海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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63・悲壮感を白球に

相変わらず投手への評価が厳しい財政状況というものからとうとう抜け出せないままにいたチーターズは、このオフもこれまでフル回転していた中継ぎが二人とも最初から移籍を前提にFA権を行使することを公言して退団してしまい、地元誌では

 

『もーえーわ 誰でもええから助けて~!』

 

『チーターズ産選手をよろしく11球団』

 

……なんて見出しが一面に載るなど、地元誌すらこの状況を半分悪ノリしなければもうやっていられないような状況に追い込まれていた。

 

球界OBや評論家たちもまた『まあシーズン始まる前ですけど、このままでは来季もチーターズは最下位でしょうね』と年明ける前からこぞって最下位の予想を立て、チーターズというと真っ先に皆『皆が出て行きたがるチーム』だとか『ドラフト候補者から11球団OKを出されるチーム』だとか『長期的な暗黒期の象徴』だとか言われるようになってしまった。

 

こんなときに地元のサッカーチーム、ヴァリエ大阪が長期的に調子がよく、アジア選手権なんかでも好成績をずっと収めているものだから街はサッカーチームの話題でひっきりなしだった。

前のワールドカップでも大活躍した天才フォワード、鳥居和幸がイタリアの強豪・ロッソネリに移籍したものの、代わりに実質トレードという形で入団した若きイケメンストライカー、ロキシー・マカレルが戦術にうまくフィットしたようで、紙面や地元番組はその苗字からマカ様マカ様と騒ぎ立てるようになっていった。

 

ヴァリエ大阪が活躍すればするほど、それはチーターズの惨状をまるで都合よく塗りつぶすようにしてサッカーの話題が地元メディアを覆い尽くしていって、チーターズのことなんかはよほどコアな番組くらいでなければあまり目につかないようになっていった。

 

「まあ、世間の手のひらなんてすぐにくるくる動くもんだからさ」

「分かってるけど、俺が現役のうちにこういう空気が野球のほうにも出てくるといいんだけど……無理なんだろうな。WBCS【ワールド・ベースボール・チャンピオン・シップ】だって、参加国が少ないだとか、その中でベスト4止まりだとかでメディアからは散々な扱いだし」

 

事情により一年開催が遅れ、一昨年開催された前回大会。そこに清兵衛は名前を連ねていた。

自分がドキュメンタリー番組の密着取材を受けていたあの日、清兵衛は海の向こうで日本代表として戦っていた。清兵衛ほどの選手ですら、その日の起用方法によってはベンチスタートなのだから、代表というものは狭き門だ。

 

いくら内野全て守れたとしても、おおよそこうした代表というのは極端に守備が突出しているだとか、長距離砲をずらっと並べる少し前のチーターズのような打線の完成形みたいなものが連なるのだから、今の自分なんかが呼ばれるようなものではない――大体、日本代表として呼ばれていいのかという気持ちもあったから、海は一応情報を追ってはいたけれど、あまりそうした代表というものに興味がなかった。

 

そうした事情もあって、どれほどの重圧と戦ってきたかなんて海はあえて清兵衛には直接聞こうとはしなかったし、清兵衛もまた、その日その日の話はするものの、そんな過去の武勇伝じみた話をこれ見よがしにあまりすすんでするタイプではなかったから、互いに国際試合の話なんかはとうとうすることがなかった。

 

自分すらそうして4年に一度の国際試合の話をチームメイトや誰かとすすんでするわけでもないのだから、自分以外の日常がそうであっても不思議ではない。海は自分でWBCSの話題をしておいて、なんだか自分が恥ずかしくなった。

 

「悲観しないでよ。海くんはようやっとる。ようやっとるよ。それにほら。これからは例の子もいるわけだしさ」

「あのなぁ。サッカーみたいなフィジカルでどうにかなる世界じゃないんだから、18歳がいきなりドカンと活躍できるほど甘くないことくらい華耶だって分かってるだろ?」

「分かってるけどさ。一人だけでも頼れる後輩というものがいたら、世界って変わるんじゃない?」

「変わらないよ。……一人誰かが居て、いい方向に変わる未来が見えないよ、俺には。……子供の前じゃこんな顔できないの分かってるんだけどさ。いい父親でいようとするの、やっぱ難しいもんだね。晴留の前でこんな顔なんか出来ない」

 

去年から地域の少年少女がプレーするリトルリーグに参加していた晴留は、今日も朝から練習に参加していた。

晴留は体格が海に似たのか最近はぐんぐんと背が伸びはじめ、元気な姿をスポーツでも見せていた。

 

晴留が野球をしたいと言い出したのは意外だった。習い事は英会話だけでなくピアノ、それに新体操も何年か前からはじめていた――といった話をしていたから、新体操に興味がなくなったわけではないのだろうけれど、並行してまで野球をしたいというほどの熱があるとはまったく思っていなかったから海は驚いたものだった。

 

