「本名封印中、ジェネルです!よろしくお願いしまーす!」
入団会見の時点で登録名を変更する意思を表明していた双羽は、球団と打ち合わせの上、正式に登録名をジェネルとした。
自信とやる気とモチベーションに満ち溢れた、威勢のいい挨拶が沖縄の空に響き渡る。春季キャンプの間は一応まだ籍が高校にあるということもあり、年相応の若々しさのある少女の輝かしい瞳とツヤのある肌が、覇気のないチーターズメンバーの中でひときわ異彩を放っていた。
世代の中心になる――ジェネレーションという言葉から取ったともメディアには言っていたし、一方では宝石を意味するジュエルとジェネレーションとの造語だとか、たまたまアニメでジェネシスという言葉を見てひらめいた、だとか、あるいはその全部から取っただとか――ジェネルはメディアに対してその名の由来を吹聴していた。
これがもし、早く本名のイメージを拭い、自分の登録名を周知させるための作戦なのだとしたら、意外としたたかで計算高い奴だ――と海は思った。
開幕1軍確約――。
話題性だけではなく、海との親和性が爆発力を産むのならば――と今野が考え抜いた末の戦術だった。どうせ勝てないのならば、少しでも可能性と今後数年の将来を考えたいという事情もあった。
1軍班に呼ばれたジェネルはその自信に満ち溢れた身体を躍動させながら、早速走りこみで先頭を走り出す。
元気があっていいものだ――そう思いながら海は列の中盤くらいでその様子を見ていた。
「開幕あんなに飛ばすこともねェだろうに。若いってのはいいねェ。自分の体力がどこかしらから無限に湧いてくるもんだと思ってるんだからよ」
「元気があるのはいいことだろ。お前までヤな奴になってどうする」
海はそんな清兵衛の嫌味なのか、それとも自分の体力の衰えを自虐したものなのかよく分からない言葉を諌めた。
キャップに収めるために普段よりも低い位置で束ね、シニョンのようにしてまとめたジェネルの後ろ髪が走るたびにうっすら揺れるが、清兵衛の関心はそれよりも、しっかりと引き締まった腰つきからぐっと花開くようにして大きく膨らんだ、張りのいい尻のほうが大事なようだった。走るたびに髪だけでなく尻までしっかり揺れているのが分かる。
後ろでダラダラ走っている中堅や若手なんかも、走りこみなんかにやる気を出せるか――という思いと同時に、半ばジェネルを馬鹿にしながらも清兵衛らの後ろでその後ろ姿を凝視していた。
小室はそれを呆れた様子で「本来前に出ていってアピールしないといけない選手たちがあのようでは、いけませんね」とベンチからため息をついたが、選手たちには到底届かない独り言だった。
「女には甘いねェ、お前さんは」
「お前だってアイツのケツを見る目がいやらしいぞ」
「見る分にはタダだからな。手は出さねェがよ」
「誰が信じるかよ、そんな言葉」
「お前さんをご指名している女をいちいち横からかっさらうほど趣味の悪さしてねェよ、俺ァ」
「じゃあ、俺を指名してなかったらお前、アイツを食うつもりだったってことか?」
「フッ……さァ、な」
「なにがさァなだ。馬鹿野郎」
以前なら積極的に前に出て追いかけるようなこともしていた清兵衛が今はペースを自重しているあたり、やはり身体に負担はかけられないという思いで走っているのだろう。
しばらく先頭のジェネルのペースを様子見していた海だったが、それに積極的に追いかけようとする者もいなければ、ふと後ろを振り向くと退屈な様子で走っている者もいて、開幕投手を務めていた投手なんかが殿のままでニヤニヤしながら意図的にその足を緩めているのが遠目から見えた。
《終わってんな、ここは。どいつもこいつも恥ずかしくないのか?ルーキーにずっと先頭走らせて、誰もそれに着いていかなくてよ。そんなんだから、勝てる試合も競りきれないんだよ、バカタレが。お前らだって少しくらいは勝てない理由を背負えよ、どいつもこいつも、自分には関係ないだとか、こんなクソチーム、FA権取ったらすぐにでも出て行くみたいな薄汚ぇツラしやがって》
同伴しようともしない若手。
FAで加入してから、年俸と年月だけは無駄に食い散らかしたベテラン勢。
