めいっぱいにかけたディストーションを経由して、ひずみきって、キィキィと嬌声のような音を奏でるチョーキングギターの音が防音室に響き渡る。
来年の地元テレビ局でのチーターズの試合中継の際にテーマソングとして1曲提供してほしい――と言われ、その曲の構成を仕上げるためにシーズンが終わり次第何日かの間、こうして海は地下の防音室にもぐって全力で作詞作曲に取り組んでいた。
『Pride』
率直で、純粋な一言だけがそこにあった。担当からもシンプルに『プライドをテーマにした力強い曲にしてください』と言われていたから、海は力強さとは何か――そう考えながら曲構成などを練りこんでいた。
ふと、珍しく携帯電話が震えていたのを確認した海はその相手がマルコだと知ってより一層驚いた。
大体はパソコンでやり取りするし、パソコンでの作業通話などもよくやるものだから、わざわざ携帯電話を鳴らすほどのことが起こるとはよほどのことだろうと海は思った。
〈カイ。大事な話があるですから、今会えませんか〉
「大事な話って」
〈大事な話は、大事な話です〉
「今って、今からじゃ俺、東京に着くのは明日の昼前くらいだよ」
〈実はもう、大阪に来てます。大事な話ですから、ニコを連れて大阪まで来ました。そうするのが日本流の礼儀ですから〉
「別に日本流の礼儀だろうがなんだろうがいいけどさ。……分かったよ。」
〈すみません、急な話で。ありがとうございます〉
家の近くの焼き鳥屋に連絡し、マルコとニコの二人を奥の席へと招く海。さすがに近所に住んでることを分かってるからか、客もいちいち店に入ってきた海には反応せず――海が珍しく野球選手以外の人物を連れてきたことに皆少しだけ意外に思いながらその行方を見つめた。
「別にメールかなんかでもいいのに」
「いえ。大事な話ですから、こういうのは直接会って話したほうがいいかなと思ったんです、俺たち」
「まぁ、いいから何か食べなよ。夕飯、ちゃんと食べたか?」
「新幹線でちょっとだけ」
「じゃあ食べながらでいいよ」
「カイ。お願いです。ちょっとだけ、俺たちの話を聞いてください」
海が差し出したメニュー表をぱたん、とテーブルに置き、マルコは海をじっと見つめた。水色の瞳が、真剣さを帯びて少しだけ充血していた。
「……分かったよ。何だよ、話って」
「日本のレーベルから、こないだ連絡がありました。俺たち二人を、今度デビューする女の子の歌手のサポートメンバーになってほしいって。編曲だけじゃなくて作曲にも口出しして、プロデュースしてほしいって」
「いいことじゃないか」
即答した海だったが、マルコもニコもその面持ちは重い。
「いいことだとは思いますですけど、それだと俺たちはカイのバンドをしばらく休まないといけなくなります。俺たちは、カイと一緒に音楽をやるからここまでこれたんです。カイなしで音楽をやるなんて、今の俺たち兄弟には考えられませんですから、相談してからじゃないとちょっと」
「別にそんなことくらいいいよ。何をいまさら気を遣うことがあるんだよ。もともとフィンランドで俺以外と組んでたんだろ。収入だってもっと見込めるかもしれないんだろ。いいじゃないか」
「それは、そうですけど――」
「カイは、俺たちがいないと曲はできない。全部一人でカイがやるのは大変ですから。何年カイから離れるかだって分からない」
「俺たちは、カイと演れるから俺たちなんです」
マルコとニコの真剣な面持ちを海は苦笑しながら見つめた。
もちろん、ここまで一緒にバンドを続けてくれてありがたいという気持ちもあったし、この二人がいたから自分は久々に音楽というものに自己表現をすることができた――ということはあるのだが、自分ひとりの存在で二人の夢を潰すことなどできない。
「別に、いいじゃないか。少しやって、ダメそうなら断ればいいだろ。やる前から自分の可能性否定するのはよくない。お前ら兄弟、何しに日本に来たんだよ。英会話の講師やるためか?音楽教室の講師やるためか?俺と心中するためか?」
