分が波打ち際のように襲いかかってきてしょうがなかった。

 

記者会見を終えた海のもとに、見慣れない番号からの着信が携帯に鳴り響いた。

 

〈お前さん、ずいぶん強気に出やがったな。お前さんのことだから、自由契約になる道を選んでもおかしくねぇと思ってたから会見の間までヒヤヒヤしたぞ〉

「なんだ、あんたか」

受話器を通じても豪快な声が鳴り響き、海は嫌そうな顔を浮かべながら少し携帯の受話器から顔を遠ざけた。

 

〈あぁ。熱烈なファンじゃなくて悪かったな〉

「それで?言いたい事は記者会見の感想だけなのか?」

〈そうしようと思ってたところだがね。あさって、プールを貸し切ってトレーニングをしようと思ってる。皆ウェイトトレーニングに夢中で、思ってるよりも人が来ねーみてぇでな。よかったらお前さんも一緒にトレーニングしねェかと思ってな〉

「断ると言ったら」

〈あさっての貸切をやめようかと思ってる。お前さんがついてくる前提で予約を入れているからな。トレーナーにも二人前提の練習メニューを組んでもらってるからな〉

「分かった。あとでスケジュール送ってくれ」

〈ガハハ。話が早くて助かるね、ありがとよ〉

 

清兵衛は少しだけ嬉しそうにしながら通話を切った。清兵衛はずっと自分の残留宣言、もしくは移籍の決断を待っていたのか、オフの間は自分にBINEでも連絡を取ろうとはしなかった。それが、残留を決めたとたん突然電話での連絡を入れるくらいだから、口では絶対に言わないだろうけれど、残留宣言がよほど嬉しかったのだろう。

 

そう考えると海はここまで残留表明を引っ張った事を少しくらいは申し訳ないなと思ったし、自分が一人で野球をやっているものだなんて思った自分が少しだけ恥ずかしくなった。

 

とはいえ、あの会見を冷静に挑めたとして、それでも、わざわざああいう場で清兵衛の名前を出すほどのことは自分はたぶんしないだろうとは思ったけれど――会見すぐに連絡を入れてくるような男の話くらい、少しくらいはしておけばよかったな――と海は自分の見栄と浅はかさに後悔した。

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