「ほんとさ、呆れるくらいに天才打者っていうかさ……嬉しいけどね。嬉しいんだけどさ?なんというかこう……身体全体っていうか、遺伝子全体で天才打者だよね、海くん」
「あれは、ほら……華耶があんなもん着て玄関で待ってるもんだから……」
オフのこの日、4人の子供が送迎バスに乗り込むのを見送ったあと――華耶から"4度目の報告"を受け、思わず海も華耶も苦笑いを浮かべた。
「広い子供部屋たくさん作っておいてよかったね、ほんと。嫌味とかじゃなくて、マジでさ」
二人の寝室の他におよそ15~16畳の部屋が5つ2階に備わっている新築。
部屋を与えるにはまだ晴留も新も幼いが、子供は大人の日々の忙しさの間にみるみるうちに育っていく。早いもので晴留は来年からは小学生だ。部屋を欲しがったり、あるいは、一人で寝る事に慣れなければならない時期だってそのうち来るだろう。
だからこそ華耶は自分がかかわりたかった業種で、なおかつ在宅で出来る今の仕事を大事にしようと思っていたし、子供たちが仮に騒いでいても問題ないように、高い金を払って地下に作業用の部屋だって作った。
もちろん、海が子供たちにあまり見せびらかしたくないトレーニングのための部屋や音楽をするための防音室など――どうせ思い切った買い物なのだから盛大に思い切った間取りにしようと、二人の公私を分けるためにも、地下室というやや異質な空間に関してもこだわって作っていた。
「実際、どうなの。まだ欲しい?」
広々としたリビングに、ついさっきまで走り回っていた4人の子供の姿を海は思い浮かべた。子供部屋の心配だってそうだが、この空間であと何人もの子供が走り回ることになるのだろうか――。
「えー?……そりゃあ、まぁ。出かけるのは大変だけどね。車だってそのうち二台で出かけないといけなくなるかもしれないし。でも……みんなでさ……甲子園のバックネット席の最前列さ、全員うちの家族で覆い尽くしたいくらいには」
ニッと白い歯を見せて笑みを浮かべた華耶に、海は思わずため息をついてうなだれた。
「……お前は強いね。そのたびにあんな痛みを経験してさ……」
ついこの間生まれたばかりだと思っていた真結と広乃も早いもので2歳になった。最近立ってあちこち歩き始めるようになったその姿を見ていると、よくもこの小さな身体の中にあの二人が宿っていたものだ――と海はそのたびに華耶の強さを思い知った。
「パパが頑張ってる姿を子供たち全員に見てもらうことが仮に出来たとしたとしたら、それってすっごく素敵な事だと思うしさ。引退試合なんか、家族みんなで胴上げするの。普通の人なら、大きくなった子が一人か二人いるかどうかかもしれないやつをさ、うちは……家族で9人くらい一気にダーッ!ってなだれ込んで引退試合を祝ってあげるくらいのことができたら、素敵だなって」
「……もはやギャグマンガだよ、そんなの」
「えへへ。でもさ……ああ、この家族たくさん愛し合ったんだなっていう証にはなるからさ」
「俺がもう少し父親をしてやれたらの話だけどね」
海の自虐に華耶はぽんぽんと肩を叩いた後、自らの胸をどんと叩いて見せて大げさに胸を張ってみせた。
「何度も言うけどさ、そこはあたしがカバーするからさ。ほんと、気にしないで。パパの背中を追って育つんだよ、子供は。男は黙って自分の仕事をするだけだよ」
「随分とジジくさいことを言うもんだね。本当は俺に抱かれたいだけなんじゃあ」
「あー。本当はあたしを抱きたいだけの男が何を言うのかな」
じー、っと二人が睨んでいるほどの表情ではないにしても、真顔で見詰め合う。
「ぷっははははは……。まぁ、"そっちのほう"も合致しているカップルでよかったね、ってことだよね、あたしたち。海くん、一回も嫌って言った事ないもんね。あたしが欲しがったとき。あたしもたぶん、海くんが欲しがったときは嫌って言った事ないと思うし」
「……」
『長く暮らしてたら性格なんてちょっと影響されてもおかしくないもの』
海の頭に、三葉の言葉が頭によぎった。