「シン……ジュウ……?」
マルコがいまいち心中の意味を理解していなかったため、ニコがフィンランド語で通訳する。海が伝えたかったニュアンスではなく、心中という言葉の意味そのものを伝えたのか、マルコはぎょっとした表情を浮かべ、首を振った。
「違います、違います。俺は、日本でまた音楽をやるために――」
「そうだろ、音楽やりたいから日本に残り続けたんだろ」
「それは……そうですけど」
「カイに黙って話を進めてしまったのが申し訳なくて」
そんなことを気にしてたのか――と海は言いたい気分だったが、マルコもニコも沈んだままの表情なものだから、海もまた一蹴するわけにはいかないなと思った。
「いいよ。俺だって、もともと一年中お前らと一緒に演奏できてたわけじゃない。むしろ、俺が半年くらいまともに一緒に練習できないの分かってて、今までよく一緒についてきてくれたと思う。それに別に、俺たちのバンドは解散するつもりでいるわけじゃないんだろ、お前ら。だったら、お前らはその話、断る必要がないだろ」
「許してくれますか」
「許すも何も、なんか、ちょっとうれしいよ。そんな大きい話がお前らに舞い込んできたってさ。俺たち、割と好きなようにやってきただけなのにさ」
「ありがとう、カイ」
「カイと一緒に音楽ができて、よかった。これからも、お願いします」
「最終回みたいなこと言うなよ。さあ、乾杯しよう」
店員に待ってもらっていたうずらの卵の串をはじめとした焼き鳥や、ビールとハイボールを持ってきてもらい、海は高くジョッキを掲げた。
「分かってると思うけど、新曲の発表まではちゃんと俺のもとで仕事してくれよ。それじゃあ、乾杯」
「乾杯」
相変わらずなかなか訛りの取れないマルコとニコの『乾杯』を海はうっすらと笑みを浮かべながらしっかりと受け取った。
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「――じゃあ、しばらく活動休止状態になるんだ?」
「まぁ、そうなるね。俺も、あいつら以外と音楽をやる気にはたぶんなれないから。今の曲が終わったら、一人で曲出すしかないかな。いや、出せたらの話だけど。なんか、俺たちがいない間は野球に専念しろ、って言われたような気がするからね、あいつらに」
「ははは。そんなことあるかなあ」
「分からないよ。きょう、あんまり野球の話しなかったからね、あいつら」
「そうなんだ」
タクシーに乗って家に帰った海は、二人の部屋で華耶に何があったかを説明していた。華耶はそんな海の話をじっと聞き入っていた。
「でもさ、なんか――嬉しい気持ちもあるんだけどさ。やっぱりさ、ちょっと寂しい気持ちはあったよ」
「自分の手の届かないところに行っちゃったって気持ちになるから?」
華耶の問いかけに海は首をゆっくりと横に振った。
「そんなもんじゃないよ。俺は、この7年――あいつらと音楽を作るのが楽しかった。俺のせいでスケジュールが合わないから、ライブといったらせいぜい甲子園でファン感のときに演奏するくらいだし、あとはPVの撮影くらいしか一緒にやれなかった。あいつらは動画サイトとかで色々発信してくれたし、いくらかテレビやラジオにも出てちょっと宣伝なんかもしてくれたけどさ、三人そろって音楽番組に、なんてのはシーズンが終わってからじゃないとやっぱ無理があったじゃないか。でも、あいつらは俺についてきてくれた。最高の音楽も作ってくれた。東京で試合があるときは何回か試合も見に来てくれたらしいんだよ、あいつら。見に来たって言うと俺のプレッシャーになるからって、今までずっと黙ってたんだってさ」
「よく分かってんじゃん」
華耶のツッコミに海は苦笑を浮かべ、無言の返事をした。
