『決めるのは俺や! 佳井、値千金の先制・逆転タイムリー』
『イイ男は初回で決める 佳井二試合連続先制タイムリー』
『サンサン輝く3連勝や! いけるやん!チーターズ!』
『今日はこれでいいや 4連敗でも元気に佳井猛打賞』
開幕から海は不調に喘いでいた。
不調の間に打つヒットがたまたまいい場面で生まれるものだから、地元紙をにぎわすのは大体海のヒットの場面だったし、そのせいで調子の割には悪くない、という見方をするファンも多かった。
一方で海はなかなか調子の悪循環から抜け出せず、いくら勝ちに繋がる場面でヒットを打てたといっても打率そのものが上がってこないものだから、この『たまたま打てているだけ』が終わった途端のことを考えると海は悩み続けていた。
華耶はそうした海に全身で献身を続け――長いトンネルを抜けるきっかけになればと自らの身体を差し出し続けた。
それを海は申し訳なくも思いながら、海もまた、出会った頃と同じくらい――あるいは、出会った頃以上に華耶を無言で求め続けた。次第に言葉を発しなくなった海は、華耶が身体でコミュニケーションをとりたがるように、海もまた全身で感情を訴え、ぶつけ続けた。
傍から見たら爛れた生活をしているだけの二人なのかもしれないが、悔しさや辛さ、日々感じている言語化しがたい――あるいは、言語化して事実にしたくない感情を海は言葉ではなく身体でぶつけていた。華耶もそうした海の思いを否定することはしなかったし、それを受け止め続けた。それ以上のことができるほど、互いに器用な人間ではなかったのだ。
大阪にいる間はそうして毎晩のように湿っぽい打撃音が夜な夜な室内には響いたし、言語化しがたい悲鳴にも近い嬌声やいきみ声を華耶は出し続けた。
海もまた、時々出す声は華耶と同じく言語化しがたい唸り声というべきか、あるいは水っぽい呼吸音か――。到底、子供たちには見せられない、文字通り"獣同士"の時間を過ごし続けた。
そうして桜前線が今年もまた北の大地の果てまで通り過ぎ、自宅周辺のベランダなんかにも鯉のぼりが泳ぎ始め、今年も前期混合戦を迎えようとしていたが、それでもなお海の不調具合はなかなか解消されなかった。
深刻なスランプ、というほど無安打を繰り返すわけではないから、他人からしてみれば単なる思い悩みすぎなのだろう。
マルチ安打の数が減っているだけで、大体どの試合も海がかつて言っていた『3~4打席あれば1安打打てばいいだけなのだから、楽なものだ』という言葉通りの打撃をしていたのだから、海の打撃に文句を言うものは居なかった。きっと海が自分が最近不調であることを言おうものなら、何をもってしてこれが不調なのだ――と言われてしまうだろう。
それくらい、普通の打者からしてみれば海の言う『今年の不調』は及第点どころか十分すぎるのだろうけれど、今の海にとって今の3割弱をうろついている状態というものは、もはや通過点でしかなかった。
自分の長打力を考えると、3割後半でようやく及第点だ――数年前、レギュラーに返り咲いてからはずっとそのつもりでプレーしているものだから、今シーズンここまでの自分の成績というものは、到底満足できるものではなかった。
その一振りが勝利に結びついているならそれでももう少し自分の不調も気にせずにいられるのだろうけれど、得点圏でしっかりランナーを返せているかと言われるとそういうわけでもない。実際にチームは横嶺が言ったように本当に110敗くらいしてもおかしくないくらいには沈んでいる。
どれほど自分ひとりの力では試合に勝てないことは分かっていても、それでも、ワンチャンスに賭けて試合の流れを自分の力で呼び込む、ということができないうちは、自分は一生誰の心も動かせないだろう――。
そうした悲壮感が、海のもとから凛々しかった表情を更に引き締め、最近は険しい表情で打席に立つことが多くなった。
「いやァ、大阪ダービーだぞ。大阪ダービー。バイソンズが同じリーグじゃなくてよかったよなあ。どっちが本当の大阪のチームかなんて毎試合やってたら、街が怪我人で溢れちまう」
「……これ、俺本当に昔から気になってたんだけどさ」
「おうよ」
「俺たち、大阪のチームですみたいな顔してるけど、実際には本拠地は兵庫だろ。なんで、そもそも大阪にはバイソンズがあるのに、大阪のチームといったら俺たちなんだ?この辺の連中は」
