海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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47・次代を見据えて

「うん。……うん。大丈夫だって。また来年頑張ればいいんだからさ。……うん。一泊してから戻ってくるんだね?分かった。お土産ちゃんと買ってきてよね?……あ、ちょっと待って。晴留が話したいんだって」

早く早く、と華耶のエプロンのすそをつまんだ晴留に携帯を渡すと晴留は嬉しそうにしながら大声で話し始めた。

 

「パパかっこよかったよ!ママといっしょにずーっとみてたよ!うみのーかなーたーへー!っておーえんかもね、いっしょにうたったよ!」

 

本当にそれだけ言いたかったのだろう、満足した表情で晴留は華耶にその電話をはい、と渡してカレンダーを丸めた棒きれを握りながら、海の物まねのようなそぶりでそれを振り回し始めた。

 

「……ね。負けて悔しいのは分かるけどさ、晴留もこんなんだからさ。あんまり落ち込んで帰ってこないでよね。え?新?新もなんか言いたい事あるんだって。……うん。替わるね」

「ピアノでせんせーにほめられたからなんかかってきて」

 

新はぶっきらぼうにしながら一言だけそう話し、華耶に携帯を戻した。

「あのね、新。パパはお仕事で遠くに行ってるんだから、もう少しパパのことも褒めるとかしてくれたほうがパパも喜ぶと思うよ?」

「だっておれ、そんなにしあいみてないもん。ねー、おとーさん。なんかかってきて」

「そういう言い方したらパパ傷つくと思うなー。パパみんなのために働いてるんだから」

「でもおれだっておとーさんにほめてもらえるとおもってピアノもえーかいわもやってるもん。おれがおとーさんほめるまえにさ、おとーさんがもっとおれのことほめてよ」

「それはそうだけどさあ。……あ、ごめんごめん。ちょっとその話はあとであたしがしっかり新に話しておくから。……え?いや、別にいいのに。こないだもそうやっていろいろ買ってきたじゃん。……うん。わかった。言っておく。うん。じゃあね」

 

早いもので春から小学校に通い始めた晴留。

華耶はまた少しだけ狭くなったように感じたリビングを見つめながら、去年4月に生まれた直人に授乳させていた。

真結と広乃はそれをじーっと、興味深そうに眺めている。

 

「気になる?」

「うん」

「真結も広乃もこうして育ったんだよ」

「そうなの」「おぼえてない」

「まぁ、そうだよね。いつか真結も広乃もこうして優しくしてあげるんだよ?わかった?」

「わかった」「やさしくする」

 

髪を左で巻いたほうが真結、右で巻いた方が広乃――と意識的に覚えないとついつい忘れそうなほど、二人の顔は最近ひときわよく似てきた。

双子は瓜二つだから大変だ、というのはドラマや漫画なんかでもよく聞いていたが、少しでも意識していないとすぐにでもどちらがどうかを忘れてしまいそうだった。

華耶もまた、海にたびたび二人の写真を送り、どちらが真結でどちらが広乃かを当てるというクイズを送っていた。

ただでさえ家を空ける期間が多い海のことだから、意識的に覚えようとしていないと、どちらが真結でどちらが広乃だったかをすぐにごちゃごちゃになってしまいそうだった。

 

時折華耶がいたずらで二人とも同じような髪型にしてみせるものだから、海は『そういう意地悪はしないでほしい』と華耶に言い聞かせるくらいには海は参っていた。

 

今年も首位以外は大混戦だったEリーグ。

その中で開幕直後、一歩頭を抜け出したのはチーターズだった。

去年、今野政権となった新体制1年目は最下位と沈んだが、極端に戦力が劣っていたわけではない。

少し勢いがつけば優勝だって夢ではないし、チーターズ以外のどこのチームだってちょっとの世代交代に失敗したりFA権の交渉を失敗するだけで一気に情勢が変わりかねない――まさに戦国時代と化したEリーグの中で、チーターズは今年は最終的に2位で終える大躍進を見せた。

主力選手の故障や、投手陣の一時期の不調さえなければ、優勝も十分ありえたのだ。

 

シーズン打率.368。

打率そのものは一昨年のレギュラー昇格から頭打ちといったところだったが、それでも海の打撃は今季も安定して高打率を残していたし、それだけでなく、ここ最近は目に見えて間を射抜くような鋭いライナーや、単に打ち上げただけではなくしっかりと勢いのあるフライ性のヒットが増えてきた。

あと少し飛距離があれば――そう思わせる打撃が少しずつ増えた中で、安定してこの打率を残し始めた海を、もはや期待外れと言うものは誰も居なかった。

 

しかし、海自身はその打撃に満足している様子はなかった。

 

『豪快な一発を狙わなくても結果的にホームランとなるような打球を打てる余裕が欲しい』

 

