《よろしく》
「よろしく。……日本語で大丈夫です」
「俺も日本語だいたい大丈夫です」
「そうか。じゃあ、お構いなく」
ある日海がフィンランド大使館に『日本で音楽活動をしている者、もしくはかつて音楽活動をしていた者は居ないか』とダメもとで問い合わせたところ、あっさりと都内で2名、ギターの出来る者とキーボードの出来る者が見つかった。
フィンランドに居た頃は『End of the World』というバンドを兄弟で組み、それなりに現地では売れていたらしいのだが――ボーカルが喉を壊して以来ソリが合わなくなり解散してしまい、出稼ぎしにくる形で日本に引っ越してきたのだという。
兄のマルコ・リストライネンは26歳。ギター担当だったようだがベースもボーカルもできるのだという。
弟のニコは23歳。キーボード担当だが、ドラムも出来るらしい。二人とも今は音楽教室の講師と英会話の講師とを交互にしながら生計を立てているらしい。
「いつかまた音楽やりたいと思ってたから、とても嬉しい」
「俺たちも基本的に忙しいだから、音楽に専念しろと言ってこなくてよかった」
「こちらこそありがとう。出来るなら、同じ出身の人に声をかけたかったからね」
「大使館から話は聞いてます。カイ、とても苦労したって」
「俺たち、苦労した気でいましたけれど、そんなもんじゃない。だから、敬意を表して、バンド名を考えてきましたから」
苦労した、という点ではマルコもニコも同じようなものだろう。必死で日本語を覚えたらしいが、今でこそ"大体"日本語を話せるようになったというが、数年でここまで言葉をものにするまで――どれほどこの国になじむのが大変だったか、海の想像に容易かった。
「『The X(カイ)』でいきたいと思ってる。いいですか?"カイ"は数学で使う。日本語でも数学では解って言う。それに、Xはクロスする。俺とニコとをカイが結び付けてくれた。だから、この名前、俺たち兄弟は大事にしたい思ってます」
「カイ……俺の名前か……うーん」
「ヴァンヘイレン、カーペンターズ。名前がバンド名ですけど、なじんでるし成功してるのもある」
乗り気に思えない海だったが、マルコは笑顔のまま肩まで伸ばしたブロンドヘアをふりふりとしながら、引き下がろうとしなかった。
「二人で話し合って決めましたから、カイも気に入ってくれると嬉しいです」
ニコは音楽以外の分野でもパソコンを扱うことも得意らしく、自分でデザインしたバンド名のロゴを携帯越しに見せ、海になんとか受けてくれるよう頼み込んだ。
海自身もパソコンを使うことは得意でいたつもりだが、こうしたデザインやイラストなんかを見せられては断りづらかった。
自分にも音楽をする上で必要なパソコンスキルは持っていたつもりだが、自分が敵わないものを見せられるとなかなかダメだとは言えなくなるものだ――と海は思った。
「……分かったよ。二人がそれでいいなら、俺もそれでいい。バンドの名前に二人の名前が入ってなくて、本当にいいんだな?」
「二人で決めましたから。日本に来たとき、世話になった食堂でご飯食べてたらお店の人から『縁を大事にしなさい』と言われましたから。俺もニコもこれが縁だと思っているから、カイの名前を使わせてくださいと思います」
「……そうか」
海はそううなずくと、意を決したように部屋から持ち出してきたモッキンバードを構えた。
「カイ、いい歌作ってます。デモ音源、たくさん聞いてきました。一緒に完成させたいから、頑張ります」
ニコがそう言いながらキーボードに手を触れる。日本に来る際にいくらかの機材は売ってしまったらしいが、しばらく金銭面が安定するまでは、二つだけ残した大事なキーボードで音作りを支えると決め込んだらしい。
「それじゃあ、カイ。お願いします」
「1――2――1、2、3、4――」
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〈えっ?バンド?〉
「あぁ。バンド」
〈野球やめるわけじゃないんだよね?〉
「当たり前だろ」
〈なら、何したっていいよ。でも、なんでまた〉
安心したような口調で華耶は海に問いかけた。
「そのうち30代になって、野球選手としての道がだんだん終わっていくって時にはもう怪我やら何やらで体がまともに動かなくて――なんてなる前にさ、少しでもやりたいって思ったことは今のうちにやっといたほうがいいのかなって思って。今は別にスタジオで直接会わなくても、デモ音源のやり取りだって出来るし。向こうも生活があるから――オフシーズンのときくらいしかまともに活動できないとは思うけどね。……悪いと思ってるよ。貴重なオフの時間も削って父親である時間も削っちゃって」