「そういうもんなんだよ」
「そういうもんって」
「深く考えるな!感じろ!」
キャッチボールをしあう清兵衛と海は、試合前から既に会場に伝わり始める熱気を見渡し始めた。
「バイソンズの応援団というと、12球団の中でもだいぶ気合が入ってるほうだからな。俺の応援歌も、バイソンズが作ってたらどんな風になってただろうな、とはちょっと気になる時もある」
「何だよ。今の応援歌、気に入ってないのか」
「いいや。単にちょっと気になっただけだ。あいつら、チャンステーマなんかも、ラッパの演奏がジャズのソロパートでもやってんのかってくらい荒々しいだろ。あんな中で試合の流れひっくり返したら、気持ちいいだろうななんてちょっと思っただけだ」
清兵衛がバイソンズのチャンステーマを鼻歌で口ずさんでみせた。
「じゃあ俺たちの応援団にもチャンステーマもっと荒々しくしてほしいって言えばいいだろ。聞けば、オーシャンズやバイソンズだけじゃなくて、俺たちのとこのチャンステーマなんかも最近じゃ高校野球の応援歌で使われてるんだろ。それだけでも十分すぎるだろ。何の不満があるんだよ、うちのチャンステーマに」
「そう言われるとそうなんだがな。どいつもこいつも、自分の打席に立つときの応援歌だとか、チャンステーマだとか、どのくらい愛着があるもんかは気にならねぇか?」
「別に。暴徒化したファンの数の多さでチームを選ぶことはあるかもしれないけど、応援歌でチームを選ぶわけじゃあない」
「じゃあお前さん、前に噂レベルで言われてた『風呂場は大理石』って応援歌、本当に使われたらどうするよ?」
「……バイソンズにでも移籍志願するね」
あまり思い出したくないことを掘り返され、海はげんなりした表情で清兵衛にボールを返した。今日もややスローイングは若干不安定だ。
「そうだろ」
「なにがそうだろ、だよ。この期に及んで」
「何言ってるんだ。お前さんだって移籍のことは常々頭のどこかに置いてあるの、俺ァ分かってるからな」
「それは、まぁ――そうだね」
「だから、俺も3年後――FA権を再取得することがあったら、どうするか考えてはいるわけだ。お前さんが常に移籍のことが頭ン中にあるように」
「言うなよ。試合前に考えるべきことじゃない」
ボールを受け取った海はじっと清兵衛を睨みつけて、しばらくボールを返そうとはしなかった。
清兵衛はたぶん、3年後自分がどうなっているかも、このままでは3年後チーターズがどうなっているかもある程度分かっているのだ。
だからこそ、海は移籍の話題をされるのを嫌がった。試合前に気持ちが揺らぐような言葉を聞きたくなかったのだ。
「だが、相手がバイソンズとなるとお前さんはそうも言えないだろ。お前さん、仮に次のFAで移籍するならバイソンズ一本に絞ってそうだからな。何せ、子供の事考えたら、引越しはしたくないと思ってるんだろ?だったらさしずめ、この二連戦は就職活動みたいなもんだ」
「やめてくれよ。試合が終わってからでもできるだろ、そんな話――」
話題を変えたかった海の言葉をぴしゃりと遮るように清兵衛はぱん、とグローブを叩き――
「一応、言っておく。逃げるなら今のうちだ。お前さんみたいなタイプは自分で追い込まれてずるずると引きずっちまう。重い荷物降ろすなら、今だぞ」
「それを決めるのは、あんたじゃない。俺だ。……やめてくれよ。気が立ってるんだ、最近」
「だから言ったんだよ。最近のお前さん、野球に殺されてるような顔してる。腹くくった顔にしてはな、見てられねェ。俺ァお前さんに超・一人前になれだの、4割40本打てだのとは言ったが、だからって言ッて、野球に命をささげて、いずれ野球に殺されろ、とは一言も言った覚えはねえ。お前さんが余計な荷物を降ろしてもなお野球を続けられる見込みがあるなら、とっととその荷物は降ろせ。それでもお前さんが意地を張りたければ張ればいいが――その意地がいつかお前さんを本当に殺すことになるかもしれねェ。それだけは覚えておけ」
そんな言葉は海にとっては余計な神経を刺激したようで、海は再び乱雑なコントロールでボールを放り投げた。
「馬鹿野郎、何を今更。今になって降りれる船かよ。3年遅いんだよ」
