「お前さんも分かりやすい奴だなァおい。きょうはこのまま帰って"延長戦"だろ?」
いつもどおり、司会とうまく噛み合わないヒーローインタビューを終えてミーティングルームへと戻った海に清兵衛は軽口を叩いた。
神宮で挑んだスカイクロウズとのカードを終え、甲子園に戻ってきた最初の試合で海はこの試合、4打席4安打――そしてうち1本はバックスクリーンへとぐんぐん伸びていく特大のアーチを描いていた。
3回にはあわやセンターの手前に落ち、処理を誤ると二塁ランナーをホームに帰しかねないきわどいフライを全力疾走して追いかけ、前に滑り込んでキャッチするファインプレーも見せた。
ショートとしての仕事もしっかりこなし、これ以上ない一日だったように海は思った。毎日こんなことができたらいいのだが――そう思いながら、BINEに送られてきた華耶の――人目につく場所では少し開く事をためらう過激な写真を思い返しながら、海は運転代行を頼んだ。
「それにしても、本当にあれからたった数試合で2本も打つなんてな。お前さん、奥さんを毎晩抱いたらどうだ?」
「何でこのあと抱く前提で話進めてるんだよ。抱くかどうかなんて俺からは一言も言ってないだろ」
「抱く目をしてるんだよ。俺には分かる。お前が試合中とはまた違う意味で戦う目をしてるのがね。なんだ?先に奥さんのほうから誘いでもあったのか?」
「それをお前に言う必要はないね」
それ以上詮索するな――と言いたさげな表情を浮かべながら、私服に着替えた海は壁にもたれかかった。
「お前さんは"デカい"から、俺じゃなくてもきっと誰にだって分かるぞ。ズボンよく見てみろ」
「その手には乗らないよ」
カンカン……とブランド物の革靴のつまさきを大げさに響かせながら海は腕を組み、時計を気にした。早く家に帰りたい、というオーラが海にはものすごく出ているものだから、清兵衛にはそれが面白くて仕方がなかった。
この男は一体今夜家に帰るなりどれほど長い夜を過ごすものだろうか――そう考えると、清兵衛は大声で笑い始めた。海の子供の数が歳に見合わないことだって清兵衛は知っている。
きっとそんな海を受け入れる妻もまた、寛大であり、海と似通った部分があるのだろう。それが清兵衛には面白くて面白くてたまらなかった。
海は決して信じないし、認めないだろうけれど、世界は歪ながらも、それでもうまいように出来ていて、今日も地球は回っているのだ――それが清兵衛には、やはり面白くてたまらず、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら海を見つめた。
「なんだよ。気持ち悪いな」
「ガハハ!なんだか、お前さんを見てたら俺も対抗意識が芽生えてきてな。明日は俺もホームランを狙うか。どれ、景気づけに俺も飛田新地にでも行くかな。今日は朝まで添い遂げていたい気分だ。なァ海よ、俺ァやるぞ。今夜は、お前さんよりも激しい夜を越えてみせるぞ、俺ァな!!」
膝をパンパンと叩きながら、清兵衛は着替えてから結びなおしたその辮髪をぶんぶんと上機嫌でなびかせ――
「ハブアグッドナイト」
などとわざとらしい英語で、上機嫌に海のもとを去っていった。
「バカかよ」
海は誰も居なくなった空間に向けて中指を立てた。
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「――だとしたら、清兵衛さんはとんだ大間違いをしてるね」
しばらくして、やっと呼吸が落ち着いた華耶が、海が球場を出る前に清兵衛から言われたことを聞くなり、笑いながらそう言った。
清兵衛の言葉は、海からしてみればまるでいつも自分から求めているような言い方に聞こえていたのだ。
もっとも、清兵衛は言葉には出さなかったが、なんとなく海のそぶりで二人の関係性をおおよそ見抜いていたつもりだったのだが――。
「大間違い?」
「海くんが本当にあたしを強く求めるのはうまくいかなかった日のほうだもん。今日みたいなのは結構珍しいほう」