自分だけがやりたいことをやっている――そんなことに後ろめたさがあった海は、ここで華耶が駄目だと言ったら素直に引き下がるつもりでいた。
もっとも、華耶のことだからそんな事は言わないだろうけれど――かと言って、自分が好きな事をやればやるだけ華耶に負担をかけることは変わりはない。まして、子供たちだって自分が居ない事が当たり前になってしまっていることに海は申し訳なさを感じていた。
自分がしていることは自分の父親"だった"楓悟――ヒューゴと結局、大して変わらないのではないか――そんな気分にさえなった。
〈ううん。大丈夫。なんならさ、なんかちょっと……嬉しかった。海くん、自分の意思でやりたいこと見つけたんだなって思ってさ。別にオフシーズンまるまるいなくなるわけじゃないことだってあたしも子供たちも分かってるしさ――うんとがんばって。そんな海くんの姿を見るのがあたしのエネルギーになるからさ〉
「……ごめんな、華耶。いつも負担ばっかりかけて」
〈いいんだっていいんだって。ほんとに気にしないで。夢を追いかけるって、素敵な事だから〉
華耶は受話器越しでもしっかりと伝わるほどの笑顔に満ち溢れた声を海にかけた。
海はそんな華耶の言葉を聴いて、また少しだけ罪悪感に苛まれた。都合よく華耶を使ってしまっている、ということには変わりはないのだから――長野の華耶の実家に戻り次第、夜通し――太陽が昇り切ってもなお、次に太陽が沈み再び月が見えなくなるまで愛してやろうと思った。
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それからしばらくして、監督の前野が退任した後も次期監督がまだ決まっていない状態で行われた最初のファン感謝祭は、今までになく和気藹々としたものだった。
トークショーでは今までいじりづらかった前野のことに踏み込む司会の芸人が容赦なく選手に食って掛かり、それはそれは全体が言いたい放題のトークが繰り広げられた。
あまりの盛り上がりに、スタッフも面白がって当初の予定を少し変更し、トークショーの尺を伸ばすという手段に打って出た。海はそれを脇で見ながら――あまり自分には振って欲しくないな、という気持ちで見ていた。
本気で憎たらしく思っている人物に対してネタっぽいことを言えるほど、自分は口がうまくないから――できれば口のうまい選手にばかりそういう話題は振っておいて、自分にはあくまでも野球の話だけ振ってくれればいい――そんな気分でずっとイスに座っていた。
『自分ももとから監督のことは……』などと皆が口を揃えて言うものの、誰かがそうして言い始めたから便乗して皆が言いたい放題言っているだけのようにしか海には見えなかった。
こんなときだけチームとしてまとまって一人の悪口を言うなんてことも海にとってはあまりいい気分もしなかったし、前野が今までやってきたことに対して観客も鬱憤が溜まっているから聞き入っているものの、だからと言って寄ってたかって前野への文句を言うというのもなんだかな――と海は思った。
だからと言って海の中で前野への殺意や憎しみは消えることがないのだから、自分だって結局前野のことをしつこく聞かれたら言いたい放題言ってしまうだろうけれど、早くトークショーのコーナーが終わるか、別の話題にでも切り替わってくれないだろうか――と海は目立たないように貧乏ゆすりをしていた。
「――まぁ、惜別のホームランだったっていうわけだよ。あの一球はもう完全に狙ってたし。推定飛距離いくらだっけ?157m?ガハハ。いやー、いったなぁ。まぁ、俺もね、さすがにああいうときは狙うに決まってんだろ?年間10本くらいしか打たない奴ってさ、肝心な場面でピンズドで狙ってくるもんだよ。――なぁ佳井選手?」
長々と清兵衛がマイクを握っていたが、海の気持ちを読みきったかのように清兵衛は海に強引に話題を振ってきた。
こないだ酔っ払ったときに面倒見てやっただろうが――と目線でアピールしながら、清兵衛はこちらに向かって悪そうな笑顔を見せた。
「それはあれですか、俺に長打増やせっつってます?」
「『お前がホームラン打ってたら試合勝ってたんや!』って何度言われたんだよ、お前」
「覚えてられるか、そんなこと」