「そんなあいつらが、今の曲作った後はしばらく一緒に演れなくなる。なんかそれ考えたときにさ……きっと、晴留や新なんかもあと何年かで家を出るだろ、たぶん。子供が俺の元から離れていくときって、こんな感情を抱くのかな……とか思ってさ。俺、一丁前に子供たちに対して父親みたいな感情を抱いちゃっていいのかな、とかいろいろ……考えちゃってさ」
「なるほどねーえ」
華耶はお茶を飲みながら、こちらをじっと見つめたままの海を同じように見返した。
「明日、土曜だろ。近所のドーナツ工場にみんなで行こう。遠出ってほど遠出でもないし、思いっきり近所だけどさ。明日くらい練習休んだって、死にはしないだろ。晴留も新も連れてさ。嫌って言われたら……仕方ないけどさ」
「ううん。きっと喜ぶよ。晴留、双羽ちゃんに嫉妬するくらいには海くんのこと好きだしさ。新だってきっと、みんなで行こうって言ったらついてきてくれるよ。ううん。あたしが絶対連れて行く」
「いいよ、そんな無理しなくても。歩いても行けるくらいの距離なんだから」
歩いてせいぜい30分とかかるかどうかの距離に、大手ドーナツチェーン店の工場はあった。別にこの機会を逃して次がない、なんてことはない場所だけに、やる気に満ち溢れた華耶の表情に対して海は苦笑を浮かべていた。
「分かってないなー。それをみんなで行くのがいいんでしょ。あたしだって少しは動かないといけないしさ。車で行くような距離でもないし……みんなで歩いていこうよ」
華耶は海に笑顔を向けながら――
「まぁ、一番楽しみにしてるのあたしなんだけどね」
と、ニッと一段とまぶしい笑顔を向けてベッドへと向かった。
「言っておくけど、お前とデートするわけじゃあないんだからね」
「あたしはデートのつもりだもん。子供たちよりもあたしのほうが海くんを好きだぞーってアピールしたい」
「やめろよ、大人気ない」
海は少しだけ笑いながらベッドに横になった。
翌朝、新は不満そうな顔を浮かべていた。
「なんで?」
「いいじゃんたまには。みんなで出掛けようよ」
「出かけるって距離でもないじゃん、別に」
海と全く同じようなことを言う新に、華耶は思わず噴出しそうになった。そういうところは親子でよく似ているらしい。
「新にとっては近くかもしれないけど、琉美や諒斗にとってはちょっとの冒険になるしさ。お兄ちゃんと一緒に出かけるのきっと弟も妹もみんな楽しみにしてると思うよ?」
「でも俺、練習あるし」
「一日くらい練習休んだってさ。せっかくお父さん、一緒に出かけないかって話してくれてるんだからさ」
「その練習を休めない仕事してるのが父さんなんだろ。じゃあ俺も練習休めないよ。今の俺は、これが仕事みたいなもんだし」
これが仕事みたいなもの、という言葉に華耶は少し悲しげな表情を浮かべ、新に近づいた。いつしか背も追い越されそうなほどだ。
「ねえ新。新だって、もともとはお父さんといろんなとこ出かけたかったから、そういうこと言ってるんでしょ?お父さん、なかなか休みたいときに休める仕事じゃないからさ。こういうときくらい、ちょっとお父さんの話聞いてくれても……ダメかな?」
「俺はもうサッカーで忙しくなっちゃったから」
なかなか首を縦に振ってくれない新に華耶は朝から手を焼いていた。
この春から少年サッカークラブに入団した新は、晴留同様、歳の割にはぐんぐんと伸びた背を生かし、早くもフォワードとして起用されるようになっていた。
野球だけは絶対やらない――その意思は新を強くサッカーへと導いたようで、チーターズの観戦チケットが送られてこようと、美樹らが試合を見に行こうと家族総出で試合に見に行くことになっても、絶対に自分からは試合を見に行こうとはしなかった。
今や部屋にはサッカーのポスターやらが貼られていて、前に親子招待券でヴァリエ大阪の試合を見に行ったときにもらったサイン入りのユニフォームなんかも飾ってあるらしい。
