「モテる男は辛いね~ェ、色男さんよ」
わざとらしい口笛と語尾の延ばし方をする清兵衛を、海は一瞬ジロリと睨んだ。
「だが、俺に声をかけるには15年遅かったよ、"アイツ"は」
海もまたわざとらしく髪を手でなびかせながら、キザな言い回しをして見せた。清兵衛は柄にもないわざとらしさに少し噴き出しそうになりながら、続けた。
「じゃあ、"アイツ"が15年早く現れたなら?」
「先に身体を差し出したほうを選んでいたと思う」
「両方同時に差し出したなら?」
「その時は両方を選んでいたと思うよ」
「……で、その話、どこまでが本気だ?」
笑い声をあげながら清兵衛は思わず海をジロジロと眺め、覗き込むようにしながら半笑いの表情を浮かべた。適当そうな口調で返事をする海が明らかに何も考えずに話していることが清兵衛には分かっていたので、その本心をもう一度問いただそうとしたが――
「ありもしない空想には、ありもしない仮説を話したほうがいいだろ。お前のそのしょうもない歴史改変ごっこはここまでにしよう」
そうぶっきらぼうに言い切るものだから、清兵衛は舌打ちをした。
「……あーあ。つまンねェ奴だなァ~、お前さんはよォ」
「何をいまさら」
海はそんな清兵衛を鼻で笑った。
毎年毎年、本当に意味があるのか分からなくなる秋季キャンプの長距離マラソンをしながら清兵衛は海に併走し、そんな下らない談笑をしていた。
速さでもなく、距離でもなく――なるべく一定の速度で走りながら休み走り続ける、ということに意味があるらしい。
本当にそんなものなのだろうかと思いながらも、考えてみたら室内でのサイクリングマシンなんかも似たようなものだろう。
一体何が効いて、何が意味がないのかなど、分からない。考える暇があったら身体を動かせ、というのが秋季キャンプの特徴だが――やはり、延々と走り続けさせられるのは退屈で面白くないものだ。
飽きないように球場のスピーカーからは流行の音楽が流されているが、これは飽きないことを目的にしたことよりも、流行の音楽がかかっている最中でも一定の速度で走り続けることができるかどうか、という今野からの課題としての側面のほうが強いらしい。
結局、それらを紛らわすためには談笑が一番――清兵衛も海もそう考え、ペースを乱さないための会話をし続けていた。
大爺双羽【おおや・ふたば】。この秋、チーターズがドラフト1位指名した高校生だ。
静岡にある無名の女子高で野球部に所属していたその少女をチーターズはは電撃指名した。普通のことをやっても勝てないのだから、よそが発掘できないような選手を探し出す――というのが指名方針だったらしいが、何も知らない野球ファンはその電撃指名に阿鼻叫喚の様子だった。
一方、『チーターズは次の10年も棒に振る気か』などと言われているのを横目に、この大爺双羽は男子顔負けどころか、10年に1人いるかどうかの天才肌だ――スカウトはそんなことを口にしていたようだ。
腰の辺りまで届くほどの長く、輝いたツインテールをなびかせ、挑発的で勝気ではあるが、それでいて嫌味のなく、まっすぐを見つめた大きな瞳のその少女は目をキラキラと輝かせながら記者会見でこう言い放った――
『私の憧れの選手は佳井選手です』
『一人の野球人、そして、それ以上に一人の男性として佳井選手を意識しています』
『佳井選手の奥さん以外に佳井選手の隣に立つ資格があるのは私だけと皆さんに思われるように頑張りたいです。奥さんにも、私が15年早く生まれていたら二人は出会えなかったかもしれない――そう思ってもらえるように全力で頑張ります』
『佳井選手。あなたが引退するまでに絶対――一度だけでもいいので、私に振り向いてもらえるように私は私のすべてを出し切ろうと思います』
『そしていつか――私に本当に振り向いてもらえたときにだけ、その名前を呼んで欲しいと思っています。それまで私は、大爺双羽という名前を封印したいと思います。私、大爺って顔でもないですしね。登録名に関しては、いくつか候補があるので球団と追って打ち合わせしたいと思います――』
センセーショナルなその記者会見に、取材班が黙っていないわけが無かった。
もちろん、そのカメラやマイクは当然何一つ知らされていない海にも向けられるわけで――大爺を女性として意識する日は来るのか、だとか、年下からラブコールをどう受け止めるか、だとか――海としては少しばかり迷惑な存在になりそうな予感がしていた。
目標にしてもらえるのはいいが、一人の男性として意識している、という言葉がこの歳になって何を意味するか――海は余計な事を考えると頭痛がしそうな感じがした。感じがした、というよりも、実際に頭痛を引き起こした。
それほどこの少女が海にとって何かを――それがいい方向なのか、悪い方向なのか――どちらにでも転びかねない存在になるような、そんな厄介な予感がした。
「で?奥さんは何って」
「余裕そうだったよ」
「余裕、ねぇ」