「そんなに珍しいかな」
「珍しいよ。でもちょっと嬉しかったかな。ああいう誘いを突然送ってくるの。なんか、またちょっと男前になったなー、っていうかさ」
数日前、清兵衛が言ったように華耶に『絶対に今日みたいな打球を甲子園で打つから夜は予定を空けておいて欲しい』と連絡を入れた海。
華耶からしてみればその連絡は、海が景気づけや覚悟のために送ったものというよりも、今までよりも野球選手として強気に出られるようになったからこその連絡だと思い――海の成長を感じてやまなかった。
そんな海に対して華耶は、たった数日後には海は帰ってくるというのに――その海の帰りを待ちわび、恋焦がれた。
自分が愛した男が自分を求めてくるというだけでなく、その見返りとしてしっかり打つという不退転の意思表示。出会って10年以上経つというのに、まだまだこの海という男には惚れる要素がある――そうした、海の男としての一面は華耶の心にも火をつけたし、自分もまた、ずっと海に求められる女で居続けようと思った。
まだまだ老け込むほどの年齢ではないし、30歳を迎えた割にはまだまだ20代前半のような若々しさや体のメリハリがハッキリし続けている華耶だったが――『気を抜くと一瞬でこの時期の女は変わってしまう』――華耶は最近、母親にそう言われていた。
海を支え続けるために自分がしなければいけないことは、たくさんある。そう思うと華耶はよりいっそうこれからも頑張ろうと胸に誓っていた。
「なんだよ、一人でちょっとときめいてる風な顔して」
「ときめいてるんだもん。仕方ないでしょ。ね?今のあたし、綺麗でしょ?かわいいでしょ?完璧に海くん専用の"オンナ"でしょ?」
「……なんかちょっと言い方が嫌だな、それ……」
「えー、でも海くんの女だってことには変わりはないでしょ?あれ?」
「そりゃ、そうだけど」
わざとらしく腰に手を当ててポーズを取り続けながら話してくる華耶を海は少しばかり笑ったが――
「あれ?なんかちょっと重たく思われてる?」
と、きょとんとした顔を浮かべてみせた。こういうときだけ出会ったときのような幼さのある顔つきに戻るのだから、ずるいものだ――と海は思った。
「違うよ。そういうのじゃなくてね、なんかほら……"こういうの"ありきで関係が成り立ってるみたいな風に聞こえて」
「あー……でもさ、ありきじゃないけど……あたしたち、多分よそよりはよっぽど身体全体で愛し合ってると思うよ。ありきじゃないけど、海くんだってきっと、あたしのことをしっかり今でも女として見てくれてるからこうして頻繁に誘ってくれてるもんだとあたしは好意的に受け取ってるつもりなんだけど」
そう言って笑顔を浮かべた華耶。薄暗い部屋にしっかりと浮かぶシルエットを海は引き寄せ、部屋には一旦の静寂が鳴り響いた。
「……お前みたいなのを独り占めできるっていうのは、俺にはできすぎているくらいだね」
次に静寂を切り裂いたのは、と呟いた海の言葉だった。
「ねーえ。そんな遠まわしな表現なんかよりさ、かわいいとか綺麗とか、もっとストレートな言葉で言ってよ。ボディランゲージだけはいつも素直で、突発的なのにさ。まだまだ海くんにとって旬であるように、あたし結構頑張ってるんだからさーあ」
「言えって言われて言う言葉じゃないだろ、かわいいとか綺麗なんて褒め言葉は」
髪をかきあげながら冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを一気飲みする海。
そのまま汗を流そうと水を頭からかけることも考えたが――どうせこのあと風呂に入るのだから、やめておいた。
「そりゃそうだけどさ。海くんにはあたしかっこいいとか一杯言ってるのにさー。たまに言ってくれてもいいんだよ?ほれほれ。こういうポージングなんかもあたしまだまだ出来……あっ、ちょっと待っ――だから、言ったでしょ!突発的なボディランゲージはあたしの準備というものがだね――海くん……ってば!」