どちらがどう似たのかは分からないが、きっと、自分たちはだいぶ互いに影響されているのだろう。そう思うと海もまた、それがおかしくて無意識に笑ってしまっていた。
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「いつも、こううまくいくといいんだけどな」
甲子園付近の焼肉屋で予約を取った海一行は、携帯に映っている冗談のようなスコア――11という数字を見つめていた。
初回11得点――今日のチーターズは一味違った。
次から次へと長打が飛び出し、面白いように打線が繋がった。初回、打者一巡という観客にとっても最高のスタートを切ったこの試合――その後、初回の攻撃がまるで嘘だったかのように残りの8イニングは散発に終わっていた。
時折長打や四球、相手のエラーでチャンスが広がったこともあったのだが、完全に初回の猛攻撃で集中力を使い果たしていたと言ってもいいだろう。
結果的に6-11で勝利したものの、4点を返されたあとの7回、まるで攻撃が淡白に終わっていた打線に、今野も、生駒も、ヘッドコーチも『そういうところを去年まで散々注意されたはずだろう』とさすがに苦言を呈した。
勝っている試合なのに怒られるというのもあまりいい気分ではなかったが、それでも、清兵衛は気にせず『勝ったんだから食事に行くぞ』と海を夕飯に誘った。負けてもどのみち食事に誘って飲むつもりなのだから、単に試合後、こうして飲食がしたいだけなのだろう。
打線に火がつき大味な試合展開で大勝をするか、まったく淡白な攻撃に終わるかのどちらかを繰り返していた今年のチーターズ打線。
見た目だけなら優勝間違いなしという前評判をもらっていたはずのその重量級打線は、いざシーズンが始まってみると大振りが災いして競り勝つ野球がなかなかできず、3位の壁に必死で食らいつくのが精一杯だった。
打線がもう少しのところで噛み合いさえすれば、頭一つ抜けてもおかしくないのだが――重量級打線ならでは一発頼りがかえって災いを呼んでいる――そんな様子を呈していた。
「たまにはお前も飲めよ。俺一人で飲んでたらなんだか気を遣われてるみたいでいけねぇ」
「でも車が」
「ンなもん、代行呼べばいいだろうが。ほら、代行代。俺ァ誰かさんと違って、バカでけ家なんか建てたりしねェし、こう見えて金にゃ困ってねぇもんでな」
「……あとで返せなんて言うなよ」
やれソープがどうだの飲み食いがどうだので本当に金に困ってないものだろうか――海は怪訝な表情を清兵衛に対して向けた。
「俺がそんなみみっちいこと言うかよ。ほら、黙ってとっとけ。もらわれてるうちが華なンだからよ、こういうのァよ」
明らかに代行代には多すぎる札の厚みを海は手に取りながら、胸ポケットにゆっくりと渡された金を差し込んだ。清兵衛の年俸も超一流選手級のものではあるが、いかんせん清兵衛のプライベートがまるで透けてこないことから、本当に金に余裕があるのかどうか海は心配でならなかった。
「お前もだ、田中。お前さんもタクシーで帰んな。さァ、飲むぞ。勝ったんだからなァ、喜べ!11得点を祝え!!それくらいでなァ、いいんだよ」
「……ですけど……」
「あー、デモもデスもあったもんじゃあねェんだよ。いいか?いいイメージはいいイメージのままとっときゃいいんだ。残りの8回のことなんざ忘れちまえ。なァ?田中よ。1回にもらった失点と、その後のバントの失敗なんざ、大した事ァねぇだろうが」
「……でも僕は、5回までしか……」
「5回がなんだ、馬鹿野郎。結局5回1失点で勝ちがついたんだろ?だったらいいじゃねぇか。もっとできたはずとか欲が出るから、こいつみたいに色々と人生が狂うんだよ」
「俺を巻き込むなよ」
突然飛び火させられた海が清兵衛を睨んだ。
「……すみません」
ずっと黙っていた田中が申し訳なさそうにぺこぺこと謝る。
渡された金に申し訳ないと思っているのか、今日の試合内容に申し訳なさを感じているのかと言われたら――その両方だろう。
落ち着きなく、青白い顔を、薄く地味な……よく言うと、純朴な顔つきの顔を曇らせたまま、なかなか上げずにいる。
