海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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38・張った意地を覚悟と言うのならば

「あんなん使わなあかん日が来るなんてな」

「スローイング以外は佳井はこのキャンプ、よくやったと僕は思っています。佳井の最高速度に達するにはこのグラウンドは狭すぎますが、あの背の高さです。一歩が大きいので、細かなプレーは雑に見えるかもしれませんが大胆なキャッチングをしてくれてます。捕球するだけなら、よそのショートにも引けを取らないはずです」

「捕球以外がクソならあかんやろうが」

「監督、イップス気味なのはもう多少目を瞑ってやらないと、次は佳井にまで出て行かれますよ」

ベンチから守備練習をする海を見ながら、前野がぼやく。守備コーチの小室はそれに反論し、諌める形でその話を聞いていた。

 

まもなくオープン戦が始まるという頃、ショートを海に守らせるべきかどうか、小室らコーチ陣は前野と衝突した。

春季キャンプ中、監督は清兵衛をショートに回すという大胆な作戦を打ち出したが、清兵衛を内野に回した分、大きく伸び悩む外野を年間通してレギュラーで固定し、それで外野の守備まで崩壊したらどうするのだ――と小室やヘッドコーチはその意見を汲まなかった。

選手どころかコーチにまで反旗を翻されては立場がないと、監督はしぶしぶコーチ陣の意見を飲んだのだが――

 

「ほな、お前の首を賭けるか?アイツが俺に売った喧嘩、お前にも――いいや、お前ら全員にも責任取ってもらおうか?」

「僕は構いませんよ」

前野の言葉に対し、小室はまっすぐな目線を向けた。自信と、前野への呆れが混じったような――どこか憐れみにも似たような表情がそこにはあった。

 

「何やて?」

「僕は佳井君を信じていますから。数年前までは一塁しか守った事のなかったものが、サードだけでなくセカンドを守れるように練習を重ね、そして今年は必死でこの一ヶ月近く、ショートの練習に専念したわけです。今の佳井君は、守れと言われたらどこだって守るでしょう。他球団から一切交渉の連絡がなかったことも、相当彼にとってのエネルギーになっているはずです。そんな彼が今年駄目なようであれば、そのときは――僕も見る目がなかったということですから」

「おもろいこと言うな。ほな本当に辞めてもらおうか」

「ええ。別に、監督以外のもとでもコーチはやれますから」

「何やと!?」

 

ベンチで思わず小室に食いかかる監督。取材班が遠くから急いでカメラを回したのを小室は気づき、監督に小声で

「僕は構いませんが、あなたが恥かく前にここはやめておいたほうがいいのではないですか?」

とつぶやいた。監督は顔を真っ赤にしながら、ベンチからさらに奥へと下がってしまった。

 

もともと、セカンドは捕球まではそれなりにしっかりと守れていた海。ショートという慣れない場所に立たされているのも、それ自体はさほど苦ではなかった。

 

かつて延々とボールを捕球することだけを練習させられていたのだから、ノックなんか受けても、ボールを捕球するまではそこまで苦労することはなかった。

問題は、セカンドを守っているときからさらに離れた一塁という、今までよりもさらにひとつのアウトが遠く感じられてしまうことだ。

まして、ショートというポジションの性質上、一試合に何度も何度もそうして自分が絡むプレーというものは今まで以上に多くなる。自分のプレーひとつで試合を左右することだって、今まで以上に大量に発生するだろう。

 

意識すればするほど、そのスローイングはぎこちなく、肩が強張るような感じがした。スローイングのフォームを距離にかかわらずなるべく横気味から投げてみたりなど海なりに工夫してみたりなどもしたのだが、やはり、一塁手が人間だというプレッシャーが海には大きく感じられてしまった。

 

