シーズン最終戦のあと、名古屋の高級ホテルで一泊する事になっていたチーターズ一行は足早にホテルへと向かっていた。
シーズン最終戦ということもあり、今夜の食事は少し奮発してもらう、ということでチームの士気は高かったのだが、敗戦後――しかもあと一歩のところでAクラス入りを果たせなかったとなると、その姿はややまばらだった。
食事を済ませてそそくさと部屋に戻る者、あるいは食事をよそで取る者、悪態をついて険悪な空気になり、互いに食堂から去る者、それを嫌ってぽつぽつと席を別々にして食事をする者――。
「もったいねェなァ、おい、海。欠席分の連中のやつ食っちまっていいか聞いてこようぜ。こんなうめぇ料理を雑に食ったり、一緒の空気でメシ食えるかなんてくだらねぇ理由で外行ってるやつの気が俺には理解できんね」
「やめなよ」
「何がやめなよ、だ。今流行のSDGsとかいうやつってこういうことだろ?もったいねぇじゃねェか。見ろよ、こんなステーキみてぇに分厚いローストビーフに、こんなに身のでけぇひつまぶしなんざ、シーズン中なんかはなかなかありつけねェぞ。店でだってそう簡単に食べられるものか。それでいてせっかく今日は食堂で酒だって飲ませてくれるってのによ」
「……」
そう言って海の表情などお構いなしに清兵衛は係員に本当に許可をもらいに行き――余った分の料理をこちらの席に持ってこさせた。清兵衛の分と海の分とをちょうど分けてもらい、テーブルにはさらにそれぞれ2.5人分ほどの食事が並んだ。
食べようと思えば食べられる量だが、ずいぶん食い意地を張ったものだ――と海は清兵衛に対して無言で呆れたような目線を送った。
「まぁ、飲めよ。お前さんはこんな日は飲む気にならねぇかもしれねぇがよ。これは俺からの分だ」
「お前が酒の金を払ってるわけじゃないだろ」
「堅ェこと言うなよ」
清兵衛は無理矢理海になみなみと注がれたビールを渡し、無言で乾杯をした。
「俺ァな、感心してるんだよ。お前さんがあそこで逃げなかったことを。お前さん、今年は本当にああいう場面で逃げなかったな。大したもんだ」
「感心もなにも、逃げようが逃げまいが、あの場面で打てなかった事実だけが全てじゃないか」
「いいや、違ぇな。お前さんはあの場面、最後まで外野まで飛ばすことを諦めなかった。率ばかり気にしてた頃のお前さんなら、あの場面、最悪、転がしでもしたらひょっとしたら俺を進めさせることができるかもしれねぇと思って、小細工をしてただろう」
「……」
図星をつかれた海は、黙っていた。清兵衛はそれを得意げにするでもなく、淡々と話し続けた。
「だが、今日のお前さんは違った。あの場面、どうにか強い打球を打つことを考えていただろ。あわよくば引っ張ってうまく外野の間を抜く、だとかよ。そういう思考が出来るのは、自分はクリーンナップを打つんだって腹くくった奴だけだ。3番を打つというタマがお前さんにこの一年の間にしっかり宿ったってことだ。お前さんはまったく自分の打撃に納得してないかもしれねぇが、下手すりゃ今日の結果次第じゃ、シーズン4割だって落としてたかもしれねぇってのに、お前さんは外野を積極的に狙っていった。率を意識しなくてもお前さんはこの一年、しっかり自分の打撃ができてたって証にもなっただろ、この試合」
「でも、負けは負けだし、凡退は凡退だ」
「あぁ。悔しい打席だったな」
「……?」
思わぬ言葉が返ってきたことに、海は清兵衛をふと見上げた。自分の聞き間違えだろうかと思い、耳を疑わずにはいられなかった。
「悔しい打席だ、悔しい試合だと俺も素直に思ったからこそ、今日俺はお前さんに飲ませてぇんだよ。今年のお前さんはよくやった。あの打席で確信したね。お前さん、この一年かけてしっかり一人前になったと」
「それじゃまるで俺に伸びしろがもうないみたいじゃないか」
「何言ってるんだお前。一人前の次はな、超・一人前だ。お前さんは超・一人前になれると思ってる。俺みてぇにな」
海は清兵衛のいつもどおりの言葉に思わずフォークを突きつけそうになった。清兵衛が一人前ではあるだろうということは海にも良く分かるが、自分で超一人前だとか言うと、この上なくダサく感じられて仕方がなかった。
「……あんたみたいに、って言われるとなんだかその超一人前とやらが随分うさんくさく聞こえるな」
「ガハハ。お前も言うじゃねぇか。とにかく、お前さんがあの打席、悔しいと思ったように――俺もお前さんのあの打席、悔しいと素直に思った。今のお前さんなら、俺をしっかりホームまで帰してくれるだろうと素直に信じられたからな」
そう言って清兵衛はビールを豪快に飲み干し、休むまもなくジョッキにビールを注いで、すぐさまもう一杯を飲み込み始めた。
また酔っ払うぞ――と海は内心思いながらその様子を見ていたが、構わぬそぶりで清兵衛はそのジョッキを勢いよくテーブルに置いた。