「別に今日1日くらい休んだってさ、お父さんだってまたもうすぐしたら練習でいなくなっちゃうし……ね?」
「別に、俺がいなくたって外出はできるじゃないか」
「それはそうなんだけどさ。新は本当にこのままお父さんとどこか出かけるとかないままでいいの?」
「今更そんなこと言われてもね。向こうが今まで俺をほっといたのに、俺がほっとかない権利がないっていうのも、おかしくない?」
「……それは分かったよ。でも、お父さんの前でそんなこと言える?」
確かに、新の言うことも一理あるのだ。華耶はそれも分かっていたが、海が子育てに対してどんな感情を抱いているか分かっているからこそ、新に少し強気な態度に出ていた。
あまり自分から海がどう思っているかなんて言うと陳腐になるから黙っていたが、海の気持ちを考えると新の言葉はやはり、受け入れられるものではなかった。
「別に俺はかまわないよ。俺の人生だから。父さんだって自分のことしか考えずに生きてるから、肝心なときいつも家にいないんだろ」
「……ひどいなあ、新。そんなにお父さんのこと嫌いなの?」
「今更父親っぽいことして取り返そうとしてるのが特に嫌だね。家の事だってこれまで全部母さんや叔母さんに任せておいてさ」
「……だからお父さん、こういう休みのときになんとかしてあげようとしてるんじゃない。どうして新はそれ分かってくれないのかなぁー……」
玄関でシューズの紐を結び、早く出て行きたそうにしている新を華耶は止めていた。しかし、新はもう外に出る気持ちでいるようで、少し華耶を鬱陶しそうにしながら見つめていた。
「一年の半分くらいは父さんはいない。だから、父さんはいないっていうのがもう俺の中では常識になっちゃってるんだよ。だから、俺も同じようにサッカーに打ち込んでやるんだ。それの何が悪いの」
「そんな思いでサッカーなんかしてもさ、絶対いつか躓くよ、新。お父さんみたいにはならない、ってたぶん新は思ってるかもしれないけど……今のままじゃ新も絶対、お父さんみたいに……ううん。お父さんよりもっとひどいお父さんになると思う」
「ならないよ。俺は父さんとは違う」
「新」
「……」
「じゃあさ。一緒に出かけて欲しい、っていうのがお母さんの頼みでも、聞けない?お母さんの頼みなら新、大体のことはしてくれるよね。家の手伝いとかもそうだし、ゴミ出しだってそう。お母さんが部屋で残業してるときだって皿洗いとかもいろいろしてくれるよね。お母さんならよくてお父さんがダメな理由は家にいないからっていうこと?それとも、他に何か理由があるの?」
「……なんだっていいだろ」
「新」
ぬっ、とドアの前に割り込んで通せんぼをする華耶。改めて対峙すると、背の大きさでは既に負けている華耶は、新の成長を少しだけほほえましくは思ったものの、互いに目線をぶつけ合っていた。
「お父さんから逃げてたって、絶対にいいことないよ。お母さんの給料の何十倍も……ううん、それで足りないくらいお父さん稼いでるんだよ。お父さんが必死で稼いできたからこんなおっきい家もあれば、休みの日にお父さんのお金で、お父さん抜きでUCJ行ったり、近所のオシャレなお店で出前取ったりもできる。新がサッカーしたいって言ってすぐOK出したのも、欲しいものがあったりしたい習い事があったらすぐお金を出してくれるのも、電子ピアノが家にあるのも、お父さんが新たちのことを考えたり応援してるからなんだよ。それでもお父さんと出かけたくない?」
「……じゃあ、母さんとなら出かけてもいいよ。俺は別に父さんと出かけるわけじゃない。母さんと出かけるんだ。……それでいいだろ」
「……まぁ、それでいいかな、今は。聞き入ってくれただけでもよしとしよう。うんうん、いい子いい子」
新の頭を撫でながら華耶は上機嫌で再び家の中に戻っていった。
新は服についた香りを少しだけ嗅ぎ直しながら、同じように渋々家の中へ戻っていった。