海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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45・打たねば刺され、打てばイジられ

年が明け、プロ10年目を迎えた春季キャンプも無事に乗り切った海は、更なる手ごたえを感じていた。

ガミガミと空気を壊す男が居ないのでのびのびとプレーできるということがこれほど楽なのか、という気持ちもあったし、今まではとにかく当てなければ、という思いで必死にバットに当てることだけを意識していたが、今は違う。

 

飛距離が伸ばせないなら打率を残せばいい、打率を残すためにはとにかくバットにボールを乗せることを最優先しなければならない――その悪い流れが今はない。

 

去年一年間しっかり出来たことを、普段どおりやればいいのだ。今後数年のレギュラーが確約されているわけではないにしろ、新監督の今野は、今のところ自分にしつこく迫ってくる事はしない。

多少、フロントが今まで以上にうるさくなったくらいだが、背負うものが軽くなったということは海にとって想像以上のリラックスを生んだ。

そのリラックスがかえって、海に今までになかったような飛距離を与えた。

 

意識的に飛距離を伸ばそうと考えていたわけではないのだが、このオープン戦、海のボールはよく飛んだ。ボールがまた極端に変わったのか――とも思ったのだが、どうやらそういうわけでもないらしく、自由自在というわけではないにしても海の打球は自分のイメージよりも飛距離が伸びることが増えた。

 

飛距離が伸びたといっても、だからといって柵越えが大量に出るようになったというわけではないのだが、軽く走っても二塁まで進めるような打球が増えたというのは海にとって余裕を生んだ。

今まではベースラインを気にしながらその大きな足を飛ばさなければならなかったが、今は違う。少し余裕を持って走っていても二塁に到達できるほどのボールが次々外野の奥、フェンスのあたりまでぐんぐんと伸びていく。

 

シーズンが始まってしまえばまたそうもいかないのだろうけれど、そのままの調子でオープン戦も好調だったということは海にとってさらに追い風を感じた。

 

「でも、勿体無いと思うけどね。もっと上を打たせてやってくれって言ってもいいんじゃないのか。俺が頼みに行こうか」

「わかってねェな。そういうのを無粋って言うんだ。今、俺を一番生かせるのは6番なんだよ」

「本当にそう思ってるのか?」

「ああ、そうだ。逆にお前が6番に座ったら、不調に陥る未来が見えるね」

「なんでだよ」

試合前の腹ごしらえにカレーを食べていた海と清兵衛は打順について話し合っていた。

 

「お前さん、今ちょっと飛距離を気にしてる時期だろ。そしてその飛距離が最近調子がいい。それがお前さん、6番なんて打ってみろ。今のチーターズは3、4、5番と連続ホームランが出る事だって普通にありえる打線だ」

「毎年言ってることだけどね。あいつら、球界の長距離砲を片っ端からかき集めたら試合に勝てると思ってるんだ」

「茶化すな。そこにお前さんが続いたら、自分だって飛距離を意識しようと、思って思わず大振りになるだろ」

「そうかな。お前が俺のことをそう思ってるだけじゃあないのか」

海の反論に対して清兵衛は舌打ちを何度か繰り返しながら指を振った。

 

「そうなるんだよ。お前さん、自分の数字にだいぶこだわってるからな。前の打者から数字が見劣りするから、なんて理由でそのうちやらかす。まして、3者続けて重量級が並んでると、打撃戦になりがちだろ。一発で打線の流れが変わりかねねぇもんだから、お前さんは必要以上に考えすぎて打てなくなる」

「じゃあ俺が2番だと打てるって根拠は」

海は清兵衛がテーブルの上にあるコショウを求めたのですっと手渡しながら、清兵衛の意見を待った。

 

「あぁ。2番だったら、今までどおりとりあえず出塁しときゃいいって思える状況のほうが圧倒的に多くなるだろ。2番に3割30本打てなんてバカはそうそう居ねェからな。前の監督じゃあるまいし。だから、お前さんは塁に出ることだけ考えてりゃいい。監督やコーチだってそれを分かってんだよ。数年後はともかく、今のお前さんを一番生かせるのは2番だ」

そう言って清兵衛が海のカレーへもコショウをかけようとしたので、海はさっと皿を手元へ引き、余計な味変をしないように警戒した。

 

つまらなさそうな表情をしながら清兵衛はテーブルの上のラー油やコショウなどといったものが置かれたお盆を海の近くへ寄せ、騙されたと思ってかけてみろ――なんて顔をするので海は首を横に振った。