「だがね――俺もよ、自分の打席で、コーチの指示通りに二塁で止まっちまった。俺があのとき三塁にいたなら、スタートを切ってさえいればお前さんの打球で一塁に戻ってこれる自信があったし、俺が三塁に居たならきっと、バッテリーももうちょっと配球が慎重になって、あのときのお前さんですらしっかり捉えられる打ち頃が来たかもしれねぇ。だから、あの打席は俺のミスでもあるんだ。今日の酒は、お前さんへのねぎらいと、俺のミスの分との二つだ。……いいや、それだけじゃねェな。2回に俺が三振なんかせずに塁に出てたら、2回のリードの仕方はもうちょっと大きいものだっただろう。だから、その分と――あとは俺が本来アウトになってたはずのエラーでの出塁を、お前さんがタイムリーで帰してくれた。その分もだな」
「お前、なんでもいいから理由つけて酒が飲みたいだけじゃないか。今自分で言った事、復唱できるか?」
「ガハハ。何をいまさら。酒と女と博打は男の華よ。さぁ、飯もたんまりある。たくさん食って、たくさん飲もう。この場に居ねぇ奴らの分まで、俺たちだけの宴会を楽しもうじゃねぇか」
清兵衛はそう言うと、豪快にローストビーフを何枚もすくいあげ、それを一口でほおばった。
「毎回思うんだけど……お前それ、本当に味分かってんのか?」
「あァ。肉の味がするね」
「だろうね」
海は呆れたようにそう言いながら、一枚ずつローストビーフを口に運んだ。
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〈――最終戦の第五打席、僕はチャンスを生かせませんでした。腕がこわばって動かなくて、プレッシャーに負けそうになりました。一年通して3番を任せられた今年、ああいった場面で打てないようであればクリーンナップを任せられている意味がないんです。あの試合に勝ってポストシーズンに出て――下克上を果たそうと思ってましたから、そのプレッシャーに負けてしまいました。ですが――〉
ですが、と言って少し呼吸を置いた海。
今までと少し雰囲気の違う海を華耶はテレビ越しに見つめながら、次に海が吐く言葉をじっと見つめていた。
晴留はじっとその様子を見ていたが、どういう話をしているのかはまだよくは分からないようで、華耶のふとももをぺたぺたと触ったりなどしながら暇をもてあましているようだった。
〈――あの場面、最後まで外野への当たりを意識して打席に立ち続けたことは間違いではなかったと思っています。4割を打てただけではなく――今年は率という目に見える数字に逃げずに、いかにして奥までボールを飛ばして前の打者を帰すかを意識してましたから、数字以上に実りのある一年だったと思っていますし、自分の中でもそれが自信に繋がりもしました。目に見える数字だけでなく、勝利に繋がる打球というものをこれからも追い求めていきたいですし、少しでも多く観客に試合を見に来てよかったと思えるようなプレーを――そして、一つでも多くチームに勝利をもたらす事ができたら嬉しいと思います。……正直言って、今年の成績はあくまでも僕にとってステップの一つにすぎないと思っています。もっと進化して、来年も、またその先も――リーグを代表する選手として恥ずかしくないような選手として頑張ろうと思います〉
〈『正直言って』もいただいたところで熱いメッセージもいただきました。佳井選手でした。ありがとうございました!〉
〈ありがとうございました――〉
ピクリとも笑わず、表情も変えず――それでも、今までの少し面倒くさそうな表情だけでなく、前を見据えたような表情をカメラに向かって届けた海。
華耶はそんな海を見て思わず表情を緩ませた。
「お母さん、お父さんかっこよかったね!来年ももっとがんばるってことでしょ!?来年も4割打つの!?」
「4割って数字をお父さんが気にしてるかどうかは分からないけど、きっとこれからもかっこいいお父さんのままでいようとしてるってことは間違いないと思うよ」
「そんなかんたんに4わりとかいっていいの」
盛り上がっているところに新が水を差すような言葉をかけるが、華耶も晴留も止まらない。
「お父さんならきっと大丈夫だよ。ある日突然飛ばないボールになったとしても、今のお父さんならきっと大丈夫」
華耶はそう言いながら、自分の膝のあたりに頭を乗せ寝転がった晴留の髪を撫でた。
「ボールって変わることあるの?」
「たまにね」
「とぶボールだから4わりうてたってだけじゃないの、おとーさんは」
「お母さんはそう思わないかな。今のお父さんなら、4割ってのは出来すぎかもしれないけど……ボールがちょっと変わったくらいなら、気にせず打ってくれると思うよ」
「おかーさん、ちょっとゆめみすぎだとおもう」
「新は現実主義者だねぇ」
新の子供とは思えないような言葉に華耶は笑みを浮かべた。
