「――それでは本日の試合、こちらのお二人に来ていただいています。田中選手と佳井選手です!皆さん大きな拍手をお願いいたします!」
大きな歓声に包まれた7月末の甲子園は熱気をはらんでいた。
今年、3つ続けて勝てば5つ続けて負け、思い出したように3つ続けて勝てばその後続けて6つ負ける――などという、あまりに大きすぎる波にもまれていたチーターズ。
見ごたえのある試合はそれなりに多く、勝つときは大体圧勝、負けるときも大体は極端すぎる大差か、あるいは1点差に追いつけなかったという、相変わらず、よく言えば豪快、悪く言えば博打――そんな試合内容が続いていた。
去年との違いは、続けて勝ってもいっこうに消える事のない借金生活がそこにあったことだった。
相変わらず投手には厳しいチーム財政状況。昨年のオフにも先発投手が2人立て続けに待遇面の悪さを理由にチームから即座に離れていった。
フロントのそうした厳しい査定を聞きつけたのか、あれほど豪快な野手獲得を行っていたはずのチーターズは野手との契約面の折り合いすらつかず、最近はFA戦線からも大きく出遅れ、シーズン開始前からチーターズは苦しい状況が続いていた。
『評価を聞くために一応権利だけは使ったが、正直言って、俺ァここから出て行く理由が無ェ』
記者会見で取材陣にそう言い切った清兵衛。いわゆる5ツールプレイヤーと世間で評価されていた清兵衛。引く手あまただったはずの清兵衛は、残留をした理由を取材陣に聞かれ――
『じゃあこれからの若ェのに誰が野球を教えるんだ?佳井海か?佳井海に後輩の指導ができると思うか?できねェだろ。若ェのがあんな奴の背中を追うにはまだちょっと早ぇ。別に俺ァ、アイツのために残留するんじゃねェ。これから入ってくる奴らや、若ェ奴らのために残留したんだ。上ももうちょっとそういうところを評価してほしいもんだし、そういうところまでしっかり含めて選手を獲らねぇと選手は次々離れていく。上が何も考えずに目先の補強ばかりした罰が当たったのさ』
『俺ァ、上のために野球をするわけじゃねェ。あくまでも、俺は野球が好きだし、野球が好きだと言ってくれる若ェ奴らのために野球をする。上はもうちっと、客だの、選手だの、そういう次元まで考えて金を使わねェと、今度こそ本当に佳井にまで逃げられらァな。せっかくカメラが回ってるもんだから、ちょっと強気に言わせてもらった。さ、後は適当にお前さんたちがあることないこと聞いたり書いたりしてくれ』
――と残留への思いを語った。
清兵衛なりに考えての残留だったのだろう。昨季電撃引退した1番打者にかわって今季は1番を打っていた清兵衛は普段どおりのプレーをしていたが、それでもやはり1番を打つからには――と、率が落ちた際には少しバットを短く持ってみたりと工夫する様子が見られた。
本人は否定するだろうが、そうして塁に出る事を最優先事項にした結果、盗塁は積極性よりも確実性を取るようになり、盗塁数こそはさほど変わらないのだが、今までであれば走っていたであろうタイミングでもあまり走らなかったり――清兵衛なりに苦心している様子が海には見て取れた。
現に、この試合――結果的に決勝点を放ったことになった海の打席では、清兵衛がホームに突っ込んでくるものと思って、少しだけ後ろに下がっていたセンターの前にきれいにはじき返したその打球の行く末を見ていたのだが――清兵衛はぴたりと3塁で止まっていた。
確かに少しアウト寄りのタイミングではあったものの、清兵衛がそれでも踏み切らなかったということに、清兵衛なりに自分のプレーの責任を考えて踏みとどまっているプレーというものが今年は多数あった。
かといって、海はそれを清兵衛に咎めたり口に出したりすることはなかったし、清兵衛もまた、海や外部に対して、そうしたプレーの真意を話すこともなかった。
この試合、清兵衛はノーヒットに終わっていた。狙ったプレーがなかなかうまくいかないようで、珍しい事もあるものだ――と海は思った。
6回、エラーでなんとか出塁したことと、8回に半ば勝負から逃げられる形でのフォアボールでの出塁をしたところにとどまった清兵衛。『まぁ、こういう日もあるもんよ』と豪快な笑いはこの日は少しばかり控えめだった。
重役を与えられる、というのは、人間から笑顔を奪いうるものである――海はそう思うと、清兵衛が今感じているであろう重圧がどれほどなものかと思った。