確かに野球は熱心に見ていたものの、それはあくまでも自分をテレビで見ているだけのことであって、野球を実際にプレーしたいという気持ちが育っているとは思ってもいなかった。

とはいえ、父親として本当は野球を止めさせたいという気持ちは、ここ数年の海の置かれている状況を考えると、かなり強かった。

 

子供が思っているよりもプロ野球というものはそんなに華やかな世界ではない。

汚い意地の張り合いだとか、見栄の張り合いだとか――それはきっとどんなスポーツにおいてもそうなのだろうけれど、チームスポーツだとかスポーツマンシップだとかを謳う割には、本当にそこまで考えてプレーしている人間なんて一体世界にどれほどいるものかと疑いたくなるくらい、ここに来てからチーム一丸でクリーンな野球ができたことなんてあっただろうか――。

 

だったら、新体操などのように個人の力だけで行うスポーツのほうが何かあったら自分だけの責任と思えるスポーツのほうが、背負うものが少なくていいに決まっている。いつかどちらかを選ばなければならない日が来るのであれば、そのときは海としては新体操を選んで欲しい――という思いはやはりあった。

 

それでも、晴留が野球をしたいという気持ちを殺ぐような父親ではありたくないし、晴留の思いを尊重したい――そう思っていた海は晴留のやりたいようにやらせると本人にも言ったし、華耶もまた、晴留のやりたいようにすべてやらせていた。

 

『お父さんやっぱかっこいいしさ。お父さんやお母さんみたいな大人になりたいんだ、私』

 

『だから、私のやりたいようにやらせてくれてありがとう。私、習い事全部頑張るね。全部やらせてくれるなんて思ってなかったから』

 

背が伸び、最近顔つきが大人びてきた晴留。元気ではあるが、年の割に大人び始めてきたのも海は驚いたものだった。小学4年生の頃の自分というものはどうだったか考えると――母親にあれが欲しいだとか、父親の帰りはなぜ遅いのだとか、そんな不満ばかり口にしていた記憶しか出てこない。

 

『子は親の背中を見て育つって言ったでしょ?』

 

海の不安や海の思いに対して、華耶はそう口にした。

自分が野球をやっている姿が――華耶が全力で働いている姿が、親としての一面がどれほど海の中では崩れていようとも、それでも子供にとってはプラスになっている――ということが海にはにわかに信じられなかった。

華耶や華耶の母の子育てがしっかりしているからだろう、と海は思っていたが、それは口にしないでおいた。言ったところで華耶はそれを否定することも海には簡単に想像がついたからだ。

 

『……あんまり、そんな顔しないで下さいよ。ライバル紙書いてる側という立場でも、佳井選手のそんな顔見たくなかったです』

 

木村の言葉が海の頭の中で時折こびりついて、なかなか離れてくれなかった。

 

父親は家の中でしんどい顔をすることは許されない――。

 

スポーツ選手は家の外でしんどい顔をすることは許されない――。

 

本当の自分でいられる時間というのは、誰もいない時間か、華耶しかいない時間――プライベートな時間くらいしかなかった。

人間、守るべきものが多くなるとそういうものだということはテレビなんかを見ているとよく分かる。四六時中カメラを回される政治家、芸能人――。彼ら、彼女らだって多少の毒くらい吐きたい事だってあるだろうし、その毒なんかを吐いた瞬間に世間は一気に引いていく。

 

日々の生活の中で、野球選手というものは呼吸さえまともにさせてくれない仕事だなと思うこともあるし、カメラやマイクを回して根堀り葉堀り聞き出してあぶり出して、何かあったらすぐ大声でまくし立てる側の人間というものはどれほど楽だろうかと思うこともある。

 

まくし立てる側の人間だって生活がかかっていることだって分かってはいる。こちら側からしてみてれば楽な仕事なのだろうけれど、向こうにだって向こうにしか分からない辛さや苦労があることだって、分かってはいる。

別に目の敵にするほど憎んでいるわけでもなければ、楽だろうな、くらいの気持ち以上のものは抱く事は海にはなかったが、カメラの回っている側の人間というものは、やはり生き辛いものだ――と思わずにはいられなかった。

 