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「――で遅刻したと」
「すみません」
「……まぁいいけどさ。若いうちしかそんなこと出来ないだろうし。あんまり俺の口からどうこう言わないけどさ。気をつけてちょーだい」
今野は珍しく集合に5分ばかり遅れた海を意外がったが――遠まわしに遅刻の理由を話した海の言葉を聞いて察したようだった。
「大体いつも、誰よりも早く球場入りすると聞いてたお前が遅れるくらいだから、"よっぽどののこと"だったんだろーね。何?奥さん、そんなに飽きない?」
「……自分の伴侶に飽きてしまったら、それはもう、妻とは言えないのではないんですか」
海の言葉に今野は思わずぎょろりと大きな目で海を睨み――
「はぁー、お前、なかなか面白いこと言うね。なるほど。お前んとこ、そういう感じなんだ。羨ましいね。そりゃ子供もたくさんいるわけだ」
監督は海の言葉にたいそう感心したようで、うんうんと頷いてみせた。何か地雷になるような言葉を言っただろうかと焦った海は、少しばかりヒヤリとした。
「なんかねぇ、俺も新婚の頃の事思い出したよ。そうだよねぇ。新婚の頃は、俺もそんなこと考えてたはずだったんだけど。お前、確かもうすぐ10年くらいになるんだよね?結婚」
「来年で10年目です」
「結婚10年目でそんなこと言ってられるの、よっぽどだよ。奥さんだけじゃなくて、お前もよっぽど奥さんのこと好きなんだね。まー、周りにはうまい事言っといてやるから。奥さんとうまくいってないとかで遅れられたら、もーちょっとなんとかしなよって俺も言うけどさ。奥さんとそんな仲なのを、周りがどーこー言うのも、無粋でしょう」
「すみません。本当に気をつけます」
海は前野が監督だった頃だったら、これを理由にレギュラー落ちを宣告されていてもおかしくない――そう思うとひたすら今野に頭を下げずにはいられなかった。
「……で、さ。一応聞きたいんだけど」
「はい」
「大鈴も遅刻してるんだけどさ。何か知らないかしら?」
「清兵衛なら、一人で飛田新地に行きましたよ」
「……分かりやすい奴だね、彼も」
その後、清兵衛は監督に厳重注意を受け――ヘラヘラとした笑みを浮かべながら海のもとへ軽いランニングを併走しにやってきた。
「いやァ、昨日は大当たりだったね。やはり一夜を越えるというのは博打よな。こういうのは、博打だからこそ燃えるもんだ」
「あんた、野球やめてギャンブラーにでもなったらどう?」
海の言葉に対して清兵衛は心底つまらなさそうなため息をつき、首を振った。
「はァ~~~~……分かってねェな。野球ってぇのは、せいぜい3割を争いながら勝ちを争う博打だ。これ以上の博打なんてもんはねェよ。俺がしてぇのは、生きた博打だ。ただヤマを張ればいいだけの競馬だとかとはワケが違う。いいや、競馬もまた、生きた博打ではあるがな。宝くじみてぇなただの運任せの博打たァ違う。まァ、んなこたぁいいんだよ。俺は野球という博打が面白くてたまらねェ。俺ァとっくに、脳から爪までがしっかりと博打に染まった、生粋の博打打ちよ。ギャンブラーというものは職業じゃあねェ。心で名乗るものなんだよ」
「……そんなに威張れるもんじゃないだろ」
そんな海の突っ込みに素知らぬ顔をしながら、フン、フン、と鼻で息をして清兵衛は上機嫌で海の前に出ようとした。
「で?今日は打てそうなのか?昨日あんなこと言っといて」
「あぁ。勿論よ。お前さんのアーチを見てたら、俺も負けてられねぇと思ってな。鋭気を養ってきたから今日は大丈夫だ。ドでかい花火を打ち上げてやるよ。俺の生き様みたいな一発を、よ」
「……あんたが俺に言った事そっくりそのまま返してやるけどさ。お前だって、毎晩抱いたらどうなんだ?」
「んなもん、無粋だね。お前さん、粋ってもんが分かっちゃいねェ」
何が分かってないんだよ――と、本気であきれ返ったような顔を見せた清兵衛に対して海は思わず肘打ちをしたくなったが、抑えておいた。
「あんただって同じこと俺に聞いてきただろうが」