「3年前のお前をどこかが獲りたいと思ってくれたかどうかは別なんでな」
「よく言うよ、勝手な事を。お前があんなこと言ったから、俺だって今ここでプレーしてることにこだわってるんだろうが。誰だって先のことは見えなくて生きているだろうけどさ、お前、自分のせいで俺をこんなことに――なんてお前のキャラで言うんじゃないよ」
再び力んで投げ込んだ海のボールはいつもどおり、少しだけ上に逸れていった。
清兵衛はそんな海の表情を険しい顔つきで見つめていた。
混合戦の開幕戦となるこの試合、チーターズもバイソンズもともに引き締まった投手戦を繰り広げていた。ヒットは散発に終わり、三振の山ばかりが増えていく。
まして、四死球が6回の表を終わった時点で両チームあわせてたったひとつという非常にきびきびとした試合なものだから、ひとつでもヒットが出るたびに応援団はともに大きな声とラッパの音でヒットコールを鳴らした。
次の一本が試合を決める――誰もがそう信じてやまない試合展開だった。
「こういうときに先頭の俺が出なきゃなァ?海よ、佳井海よ」
「思いの強さだけでヒットが打てるものかよ」
「打つんだよ。思いの強いほうがこの試合、勝つ」
「バカバカしい」
「あぁそうだな。バカバカしい。だが、そうとでも言ったほうが、あとで試合に勝ったときのネタになるだろ。ガハハ」
「馬鹿。とっとと打席に行けよ」
入場曲に合わせて清兵衛がバットをヌンチャクのように振り回しながら打席へと向かっていく。
相手投手は球はさほど速くはないが、キレのいい変化球と安定している制球力に今日は一段と手を焼いていた。これほどの投手と契約できていたなら――とコーチや監督も思わず見入ってしまうほどの投手戦。どちらがどう均衡を破ってもおかしくないが、ともにその均衡を破る次の一打が出ずにいた。
追い込まれながらも難しいコースへ来た球をすくい上げた清兵衛がなんとか出塁する。不恰好な泥臭いスイングではあったが、清兵衛の言う『思いの強いほうが勝つ』というのはまさにこういうことなのだろう。
決して清兵衛は思いつきで言っているわけではなく、こういうときに自分の言葉をプレーで見せ付けてみせる。そのあたりが、自分にはないものだ――と海は清兵衛を見つめていた。
今季、清兵衛もまた不調気味ではあったが、難しい姿勢でのヒットが目立っていた。カンフー映画の主人公のような、柔らかく身軽な身体能力を生かした清兵衛なりの技術。
ここまでほとんど長打という長打を放っていなかった清兵衛だったが、なんとかして清兵衛なりに塁に出続けたいという思いはやはりあるのだろう。海は清兵衛の事を少しだけ見直した。
空振り三振――。ゲッツーという最悪のシチュエーションだけは回避した次の打者を見送り、海は打席へと向かった。
ひときわ大きい歓声が上がってくる。これでも、期待され続けているのだろう。これまでもそうだったし、これからもしばらくはこの歓声が自分を包んでくれる。
自分のために野球をしている、という部分はある一方で、果たしてこの歓声すべてを捨てて自分は移籍などしていいものだろうか……という思いもやはり海にはよぎった。
勝負の最中余計な事を考えたほうが負ける、ということは海も分かってはいるのだが、この場面、試合前の清兵衛の言葉を思い出すと、どうしても考えざるをえなかった。
きっとバイソンズの観客は自分を受け入れてくれるかもしれないが――
などと考えていた海は初球のストレートを見逃した。考え事をして打ち崩せるような投手ではない――それはわかっていたが、海は今一度、甲子園の遠く遠く感じられたバックスクリーンを見上げた。
どうせ考えてしまうのだ。次に来た球を大きく振ってしまおう――そう思った海は、バットを構えなおし、不敵に笑ってみせた。
本当はどんな気持ちで打席に立っているかも知らないくせに――と思いながら、大音量で演奏され、声もしっかり届いている応援歌すらも今の海にはノイズにしかならなかった。
ああ、クソ食らえ――
どいつもこいつも――
低めに投げられたスプリットは地面にバウンドをした。これを振るほど海はまだ狂気の中に身を投げ出していない。それでも、笑いは止まらなかった。