 

「それは分かったとして、お前は6番でいいのかよ」

「俺ァ別に何番だろうが自分の仕事ができる。お前さんが俺を6番では下過ぎると思おうが、俺には大した影響はねェ。盗塁の数は減るかもしれねェが、初回の攻撃を考えたとき、俺の足よりもお前さんの打率を上は取ったんだ。お前さんが思ってるよりも上は考えてるし、俺も今の仕事に納得してる。お前さんが起用法に口挟むなんざ、10年早ぇよ」

「10年後お前が現役してるのかよ。こないだ人生の階段がどうとか言ってたくせに」

海のそんな純粋な言葉に清兵衛は飲み干した水を思わず噴出しそうになり、少しだけむせながら――腹を抱えて大声で笑いだした。

 

「ガハハ!お前さん、面白いこと言うな。そうだな。10年後……どうだろうな。10年後、お前さんが俺に口出しできるようなことになってたらいいなァ?けどよ、お前さんも等しく年を取るんだ。お前さん、10年後は37だろ。そもそもお前さんが37まで野球できてるかどうかのほうが今は怪しく思ったほうがいいんじゃねぇのか。去年がピークのまま、ここから下降線なんてことだってプロの世界ではよくあることだぞ。分かってるのか、佳井海よ」

「分かってるよ。10年後もこうしてられてたらいいなって話してるんだよ。分かるだろ」

「お前さん、友達いなさそうだもんな」

「うるさいな」

海はそう言いながら、少し冷めてしまったカレーにうっすらとだけラー油をかけて口へと運んだ。

悪くはないが、別に無理してかけるものでもないだろう――海は騙されてやったぞ、満足か、といった表情で清兵衛を見つめた。

 

「ガハハ!あぁ、でもなんだ、確かあれだったろ。お前さんが組んだバンド――あれ、お前さんが自分の意思で組んだバンドなんだってな?」

「お前、さっきからアレしか言ってないぞ。身体より頭の心配したほうがいいんじゃないのか」

「細けェ事ァいいんだよ。よかったじゃねェか。仕事以外の友達が出来て」

「ああ。でも、マルコもニコも半分は仕事で付き合ってる」

「でも、音楽をやめたとしてもきっと付き合いは消えねぇだろ。"半分は"同じ血が流れてるんだからよ」

「半分?」

清兵衛がはぁ~と呆れた表情でため息をついた。

 

「お前さん、何をいまさら。お前さんは立派な日本人だ。皆だってもうお前さんが立派な日本人だと思ってる。でも、フィンランド人だったことも事実だ。その事実を自分で捨てたくなかったから、お前さん、わざわざ向こうの連中とバンドを組んだんだろ」

「それは……」

「そんな事ァ誰も批難しねェよ、お前さんなりの考えだっただろうし。どっちの血が濃いとか薄いとか、んな無粋な問題じゃあねぇ。お前さんは今や立派な日本人だ。お前さんをハーフと言うには、ちょいと違う――純日本人であって、純フィンランド人だ」

