海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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49・変わったもの、変わらなかったもの

再び年が明け、2月末――11回目の春季キャンプを無事にもうじき終えようとしている海のバットからはこれまでにないほどの快音が鳴り響いていた。

 

普段どおりの、規定ギリギリくらいまで伸ばしてある長いバット。そのバットを少しでも調整したからなのか――という目線の取材班もいたが、別にいまさらバットを変えたりしたわけではない。

 

多くの取材班の目にも明らかだったのは、外角ギリギリいっぱいだとか、カウントを追い込まれているとついついバットに当てることだけ考えてしまいそうなコースのボールに対し、時折空振りやカス当たりを交えながらも強気なスイングをし続けていることだった。

 

もとから、空振りが極端に多かったわけではない。

それは、海がこれまでバットにボールを当てるということを最優先事項にし、決して弱弱しいスイングではないのだけれども比較的コンパクトな、振りでセンター前や内野の間を抜くような鋭い弾道で弾くスタイルだったからだ。

そのため、どうしても出塁を意識するあまり、守備の穴を突くようにして意図的に地面に叩きつけて転がすような打球を放つこともあった。これは、高校時代の海にはあまりなかったことだ。

 

そうした『守りのスイング』が、このキャンプでは海は人が変わったように――いや、むしろ、かつての姿を取り戻したかのようにして鋭い当たりをこれまで以上に連発していたことに――それどころか、普段の海の鋭いライナーをもう少しだけ高く上げたようなシャープな打球がそのまま外野席までぐんぐん伸びていくタイプの策越えを連発していたから、取材班は海へのカメラを回してやまなかった。

 

内角の球をわざと引き付けながらうまく引っ張ってスタンドへ運んだり、外角の球を流れに逆らわずに鋭い弾道のままフェンスの向こうを狙っていく打球。

海らしいといえば海らしい、単純な飛距離だけを求めているというよりは、意識的にどんなコースの打球も鋭く弾き返して外野を積極的に狙っていくような打球がそこにはあった。

 

時折、きわどいコーナーのボールに対してすら力任せのスイングで豪快に遠くへ飛ばしながら何本もバットを折ってみせたが――それは海としては、普段のようにバットに無駄なくボールを乗せるような自然体のスイングでも遠くへ飛ばすための感覚と、自分が自然体でスイングできるギリギリのラインを見極めるために意識的に確認していたものだった。

 

「アイツ、俺が今年は2番を打つからお前は3番あたりを打て。ってプレッシャーをかけた途端、3番打者としての打撃をするようになったんだよ。どうだい。あんたらの目に、アイツが今季一皮向ける姿は想像できるかい」

 

内野席のフェンスによりかかりながら取材班に対してそう声をかける清兵衛。

 

「清兵衛選手は佳井選手にどのくらいの成績を期待してるんですか」

「そうだなァ。実際の試合で、俺を帰すために安打を重視するようなら、4割2桁は打ってもらわんとな。仮に、もしあんな風に『俺ァ大振りでも構わねェ、俺ァもう空振り三振なんて知らん』と思い切れるなら、3割20本はやってもらわねェとな」

「大きく出ましたね」

「何言ってんだ。こんなバカみてェなキレも生む代わりに飛距離も出やすい極端な規格のボールなら、そのくらいはやってもらわねェとな。大体、もともとアイツはどんなボールだろうが、遠くに飛ばそうと思えば飛ばせる奴なんだよ。どんなボールになろうと、アイツが自分自身の打撃を取り戻したら20本30本は軽く打てる力が本来、奴にはある」

 

俗に言う、統一球時代――。

 

海がちょうどプロ入りするくらいかどうかくらいの頃まで四半世紀ほど使われていたそのボールは、さまざまな物議を呼んだ。

 

球場が大型化してなお、乱打戦になりがちだった当時の野球において、試合を短くするために生まれたという――完全に芯を捉え、力で叩き潰すようなバッティングさえすれば非常によく飛ぶが、そうでない場合はまるで飛ばなかったという"統一球"。

 

国際基準のダイナミックなボールを――と、アメリカのプロリーグのように漫画的な変化をしやすいボールでもあったそれは、引き締まった投手戦を過剰に産み、かえって延長戦を引き起こす原因となった。

 

投手成績は激しくインフレを起こしたし――それでも難なく打てる打者は一定数いたものの、サッカーに毛が生えたような点数しか入らない試合がことごとく続き、ただただ三振に倒れては攻守の入れ替えだけが繰り返される試合が繰り返され、投手戦が当たり前になりすぎた結果、『見所に欠ける』と世間に判断されてしまった。