『ホームランを狙うんじゃなくて、自然にホームランが打てそうな球を少しでも増やしたい』

 

海は華耶に向かってそんな言葉をよく言っていた。

「……きっと、気にするんだろうなあ。あたしが気にしないでって言っても。それが海くんだから」

 

授乳を終え、満足そうに眠る直人をあやしながら、華耶は遠い目をして天井を見上げた。

 

決して子供たちの前では見せない、あの物憂げな表情。決して自分に満足することなく、自分を責め続けながらうつむくあの大きな背中。

今すぐにでも抱きしめてやりたい気持ちが華耶の中で溢れていた。こんなとき、海を受け止められるのは自分しかいないだろうから――という妻として、海を支えると決めた女としての自負がそこにはあった。

 

去年、監督が今野に代わってからは、積極的ではないものの、あまり得意とはしていなかった盗塁も、本当に走れそうな時だけは隙を突いて奇襲をかけるようにもなった。

決して癖を見抜くことも、足の速さとはまた別のスタートの思い切りもうまくはなかったが、少しでも自分のプレーが勝利に繋がれば――そんなプレーを海は自分の出来る範囲で増やそうとした。

 

もちろん、自分にはどうやっても出来ない事は無理してやろうとはしなかったが、不慣れだった盗塁の練習も少しずつ取り入れるようになった海。

二塁到達までに最高速度までたどり着けないその大きな身体ゆえの悩みは相変わらず根強くこびりついていたが、それでもまったく練習しないよりは――と清兵衛の癖を真似てみたりなど、海なりに何かをつかめないかとあれやこれやと試みていた。

 

何か一つでも、自分の今後に結びつけば――。

 

『お前の打撃は勝利に繋がらない』

 

前野の言葉が、海にはどうしても離れなかった。

 

そして今日、やはり海の頭の中にはその言葉がびっしりと埋め尽くされていた。

 

再び2番打者に固定されていた海のツーベースヒットに呼応するように、今季は3番を打っていた清兵衛が続け様にヒットを打つ。

4打席目には海のこの日2本目のツーベースヒットが生まれ、それに負けじと清兵衛もまたセンターの頭を越すツーベースヒットを放ち、海をホームまで安全に帰した。

 

海の打撃が決して勝利に繋がっていないわけではない――それはファンも首脳陣も、どちらも分かっていた。

だが、あと一歩という場面を逃したこの試合、海は自分自身を責めずには居られなかった。

 

「ひとりグルメ紀行かい」

「あんたが隣にいると自分のペースで食事ができなくてね」

 

スパークリングワインのボトルを1本空け、売れ筋だという自家製のサングリアを追加でもう何杯飲んだ事だろう。こういう時だけは、自分の酒の強さを海は疎ましく思った。

どれほど酒を飲もうが酔うことがないのだから、海は次から次へと酒を飲み――店の名物である牡蠣の食べ比べを食い漁った。いっそ、食あたりでも起こしてしまって、のた打ち回りたい気分だった。

 

ドッ、と勢いよくイスに座った清兵衛はビールを一度に3本頼み、そのうち1本をラッパ飲みして一気に飲み干した。

 

「かァーっ、たまんねぇな。やっぱビールはこれに限る」

「俺はやらないけどね」

「それはそうと、亜鉛の摂りすぎもよくないって知ってるか?お前さん」

清兵衛が箸で股のあたりを指し、海は嫌そうな顔を浮かべながら舌打ちをした。

 

「摂ったぶん明日家に帰ったら全部出すからいいんだよ」

「んなもん、今日このあと出したらいいじゃねえか。いい店教えてやろうか」

清兵衛が携帯をいじりはじめたのを見て海は首を横に振った。

 

「バカ言え。俺はもう華耶じゃなきゃ駄目なんだよ。あんたみたいに、抱けるなら誰だっていいわけじゃあない。世間の顔がどうとか以前に、俺は俺のまま抱きたいんだ。"誰かの求める佳井海"を演じて知らない女を抱くのは、俺は嫌だ。誰かを抱いてるときくらい、俺は俺に帰りたい」

「なんだァ?人が女遊びばかりしてるような言い方、よくねェな。まるで自分はピュアピュアのキュアキュアだ、みてぇな言い草をよ」

「……今日だって試合のあと行ってきたんだろ。お前、嗅ぎ慣れない石鹸の匂いがしてるぞ」

「ガハハ。まァな。シーズンが終わったとなれば、まずやらなければいけねぇことが俺にはある。俺なりの美学なんだよ。俺を知らねェ誰かだからこそ、俺が俺でいられることだって、あるだろ」

「……知らないけどさ」

 

呆れたようにしながら海は牡蠣を再びかきこんだ。塩気が口に広がったあと、それを流し込むようにして、酸味の強いサングリアを飲み干す――。まさに、暴飲暴食だ。

 