去年の最終戦、自分が打席で腕が動かなかった試合がそうだったように、清兵衛もまた、自分が出塁しなければいけないというプレッシャーを誰の顔にも出さず闘っているのだ。それに触れてやるのは海には憚られた。
清兵衛はかつて、自分の老いについて話していた。清兵衛は老いとも闘っているのだ。まだそうしたものに触れていない自分が、どうして清兵衛の気持ちを分かったようなそぶりで構ってやれるものだろう――。
海はヒーローインタビューに応じながら、そうして清兵衛のことを考えていた。
「いやあ、佳井選手。鮮やかなセンター返しでした。4回のセンター前のヒット、そして、6回のセンター前へのタイムリー。ともにきょうはタイミングをズラすような落ちる変化球にうまく対応しましたね?」
「いやまあ、8回の同じような場面でも、同じように落ちる球をうまくさばけなかったので……45点くらい……ですね」
いつも以上に歯切れの悪い言葉を海が漏らしたのは、決して45点の打撃だったからではなく、考え事をして少しそれどころではなかったからだ。
清兵衛が責任を持つように、自分ももうあと何年かすれば、今以上に責任が求められる日が来るのだ。打って結果で示せばいいだけだと海は思っていたが、果たして今以上に1プレー1プレーに外からケチをつけられるようになったとき、自分は自分でいられるだろうか――海はあまり考えたくないことばかり考えてしまって、いやな気分になった。
「相変わらずご自身には辛口ですね。どうでしょう、あの場面では落ちる球を念頭に置いて打っていたのでしょうか?」
「まったく意識しないわけではないですけど、落ちる球のほうがよく飛びますしね。まして相手の投手も落ちる球に自信を持っているピッチャーですから、試合の流れを変えるにはやはりストレートよりは落ちる球を狙っていいほうに流れを持っていきたいなと思ってました」
「あれはどういったイメージで打っていたのでしょうか?」
考え事もしたくなければ、こんな顔でインタビューを受けたくないと思っていた海は少し早口でまくし立てたのだが、司会もここぞとばかりに追撃してきた。
内心、面倒くさいな……と思いながら、海は回っていない頭を回転させて言葉を生み出した。
「いやまぁ……二塁に清兵衛が構えていたので、とにかくセンターの前かセンターの頭を越す打球かのどちらかですよね。あの時は満塁でしたから、変に途中のランナーを意識するような打球を打つとホームで一点返せても他でタッチアウトになる可能性ありますし。一番外野が返球を嫌がるようなところに打たないと――というイメージでいました。清兵衛が結局三塁で止まっちゃいましたけど、本来であればもうちょっと楽にホームに帰ってこれるような打球を打ちたかったですね。試合にこそ勝ちましたけど」
「結果的にサードゴロで倒れてこそしまいましたが、8回にもランナー、一・二塁で同じようなイメージで打席に立っていたと思われます。あれはやはりもう一点を意識したものでしたか?」
「そうですね。田中にも、リリーフ陣にも楽させてあげたかったので」
「柔軟な対応で勝利に導いてくれた頼れる3番打者、佳井選手でした。最後に一言、家族に向かって何かありますか?」
「……そういうのは家に帰ってから直接言うので大丈夫です」
「今日も平常運転の佳井選手でした!ありがとうございました!」
「ありがとうございました」
柔軟な対応なんて、皮肉で言ってるんじゃないか――と思いながら、海はカメラに向かって、いつものI love youのハンドサインを出した。
自分で出したいと思ったわけではない。カメラマンがそれを求めたからだ。自分のこんなしょうもないハンドサインが今年はグッズにもなっている。馬鹿馬鹿しいものだ――と海は思いながら、大きくため息をついた。
「続いては今季のチーターズをまさに体現していると言っても過言ではない田中楓斗投手です!いやぁ、田中投手!バトルシップス打線を8回3安打に抑えました。与えた四死球わずかに1つ。久々に自分らしい投球ができたのではないですか――」
「……えぇ、まぁ。でもここまで随分足引っ張っちゃったので、えーと……とにかく、こう……後半戦取り返していきたいなと思っています」
自分へのインタビューを終えた海は、田中が相変わらず――自分よりもさらにカメラ慣れしていないような様子で、落ち着かない挙動のもと取材を受けていた。