 

ちょうどその頃、日本代表がワールドカップで好成績を収めたこともあってサッカーの人気がその頃高かったものだから、地上波での試合中継は徐々に減り、道具が高いだのなんだのと理由をつけられた野球は競技人口を下げていった。

 

そうして、『子供たちが野球選手を目指したくなるようなボールを』と、以前ほどではないにしろしっかりと指にかかって漫画のような変化をしながらも、ダイナミックな打撃戦も生むような飛距離もしっかりと生む現行のボールが開発されることになったのだ。

 

チーム打率がよくてせいぜい.220に届くかどうかというシーズンすらもあり、年によってはリーグの中でチーム打率が.200に届いたのがわずか1チームしかなかった――そんなことすらもあった統一球時代。

それまでしぼみにしぼみ、打率が『市外局番』などと揶揄されていた打者ですらも打率の向上が見られるほど、現行のボールは全体の打率を健全化させ、飛躍的に引き上げることになった。

 

毎年微妙にリニューアルしながらも――地を這うような鋭い打球もグラウンドの土に勢いを殺されずにバウンドする、軽打で打率を稼ぐような俊足巧打の打者にとっても現行のボールは好材料となるものだった。

 

ゆえに、海のように『自然体で打つ』ということを意識している打者ならば、わざわざコンパクトに振ることを考えずとももっと海は自分らしい打撃が出来るはず――コーチも、清兵衛も、それを分かっていた。

 

だからこそ、海が本来のバッティングを取り戻し、全てを振り払ったとき――トップクラスの打者が当たり前のように4割近くを打っている現在のボールが続くようならば、海にとって4割という数字は決して夢物語ではないと誰もが思っていた。

むしろ、4割という数字は命題ではなく、ノルマでもいいくらいだ――とすらも。

 

「なんなら、統一球のままだったとしても、あいつァ本来の自分の打撃を取り戻したら4割も夢じゃないと思ってる」

「統一球の頃の首位打者なんてせいぜい.330くらいですよ。あの頃4割打てた打者なんて、居ませんでしたよ」

「だからだよ。あの頃のボールでもアイツなら最低でも.350は打てただろうし、それでいて30本くらいは打ててたと俺ァ思うね。あの時代に、アイツが、前みたいな監督に潰されてなきゃの話だがね。アンタらも薄々、アイツの実力に関してはそのくらいは思ってるんじゃねェのか?」

 

清兵衛はそう言いながら、転がってきた海の打ちそこないのボールを手に取った。

キャンプの間、使い潰されてだめになるボールは少なくない。土の匂い以外の、少し焦げたような匂いのするボールを清兵衛は手に取りながら、普段のしなやかなスイングよりもやや力強いスイングを続ける海を見つめ、そのボールを回収係へ放り投げた。

 

「僕も別に、統一球の時代をずっと追ってたわけじゃないですから。あの頃ずっと野球を見てきた人はうちの会社にだってもう居ません。でも……見てみたいもんですね。あの飛びづらい統一球をモノともせーへん佳井選手というものを」

「あの統一球、まだ手に入るものなのかね」

「それは、僕に聞くよか監督とかに聞いたほうがええんとちゃいますか?」

「そうか。簡単に手に入るもんならよ、アイツの練習、わざと統一球に変えて練習させたほうが、かえってアイツのためになるんじゃないか?なァ、お前さんもそう思うだろ」

「……それも、僕に聞くよか監督とかに聞いたほうがええんとちゃいますか……?」

「ガハハ。それもそうだな」

大笑いを浮かべる清兵衛の向こう側では、バットから鈍い音が何度も連発し続けていて、海はそのたびにスタッフに折れたバットを差し出し、替えのバットを受け取っていた。

 

「今日あれで何本目ですか」

「どうだろうな。5本目から先は覚えてねぇ。お前さんが統一球の時代全てを追っていないように、俺もアイツの練習全てを追ってるわけじゃねェからな」

「……随分折りますね、今日は」

言葉をそっくりそのまま返された取材班は咳払いをしながら清兵衛の脇で、その折られたバットを遠めに見つめていた。

 

「今日も、の間違いだな。全体練習が終わった後も、アイツぁ随分バットを折ってるよ。今年は『佳井が折ったバット』でグッズのセットでも作ろうとしてるんじゃないかってくらい折ってる。そのくらい気合が入ってるってことだな」