調整不足で肥え散らかした中堅。
無言でこそあるが、覇気の無い空気がそこにあった。
先頭の次を走るのが田中、そしてその次が今年で39歳になろうとしている移籍組のベテラン一塁手だ。
もちろん、走りこみにだけ全力で体力を使ってなどいられないということは海にも理解できるが、先頭を走る18歳の少女に誰もついてこれないという状況に、海の胸の中では爆発的で危険な感情を生産し続けていた。
「お前、それ何語なんだ?フィンランド語ってやつか?」
「まぁ、そういうことだね」
「で、何って?」
「あんたが今思ってそうなこと言っただけだよ」
海は少し苛立ちながら、吐き捨てるようにそう呟いた。
「お前さんに俺が考えてることの何が分かる?お前さんが俺によく言う言葉で返してやったぞ、ガハハ」
「じゃあ、言い方を変えようか。お前も、俺と同じ事考えてたらいいなって思って言った言葉だよ」
ダッ――といきなりペースを上げはじめ、海は清兵衛のもとから離れていく。
「若いな。羨ましい若さだよ、お前さんは。30過ぎてまだ伸びる余地がある若さがある。身体だけじゃなく、心が肉体同様にまだ若くて輝いたままでいられてるっていうのは、羨ましいもんだな」
それを見送りながら清兵衛はしばらく同じペースで走っていたのだが――清兵衛もまた、少しずつペースを上げ始め、中盤の少し前くらいまで抜け出した。
「……佳井さん。清兵衛さんと一緒じゃなかったんですか」
「新人に先頭ずっと走らせておいて、それに誰もついてこないのもどうかと思ってな」
「……すみません。俺もなんとかついていこうと思ってるんですが、この歳になるとちょっと怪我が怖くて。……うちなんかは先発を任せられる投手がほとんどいないので、俺まで怪我するわけにもいかないでしょう」
「それもそうだな」
それもそうだな、と言いながら海は更にペースを上げ始める。
たぶん隣を走るためにきたわけではないのだろう、と思いながらも田中は更に出て行く海の背中を見て、田中もまたペースを上げ始めた。同い年として負けていられないという意地が田中の足取りを少しだけ軽くさせた。
「遅かったじゃないですかー。なんですか?私のお尻眺めるのそんなに楽しかったんですか?それとも、横で並んで私の他の部分を拝みに来たんですか?」
「顔もまだよく知らない奴の身体ばかり見続ける趣味は俺にはないよ」
「じゃあ、よーく見てください。今隣を走ってる、あなたに憧れている後輩の顔。佳井選手――いーや、海さんが追いかけていたお尻の子はこんな顔です。身体だけじゃなくて私、顔にも自信があるんですよ」
「前見て走らないと怪我するよ」
「はーい」
ジェネルについて、自分に自信のある身体と顔つきをしている、と華耶は言っていた。テレビで見るよりも確かにジェネルの体つきというものは華耶以上に――それはきっと、背が華耶よりも少なくとも10cmくらいは高い事もあるのだろうけれど、女にしてはそれなりに高い身長が生む脚の長さが、より全体をメリハリのある身体つきに仕上げていた。
しかし、そうして見れば見るほど、華耶はよくもまあ出会った頃の姿を極限まで維持し続けているものだ――と思った。きっとジェネルもまた、華耶くらいの歳になっても綺麗なままでい続けるのかもしれない。
とはいえ、あれほどたくさんの子供を産み、歳も30代を過ぎながらも、出会った頃ほどのプロポーションのまま自分の前に身体を差し出している華耶の存在が、隣にジェネルが走っているからこそなのだろうか――余計に海の中では大きくさせた。
15年早ければ――という表現をジェネルは使ったが、ジェネルが15年早く生まれてきたとしても、家庭を築くという点であったり、ジェネルが野球人であるからこそ、この歳でたくさんの子供に恵まれるという事はなかっただろうし、子供が野球を始めたい、という話に心を揺さぶられたりすることはなかっただろう。