「おかーさんとはるが、おとーさんのことかいかぶってるだけだとおもうよ。ようちえんのせんせーも、おとーさんのことすごいすごいっていってるけど、せーせきがすごいってみんないってるのは、ほんとはおとーさんがほかのひとよりちょっとだけみかけがかっこいいからでしょ、あれって」
「……新はズバズバ言う子だね」
「そうかもね」
子は親によく似るとは言うが、出会った頃の海のような辛辣で、まるで夢のないような言葉が歳に似合わず飛び出すことに華耶はその笑みを苦笑に変えながらも面白おかしく思った。
「お父さんに似たのかもね、新は」
「べつに、にたくてにたわけじゃないよ」
興味があるのかないのか――あいまいな表情を浮かべながら、新はソファに深く座りながらタブレットでサッカーを見始めた。
「おーさかにサッカーチームだってあるんだからさ、たまにはサッカーだってつれてってよ」
「もうちょっと大きくなったらね。お母さんほら、もうすぐまた赤ちゃん産まれるからさ」
「べつにいいけどさ。……ばーちゃんにおねがいしたらつれてってもらえるかな」
「おばあちゃんだって新のことばっかり聞いてるわけにいかないんだからさ。ね?ごめんね?」
「へやがあるのはうれしいけどさ。おとーさん、なんさいくらいまでやきゅーやるの?おれがしょーがっこうかよってるあいだもずっと?」
普通の仕事と違い、終わりが特殊な仕事をしていることは新だって薄々感づいているのだろう。華耶はその返事に少し困った。
「うーん……それは、お父さんの頑張り次第かな?」
「じゃあ、べつにがんばらなくていいよ。おれ、べつにふつーでいいし」
「なんでそんな事言うかなあ~。反抗期って奴?」
「だってどよーびもにちよーびもいないし、やきゅーがないひはテレビがどうとか、バンドがどうとかばっかりじゃんおとーさん。やよいちゃんとこのおとーさん、げーのーかいってところではたらいてるけど、ちゃんとどにちはいえにいるって、やよいちゃんいってた」
「それは……芸能界はまた野球界とは違うところだからさ?ね?」
「みんな、おれのことうらやましいっていうけどさ。おれ、そんなにほかのひとからしてみたらうらやましいかな」
「……」
「べつにいいけどさ」
新はそう言うと、楽譜を開いてピアノを弾き始めた。
普段、そうした演奏の様子も携帯やカメラで録画したものを海に送ってはいるが、確かに、時間の都合がつきづらい海は、晴留や新の演奏会に顔を出した事はあまりなかった。
「――そんな事言ってたんだ」
「まぁ、反抗期って奴かな……。晴留も、真結も広乃も今までそういう露骨なイヤイヤ期みたいなのなかったからさ。新……やっぱ男の子だからなのかなあ」
「ごめんな。俺がこんなんだから」
「ううん。いつか新も分かってくれるはずだからさ」
「そのためにお前に苦労かけちゃうのも、父親失格な気がしてならないね」
「よそも大概こんなもんだよ。よその家のことがちょっと羨ましく思える時期だから」
「だといいけど」
授賞式の後、取材やテレビ出演、収録、ニコやマルコとの音源の収録などがあり、家に帰ってきたのは一週間ほど経ってからのことだった。
武蔵小山にある人気洋食屋の冷凍グラタンや、プラモにおもちゃ、お菓子などを大量に買ってきた海だったが、華耶から聞かされたその言葉に動揺はあったようで――
「俺、本当にある日あっさり野球やめてもいいよな?」
などと言う海を華耶は「駄目だよ!絶対駄目。そういう問題じゃないから、ほら」と制止した。
「あたしももう30だしさ、今の子の後は子供はしばらくいいかなって思ってる。海くんがたくさん頑張ってくれたから、二度も双子ちゃんを授かったしね。だからさ、家の事はあたしがなんとかするからさ。海くんは――海くんという父親のままでいいんだよ。だって、今から突然いい父親になります、ったって、海くんたぶんいろいろ考え込んじゃうでしょ?だから、海くんは背中で語るだけでいいよ。今は。お母さんや叔母さんもいることだしさ」
「……ほんと、ごめんね」
海は自分だけがやりたいようにやらせてもらっていることに改めて申し訳なさと情けなさとがいっぱいになり、表情を沈ませていた。
「いいからいいから。理想の父親なんてさ、そう簡単になれるもんじゃないんだって。家に居っぱなしの父親っていうのも、それはそれでやっぱ子供から言われちゃうからさ。そのうち新も分かってくれるよ。分からなかったとしたら、あたしが分からせるから」
「そういう問題なの?」
「そういう問題」
「そういうもんかな……」
華耶のニッとした笑顔に海はどこか釈然としないような様子を見せたが、華耶は何食わぬ顔で笑顔のまま話し続けた。
「別に家に他の女連れ込んだりとかしてるわけじゃないんだからさ。ドでかいマイナスがないだけでも海くんはよーやっとる。よーやっとるよ」
「……ちょっと俺のことバカにしてるだろ」
「してないってば」
「してる顔してる」
「してないってば~。ね~え。信じてよ~」
腕にくっついて海をゆさぶる華耶を見ながら、海は少しだけ笑みを見せた。