「――防御率の割にはクオリティスタートの数など見ても、さほど悪いようには見えません。今年はなかなか苦戦している様子こそ見えますが、ファンの皆さんは田中投手に悲観している様子はありませんがどうでしょう?」
「……えっと、これ以上、その……悲観されないように頑張ります」
田中は今でも自分が地味なエースだとかなんだとか言われていることを気にしているのだろう。海から見てもなお、田中の言葉はずいぶん後ろ向きに見えていた。
「今日の投球はいかがでしたか?」
「……えっと……そうですね……まぁ……普段と……そんな何かを変えて投げてるつもりもなかったんですけども、なんか……じゃあなんでいつもうまくいかないんだろう?って、かえってなんだか自分の投球が分からなくなるような感じでした」
「求道者ですね」
「……弓道……?」
求道者という田中にとっては聞きなじみの無かった言葉に田中は思わず頭をひねりながら、よく分からないような様子で取材に答え続けた。
「――田中よ。お前さんは相変わらず、インタビューがへたくそだな」
「……清兵衛さんがカメラの前でもペラペラ喋りすぎなだけですよ」
「んなこたァないぞ。お前さんはもっと殻を破らないといけねェ時期に来てる」
「清兵衛」
インタビューの後、更衣室で田中を茶化しにかかる清兵衛を海は呼び止めた。
「たまに奢らせろよ。飲むだろ、今日は」
「お前さん、俺がいつでも飲むと思ったら大間違いだね」
「何言ってるんだよ。いつもいつも酒だ酒だ言っておいて。どうせ今日も一人で飲むつもりなんだろ、家で」
「何を知ったような口を聞いてやがるんだ。5年早ェよ」
「5年後お前が現役やってるかどうかわからないだろ。田中。清兵衛を引っ張って来い。タクシーも呼んである」
田中は左右をきょろきょろとしながら、清兵衛を見つめた。
「……だそうですよ。何してでも連れて行きますよ、あれは」
「へっ。1試合ちょっとうまくいったからって、生意気な」
「……でも嬉しそうな顔してるじゃないですか」
「もとから俺ァこういう顔なもんでな」
田中のもとで口をニヤニヤさせた清兵衛は、田中に引きずられたようなそぶりで球場入り口に頼んでおいたタクシーに乗り込んだ。
もはや三人が飲み食いするには定番となった甲子園近くの焼肉屋。奥の席へと案内された海一行は真っ先に酒と肉を頼み、早めに持ってきてもらったビールを注いで乾杯をする。
「よくねぇもんだな。1番ってのは、要らねェ気を遣っちまう。やっぱり俺ァ、2番か6番くらいがちょうどいい。塁に出ること以外のこともたくさん考えられるからな。1番は、塁に出ることしか考えないといけねェのがつまらねェ。そう考えるとよ、お前さん、よく1番で何も難しいこと考えずにヒット打てたもんだと思うよ。1番打者は塁に出ることだけ考えてればいい、なんてお前さんは簡単に言うがね、その塁に出るってことが難しいんだからよ、お前さんは大したタマだよ」
清兵衛は海がかつて1番打者を任されていた時期があったことを引き合いに出し、茶化した。海はそれを嫌そうな顔をしながら見つめ、口に含んでいた水をテーブルに置いた。
「俺とお前のちょうど半分が居れば、よかったのにな」
「ガハハ。俺とお前のちょうど半分?ンな気持ち悪ィのはごめんだね」
「そうかよ」
「まぁ、俺ァ別に何番に座っても自分の仕事ができると思ってはいるが、一番のびのびと自分の仕事ができる打順ってのが2番か6番だと思ってるんだ。このチーム状況で、って話だぞ。きっとよそなら、俺は別に何番でも気にせず打てる。今の俺は、お前さんなんかのことも考えなきゃいけねェから、1番に座ってお前さんのために出塁してやるのが大変だ、って話よ」
「じゃあ俺が3番に座ってるのは?俺はそもそも3番向きだと本当に思ってるのか?」
清兵衛の少し無責任な言葉に海は不快感を露わにしながら睨みつけた。
「おおよ。お前さんはそういう星のもとに生まれてきた人間だからよ。お前さんは2番でせこせことヒットを打ち続けるべきじゃあねぇ。1番に座ったってどうせ盗塁だって仕掛けねェだろ。お前さんのここぞという場面の集中力と、お前さんの高校時代の姿――俺の直感がね、お前は3番打者として、球界の顔になるべきだと感じてるんだよ。それが、お前さんに本当に課せられた運命って奴だ。お前さんがこのチームで、3番に座り続けて、誰にも負けない打者になってこそ意味がある。若ェ奴らのためにも、これから野球を始める連中のためにもな。お前さんが、誰もがたどり着けない伝説を作るんだよ」