きっと15年早く生まれてきて、どれほど運命がジェネルにとって都合のいい方向に傾いたとしても、ジェネルは最終的には野球選手でありながらの妻という形を選ぶだろうから、たぶん、一緒に起きて一緒に仕事をして一緒の家に帰る――そんなアニメやドラマみたいな話にこそ恵まれるだろう。でも、そこに華耶ほどの夜の長さと、華耶が言う身体や言葉を超えた関係を生むだろうか――。
『海くんのお父さんが羨むくらいの幸せな大家族を作ってさ。それで――引退する頃には……ううん。引退した後でもいい。海くんが――あたしと一緒にここまで歩いてこれたの、幸せだったって思ってもらえるように――』
つくづく、自分を選んでくれた女というものは、仮に自分に他の女という存在がいたとしても――華耶以外にはありえなかっただろう、と海は思った。きっと、よほどジェネルが華耶にはない何かを持ってたとしても――よほどこのジェネルという少女が自分にとって特別な存在にでもならない限り、それは代わらないだろうと海は思った。
自分の父親が果たしてどんな思いでとっかえひっかえ女を抱き散らしていったのかは分からないし、知りたくも無い。ただ、彼との一番の違いは自分に理解者がいたかどうかであって、自分を心の芯までも全身で受け止める存在がいたかどうか――その差は大きい。
あの後、楓悟がどんな生活を送っていたかは知らないし、知ろうともしていない。だから、今の自分の家庭を見せつけるということだってしないけれど、仮に見せ付けられるならば見せ付けてやって、歩んできた人生の違いというものを知らしめてやりたい――。
海はそんなことなんかを一瞬考えながらも、男の事なんか考えても仕方がないから併走するジェネルの身体なんかを見ながら――今ここにいない華耶のことをまた考えた。
なんだか、ジェネルの存在がより華耶を大きくさせているということは、どこか自分にやましい気持ちがあるからなのではないか――そんな自分の気持ちが海は嫌になり、ペースを上げる準備をし始めた。
「なーんだ、海さんも結構私に乗り気なんじゃないですか。海さんがその気なら私だっていくらでも」
「黙って走れないのか。ペース上げるからね」
「あっ、ちょっと待ってくださいよ!」
遠ざかっていく大きい尻についてこられるのはせいぜい後ろを走っていた田中と、中盤の少し前でしばらく自分のペースで走っていた清兵衛が徐々に徐々に集団から押し出される形で前に出て行きたくらいで、ジェネルの尻を見るためにダラダラと走っているのか、純粋にやる気がないだけなのかどうかも分からないその中盤の集団はとうとう、走り込みが終わる頃には先頭からはだいぶ引き離されるような形になってしまっていた。
「アイツ、いやに飛ばすな。キャンプのときだけはいつもそうだが」
「……外に逃げる球もガンガン振ってきますからね。そんなにあのジェネルって子に感化されたんでしょうか」
「それだけじゃあねェよ。お前さん、気を遣って言っただろ?今」
「……いや、別に……」
フリー打撃で出番を待つ田中と清兵衛が海の打撃を見ながら、その白球の行方を追い続けていた。
バットに球を乗せて自然なスイングで運ぶ、というのが海の心情だが、ここ数年、キャンプの時は大きく振ってはバットを次々に駄目にしていった。
時折試合で見せる、ぐんぐんと鋭い弾道のまま伸び続けるライナー性の弾丸のようなホームランというのが海の理想なのだが、海の言う『力任せの不恰好なホームラン』『不細工な打球』というものもまた、去年は何本かあった。
感情に任せて、大きく振って飛距離だけを追求したようなホームランを打つだけならきっと出来るのかもしれないが、自分の打撃スタイルに合わないことをしても仕方が無い。
しかし、自分のスイングを極めながら徐々に徐々に大振りをし、ホームランに出来るような球を増やす――という作戦で本当にいいのだろうか――海は、昨年はあとわずかに届かなかった2桁本塁打というものを強く意識していた。
「海さん、今年は4割狙わないつもりなんですか?あんなにたくさんバットをダメにして」
「キャンプのときはいつもああだよ、俺は。お前が俺のことを全部知っているつもりかもしれないけど、テレビだのなんだのでしか俺のことを知らないだろ。お前が思ってるほど、俺の一部しか見てきてないんだよ」