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「海ーくーん?随分熱心でお熱な後輩が入ってきちゃったみたいだね?」
「知らないよ。俺だって今はじめて聞いたんだから。どこの馬の骨か知らないやつにいきなり名指しで呼ばれて俺だって驚いてるんだよ」
ドラフト会議の様子を見ていた華耶と海。その表情は対称的だった。ニヤニヤとしながら、ひじで海の脇腹をつつく華耶。一方、少しうんざりしてそうな海の表情――。
「凄いね。やっぱり、自分に自信のある子がああいう場に立てるんだね。正直さ、ちょっとだけ羨ましいなって思った。羨ましいな、って思ったし、毎年ドラフトの番組見るたびに思うんだけどさ――やっぱりさ、あたしみたいなのじゃ無理だったんだな……って思うよ。だから、あの子のことは応援したい」
「あんな事言われてもか?」
「同じ野球人としてね」
「女としては?」
「同じ女として――」
チラ、と海のほうをニヤニヤし続けながら華耶は見つめた。
「前にも言ったかもしれないけどさ、あたしは別に海くんが浮気しても許すよ。他の女の人抱いても許すよ。理由も覚えてるよね?」
「『絶対に自分のもとに帰ってくる自信があるから』だったっけ」
「そう。あの子が海くんを押し倒そうと、海くんがあの子に誘惑されて押し倒そうと――それでも海くんはあたしを一番に思ってくれるって自負してるし、あの子にどれほど骨抜きになろうとも、それでもあたしに求められたときは、また夜通し抱いてくれるはずの、いまさら崩しようがない関係ができてると自負してる。だから、別にあの子が海くんに何しようがあたしはなんとも思わないよ」
画面の奥で胸を張りながら自信満々にコメントし続ける双羽を華耶は時折ちらちらと眺めながらも喋り続けた。
「妻の貫禄ってやつか?それって」
「違うなー。もはやさ、あたしは海くんの妻!って感じじゃあないんだよ。そういう次元を超えて、海くんとは運命共同体だってあたしは思ってるから」
「へぇ」
「だから――あの子があたしと海くんの15年というアドバンテージを、たとえばあの子が自分の身体を以て埋めようとしても、あたしたち二人の運命や絆までは崩せないと思う。こうやって言うと、ちょっと重いかもしれないけどね。でも、あの子だってそれが多分分かってる。だから、15年なんて具体的な数字を使ったんだと思うよ。だからさ――」
フフッ、と不敵な笑みを浮かべながら華耶は腕を組み、画面越しの少女に負けない自信を前面に出し、言い放った。
「やれるもんならやってみなさい、って感じ。それに――」
「それに?」
チラ、と華耶はイスに深く座った海のズボンのあたりを流し目で見つめ――
「海くん、夜は暴れ馬だからね。海くんという底なしの種馬をあの子が果たして受け止めきれるものかなっていう、15年の余裕があるのだよ、私にはね。あの子が思ってる以上に海くんは……それはそれはもう、火がついたときなんかは激しいなんてもんじゃないから――」
「あのさあ」
「ん?」
「一人で勝手に盛り上がってるところ悪いんだけどさ。さっきから、俺がアイツのこと抱く前提で喋るのやめてもらえる?」
「抱かないの?」
「その……なんだろう、『まぁ、だから試しにいっぺんアイツの挑発に乗って抱いてこいよ』みたいな顔するのやめてくれる?」
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「強い女だよ。自分の女ながらね、大した女を抱いてしまったもんだと思う」
「子供、7人だったか。お前さんの種が強いだけじゃなくて、奥さんも強いからこそだわな」
「あぁ」
「……で?実際どうなんだ。野球人としてのアイツをお前はどう思ってる」
「間近で見てみないとなんとも言えないね。参考映像なんて、いい場面だけ切り取るからどこまでもよく見える」
清兵衛の問いに、海は即答した。
「身体をか。なるほど、確かにいい身体をしてやがるからな、アイツは」
「茶化すなよ、バカ」
海は清兵衛に向かってサムズダウンをし、睨みつけた。自分なりにちゃんとした受け答えをしたつもりだったから、海は毒を吐かずにはいられなかった。
「プロの世界は高校とはわけが違う。バットやら、ボールやらなにやらね。だから、アイツのプレーがどんなものかを間近でしっかり見てみないと、今はまだどうとも言えないよ」
「だからよ、それ込みで言ってるんだ。お前さんがプロの洗礼に苦しみ続けてきたことだって、俺も分かってる。だからこその話なんだよ。アイツがそのプロの洗礼を超えられると思うか?ってな」
「あんな事言ったんだ。超えてもらわなきゃ困るね」
海は鼻で笑うような、少しだけ馬鹿にしたような笑みを浮かべて清兵衛の問いに答えた。
「じゃあ、なおさらお前さんも今季頑張らないといけねェな。いい後輩が出来たんじゃねぇのか?なァ?本当に抱くんじゃねェぞ?」