「なんで俺がそうなると思ってるんだよ、あんたは」
「ンなもん、決まってるだろ」
清兵衛はどん、とジョッキをテーブルに置き、海をじっと見つめた。
海も思わず、一呼吸置いて清兵衛をじっと見つめた。よほど考えがあるのだろうと思い、黙ってその言葉を待った。
田中だけはどうしていいかわからない様子で、あたふたとしながら箸を置いた。
「佳井海って姿そのものがよ、絵になるからだよ」
「聞いた俺が馬鹿だった。絵面だけで野球ができるかよ」
海はばかばかしく思い、手元に引き寄せていた肉に少し多めに塩を降ってむしゃむしゃと口に運んだ。
この男からこういう場面で深い言葉なんか出てこない分かっていたはずなのに、どうして期待してしまったんだ――と海は自分が情けなく思った。
「……なんか俺の顔が地味って言われてるような気にすらなるんですが」
「お前さんはせめて自分に自信をつけるなりなんなりしろ。顔が地味なんじゃあねぇ。たたずまいが地味なんだよ、お前さんは。試合前にちょっと一杯引っ掛けるなりなんなりして、とにかくお前さんはたたずまいに自信をまとわせろ。だからお前さんはまず肉を食え。普通のロースばっかり食ってねぇで、もっと高ぇ肉食え。今日はこいつのおごりだって言ってるんだからよ」
「……すみません」
田中はそう言うと、店員を控えめに呼び、サーロインステーキのセットを頼み始めた。
「……本当にいいんですよね?」
「別にいいよ」
再三、海に確認をとった田中は運ばれてきた肉の塊を見て思わずため息をついた。
「なんか俺だけ、すみませんね」
「あとで俺も頼むからいいよ」
「あぁ。奢られてるときは素直に奢られるもんだ。そうしてお前さんもそのうち後輩を奢ってやるといい」
「……そうですね」
田中はそう言うと、網で肉を焼き始めた。
「でもな、海よ。本当に俺ァ5年後野球をやっているかどうか、正直言って分からねェ」
「どうしてまた」
「足ってもんは、生ものだ。今が熟しきってる気がする。熟した果実はその後どうなる?」
「腐るって言わせたいなら、今のうちにその足、塩漬けにでもしてしまえ。それが生活の知恵だろ」
「できるもんなら、俺だってそうしてぇ。だが、ここんところ、俺も4割にあと一歩届かねェのが続いてるだろ。俺は実はあのあたりでピークが終わってて、もう下降線に入り始めてるんじゃあねぇかと思うこともたまにあるんだ。博打ってぇのは、賭けるだけが博打じゃねえ。引き際も重要だ」
「何言ってるんだよ。記者会見であんなこと言っておいて、いまさら体の不調を理由に辞めますなんて、そんなダサい話無いだろ、正直言って」
清兵衛のいやに現実的な言葉に海は苛立ちを隠せなかった。別に先ほどの清兵衛の説得力のなさなんかよりも、こうしたときにふと現実に帰り、自分以上に冷静に周囲を見ていて、どこかキャラクター然としている感じが海にはたまらなく嫌だった。
「あぁ。だから俺はガラにもなく、老後のことなんかを考えたりすることもある。貯蓄について考え始めることだってある。考えて、考えて、考え抜いた先に、俺の行く先にはいつも酒かソープがある」
「くたばれ。心配した俺がバカだったよ」
「ガハハ。でもな、海よ。お前さんもいつかそういう日が来るのかもしれねぇが、お前さんにはこんな歳からそんなことを考えていてほしくねェ。お前さんはまだまだ伸びる余地があって、こんなところで終わるタマじゃねェと俺ァ勝手に思ってる。自分の打撃に納得がいってねぇんだろ?それはまだ自分に伸びる余地があるからそう思ってるってことだ。それが過信じゃない限り、俺ァお前さんがもっともっと、俺の想像にも及ばねぇほどの、大きな器にいる気が俺にはしてるんだよ。俺の目が黒いうちにな、お前さんの真髄ってもんを、俺に見せてくれや」
「……なんか、羨ましいですね。4割だなんだ、って豪快な数字で盛り上がれるの。俺ももっと派手になりたいです」
静かにステーキをほおばっていた田中が、思わず手を止めながら二人の顔をじっと交互に見つめた。
「おうおう、じゃあまず派手に遊ぶところからはじめろ。俺と一緒にこの後ソープにでも行くか?」
「……行きません」
「なんでぇ。田中よ、お前ももっと俺みてぇに大きい男になれ。そんな縮こまってるからお前はいつもそうなんだよ」
「誰もがお前みたいな思考になると思うなよ、清兵衛」
海は清兵衛を咎めたが、田中のどうしたらいいか迷ってそうな顔はそれはそれで面白かったので、海はそれ以上は言わずにおいた。