海は思わず前野から言われたことを思い出し、吐き捨てるように本心を口にしてしまった。
「出ました!覚えてられねぇくらい言われた、だそうです。皆さん聞きましたか。いやァ佳井選手、これは来季からどんな打撃を見せるのか楽しみですなァ?」
「……これで大きく調子崩したらあんたのこと一生恨みますからね」
ああ、思う壺だ――と海は清兵衛を睨みながら、目で早くこの話題を終わらせろ、と訴えた。
「ガハハ。お前の調子の鍵を俺が握ってやるってことよ。この大勢の観客の前で俺ァ言ったからな。来季お前の調子が崩れたら俺のせいにしていいからな!」
清兵衛はそんな大見得を切りながら豪快に笑った。
余計な事をしてくれたものだ――と思いながら、その後行われた軟式テニスボール野球とかいう、スポンサー企業であるジェーシンが企画した野球のことや、その後やらされた罰ゲームだとかなどまったく頭に残らないくらい、来季もまったく気が抜けないことにずっと冷や汗をかいていた。
「いやー、大変だったね、海くん。罰ゲームであんなことさせられて」
「パパかっこよかったしおもしろかった!」
「そっか……ありがとう……」
家を出て行くときよりも随分やつれた表情で――海はリビングへとやっとの思いでたどり着いた。
軟式テニスボール野球にて凡退した海はルーレットで罰ゲームをすることになり、そしてよりによって引いてしまったのが――
「ほら、もう動画に切り抜かれてるよ。すっごい再生数伸びてる」
〈そうこの俺はぁぁ!身長198cm!体重78キロ!〉
〈長所!!イケメンなところォオオ!!〉
〈短所!!コミュニケーション能力の欠如ォーー!〉
〈野球界に舞い降りたキングオブ人見知りぃイイイイ!〉
「やめてくれ、本当にやめてくれよ……!!夢に出そうで嫌なんだよこれ」
ギンギンに決まった、かっ開いた目と、タンクトップと短パン姿――人気お笑い芸人を模した海が絶叫し、激しく動き回る姿が大手動画サイトYoureTUNEのチーム公式のチャンネルに投稿されていた。
「でも面白かったし不思議と似合ってたから……ぷぷぷっ」
「パパこれまたやってー!」
海に抱きつく晴留をうんざりした表情で海は見つめながら
「パパはね、こういうの本当のお仕事じゃあないんだよ、晴留。分かってくれるかな?」
と諭すように見つめるのだが――
「でもぜったいよーちえんでもみんなかっこよかったってゆーよみんな!」
とまったく意に介さない様子できゃっきゃとはしゃぐ晴留。その表情はキラキラしてまっすぐなのだが、今はその表情が海にとっては痛くて痛くて仕方がなかった。
「あんまり嬉しくないな……パパこれでもさ、一応野球で活躍してるつもりだからさ、野球で評価してほしいんだ……」
「え~~」
「晴留。また来年パパが野球で活躍したら見せてくれるかもしれないよー?」
「そっか!パパまたらいねんもやきゅーがんばってね!」
華耶のフォローとは言えないようなフォローでなんとか切り抜けた海だったが、来年もまたやらされるのだろうか――と思うと気が重かった。
「で、あの原稿は誰が書いてくれたの?思いつきでやったネタにしては完成度高かったけど」
「球団スタッフ。いつかあのネタ、誰が書いたのか特定して一発くらいとっちめてやる」
「えー、でもいいセンスしてると思うよ、あの原稿。元ネタのことも、海くんのことも両方ちゃんと分かってるっていうか。海くんに何やらせたら面白いかをちゃんと分かってるっていうか」
「……全然嬉しくない」
オフシーズンの間ずっとこれがネタにされ続けるのだろうなと思うと、海は早く来年のシーズンが始まらないかな――と思った。
三葉もまた華耶が見せた携帯の動画を見ながらこちらを見て――
「海くん、不思議とあのダンボールの剣持ってても似合うね。たぶんゲームの主人公にちょっと似てるからじゃないかな?」
などと茶化して見せた。
「お母さんまで、やめてくださいよ」
「えー、でもほら。コメント欄にも『もともと「カンケーナイネ」にちょっと似てるから違和感がそんなにない』とか『これがバスタードソードちゃんですか』とか書かれてるからほら」
「嬉しくないです……」
ほれほれ、と見せびらかす携帯を押しのけ、海はソファで顔を覆いつくしてしまった。
華耶も三葉もまたその様子を携帯に収め――
「絶対人前で見せない姿だからね、こういうの」
と面白がりながら晴留にも海がソファで顔を覆ってうずくまってしまったを見せびらかした。