「だァー、もう。そういうとこだよ、お前さんのよくねぇ所ァよ。飯食ってるときくれぇ、その辛気臭ぇツラやめろってんだ。肉が裸足で逃げらァ」
そう言うと、網で焼き頃の肉を掻っ攫うようにして清兵衛はぺろりと一口で肉を平らげ、ビールで流し込んだ。タレも塩も一切つけずに口に運んだのを見て、海は思わず笑った。
「……味すんのか、それは」
海は時々よく分からない食べ方をする清兵衛のそれを見て、不思議そうな表情を浮かべた。
「あぁ。肉肉しい味がするね」
「肉の味しかしないってことだろ。タレをつけるなりなんなりしたらどうだ」
「分かってねェなぁ。最初の一口ってェのはな、肉の味を食うんだよ。そばだってそうだろ?最初の一口は何もつけずに食う奴がいるように、俺は肉そのものの味を食うんだよ。最初はな」
「それで何か分かるのか?」
「ガハハ。何も分からん」
「バカかよ」
「ただ、贅沢してる気分にはなるだろ」
「……深堀りしようとした俺がバカだったよ。それじゃ遠慮なく俺もいただくから」
本当に食べていいのかどうか不安そうにしている田中が目に付き、海は自分の分と田中の分とを取り皿にトングで盛り付けた。
「だァー、何やってんだお前。こいつには自分の意思で食わせろ。でなきゃこいつ、お前に甘えてばかりだぞ」
清兵衛が海の気遣いに対して苦言を呈し、首を横に振った。
海は内心そうでもしないと田中は食べたがらないからという気持ちを抑えながら
「これは俺なりの労いだよ。少しくらい、今日の投球の褒美があったっていいだろ」
ともっともらしいことを言ってみせ、田中に『余計な気を遣わせるな』と目配せした。
「……すみません、なんか、ほんとに」
「あとはお前が自分で取りなよな」
「……はい」
海は田中に未使用のトングを押し付け、次々と清兵衛に乗じてオーダーをしていく。
おごり、と言われてるのだから海は遠慮なく頼んだが、田中はなかなかオーダーも取れずにいた。
「田中ァ。お前さん、奢られてるんだから、自分の意思で肉頼まなきゃいけねぇよ。俺ァあとは自分が食いたいものしか頼まねぇ。お前さんも、自分で食いたいものを頼むんだ。お前さんが焼肉屋に来てまで漬物と白米ばかり食いてぇなら別だがよ」
「……じゃあ……漬物と――」
「違ぇよなァ、おい!?」
「……いや、でも僕は漬物が――」
「肉食わせに来たんだから、先に肉食ってくれよ。何だよ、お前さんたち。そういう世代なのか?年上に萎縮する世代なのか?」
思わず前のめりで田中のオーダーを阻止する。海もまた思わず田中を凝視してしまった。
「肉食え、肉。焼肉屋の漬物ってのもオツだがよ、まず肉を食えよ」
バン!と肉のページを清兵衛は両手で押さえつけ、田中に『このページ以外のものを頼むな』とメッセージを込めて睨みつけた。
「……なんか、ほんと、すんません」
そうして田中は申し訳なさそうに、ふらふらと指を惑わせながら5分ばかり悩み、ようやく肉を頼むことになった。
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「うィ~ッ、やっぱ勝ったあとの酒ってのはいいもんだなァ、おい?」
「お前は負けてても飲むだろうに」
「負けても勝っても、酒があるっていう生活はいいもんだなァ、佳井海よ」
「いいもんかよ。世の中皆がお前みたいなやつじゃないんだぞ」
「ガハハ!そらそうだな。お前さん、たまにいいこと言うな」
途中から頼んだ日本酒を水にすりかえた海は、こっそり自分で日本酒を飲み、田中にもそれを同じくこっそりと分けた。
「俺もねェ、悔しいっすよ。なんで5回1失点で降ろされなアカンのですか。バント失敗だってねェ、バントしろだのバスターしろだのォ、ベンチが変にゆさぶりかけようとするから三振したんであってェ、あれは生駒のデブの野郎のサインミスなんすよ。俺かてねェ、あの一球前のストレートをバスターしろだの言われなければ打ってましたよォ!監督だけじゃなくてあのデブも一緒にクビになってりゃよかったものをですよォ!んッッとうによォ!」