自分が不甲斐ないスローイングをすれば、それこそ、監督が言っていた清兵衛コンバート案だって現実味を強めてしまう。それは、清兵衛の足すらも引っ張ってしまう事になる。

海はキャンプに入ってから――日によっては打撃練習班に混じらずに延々一塁へのスローイングの練習をする日すらもあった。

打撃面にまったく不安がないわけではなかったが、この最大のチャンスを自分のイップスのせいで逃すわけにはいかない――と小室に特訓を申し出てまで、海はこのレギュラーのチャンスを逃すまいとした。

 

 絵になるエラーいエラー

  佳井、美技からの魔送球

 

地元紙ではそんな風に海の守備練習が特集されたりもした。完璧な捕球からの一塁へ微妙に届かない送球。あるいは、大きく逸れた送球――。

期待が大きい分、海のそうした守備は時折ネタにされながらも――本気で海がショートを守る気でいるということが日に日に地元メディア、そして大手誌にも伝播していった。

 

『いっそ、捕れなかった一塁のせいにするくらいの気持ちでいい――』という華耶の言葉を、なるべく顔には出さないようにして海はスローイングを調整していった。

 

二塁から一塁に投げる感覚ではボールは届かなかったり、一塁に届いたとしても遠慮がちに投げてしまうものだからランナーを刺せない。

かといって、逸れること前提で思い切って投げると、ボールは自分の想像よりもはるかに大きく逸れてしまう。

 

自分が安全に一塁に送球できる方法、スローイングの強さ――ありとあらゆるシチュエーションでその練習はキャンプの間みっちり行われた。

たった一ヶ月守っただけで残りの11球団のレギュラーほど正確な送球ができるようになったなら、これほど楽なものだってないし、もともと打撃が売りで入団したこともあるから、守備にばかり意識をとられてまったく打撃が花咲かなくなってしまっては元も子もない。

 

一生このままショートを守り続けることはさすがにないだろうと海は思いながらも――毎日ユニフォームを土まみれにしながら、海はなんとかキャンプを乗り越えた。

 

オープン戦、打率.280とあまり本調子とは言えない結果でずっとショートを守り続けた海は、開幕戦を前に険しい表情を浮かべていた。

「まーた難しい表情浮かべちゃってさ。何?家のこと?」

「……お前さ、悩みの種増やすの得意だね、華耶」

「えー?」

 

なるべく忘れるようにしていた海の不安材料が華耶の言葉によって盛大に穿り返され、海は大きく頭を抱えた。

 

華耶の両親からも"盛大に"資金の援助をもらったとはいえ、土地代と家の代金を合わせて――果たして自分が引退までに一括払いできるほどの年俸がもらえるのかどうかと考えてしまうくらいの額をはたいて吹田に土地を買い、そこに大きな一軒家を立てることにした海と華耶。

 

子供も多くなったし、華耶としてはまだまだ子供が欲しいという気持ちもあるようで――『トレードで出て行かなければならなくなった時以外は引退まではここに居続けて子供を育てると腹を決めよう』と華耶の案で、残留表明のあと一気に新築の話は進んだ。

 

あまりの慌しさもそうだし、そうこうしているうちに春季キャンプが始まってしまったこともあり――華耶と華耶の両親や、華耶の叔父家族がなるべく海の負担にならないよう、猛スピードで土地の購入だとか、家を建てるまでの手続きをしてくれた。

 

仮に家を出るとなったら、そのときは貸家にするだの、華耶の叔父の会社の社宅にするなど――さすがに海のことを考えると、一生大阪に居続けることはないだろうから、大阪から出る事になったときのことまで多少考えてのレイアウトにしたらしい。

 

15年ローン。

華耶の両親が多大な頭金を払ってくれたとはいえ、吹田という今なお新興住宅地が広がっていく人気の土地に大きな家を建てるのだ。海がもしそれまでの間に野球でうまくいかなくなったら、すぐにでも引っ越さないといけないくらいの覚悟を持たなければならない。

 

銀行も思わず『本当に15年ローンでいいんですか』と何度も聞き返したという。

それもそうだ。いくら多額の金が入ってくる可能性がある仕事をしているからといって、その分家にかけた金は高い。頭金が多いからよかったようなもので、よくも銀行も許可してくれたものだと海は思った。