はぁ、と深いため息をついた海に、華耶はすっと立ち上がって海を見下ろした。

「ねえ、海くん。琉美と諒斗、お母さんに見てもらってる間にさ、したいことがあるんだ」

「夜にしてくれよ。最中に子供が帰ってきたらどうするんだよ」

「あのさ~、人がする頼み、全部そっちに置き換えるのどうかと思うよ」

「そうなったのは誰のせいだよ。で?何したいの?」

 

~~~

 

パンッ!としっかりとした乾いた音。

いきなり容赦の無い、勢いのよさを見せた華耶は、手をぶんぶんと振ってアピールをした。

 

子供がいない間にキャッチボールをしたい――

 

突拍子も無い華耶からの欲求に海はだいぶ面食らったが、少しくらいなら――とその要望を引き受けた。

 

吹田に引っ越してきてから4年経つが、子供がいない時間帯や、三葉や美樹に子供の面倒を見てもらっている間はデートの誘いなんかも度々あった。それが、今になって突然キャッチボールをしたいなどと言うものだから、驚かないわけが無かった。

 

壁にぶつけるだとかそういうことよりも、庭の中で自分のスローイングの不安定さを発動させてはいけないと海は普段よりだいぶ山なりな軌道で華耶へとボールを返した。

 

「あー、ちょっと。もうちょっとそんな気を遣わないでさあ、普通に投げてよ」

「知ってるだろ、俺が人相手にボール投げるのへたくそなの」

「あたしには普通に投げられるんじゃないの?」

「お前だから余計に気を遣っちゃうんだよ。変なところに投げて、身体にあざなんかつけたら悪いだろ」

 

海はそう言うと、再び大げさにしながら山なりにボールを投げた。

「そのときは海くんがあたしのあざを撫でてくれるんでしょ?」

「何言ってんだよ」

「それに、あざなんて今更気にすることじゃないでしょ。あざよりもっと恥ずかしいものたくさんあたしに作ったくせに」

「お前、庭でそういうのはやめろよ」

 

望みどおり、普通の返球で華耶へと渡したボールを華耶は難なく受け取った。少しだけ驚いたのか、避けるような動きでボールを捕ったものの――華耶がかつて守備が得意だったということが本当だったことを裏付けるような、きびきびとした動きがまだそこにはあった。

とても、つい去年7人目の子供を産んだ女の動きとは思えない動きに海は思わず見とれた。

 

「なーんだ。普通に投げられるんじゃん」

「お前相手だからだよ、たぶん」

「えへへ。これが妻の貫禄ですよ」

「何言ってんだか」

 

スナップをきかせた、すばやい送球が何度も何度も返ってくる。

捕りやすい方向に投げているのだろう。華耶が野球から離れて何年経つものか、もうすぐにはパっとは思い出せないほどの年月が海の中にはあったが、そんな事などどうでもよくなるくらいしっかりとした丁寧な送球だ。

この送球だけ自分の右腕に備わっていたなら、二塁や遊撃のゴールデングラブだって夢ではなかっただろう。

 

天は二物を与えず――という言葉がこの国にはあるらしいが、こういうことなのだろうと海は思った。華耶には自分ほどの打力がなかったから野球を諦めざるを得なかった。送球だけ丁寧でも、プロの道には進む事はできない。

 

「いい送球返ってくるなー、って思ったでしょ」

「まあね」

華耶に心を読まれているような気がして、海は平静を装いながら目線を逸らした。長い年月暮らしているのだから、大体のことは詠まれているのかもしれない。

 

「晴留が野球やりたいって言ったからさ、コースを9つに分けてるアレ、買っちゃったんだ。晴留が丁寧に投げられるように、ってつもりで買ってあげたんだけどさ。一人でいる間、あたしがついつい投げちゃうんだよね」

「なんだ、やけにいい球投げると思ったら練習してたのか」

「いつか子供たちが野球したいって言ったとき、あたしだって昔は野球してたって言いたかったからね。海くんはシーズン中はしっかり休みたいからキャッチボールなんてなかなかしてあげられないだろうし」

「そうだね」

「だから、久々に投げながらさ、なんかこう……海くんとはちゃんとしたキャッチボールもしてみたいって思ったんだよ。普段あたしたち、言葉のキャッチボールか、心と身体でしかキャッチボールできてないじゃん」

「俺たちの間にはそれで十分だろ」

「分かってないなあ~。あたしだってさ、続けられるんなら、続けたかったんだからね、野球。知ってると思うけど。一番好きな人とさ――それも、自分と運命をともにした人とさ、同じ野球経験者だってのに、まともにキャッチボールもちゃんとしたことがないなんてさ……やっぱ勿体無いなって思ってさ」

「そっか。悪かったな、今までキャッチボールの一つもしないで」

「ううん。いいよ。なんか……あたしも正直、海くんにキャッチボールの誘いするの、今までちょっとためらってたから。仕事で野球してる人に遊びで野球しよう、なんてさ……やっぱ気を遣っちゃうし」

「そっか」

「だからさ、嬉しかった。海くん、最近ずっとあんな感じだからさ、キャッチボール誘っても断ると思ってたから」

「……」

「たまには、こういうちゃんとした奥さんっぽいことしてあげられてよかっ……あーっ、海くん、ちょっと待って、待ってってば……!!」

 

ずんずん、と華耶のもとへ近づき、ひょいと華耶を持ち上げてお姫様抱っこをしながら玄関のほうまで連れて行く海。玄関の扉を開け、そのままじーっと華耶を見つめる海の顔は、久々に夜の狼のような顔をしていた。

 

「若いっていいねえ。琉美、諒斗。二人も、運命をともに出来る人を探して、全力で愛してあげるんだよ。わかった?……まあ分からないよな。」

「あー」「きゃははは」

窓の外からその様子を見ていた三葉は、広々とした1階の自室で二人の顔を見ながら微笑んだ。

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