今シーズン、仮にこの最後の3連戦すべてに勝利したところで3位のドルフィンズとのゲーム差がどうやっても追いつかないことから、チーターズはシーズン残り3試合の時点で今季のBクラス――すなわち、ポストシーズンへ出場できないことが確定していた。
世に言う消化試合――。
『ああ、またかよ』だとか、『どうせうちみたいな球団にいると一生こうなんだ』だとか、口々にミーティングルームを去るたびに聞こえてくる情けない声がこの秋も海の耳に届いていた。
一方、エンペラーズこの3連戦で2勝以上し、ドルフィンズが3連敗を喫したらAクラス入りができる――という、最後まで予断を許さないシーズンが続いていた。
Bクラスすべてのチームにこの最後の3連戦の結果次第では最下位に転落するリスクがあり、チームによってはこの3連戦次第でAクラス入りの可能性だってある――。
選手だけでなく、ファンにとっても、最後の最後まで気を抜けない状態であることには変わりない。
……というのは、あくまでも一般論であって、ポストシーズンに出られないことが決まったというだけでも、ベンチだけでなくファンの雰囲気というものはやはり全然違うものだ。直前のスカイクロウズ戦が神宮で開催された際には、やはりビジター応援席には普段より空席が目立ち、スカイクロウズの応援席はずっとにぎわっているものだから、もはや雰囲気ですら圧倒されているような状態だった。
シーズン中に7連敗を喫した際の、親でも殺されたのかというような怒号のような野次や乱暴な応援、そして過激な横断幕――殺気立った空間もいつしか無関心へと変わっていったような、そんな風に思えた。好きの反対は嫌いではなく無関心とはよく言ったものだ――と身をもって海は感じた。
これまでは毎年、1試合に1度出番があるかどうかだったから、海はそこまで空気の変化というものを――そもそも、これまでのプロ生活9年の中で、一昨年以外はすべてBクラスでシーズンを終えていたから、シーズン終了間際のこうした冷めた空気というものをまじまじと感じた事はなかった。
でもそれは、1年目以外はこれほど出番がなかったからであって――ルーキーイヤーだった年以来の規定打席到達をした海は、スタジアムの空気に触れる時間が圧倒的に増えたことや、ある程度プロ年数を経たからこそ、今までは感じなかった空気感の違いが分かるようになったのだと自己分析した。
今シーズンはこのまま甲子園に戻る事はない。
最後の甲子園での3連戦のときは、応援団の詰め掛けるライトスタンドや一塁側に『この場所にポストシーズンで会おう』などと掲げられていた応援ボードなんかもあったものだが――Bクラスが確定するとそうした応援のボードやプレートは見えなくなった。
代わりに掲げられたボードがテレビ中継ですっぱ抜かれると、前野は不機嫌そうにした。
急募 新監督
監督頼むからもう辞めて
前野! 選手はお前の飼い犬やない 即刻辞任を
監督が選手を信用できないチームに未来はない
監督 抜け毛と血圧のために辞任を
ファンなりの抗議活動だったのだろう。それがいいことか悪い事かは別としても、ファンとしても、かれこれ13年指揮を執っていながら、ここまでAクラス1回、最下位5回――そんな前野政権に対して黙ってはいられなかったのだ。
代わりがいないから辞めさせられないのか、長期に渡る最下位が定位置だったチームをAクラスにギリギリのところで届かないところまでは毎年戦えるようにしたからなのか――なぜか前野はここまで契約を打ち切られずにここまでやってきた。
きっとチームの運営団体と裏で何かつるんでいるのだろう、ということは誰の目にも明らかだったが、一方でコーチも長期の契約を結び続けているあたり、運営自体があまりチームの方針にかかわる人物をコロコロと入れ替えたくないという事情もあったのだろう。
生駒も小室も毎年フロントにはきつく灸をすえられながらも、前野がそうだったように、二人に対しても契約続行の方針を続けてきた。
『選手っちゅーのは育てるのに早いものでも5年、遅いと10年もかかるモンだっております。もっと噛み合った強いチームで監督をやりたかった、くらい言わせてもらわなあきまへんわ』
『しっかり育てたつもりの選手や、これからが楽しみな選手どもも、やれ提示がどうだの起用法がどうだのとすぐ不満を漏らしてすぐ出て行く。アホくさくてやってられんわ。黙って10年飼われ続けることがどうして最近の若いモンには出来へんのか。チームの低迷ちうのを全部俺のせいにされたらやってられんわ、ボケカスが。選手や周囲の人間一人一人のワガママがどれほど俺を苦しませたもんか』
『たかが選手が自我を持ちすぎなんですわ、今時の選手ちうのは。コマが自我を持ったらアカンのや』