そう言って、海は不快感をストレートに伝えた。
「ガハハ。そうか。そいつぁ……そうだったかもしれねェなぁ、海よ」
本当に分かっているのか、こいつは――そんなことを思いながら海は甲子園の大きなバックスクリーンを見上げた。
昨日はここまで飛ばした、という事実が、実際にこのフェンス際に立つとよりいっそうその距離は大きく大きく見えた。自分はこの奥まで飛ばしたのだ――という自信が、海のもとに芽生えたような気がした。
「ライトスタンドに飛ばすよりもバックスクリーン弾のほうがなんとなくデカいもん打った気になるだろ」
「ここのバックスクリーンは大きいから、なおさらそう思うね。同じ120mでも、よその120mより、妙に大きく見える。ここの球場は、風のせいってのもあるかもしれないけど」
「俺ァ前にも言ったが、お前さんはよくて20本ちょいで終わるような打者ではないと思ってる。40本くらいはいつか打つくらいの打者になる素質があるもんだと俺ァ勝手に思ってる。だが、単に冗談や根拠のない憶測で言ってるんじゃあねぇ。2桁打って自信がつくころには、きっと20本くらいは狙えるはずだ。もっとも、お前さんはその20本を狙って打つというよりは、普段どおりに打った球がホームランになるというスタンスを選ぶだろうがね。俺ァ、お前さんがお前さんのスタンスのまま20本くらいは打つ姿になってるものと思いてェな。変に焦って肉体改造だとかヤケクソになってどんな状況でも大振りしたりなんかせずに、よ」
「清兵衛」
ぴたり、とちょうどホームから120mの壁のあたりで立ち止まった海は今一度バックスクリーンを見つめ――
「今すぐには無理かもしれないけど、今年2桁はなんとなくいける気がする。昨日の一打で確信した。俺はたぶん……あんたが言うように20本くらいは……狙わずとも自然に打てるようになる日がくると思う。30本40本は出来すぎかもしれないけどね」
「そうか」
ニッ、と笑った清兵衛は再び後ろを向きながら走り始め――
「それで今年2桁届かなかったら、今の言葉、俺ァ一生忘年会で使ってやるからな」
と笑い飛ばしはじめた。
「あっ――あんたも人のこと言えないだろうが!!」
と海はそんな清兵衛を追いかけ始めた。大またでまっすぐ走るだけなら非常に俊足だという事実を忘れていた清兵衛は思わず駆け足で海から逃げようと必死でその足を飛ばした。
「あの二人、あんな調子ですが本当に反省してるんですかね」
生駒はそんな様子を見ながら腕を組んで眉間にしわをよせた。
「まぁ、ギスギスしてるよりはいいではありませんか。少し前の我々のチームでは考えられない光景です。もう少しこの空気が、いい意味で全体に伝播すればいいのですがね」
小室がそれをなだめるようにして肩を叩いた。
「監督が変わってから、どうにもあいつら含めて……たるんでるように見えていかんのですわ、俺には」
「それは、あなたが前の監督に毒されているだけではありませんか?選手というものは苦労して、ピリピリしていなくてはいけない、という歪んだ常識に長いこと身体を漬けていたことで、あなたもまた、前野のような考えになっているのでは」
「……それは、否定しないね。なんだかしょーもないことにピリピリするようになってしまってな。長いことあんなやつの下にいたせいかもしれないけど、なんだか最近、緩んでる空気が許せなかったりして。一日中イライラしたり……更年期って奴ですわ、多分」
「奥さんと別れたのもそのせいですか」
「言うなよ。人が気にしとることを」
生駒の不安定な口調に小室は少し心配を覚えながら、遠くを見つめた。
「彼が羨ましいですか」
「羨ましいね。羨ましいと同時に、俺みたいな余生は送って欲しくないなと心底思うね」
「なりませんよ。きっと」
「だろうね。あー、羨ましい」
生駒はそう言って席を外した。電子タバコを吸って来る、という合図だろう。生駒は「10分で戻るように」と背中に向かって話し――まだ追いかけっこを続けている海と清兵衛をただただ見つめていた。