「お前、俺よりも俺の事知ってるみたいな顔すんのやめろよな」

「ガハハ!複雑な生い立ちは大変だなあ、色男め」

バンバンと肩を叩きながら清兵衛は席を立ち、鼻歌交じりでカウンターに皿を戻しにいった。

 

~~~

 

シーズンが始まり、今年もEリーグは混戦の様子を呈していた。首位争いを2チームが、3位を残りの4チームが争う――このままそんな流れがシーズン終了までもつれこみそうな雰囲気が早くも漂っていた。

 

首位を争ってる2チームだって極端に頭が抜けているわけではないから、ポストシーズンだってどのチームが抜け出すか分からない――野球ファンにとってはとても白熱しつつも、逆にいつどこが最下位に転んでもおかしくない、そんなピリついた状況にあった。

 

野球ファンですらピリついているのだから、野球選手やそれを取り巻く人々はもっとピリついていて、下手な言葉が空気を破裂させそうなほど張り詰めていた。

 

6月の中旬に入ろうとしていた頃、3位の壁がなかなか遠かったチーターズもまた、昨シーズンまでほどの空気の悪さは感じないが、順位の上がり目になかなか乗り切れていけないことに首脳陣は頭を悩ませていた。

 

「佳井。頼むぞ。お前、今日家の引渡しなんだろ。ちょっといいところ見せてくれよ」

「家が建つ建たないで試合の鍵を託されちゃ、毎試合家建てなきゃいけないでしょう。何です?毎日どこかにプレハブでも建てればいいんですか?俺は」

「言うようになったな、お前。……分かるな?冗談言ってる場合じゃないんだぞ」

「冗談吹っかけてきたのはあんたじゃないですか。分かってますよ。どんな場面だって打たないつもりで打席に立ってるわけじゃあないんで。打ちに行きますよ」

 

生駒の言葉を内心鬱陶しく思いながら、満塁の場面でネクストバッターサークルへと向かう海。1番打者の打率を考えると、この場面、自分に本当に託されたのは追加点だろう――そう思っていたのだが、見た目以上にキレのある直球は二塁正面に鋭い弾道で向かっていき、すっぽりとグラブに収まってしまった。

 

ランナーがヒッティングと共に走り出していたら、あっという間にゲッツーとなってしまっていただろう。悔しそうに1番打者がベンチへと戻ってくる。

 

5回裏、0対0。最初に入った1点の重みが試合を握る、大きな場面になる。

首位を走るスカイクロウズ相手に、この場面で得点できないようであればチーターズに今季の上がり目は見込めないだろう――と言っても過言ではない場面、海はシーズン終了後の大舞台に立っている自分をイメージしはじめた。

 

相変わらず熱量の高いファンからの応援。

これがポストシーズンなんかではどれほど大きい声量になるのだろうか。

会場をも揺らしかねない声になるのだろうか――そのとき自分は焦らずに自分のバッティングができるだろうか――。

 

初球、やはり見た目以上にキレを感じるその速球を海は振り遅れた。

決してズバ抜けて速いわけではない球のはずなのだが、だからと言って侮ってはいけないという戒めなのだろうか、それとも自分がそれ以上に意識しているからなのだろうか――いやにその初球は海にとって速く見えた。

 

二死満塁という状況、投手としても投げるのが嫌な状況であることには変わりないはず――そう海は思いながら、そこから二球続けてボールを見送った。

有利なカウントで放たれた直球は、海にとっては相変わらず見た目以上にうなりをあげているように見え、思わず空振りを喫した。滅多に直球を倒れこむほど空振りしない海は、よほど自分がこの状況に臆しているのだろうと感じ取った。

 

速いのではない。気持ちで負けているのだ――

 

いつか来るであろうその日、こんな情けない打撃ではファンからは呆れられてしまう。

冷静になれ――

来た球を打てばいいだけのことだ――

海は深呼吸をした後、瞼をぱちぱちさせながら次の一球を待ち続けた。

 

きゅるり、きゅるり――先ほどまでの直球ほどはキレのないボールが向かってくる。

 

シュートだ――。やや指のかかりがおかしかったのか、曲がりが速く、球もスピードが乗っていない。

 

変に引っ張っても、流しても、かえってよくないだろう。海はオープン戦や練習でうまく外野の頭を越えたボールをイメージし――素直なタイミングで――でも、フェンスの手前くらいまで勢いを保ったまま届くような鋭い弾道をイメージし、はじき返した。

 

パキンッ――と小気味いい音が響くと同時に、二塁ランナーの清兵衛が思わず両手を突き上げてガッツポーズをしながら走る姿が見えた。試合はまだ4イニングを残しているというのに、随分と気が早い奴だなと思いながら海は一塁を蹴飛ばした。

 

ランナーが一気に二人帰り、一塁ランナーだった先発投手の田中もホームへと戻ってくるが――中継からの鋭い送球がホームへと戻ってきてアウトとなり、3点目とはならなかった。

 

0-2。試合展開が硬直していた中、相手に揺さぶりをかけるタイミングとしては上出来だ。二塁からベンチに戻りながら、普段どおり硬めの表情でファンへの声援に手を振って応える。

 