『俺一人が辞めたところでうちは変わらん。監督を代われ代われと言うから辞めてやるけど、それで簡単に優勝できるなら監督なんて要らんねん。俺がマジメに練習しろとしつこく言うても一切練習せーへん奴が、俺以外の奴の口から練習しろ言うて練習すると思うか?せーへんわ。好き嫌いで練習するしないを変えられたら、かなわんわ』
前野が監督業を引退する――そう告げたのは、今シーズンの甲子園最後の3連戦を戦い抜いたあとのことだった。
どうせ最後だから、少しくらい好きに言わせてもらう――そう切り出した前野は、記者会見で言いたい放題暴れまわり、世間から大バッシングを受けた。
滅多に試合結果やゴシップくらいしか野球を取り上げないワイドショーですら、前野の記者会見の内容を好き勝手叩き回り、今までだって監督が暴れまわってたのは野球ファンならば誰だって知っていたものを今になって『あれでは選手がかわいそうだ』だのとコメンテーターが騒ぎ立てりもした。
どうせ、半年も経てばこんなことも忘れるというのに――と海はそんなニュースを白々しく思い、華耶と食事している間はニュースを見ないようにした。
シーズン終了をもって引退する、ということで、監督代行を立てずに行われることになった残りの6試合、前野は顔だけ出したもののろくにミーティングをしようとはしなかった。
ヘッドコーチや打撃コーチの生駒、守備走塁コーチの小室らがかわりにミーティングを行い――前野はベンチの隅で不機嫌そうにずっと膝をゆすっていた。
そうして前野がほぼ試合に口を挟まない試合が続いた中、迎えた今シーズン最終戦。ここまで5試合で3勝2敗と、前野が口を挟まなくても皮肉な事にチームはコーチ陣の動きでそれなりに試合に競り勝てていた。
それが面白くなかったのだろう、最終戦の試合前、前野はしばらく黙っていたその口を開いた。
「13年。13年ここを見続けてきた。俺がここに来たときは、チーターズは100敗を繰り返す、みっともないチームやった。それを俺がここまで復活させたちゅーのに、お前らは俺にちっとも感謝せんまま今日を迎えた。それがお前らの答えなら、まあええわ。せいぜい来年からの試合、期待させてもらうわ。遊びで野球やって勝てんのならな」
「監督。お言葉ですが――」
黙っていた小室が監督の前にせり出してきた。
「時と場所をわきまえて言葉を選べない人間のもとでポコポコと反骨精神に燃える人間が出てくる時代は終わったんです。あなたのやっていることは指導ではありません――パワハラです。それが分からなくなった時点であなたは監督としての資格をなくしていたんですよ。今日、選手たちはあなたのために勝つのではありません。今日も、来年も、そのまた来年も」
小柄な小室を上から睨むような形で監督はコーチに詰め寄り――
「それはそれは……見物やな」
と突き飛ばすようにして部屋から去った。
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「なァ。ちょっと試合後ツラ貸してくれや。飯にでも行こうや」
「まだ試合中だぞ」
8回裏の守備を終えてベンチに戻る最中、清兵衛は海の後ろから思い切り肩を叩いた。
「もう9回じゃねェか。硬ェ事言うなよ、奢ってやるからよ。この試合、勝とうが負けようが、俺たちにとって一つの区切りになる」
「勝算は?」
「ガハハ、お前さん、勝つか負けるかの二分を聞くなんて、野暮だな。それに、たった1点差じゃねえか。俺たちは、負けるために野球やってるわけじゃねェだろ?」
「そりゃそうだけど」
「じゃあ、決まりだな。酒だァ、酒」
「なんだよ。結局お前が飲みたいだけじゃねーか」
「バカ言え。こんな日に飲まなくてどうするんだよ、お前」
上機嫌で清兵衛はベンチに戻るなり、バットを持ってネクストバッターサークルへ向かった。
9回表。8-9で打ち合いになったこの試合は、試合後半になるにつれてひときわエンペラーズの応援が大きくなっていた。
この試合、負けると最下位が確定するエンペラーズにとって、Aクラス入りがかかっていたはずの3連戦――こちらもファンの気持ちが乗っており、『チーターズ倒せ、オー』という掛け声は時々殺気すら感じるほどのものが、本拠地・文京ドームに鳴り響いていた。
ビジター応援席で、それでもエンペラーズには負けまいとチーターズ応援団が必死で応援団が演奏を続けている。いったい何がそうエンペラーズとチーターズとのライバル関係を生むのかは海には分からなかったし、だからといって知識欲を煽ってくるものではなかったが――ファンというものもまた大変なんだろうな、と思っていた。
ため息にも似た、あるいは、歓声――それはエンペラーズの応援団が漏らした声なのか、それを上回るチーターズファンの絶叫だったか、それとも、単なる野球ファンがあげた賛美だったのか――。
歓声と同時に高々と上がった白球はレフトスタンドへゆっくり、ゆっくりとした軌道で吸い込まれていった。ベテラン打者の貴重なソロホームランだ。