「ところで清兵衛選手」

そう言って後ろ手で腕を組んだ清兵衛を記者は見つめた。

 

「なんだァ?」

「佳井選手に4割2桁打ってほしいと思ってるんなら、大鈴選手も負けてられないのではないですか。どうでしょう。今季の意気込みは」

「そうだねェ……アイツよりはホームランを打ってやるよ」

「まじめに答えてくださいよ」

「ガハハ。俺はいつだってまじめだ。今年の俺の仕事は、アイツに足と打撃でプレッシャーをかけることだからな。だから俺ァ今年は積極的に長打も狙っていく。俺の打撃にアイツがついてこれないときは、その時はアイツの終わりよ。逆に――」

清兵衛が真っ青な雲ひとつない沖縄の空を見上げながら――

 

「俺がアイツの打撃についてこれなくなったら、その時ゃ俺の終わりかもな」

「まだ33じゃありませんか、清兵衛選手」

「だから、そんな日はまだまだ来ねぇってことだよ。ガハハ」

清兵衛はそう言って大声で笑いながら、バットをヌンチャクのように振り回して記者のもとから離れていった。

 

「……」

毎年毎年、海はキャンプの厳しいメニューよりもこの時間帯のほうがよっぽどきつく思っていた。

 

「そんなに人が飯食ってるところを皆見たいもんかな」

「何言ってるんですか。去年のキャンプのこのコーナー、最低でも再生数68万回なんですよ。佳井選手の回が伸びないわけないじゃないですか」

「……あっ」

何かを察したようにして田中はカメラから背を向けた。

 

「あー、田中選手。田中選手も来て下さいよ。二人、今や数少ない同期でしょう。なんかほら、意外性のある食レポとか、なんか好き嫌いの話とかしてくださいよ」

球団広報が海に回していたカメラを田中のほうに向け、取材をしようとする。田中は嫌なところに来てしまったな……という顔をしながら、向かいの席に座って――

「……この二人で動画が成立すると思ってるんですか」

と苦笑いをした。

 

「……佳井さん、それ自分の意思で着てませんよね」

食事に手をつけようとした田中がふと海の衣服に気づき、思わず箸を止める。

「あぁ。こいつが絶対着て来いって言うから。今日は俺の夕飯に取材するから宣伝もしろって」

「でも本当に着てくるあたり佳井選手もまんざらじゃあ」

「……言っとくけど、俺の口から販促しないからな。お前が販促しろよ。下にテロップでもつけてさ」

海は広報を睨みながら、広報がしっかりとカメラに収めたそのシャツへの文句をつけた。

 

海が口癖にしていた『正直言って』。それを日本語だけでなく、わざわざ英語でもプリントしたTシャツ全3種が今年から球団グッズとして売られるようになった。

 

話題性を集めるためにこうした球団のファン向けの動画でもわざわざ着て来いと言われ、しぶしぶ海は――あまり他人にバレないよう、3種のうちひとつ、英語版――『To be honest』、そして、その略語であるTBHと書かれたバージョンのTシャツを着てきた。

それも、モノクロで加工された自分の顔なんかも一緒にデザインされて印刷してあるものだから、海は本当にこれを嫌がった。

 

「佳井選手。今日は魚介類多めですね」

「食べ始めだからあっさりしたものを多く食べてる感じだね。……別に、どうでもよかったんだよ。たまたま一番近くに魚介類のコーナーがあったから、多く盛っただけだよ。肉もこのあと食べるつもりだし、逆に肉のコーナーが近くにあったら、肉を最初に食べてただろうね」

「おいしいですか?」

「シェフたちが一生懸命作ってくれたものだから、おいしくないわけがないよね」

「……佳井選手。おいしいですか」

「今言ったじゃないか」

「あー……じゃあ、何で魚とか多めにしたんでしたっけ?