ガン!と氷水の入ったジョッキをテーブルに叩いた田中が、顔を真っ赤にしながらヘロヘロとした口調で普段の姿からは想像のできない言葉を吐き散らしていた。
「おうおう、そうだなそうだなァ!お前さんはようやっとる!」
バシバシと対面席から田中の肩を叩く清兵衛。
海はそれを顔色変えずに見つめながら気ままに肉を頼んでいた。まさか田中まで酔い始めると思ってなかったし、田中がここまで酒癖が悪いとは思っていなかったこともあり、海はこの状況をどうするか迷ったのだが――とりあえず写真にだけは収めておく事にした。
きっと田中のことだ、酒が入ってからの事を思い出すと今後は酒まで飲まないと言い出すだろうから、自分の中の記念に――と海は思った。
試合後、トイレで一緒になったのが田中にとっては運の尽きだった。
これから焼肉だ、と清兵衛がトイレで田中とすれ違った際に、海と田中が同い年であり、同期だったことを思い出し――ふと呼びたくなったから連れてきた、と清兵衛が狩猟でもしてきたかのようなテンションで海のもとへ田中を連れてきた。
同い年同士積もる話だってあるだろう、などと清兵衛は言っていたのだが――ふたを開ければ清兵衛が田中と共に酔いながら、あることないことを喋っている、そんな空間になってしまっていた。
「お前、いっそもう清兵衛の隣に座ったら?」
そう海は田中を清兵衛の隣に運び出し、海は一人で肉を焼き始めた。
日本酒はまあまあ強いのだが、血筋というものだろう。酒というものに海は酔った事がなかった。顔色変えずに飲み続けるものだから飲んでいないように見えると清兵衛に言われるのだが、紅潮することさえなく飲み続ける海はだいたいいつも周りを介抱する役回りになっていた。
「清兵衛さァん、俺ね~ェ、『暗黒エースの象徴w』とかァ!『チームがチームだからエース張ってるだけでよそなら便利屋止まり』とかァ、『成績以上に顔が地味』とかァ、言いたい放題ネットで書かれてんのォ、めっちゃ腹立つんすよォ!!今に俺一人で20勝でもして~ェ、お前らその口叩けなくしてやるからなァ!!って思いながら毎週毎週投げてるんスよ~ォ!!でもォ、うまくいかないんすよ!!俺はァ、それが悔しくて悔しくてたまらないんスね、んッッとに!!」
普段あまり喋らないタイプに悪酔いさせてはいけない典型的な例の姿を田中は海の前でさらけ出していた。
清兵衛の隣で肩を組みながら絡んでいく田中の視界になるべく入らないように海は肉を焼き続け、黙って食べ続ける。
「コーチもコーチなんスよ~ォ。もっと投げさせてくれェ~ってタイミングでいつも下ろされるし、やろうとすればやろうとするほどいつもいつも空回りでェ、もうね、俺ねェ、やってらんないッスよォ!バーカ!!」
「おうおう、やってらんねェよなァ!てめぇ一人のせいじゃねぇ試合もお前のせいにされてなァ?分かるぞ、分かるぞ俺ァ!その気持ちよぉ!」
「……もしもし。……タクシーを二台。だいぶ酔ってるので。はい。……はい。すみません。お願いします」
中6日ローテで投げる田中はともかく、清兵衛は明日だって試合もあるのに田中と一緒のペースで飲むものだからこれはいけない、と海はタクシーを早々に呼んだ。
清兵衛が置きっぱなしにしている携帯を店員に渡し、『ポイント払いで』と頼みながら海は先ほど清兵衛がやったように、箸で一気に肉の群れを手繰り寄せてそれをべったりと塩ダレにつけ、一口でほおばった。
「……本当に贅沢してるだけだな」
口の中に肉の味とタレの味が広がっていくのだが、一気に食べるよりは絶対に一枚ずつ食べたほうがおいしいし、肉の塊を食べたいのであればそもそもステーキを食べたほうがいいのでは――そんな事を思いながら海はタクシーが来るのを待ちわびていた。
店に来る前に田中とBINEなどの連絡先を交換していた海は翌日早朝――『きのうのこと、お金でもなんでも払うので本当に誰にも言わないで下さい』というメッセージが送られてきたのを見て、記憶が残っているレベルの悪酔いは残酷なものだ……と思った。