相手投手が嫌そうな顔をしながらキャッチャーとサインの交換をしている。不気味そうにしながら投手は内角側へとボールを投げ込んだ。
きゅるり、きゅるりりり……とボールは身体めがけて曲がってくる。スライダーだ。しっかり振らなければぶつかりそうなくらい、しっかりとキレよくそのボールは曲がってくる――。
『なーんか、自分だけはやる気に満ちてます、みたいなの、ヤな感じなんだよねー、君のそーゆーのさ――』
『なんだよ、お前だって自分本位の打撃しかできないくせにさ、生意気なんだよな。自分一人でチームをどうにかできると思ってんの、すげえヤな感じ』
『え、何?まだ野球マンガみたいな展開がこのあと起きるとでも思ってる?その歳で?ないわー』
くたばれ――
ギリギリ……とバットのグリップを握りつぶしそうなほど海は強く強くバットを握りながら、キャンプの最中くらいしかやらなかった、力任せの豪快なスイングをしてみせた。
バットが空を切り、しなり――ボールを乗せて運ぶというよりは、怒りでボールをひしゃげさせるかのような――海が普段力でボールを叩くタイプのスイングを『下品なスイング』と評する、その下品さのまさにお手本のような力任せのスイングに乗って、ボールは高く高く飛んでいく。
バットは先から縦真っ二つに裂けるように割れて折れ、ベンチの手前目指して飛んでいった。
そんなことなどどうでもよかった海は、白球の行方がバックスクリーンの彼方へと弾丸のように向かっていくのを確信し、バットを振り抜いて高く上がった右手をグッ、と引き戻すようにして強くガッツポーズを取った。
自分でも理解しがたいほどの躍動感のあるガッツポーズに思わず清兵衛は両手を高く上げながら手を叩いて見せて、ベンチのメンバーにも出てくるよう手を招きながらホームベースをしっかり踏む。
ピクリとも笑わず、鼻息を荒くしながら柄にもなく感情をあらわにしてホームベースを踏み、再度強く握りこぶしを作りながら腕を振る海。
《馬鹿野郎が、どいつもこいつも。見たかよ、俺は一人でもやってやるからな。クソが》
感情の高ぶった海はカメラが回っていることにすら気づかぬままフィンランド語でそう強い語気でカメラに視線を向け、ベンチへと戻った。いつものハンドサインも完全に忘れ、カメラに向かって人差し指を向けながら行った宣戦布告は、果たして誰に向けてのものだったのだろう―――感情的になった海は、そんなことすらも三歩歩けばすぐに忘れてしまうほど感情的になりながらベンチに戻ってきて、ぶっきらぼうな表情でいつになく乱暴に座った。
「何?何って?」
「何言ってたんだ?今の」
いつになく感情をむき出しにし、目を血走らせて不機嫌さを露わにした海。コーチも監督も、清兵衛も、海が言い放った聞きなじみのない言葉が何だったのか、一体海の身に何があったのか近寄ってくるが、海はそれらを
「忘れてください」
とだけ言って、あとはふさぎこむようにして黙り込んでしまった。
ジェットコースターのような情緒。
ベンチに座るなり急激に冷静さを取り戻した海は、自分は随分としょうもないことをしてしまったものだと海は思った。
下品なスイングに、下品な言葉遣い。
感情が高ぶった打席だったとはいえ、海としては0点どころか、単位を剥奪したくなるような――許されるものなら記録からホームランどころか安打であることすらも撤回してほしいほどのホームランだった。
「だから気持ちがこの試合を左右するっ言ったじゃねェか、俺ァよ。いい打球だったぞ」
「最低だよ。あんなホームラン」
「お前さんなりの感情だったんだろう、あれが。いいじゃねえか。あの一発で厄落としができたんだったら」
「できるかよ。余計考え込む種が増えたよ」
「俺ァ、好きだがね。ああいうの。たまにはいいんじゃねぇか、ああいうのがあっても。カメラに向かってなんか言ってたのも、なんとなく俺にゃ意味が分かるぞ。お前さんの表情見てると」
「……二度とごめんだね」
海はそう言いながら髪をかきむしり、うつむいてしまった。
「難しい奴だなァ、お前さんは。打てなくても落ち込んで、打っても落ち込んでよ」
清兵衛はそう言いながら海の隣でスポーツドリンクを口にし、水分補給をした。
その様子を生駒もまた、相変わらず面倒な男だ――と呆れながら見つめていた。