ニヤニヤとからかうような表情を浮かべながら清兵衛は海の尻をバンバンと叩き始めた。
「なんだよ、二人して。本当にアイツを腰が砕けるまで抱いてやって『お前らにやれって言われた』って言ってやろうか」
「おっと、ペースを上げるんじゃないぞ。一定のペースで走らないといけない練習だからな、これは」
「……チッ」
清兵衛に練習のルールの裏をかかれそうになった海は舌打ちをしながら清兵衛を睨んだ。
「大体、あんただって薄々感づいてるんじゃないか?」
「何がだよ」
「アイツは左投げの外野手だ。外野以外に守れるポジションはきっとない。ただでさえ俺らは外野が手薄だから、アイツ一人の存在にレギュラー争いやら何やらがピリっとしてこないと、いよいよこのチームは終わりだ」
「さァね。俺としては、お前さんの熱心なファンが、プロの洗礼に耐えかねてお前に泣きついてきて、お前さんたちがセンチメンタルに打ちひしがれてるうちに一線を超えちまうかどうかのほうがよっぽど興味あるね」
「くたばれ」
海は今度は清兵衛に向かって中指を立て睨みつけた。少し真面目な話をすればこいつはいつもこうだ――と海は清兵衛に呆れ果てた。
「そういや、お前さんの熱心なファンはもう一人いただろ。アイツはどうなった?」
「アイツ?」
「薄情な奴だねェ、お前も。埼玉で講演会やったって言ってたろ?そのときのアイツ」
「あぁ――」
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「そうそう、甲子園の写真だってさ」
「別に見慣れてる光景の写真なんか送ってこられても」
「違うよ。ユニフォーム姿見てほしいんだよ、薫ちゃん」
「あぁ……」
「まぁ、あたしのユニフォーム姿にはかなわないと思うけど」
「……なんですぐそういう話したがるの?」
「あたしも一人の女ですから」
ドラフト会議からしばらくして、薫からの手紙が送られてきた。
甲子園に行ってきた事、甲子園のマウンドが格別だった事――ひたむきにプロへの道を突き進もうとしている、そんなまっすぐな手紙が球団を通して海のもとへ届けられた。
そこには甲子園で撮った写真や、その帰りにチームメイトらとカキ氷を食べる写真など――何枚かの写真が添えられていた。
薫はこの夏、7年ぶりに西東京の代表として夏の甲子園に進んだ尾美森の二番手投手としてマウンドに立っていた。
よくて120キロ半ばだが、出所が分かりづらく、若干シュート回転するキレのいいストレートはきわどいコースへ何度も何度も果敢に投げ込まれ、2試合を投げて3イニング、与えたヒットはわずかに1本だった。
制球力と左打者に思い切りぶつかりそうな軌道から放たれる、大きく横滑りするスライダーとややスライダー変化の強いカーブを武器に、与四死球は0、三振も5つ奪うなど、1年生投手としては上々の出来を見せた。
3回戦で尾美森は敗れたが、それでも最後まで爽やかに戦い抜いた尾美森の姿はしっかりと海の耳にも届いていた。
「あたしもさ、諦めないほうがよかったのかなってやっぱ思っちゃうよね。勿論、今が幸せだけどさ」
「……前にも言ったけどさ、華耶も何かやったらいいのに」
「やってるよ。海くんには黙ってるけど」
「それを教えろよ」
「ふへへ。秘密っていうのは、黙ってるから秘密なのだよ」
「そうかよ」
本当に秘密なのか、それとも、実は何かやってるように見えて何もしていないのか分からないような笑みを浮かべる華耶に海は苦笑を浮かべた。
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「二人とも、まっすぐだ、っていうところは華耶とそっくりだ。だから俺なんかより、あの二人に対しては華耶のほうが影響を受けてるような気がする」
「へぇ。で?その熱心なファン二号は」
「お前、二号って言い方やめろよ」
「名前を覚えられねぇんだよ。今だけ二号って呼ばせろよ。で……二号はプロ入りできそうか?」
「どうだろうね。決めるのは俺じゃないから」
「……甲子園で三振5つだろ。先が楽しみだな、おい。黙って歳ばかり食ってられねェぞ、お前さんよ」
ケラケラと笑っている清兵衛だが、少し疲れが出てきたのかどこか言葉が詰まったような言い方をしてから、グラウンドにたまった唾を吐き捨てた。
「それはお前もだろ。ペラペラペラペラ喋って、そのうち息なんてあげ始めて」
「そいつぁ、お前が俺に喋らすからだろ」
「お前が勝手に喋ってるだけだろ。どうしたんだよ。ペースを乱そうとした奴が、ペースを乱されるなんてだいぶ無様だぞ」
「へっ。お前さんに心配されるなんて……歳だな」
清兵衛は先ほどから急に湧き出し始めた汗をぬぐいながら、しばらく黙って海の併走を続けた。
「なんでもかんでも歳だ歳だと諦めるなよ。お前らしくもない。飲みすぎたせいだろ」
海はペースを崩しているつもりはないのだが、時折追いつこうとする清兵衛の姿を見てそう呟いた。