息を上げながら戻ってきた海は、ジェネルに迎えられた。ジェネルは駄目になったバットの群れを見ながら『これがグッズになっていくんですねー』などと言いながら、バットの折れ方をじろじろと眺めていた。
「私がいるから力んでるんですか?」
「まあ、集中はできないよね」
「こんな可愛くてセクシーでダイナマイトボディな女の子がチームにいたら、そりゃそうですよね~」
ふふん、と鼻を鳴らしながらバットを肩で組んでわざとらしく腰をくねらせてポージングしたジェネルを海ば侮蔑するような目で見つめ――
「野球をごくごく浅いところでナメてるような奴がいるから、そりゃあ力むよ」
と吐き捨てた。
「あーっ、そんな言い方します?」
海の言葉に不満を露わにしながらジェネルは海の腕に抱きつき――
「試合で見るより、結構腕、しっかりしてるんですね。もっと華奢なイメージあったんですけど。……あ、でも他の選手と比べたらだいぶ華奢ですよね。腕だけじゃなくて、脚なんかもそうですよね。無駄に筋肉つけすぎてない感じ」
「……お前、胸で腕の太さ測るのやめてくれる?一応他の選手の目もあるから」
べたべたと距離感を詰めてくるジェネルに海は首を振り、少し嫌そうにしながらベンチを見つめた。
相変わらず自分以外のことに興味なさそうな感じでいる選手と、それに対して注意している小室やヘッドコーチたち――。
下手をすれば、高校の野球部のほうがよっぽどしっかりしているような光景がそこに広がっていた。
ジェネルもまたそんな光景を侮蔑するような目で一瞬睨みながら――
「だってここ、私以上に浅いところで野球ナメてる人多いじゃないですか。私が何したって今更ですよ」
「馬鹿。お前みたいな入りたての新人が言うような言葉じゃないんだよ、そういうのは」
頬を引っ張り、それ以上言葉を発せられなくするようにして海はジェネルを睨んだ。
「ビッグマウスもほどほどにしないと、お前、いろんなところから潰されるぞ。少なくともお前がナメてるアイツらは、お前よりは実績を重ねてるんだから。あれでもレギュラーだった奴もいれば、必要最低限くらいの仕事はした奴だっているし、あれでも欠員したらうちはもっとひどいことになるんだぞ。あんなのが今年も1軍のままで、2軍から他の選手が上がってこないっていうのは、そういうことだ」
「ひゃあ、はんひぇんははへへおいふひはふほ。おいふいへひへひゃいいんひぇひょ?ほへははいふぁんほほほほはは【じゃあ、何年かかけて追いついてみせますよ。追いついてみせりゃいいんでしょ?それが海さんの望みなら】」
「……」
もちもちとした頬の感触をズボンで拭いながら、海はジェネルをもう一度睨んだ。
「……とにかく。あまり人が居るときに変にセンセーショナルな事言うのはやめておけよ。ただでさえお前、ビッグマウス枠なんだから」
そんな言葉を全く意に介さないような素振りで、ジェネルは折れたバットのグリップをぐっと握って、ゆっくりとバットを構えて腰の動きを確認し始めた。
「今に見ててくださいよー、海さん。私が――海さんと一緒に、このチームを変えますから」
「何言ってるんだよ。お前一人に何ができる」
海は自分の口からぽっと出た、横嶺が自分に対して言ったような言葉に思わず口を押さえた。
自分までもがあんな男のような言葉を言うようになってはいけないはずなのに――そんな表情を海は浮かべ、苦い表情を浮かべた。
そんなことに全く気づかない様子でジェネルは先の折れたバットをぶんぶんと軽く振りながら、海に対してニッと笑顔を向けてみせた。
自信たっぷりのその表情はどこか、華耶の笑顔と共通するものがあって、いやに海にはまぶしく感じられた。
「言ったじゃないですか。引退までに一度だけでも私に振り向かせたい、って。私、チームを変えるってことも、海さんを振り向かせたいってことも、本気【マジ】で言ってますからね。その時まで、私は"ジェネル"のままです。海さんが本当に私を認めたときに――私のことを名前で呼んでもらって結構です」
「その時までお前の本名なんか覚えてるかどうかだけどね」