「おいおい、らしくねぇことすんなよ、お前さん。別に今日はお前さんのミスで負けたわけじゃああるまいに」

「でも、10回の攻撃は凡退した」

「そらァ、俺だってそうだろ。お前さんも、俺も凡退した。なら、俺のせいにすりゃあいいじゃねぇか。お前さんのファールフライを俺がヒットを打ってカバーしてやれなかった。それでおあいこにゃできねえか?」

「なるかよ」

海はそうして再び牡蠣をすすり、店員におかわりを注文した。

 

「関心しねェな。言っただろ、俺ァ。なぁ海、佳井海よ。まるでお前さん一人でチーム背負ってるみてェなツラ、俺ァ好かねェな。まだ発展途上のお前さんがしていいツラじゃあねぇ。上がいるうちはな、上に責任転嫁しときゃいいんだよ。野球は1人でやるスポーツじゃあねぇ。お前が凡退したとき、俺は一発を狙ってた。でも、それができなかった。うかつに一発を狙ってしまった俺のミスだ。それでいいだろうが。俺ァ年上だぞ」

「じゃあ、俺が一番上になったらその時は?」

「下に責任転嫁すりゃあいい」

「……ワガママもいいところだね」

清兵衛が冗談で言っているのは分かっていたが、海にとってその冗談は今はあまり聞き入れることができないものだった。

 

「だがね、それができねェうちはお前さんはずっとこのままだ。お前だけじゃねえ。田中のやつだってそうだ。ミスを全部自分のせいにしてたら、そのうち首でも吊らなきゃいけねぇ日が来るぞ。いいか、海よ。今日の試合、お前一人がミスしたんじゃあねぇ。俺も、打たれた投手も。みんな今日ミスしてんだ。それでいいだろ。他のメンバーはきっとそうは思ってねぇだろとお前さんは思ってるかもしれねぇが、本来、野球ってのはそういうスポーツだ。自分の仕事をしっかりこなせなくて、おまけに他人のミスをかばいきれなかった全員に責任があるんだ、本来はよ。牡蠣なんて安くもねぇ食いもん、そんな食い方してたら、いつか牡蠣に恨まれらぁ。そのへんでやめときな」

 

ひょい、と海が注文した牡蠣を勝手に食べ始める清兵衛。

 

「いいか。俺ァ来年15本前後は狙おうと思う。お前もそろそろ2桁を狙っていいだろ。少し三振が増えるくれぇ何だ。.360から.370の間をチョロチョロと率ばかり気にしながら打つの、そろそろ辞めてもいい頃だろ」

清兵衛は海の肩をバンと叩きながら、再び牡蠣に手をつけた。

 

「それで本当に打てるならね」

「んなもん、お前さんが打てねェと思い込んでるだけかもしれねえだろうが。俺ァ、打てねェと思って打席に入っちゃいねえ。俺のやり方があるから、毎打席長打を狙ってるわけじゃねぇんだ。でもお前さんは、自分のやり方以前に、自分には大きいのを打てないと自分で思ってたり、失敗そのものを恐れてるから、本当に思い通りの打球が打てねェんだ。それで失敗を恐れて、小さくまとまってしまう。そらァよ、あんな監督のもとじゃ仕方なかったかもしれねェが、今はもう違う。監督が代わって来年で三年になるのに今のままじゃお前さん、本当に上り始めたはずの階段を自分の足で降りることになるぞ。応援歌の歌詞くらいな、たまには描いてみろよ。海の彼方まで届くような、派手なアーチってもんをよ」

 

そう言ってバン!とテーブルに一万円札を5枚ほど置いて立ち上がる清兵衛。

 

「来季はもっと早い打順で打ちてぇと、近いうち相談してくる。お前さんが俺を一度でも多く帰してくれると、俺ァ信じてるからな」

「それで俺が期待に添えないようなら?」

「そん時ゃ、縦じま以外を着る未来を選ぶ」

 

そう言って背を向けた清兵衛に海は肩を振り向かせながら――

 

「あんたに似合うユニフォームが他にあるならな」

 

と話すと、清兵衛はガハハと笑いながら――

 

「その時は俺に似合うようなユニフォームを作ってくれと、球団に頼むさ。いいか、忘れるなよ。お前さんは失敗しないための打撃から卒業しろ。お前さんはもう、次のステップを目指すべきだ」

と去っていった。

 

一万円札の下にひっそりと隠れていた、清兵衛が立ち寄った店の名刺を見て一瞬海は『ここからさほど遠くない距離だ』とも思ったが――すぐさま華耶にBINEで連絡を入れた。

 

『子供が寝付いたら"とびきりの写真"を送ってきてほしい』

 

と。

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