 

2年契約、9600万――。

来年の6月には家が完成するが、そもそも来年また同じイスに座れているという保証だってない。海自身、この先4年がラストチャンスだとは思っていたが――とてつもないことを華耶はしてくれたものだと海は苦笑した。

2年契約が終わる頃にはレギュラーに定着していてしっかり稼がなければ、華耶や華耶の両親にあまりに申し訳ない。

 

「……今の今まで家を買ったっていう事実を忘れかけてたよ、正直言って」

「本当は一括払いでもよかったんだけどね」

「よくねえよ」

「――って海くんが言うと思ったからね。自分の住む家くらい、自分で払わなきゃどーするんだ、って絶対言うし」

華耶はわざとらしく海のマネをしながら、家の完成予定図をリビングにおいてある共用のタブレット端末で見つめた。白を基調としたレンガのようなデザインに、スカイブルーの屋根が構えている。

シンプルな色合いに北欧住宅のようなたたずまいをしているのは、海が嫌がらないようなデザインを華耶たちが配慮して考えた抜いた末のものだという。

 

「当たり前だろ。いくら華耶の実家や本家の叔父さんのとこが金持ちでもさ……。幸い、俺も別にそんな無駄遣いするわけでもないし、その辺の奴らと違って高級外車とかにもあんまり興味ないからね」

「服やギターは?」

華耶がわざとらしく海がファッション誌に出た際の写真をタブレットに映し出して指差す。

ブランド物の高価な薄手のロングコートに負けていないアンニュイな顔立ちを見せ付けると、海は嫌がってタブレットを跳ね除けた。

 

「服はともかく、ギターなんて別に何本も揃えるもんじゃないし、俺は別にエフェクター狂いでもないから。バカみたいに高い酒だって飲まないから、まあまあ貯金は膨らんでいくよね。それに、おふくろが振り込んでくれてた金もあるし」

「あ、そうそう。お母さん、今でも振り込んでてくれてるんだ?」

「……さすがに去年で途絶えたよ。もう子供じゃあるまいし。どうだろう、死んだんじゃないの」

「ちょっ……縁起でもないこと言わないの」

足を投げ出して組んだ海の投げやりな態度に華耶は思わずぺしっと腿のあたりを叩き、指で×のサインを作ってみせた。

 

「だって、突然途絶えるってことは、そう思っちゃっても仕方ないだろ。まあ……死んだかもしれないって思うと、余計に手をつけられてないんだけどね。だからこそ、いざとなったら思い切った買い物が出来るくらいの額はあるんだけど」

「そっか。でもさ、きっと生きてるよ。生きてるって思うようにしようよ」

「突然仕送りが止まったことに関しては?」

「それは、まあ、いろいろあったんだよ。きっとね。海くんの言うように、もうそんな歳でもないって思ったかもしれないし。親からしてみたら、きっといつまでも息子は息子だよ。会えなくはなっちゃったけどさ」

華耶の必死のフォローに、海は冷めたような顔つきで頭のあたりで後ろ手を組み、ヘッ、と意地汚いような笑い声をあげた。

 

「だったら……どこにいるかくらい教えて欲しいんだけどね。金を振り込んでたのが罪滅ぼしのつもりならなおさら。ま、いいんだよ。おふくろは死んじまったんだ。それでもう、いいじゃないか」

「もーう、ダメだってそうやってひねくれて世の中を悲観するの。ほんと海くん、そういうの悪い癖だよ?子供たちが起きてる前じゃ絶対やらないでね?」

隣の部屋で寝ている子供たちを一瞬見つめた華耶が、海に向かってもう一度×サインを出すが、海は相変わらず冷めたような表情のままで――

 

「大体、おふくろだってもうそんなに若くないんだぞ。俺が今20……26か。26ってことは、おふくろは50いくつだろ。いつどう死んでてたっておかしくない」

「でも……でも、それでもさ、生きてるって思ったほういいよ。勝手に死んだものだとしておいてたらさ、仮に生きてるって分かったら、海くんそれはそれでたぶん、挙動不審になっちゃうでしょ。頭の中で死なせちゃってたもんだから、それで自己嫌悪になるのだって見えてるし」