試合中継のイニング間CMの前フリとして回ってきたカメラにもあまり表情を変えずに、自身の代名詞となりつつある、中指と薬指をしっかり折り曲げて残りの指をピンと立てたI love youポーズをとった海。

 

今のところ去年ほどの打率を残せているわけではないが――『勝利に繋がる打撃』というものが本当にあるならば、いつもこのような打撃をして流れを引き寄せたいものだ、と海は思った。

 

その後はスカイクロウズの猛攻を受けるも、あと1本が出ない攻撃に助けられ、試合は1-3でチーターズが勝利した。

 

スコア以上に気が抜けない試合だった。

首位を走るスカイクロウズの隙のない攻撃、守備、そして布陣。ひとつのミスであっという間に逆転されそうな緊張感がずっとそこにはあった。あと何点追加点があればセーフティリードになるのだろう――とばかり海は思いながらも、そのピンチを自身の守備で救う場面もあったことに守備での手ごたえも多少は感じた。

見た目以上に今夜の試合は実りある試合だったといえるだろう――と素直に海は思った。

 

「放送席、放送席――。5回にあわや走者一掃のタイムリーという2点タイムリーを放った佳井選手にお越しいただきました。佳井選手、本日お引越しも無事に完了なさったということで、景気のいい引っ越し祝いができましたね?」

「ありがとうございます。家が建ったから打ったわけではないですが――これからも頑張ります」

家の話をどいつもこいつもしてくれるなよ――と海は内心司会に鬱陶しさを感じながら、控えめに笑顔を見せてやった。作り笑いは持続できないから、早くしてくれ――と海は内心苛立った。

 

「一部報道によると、新居は延床面積100坪以上という、だいぶ頑張った家を建てられたそうですが」

「まぁ、えーと……妻がいろいろと頑張ってくれたので」

 

またか――。

野球の話をしろよ、野球の話を――と海は苛立ちながら、できるだけ自然な振る舞いで足のつまさきをトントンとお立ち台の床に向けて叩いた。

 

「お風呂は大理石ということで、ファンの間では応援歌をかつての名応援歌にあわせて『風呂場は大理石~♪』と替え歌で迎えようというサプライズもあったらしいですが」

「それ本当にやったら次のFAではバイソンズあたりに頼み込んでなんとか移籍させてくれと泣きつきますよ。やめてくださいね」

海は不快感を露わにしながら司会を睨んだが、司会は特に気にしていない様子で笑顔のまま気ままにインタビューを続けていた。

 

「……だそうです。応援団の皆さん、本当にやめてあげてくださいね。さて、引越しは業者さんに頼んだということですが、業者さんに一言ありますか?」

「僕が不在の間ありがとうございました。……あの、もうちょっと野球の事聞いてくれますか」

 

一向に今日の成績のことに触れようとしない司会に対して内心胸倉でもつかんでやりたい気分で、海は焚かれ続けるフラッシュに顔をしかめた。

こんな写真撮って何になるんだ――とカメラを向ける取材陣にも海は一瞬睨みをきかせ、再び足のつま先を床に何度か叩きつけた。

 

「失礼しました。どうでしょう、あの打球は直前に思い切って転ぶくらいの空振りをしていましたが……イメージしていた打球だったんでしょうか?」

「そうですね。甲子園は外野が広いので、鋭い打球で外野を抜いて、そこから転々とボールが転がってくれればその間にランナー返せるかなと思ったので」

「ホームで田中投手がタッチアウトにこそなってしまいましたが」

「それについては田中が隣で気まずくしてるのでやめてあげてください。彼なりに追加点をもぎ取ろうとした結果ですから。彼も今日7回1失点と好投してるので、そこも褒めてあげてください。彼が今日、スカイクロウズ打線を抑えてなかったら僕も今日ここに立ててないので」

「では、引き続き田中投手にインタビューを行います――」

 

相変わらず、素直に褒めたいのかイジりたいのか曖昧なポジションでインタビューをする記者に多少うんざりしながら、海は同じくお立ち台に呼ばれた田中に逃げるようにしながら話を振った。

 

家の話ばかり詮索されるのは、あまりいい気分がしなかった。

もっと鮮烈な活躍をしなければ自分は野球選手としては一切認めてもらえないのではないだろうか――という思いもあったし、仮にものすごく活躍してもきっとこの記者のスタンスはこのままなのだろうけれど、という諦めもあった。

 

『どうして突然登録名を田中からフルネームの田中楓斗【たなか・ふうと】に変えようと思ったんですか』、などと田中にぐいぐいと迫る記者に田中もまたたじたじとしていたが――観客にはウケがいいようで、観客席からは笑いが沸き起こっていた。

 

これが大阪イズムというものなのだろうか――と思いながら、海はいまいちまだ慣れないこの"イジり"の文化というものの対処法に悩んだ。

……考え込みすぎて、引き払ったはずの天王寺の貸家に向かって車を走らせてしまい、途中で気づいて慌てて今日から住まいになる吹田方面に舵を切ったのは、また別の話である。

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