バットを置いて豪快に頭上で豪快に手を叩きながらホームで祝福する清兵衛。わざとらしくフォロースルーを真似てみせて、今のホームランの余韻に一人で浸っている。
得点圏での勝負強さが印象深かった選手だけに、今放ったようなソロでのホームランは珍しい、とベンチでも手洗い祝福を受ける選手。
こんな時だけ仲間意識というものを前面に押し出して、ファンよりもむしろ、こいつらのほうがよっぽど手のひら返しをしてるのではないか――そう思いながら海は、バッターボックスで豪快にバットを器用に振り回しながら構える清兵衛の姿をじっと見つめていた。
さっきわざとらしく真似して見せたあのフォロースルーがまさか、本当に自分もホームランを狙っているものだとしたら――
清兵衛は打とうと思えば鋭い弾丸のようなホームランを打てる人間だ。いわゆるアスリート型の、身体能力でプレーするような打者だが、その鋭いスイングをあえてしっかりとバットに当てるほうへ神経を傾け、一回でも多く塁に出る事を楽しみにしている人間だ。ホームランを打ったら全力疾走はできないし、ヒットで出塁して、たくさん走って相手との駆け引きをするほうが楽しいからだという。
そんな変わり者だからこそ、こんな場面ではあえてホームランを狙っていてもなんら不思議ではない――。
一瞬、左打席に立った清兵衛がこちらのベンチを確認し――ベンチを確認した、というよりは、海のほうを向いた、と言うほうが表現としては妥当だろうか。
ニッ、と豪快に――だが、何か悪巧みをしてるような表情で一度こちらを見てからバットを構えなおした。
カウントは1ボール1ストライク。
内角高め、多少振りたくないようなコースだが、コースいっぱいのビタビタな速球が清兵衛に向かって放り込まれるが――何とも思っていないような態度で、清兵衛は滅多に見せない、その大きな大きなスイングを見せた。
再び球場が、今度は明確な悲鳴で包まれた。
エンペラーズのファンにとっては悪夢でしかない、レフトスタンドに構える警備サービスの看板めがけてギュンギュンと勢いを失うことなく飛んでいくそのボール。
誰がどう見ても――冗談ですら今のはホームランではない、なんてことは決して言えない、文句なしの一発が警備サービスのメーカーロゴのあたりに突き刺さり、ぽとりと落ちていた。
スイングスピードはその辺の中堅スラッガーよりもよっぽど速いだろう。30本塁打くらい打とうと思えば打てるのは、むしろお前のほうじゃないか――海はそう思った。
大げさに腕を広げ、人差し指をピンと立てながら――そして、ホームベースにわざとらしくゆっくりと前のめりに滑り込み、二度、三度、愛でるようにホームベースをぽんぽんと叩いてベンチに戻ってくる清兵衛。
10-9という数字がスコアボードに刻まれる。
試合はまだ9回裏の守備を控えているというのに、清兵衛は既に勝ったような気分でベンチに戻ってきて――
「いつになってもサインが出ねぇもんで、思い切って勝ち越し弾打っちまいましたよ。ガハハ」
そう、前野のほうに一度顔を向けてから――清兵衛は海のもとへ座り込んだ。
「確かこの球場、看板にブチ当てたら100万だったな、賞金。今日は宴会だ。ガハハ」
「でもあれって確か、すぐもらえるわけじゃないんだろ」
「すぐかどうかは別にいいんだよ。そのうち確実にもらえるんだろ?じゃあ今日は賞金分飲み食いしてもいいってことだ。そのくらい豪快にやっても構わねェだろ」
「いいね、独身は」
「なァに言ってんだ。お前さんだって家じゃ豪快なんだろ。その歳で子供が4人居ておいて、どの口が言うもんかね」
と清兵衛はわざとらしく海の腹のあたりをぽんと叩いたものだから、海はすかさずその腕を振り払った。
「……奢るっ言ったよな。今日はお前がこれ以上頼むなって言われても頼んでやるからな」
「ああ。最初からそのつもりだったからな。何食っても構わねェよ。その代わり、最後まで付き合えよ」
「先に飲み潰れるなよ」
「ガハハ。誰に口きいてんだ。この野郎め」
「……お前らなぁ、一応まだ試合中なんだぞ」
脇で聞いていた生駒が海と清兵衛の間に口を挟んだ。
自分が試合中に浮かれるのはよくて、他人が浮かれるのはよくないのか――と海は思ったが、清兵衛のほうが先に生駒に反論した。
「悪いね、コーチ。今日はあんたとは飲みには行かねェ。今日はこいつと先約があるんでね」
「そんな話をしてるんじゃねーよ!」
「あーあ。コーチまで監督みたいにカリカリしてらァ。今度はお前さんがああなるのかね」
「……ならないようにしてるんだよ。頼むよお前ら。ああなる前に俺だって野球から離れてしまいたいんだよ。俺だって、野球を嫌いになりたいわけじゃない」
生駒は遠い目をしながら、深いため息をついてどこを見ているのか分からないような目線を浮かべた。