海は折れたバットで怪我でもされたらかなわないとジェネルからバットを取り上げ、用具係に一度手渡しにいった。
「知ってると思いますけど――私、左投げなんです。左投げってことは、一塁か外野か投手くらいしかできません。でも、投手にはなれませんでした。私、別に送球が下手ってわけじゃあないんですけど、いざマウンドに立つとこれがまたえらいノーコンで。カーブなんかも、それはそれは見え見えのションベンカーブで」
「よせよそういう言葉遣いは」
海はジェネルの話を一旦遮り、首を振った。
「今はあちこちポジションをたらいまわしにされてますけど、一塁はきっといつかまた海さんが守ると思うんです。私、本気で海さんといつか同じチームでやりたいって思ってたから――だから、投手がてんでダメだったぶん、外野の守備、こう見えてすっごく頑張ってきたんです。とびっきりうまいわけじゃないですけど、しょーもないエラーなんか滅多にしません」
「してもらっちゃ困るしね」
「投手失格の烙印を押された左投げの選手って、もうあとがないんです。だから、私なりに常に全力で野球してきたんです。もしいつか海さんがまた一塁に戻ったら、そのときは私がライトなんか守っちゃって、いつかはライトゴロを狙って勢いよく一塁にボールを投げられるかもしれない、って思って。海さんからしてみたら全然かもしれないですけど……これでも、真剣に練習してきたんですよ。静岡の中でもそんなに野球が目立たない女子高に入ったのだって、普通の学校でレギュラーになったって、きっと私はその辺のモブで終わっちゃうと思います。でも、あそこでレギュラーつかんで、私が全力で頑張ってチームを引っ張り続けてたら、きっと面白い奴がいるって思って誰かが見てくれる――そう思ってましたから」
目をキラキラと輝かせながら思いを語ったジェネルをよそに、海は腕を組んでジェネルに対して現実的な目線をやった。
「そんな熱い思いを語ってくれてありがたいんだけどさ、知ってた?俺、プロに入ってからファースト守ったことほとんどないんだよ。最近はずっとセカンドかかショートだし」
「知ってますよ。センターラインを守ってるなら、なおさら都合がいいです。きっと中継プレーにたくさん絡んでくるでしょうからね。私からの愛の中継、たくさん受け取ってくださいね」
ニコっと笑ったジェネルが、そろそろ回ってくる出番を気にしながらバットを持ち打席に移動しようとしたのだが――
「あと――」
「?……なんですか?」
「『正直言って』シャツ、お前は着るな」
海は一旦ユニフォームを脱いでTシャツ姿になっていたジェネルのシャツを指差し、嫌そうにしながら指で×印を作った。
「えー!?嫌です!推しのシャツ着て何が悪いんですか!」
「直接人に向かって推しって言うんじゃない」
「推しは推しですもん!一体いくつ海さんのグッズ買ったと思ってるんですか!」
「お前が着てるの、嫌なんだよ。とにかく俺の目の前では絶対に着るな」
「いーえ、絶対着ますからね、私は!」
「……あの、楽しそうなところ悪いんですけど……早く投げたいんですけど」
田中がマウンドからわざわざベンチにまでやってきてジェネルに早く打席につくようにせかした。
「見ててくださいね、海さん。私が言った事、ハッタリじゃあないってこと」
そう言い放ったジェネルは打席に立ち、足を大きく上げて振り子のようにする――最近めっきり見なくなった独特な構えをして見せた。
顔つきは自信にあふれたまま――それでも、ジェネルの言うような単なるハッタリではないような、彼女なりの真剣さがベンチにまで伝わってきた。
『私が――海さんと一緒に、このチームを変えますから』
その言葉がどこまで本気かは分からないが、海は仮に何かの変化があるとしたらこの女くらいしかもはやいないのではないか――ともうっすら思い始めていた。
「……何考えてるんだか、俺は」
そんな自虐と共に放たれたジェネルのシート打撃一球目は、しっかりとした快音が球場に響いていた。
大きく一塁側のファールゾーンへと巻いていった打球だが、その飛距離は確かに、何かの予感を告げるような大きく伸びる打球だった。