「……かもね」

「……」

「……」

 

しばらく、そこで会話が止まる。しんみりとして、二人とも言葉を発しなくなり――海は何かを思い出したかのように華耶を睨んだ。

 

「違うだろ。違う違う。俺の親の話や、家の話なんかよりもだよ。明後日からシーズン開幕するけどこのまま調子上がらなかったらどうしようってことを考えてたんだよ、俺は。そりゃ確かに家のことも絡んでるし、家のことがあるからよりいっそう頑張らないといけないんだけどさ」

「だから、言ってるじゃん。家のことは最悪うちでなんとかするから」

「それはそうかもしれないけど、だからって華耶が代わりにヒット打ってくれるわけじゃないだろ」

「まぁね。それに、私はどちらかというと打たれる側だからね~」

「……ん……?打たれる……?……何に?」

「……ごめん。忘れて」

相変わらず冗談が通じない男だ――と華耶は腹の辺りをわざとらしくさすってみたのだが、やはり海は気づいていないようだった。

 

「分かった。……茶化すなよ。人が真剣に開幕前のこのソワソワに悩んでるってときに」

海はそうして不機嫌そうに華耶を睨み、自らの長い金髪をガシガシと掴んでかき乱した。

 

「大丈夫だよ。海くん、毎年春先ちょっと弱いじゃん。そんなのいつものことだよ。気にしなくていいんだよ、春先の不調なんて」

「今年はそれじゃ困るんだよ。ショートだって一年通して守れるかどうかだって、正直言って不安しかないし。あの監督【ハゲ】のことだから、いつどう理由をつけて俺をレギュラーから落としにくるか分からないんだぞ」

「っていうのをチームメイトに言えるほど誰とも打ち解けてないし」

「そう――だから、茶化すなって。俺、本当に悩んでるんだよ」

華耶の頬を横にむにむにと引っ張りながら海はため息をついた。

 

「……お前さ、俺が冗談に反応できてるうちは大丈夫って思ってるんだろ。違うよ。ちょっと落ち着かないんだよ、喋ってないと」

「ふふっ」

「なんだよ、またからかうっていうの?やめてよね」

そう言うと海はソファに深くもたれかかったのだが――

 

「子供たちも寝てることだし――よしよししてあげよっか?」

そう言いながら、両手を広げて手招きをする華耶。

 

新の性格は海に少し似たようで、素直ではないようだ。泣き喚くわけではないが、割とすぐにすねてしまうため、最近は華耶の両腕は新の特等席になりはじめていた。

その華耶の両腕が、今は珍しく開いていた。

 

「……華耶さあ、そんなんで俺が元気になるほど、俺のこと子供だって思ってるの?」

「産休の間は海くんを元気にしてあげるのがあたしの仕事だし」

「その産休はもうすぐ終わるわけだけど」

「産休が終わっても、あたしは子供たちと海くんを元気にしてあげるのが仕事だから」

「義務感で元気にしてもらえてると思うと嫌だね」

「素直じゃないなあ」

「その素直じゃない男に惚れたのはどこの誰だよ」

「ふふっ。あたしです」

 

そう言って笑う華耶に、海は感情が突然爆発しそうになり――それをこらえるためにしばらく黙った後、華耶の両腕の中、抱かれ慣れたハリのある柔らかさの中でぽつりと呟いた。

「……いつもありがとう。華耶」

「ええっ?何いきなり……。なんかそういう素直さ出されると……あたしチョロいからさあ、駄目だよ。駄目。あたしがときめくべき場面じゃないでしょ、今」

「……素直になれって言ったりなるなって言ったり、忙しいやつ」

とたんに体温が上がりだす華耶の腕の中で海は、華耶もまた、からかわれることに弱いタイプであり続けていることに思わず微笑んだ。

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