「それもさっき言ったよ。……ひょっとして疲れてるのか?風邪でも引いたのか、お前?」

不満そうな顔をする球団広報の表情に、田中は何か気づいたようで――

 

「……佳井さん。たぶん言うまでカメラ止めてくれませんよ」

「言うまで?」

何をだよ――と考えながら、海はふと自分の着ている黒地のシャツの柄が目に飛び込んできて、田中の考えを察した。

 

ハァ……と、深呼吸をするようにしながら深い深いため息をついて、海は一旦コップの水を口に含みながら、球団広報を睨んだ。

「言えって言われて、人の口癖をこうやってネタにされるのすごく嫌なんだけど。正直言って」

口癖というものは抑えられないから口癖であって、言い終わってから海ははっとした表情で口を塞いだ。

 

「はいいただきました『正直言って』!ちゃんと下にテロップつけておくので」

勝ち誇ったような球団広報の表情を見ながら、海は不快感を露わにした。

 

「あのさぁ、本当そういう人の口癖バカにするのやめたほうがいいと思うよ、俺。言ったからね、やめたほうがいいって。正直言って、俺だってそんな毎分毎秒言ってる言葉でもないし。大体、そんな安直なキャラ付けしないとこの国で生きて行けない、とか思ってるわけじゃないし。やめてくれよ、なんかこういうときだけ俺の日本語がちょっと不自由なことイジったりするの。俺だって別に、決め台詞のつもりでいってるわけじゃないんだから」

「でもほら、売れっ子アイドルが昔言ってた『ぶっちゃけ』みたいな聞き馴染みがあるじゃないですか。正直言って」

「やめろって本当にそういうの」

球団広報のイジリに、海はついさっき言ったばかりの『自分の日本語がちょっとしたときに不自由になること』が未だにこうして面白おかしく使われていることに嫌気を感じた。

こうしたステレオタイプ的な関西人の『何でもお笑いにしようとする空気』が未だに海は苦手だった。関西人皆がこうだとは思ってなかったが、人間、そこまで毎分毎秒おかしくなければいけないのか――海には理解できなかった。

 

「……佳井さん。もうこれ何言っても絶対使われますよ」

田中がニヤニヤしながら――

「……正直言って」

と追撃をし、思わぬ攻撃に海は思わず田中を睨んだ。カメラさえ回っていなければ、手が伸びていたかもしれない――と海は一瞬ぞわっとした背筋に自分が冷静さを失いかけていることを感じた。

 

「……とにかく。食事のコーナーなんだからもうちょっと食べてるものに注目するとかしなよ、ほら。……これ以上は本当に怒るからな、お前ら二人とも」

海は手のひらを差し出して食べている最中の、白身魚のから揚げや刺身、そしてグラタンなどを映すように仕向けるのだが――

「あ、じゃあ田中選手何食べてるか教えてください」

「俺のは?」

「佳井選手のはもう十分撮れ高あるんで」

「お前、本当にこの……」

球団広報はそんな事を言って田中の食事の様子を撮りはじめた。

 

「……本当に言うけど、突然言えって言われて使ってるような言葉じゃないからねこれ。ふとしたときに……しゃっくりみたいに出るものなんだからさ。そんなぽんぽんと使う言葉でもないし、使ってくれって言われて、ギャグみたいにうまいこと使える言葉じゃないからねこれ。そんなの、お笑い芸人にやらせておけばいいんだよ」

「まだ言ってるんですか、佳井選手。食事冷めちゃいますよ、正直言って」

広報はそうして一旦海を見つめたが、海の目が血走りかけていることに冷や汗をかいた。さすがにこの場では手は出さないだろうとは思っていたが、過剰なイジリはここまでにしておこうと思った。

 

「60万回これが再生されると思うと、嫌になっちゃうね。野球で絶対見返すから。俺今季は2桁絶対打つって決めてるんだから。そのときはお前、俺をネタキャラ扱いしたこと、本気で謝ってもらうからね」

「きょう随分飛ばしてましたもんね。あの折れたバット、グッズ行きですか」

「なんとか、グッズにしたいね。勿体ないし。ボールは俺のものじゃないし、ちょっと再利用が難しいかもしれないけど、バットは一応、俺が契約して使ってるものだしね。出来る限りは、必要としてる人に使ってもらえたら嬉しいね」

「お箸とかタンブラーとか、コースターとかにも『正直言って』って刷りますか」

「それは絶対やめてくださいって……いや、やめろ、って言うから。広報の上のほうに」

「……刷らないんですか」

田中の思わぬ二度目の攻撃に海は今一度田中を睨みつけ――

 

「とにかく。仮にあの折れた木材に第二の人生があるとしたら、そのときは球団広報の意見ではなく俺の意見を優先してもらって、かっこいいデザインにするようにしっかり相談させてもらおうと思います」

とカメラに向かって――というよりは、カメラを回している球団広報に対して強いメッセージをこめて海は言い切った。

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