〈――ちょっと待てい!!〉
〈大御所にそんな悲しい顔さすな!〉
〈カットせえ、カット……!〉
「アイツ、なんだかんだ言って楽しそうだったな」
「新のこと?」
「うん。俺と一緒に出かけたのが楽しかったってわけじゃあなさそうだったけど」
子供を寝かしつけたあとで、海は華耶とリビングでビールを飲みながら他愛もないバラエティ番組を眺めていた。
ドーナツ作りの体験をした後、近くのカレー屋に寄って昼食をとり、大池公園を経由しながら家に戻った海一行。
新はよほどサッカーに自信があるのか、ボールの蹴り方やステップなんかを、二人で公園のあちこちをタブレットで撮影している真結と広乃に絡んでいって自分の写真を撮らせようとしてみたり、自慢げにイメージトレーニングの様子を見せびらかしたり――家で自分が見ている姿とはまた違う新の姿がそこにはあった。思っているよりも自己顕示したがるタイプなんだな、という意外性を海は感じたりもした。
晴留はこういうときはもう年長者としての自覚が芽生え始めているようで、ずっと華耶の近くに寄り添って面倒を見ていたし、少しばかり歩き疲れた様子の琉美と諒斗に話しかけて機嫌をとってみたり抱っこをしてみせたりと、どこか母親としての顔を早くも見せ始めているような感があった。
それぞれが自分が家を離れている間、日に日に何かを感じ取って成長している。それが海には嬉しかったし、同時に、仕事柄家を離れることが多い自分の申し訳なさというものがよりいっそう引き立ったようにも思った。
よく言うと自分の子供たちは自立しているのだろうけれど――結局、自分は楓悟に対して偉そうなことを言えないくらい、父親としてのことなどできなかったのではないか――という認識が今日また海の中で強くなってしまっていた。
夕飯は宅配も対応している、町の中華料理屋といえば連想される近所の店に頼んだ。家族で少しずつメニューをシェアしあったりと、見た目だけは少し豪勢な夕飯を楽しんだ。
たまに華耶には家事を休む日だってあっていいし、昼はカレーを食べたとなると夕飯はどうするか結局どれも決め手に欠けたから、思い切って各々好きなものを頼むという手段に切り替えたのだった。
久々に一家揃って風呂にも入ったが、必要以上に大きく作った風呂が一家揃うとこんなに狭く感じるものか――と海は思った。
こんな日々はいつ振りだろうと海は二人の部屋に戻ってから今日一日を回顧していた。……普通の大人をしていたなら、きっとこんな生活は当たり前なんだよな――という複雑な思いはどうしても時折絡まり、詰まったが。
「あの子、やけにあたしとくっつきたがるんだよね。それだけ寂しいっていうところもあるのかもしれないけどさ」
「あの子って、新か?」
「うん」
そう言いながら華耶はビールの缶を置き、素焼きナッツに手を伸ばした。
「俺に似たんだよ、たぶん」
「海くんもお母さんに対してはああだった?」
「……」
その問いには海は答えようとせず、黙ってテレビの向こうで激しくVTRに対してツッコミを続けるコンビ芸人を眺めていた。
〈――なんでここをカットしなかった、編集?〉
〈アイツや。アイツ。あそこで手ェ挙げてるやつが編集やろ〉
〈おい出て来い!お前や!〉
「……あ、ごめん。……あんまり話したい話題じゃなかったね。忘れて」
「ごめん」
テレビの笑いどころの場面で表情ぴくりとも変えずにいる海。華耶はふと自分の口からさりげなく出てしまった問いかけに気づき、言葉を取り消した。
そんな華耶の言葉に、海も気まずそうに、口早に一言だけ答えた。
華耶のことが最初、母親とダブっていた海。それはすなわち、自分が母親に対して少しばかり偏重した感情を抱いていたのは事実だった。
楓悟への感情の裏返しがそうさせたのだろうけれど、母親が家から出て行くまで自分が母親にやや依存していたことを海はできるだけ記憶から抹消したかったし、そうした母親にについてのことは華耶にすらもすすんで話したいものではなかった。
今、新は自分と同じ道をたどろうとしている。
きっと、今のままでは自分と同じようになり、自分の悪い部分ばかり受け継いでしまうだろう。顔つきも最近ずいぶんと似てきたし、少しだけ癖のある髪質の海とは違ってピンと張った硬くストレートな髪質だが、透き通るような金髪に、海の遺伝子をしっかり受け継いでいることが見て取れた。
その姿が自分の幼い頃を見ているような気がして、海にはそれが辛かった。見れば見るほど『自分と同じ道を歩もうとしている、自分の遺伝子を継いだ実子』だという現実がそこに迫るものだから、そこから目を背けてはいけないのだけれど、きっと新が自分と同じような人間なのであれば、自分にはもう修正ができないところまできてしまっているのではないか――。
どうしても海にはそう感じられてしまった。
「俺がさ、中学生くらいのとき……俺は母親にきつくあたった。……この話、前にもした気がするね」
「うん。聞いたことあるよ」
「だよね」
「アイツは、ああならなきゃいいけど」
「でもさ」
華耶は海の手を取り、優しく握った。搾り出すようにして言い放った、必要最小限の言葉に、華耶は優しく微笑んで海の横顔をうっすらと見つめていた。
「新のそれと、海くんのそれはたぶん違うよ。海くんはほら……父親がだらしなかったことへの怒りが母親に不満がぶつかっただけでさ。父親がいない分、親を母親に求めたわけじゃん」
「なおさら、俺と新と同じじゃないか。俺だって、父親としてはだらしないよ」
「違うよ。あの子さ……それだけじゃない。海くんのそれと違ってさ、新はあたしと海くんの仲に嫉妬してるんだよ。海くんがいない間、新はあたしによくしてくれた。たぶん、海くんがいない間、この家の父親としてのことをしようとしたんだよ、あれは。そうしているうちに、時折帰ってきてずっとあたしとくっついてる海くんに嫉妬してるんだと思う。同じマザコン気味でもさ、海くんのそれは新よりはもっとなんだろう……健全っていうか、子供らしいっていうか、さ。だからこう……新はたぶん、海くんに喧嘩を挑んでるんだと思うよ。俺のほうがあたしの役に立ってるし、父親っぽいこともしてるぞー、って」
「……マジで言ってる?」
「マジで言ってる」
「勝ちようがないのに?」
「勝ちようがない喧嘩を挑みたくなる年頃なんだよ。あのくらいの年代はさ」
「……俺に勝ってどうするつもりなの、新は」
「そんなの、まだ子供だもん。そこまで考えてないよきっと。自己顕示欲のためだね、たぶん。野球じゃ勝てないっていうこともたぶんわかってるから、野球やらないんだと思う」
「そんなまさか」
どっ、と椅子に深く座り直した海が華耶を訝しげな表情で見つめる。
「晴留が野球部に入る、って聞いたとき、新もちょっと悩んでたんだよ、あれでもね」
「へぇ」
華耶から聞かされた事実に海は少し意外そうにしながら組んでいた足を解き、膝に手をやった。
「晴留もあんな明るくて優しい性格だけど、毎日納得して帰って来るわけじゃないんだよ。別に、うまくいかないからって怒ったり泣いたりしてるわけじゃないけどさ。何でもこなしちゃうタイプの晴留でも、野球って言うスポーツでは苦労することがあって、なかなかうまくいかない日が続くこともある、っていう姿を見ちゃってるから、たぶん新は自分は野球では勝てないって思ったんだと思うよ。晴留がずーっと、海くんをお手本に野球しようとしてたの新は新なりに見てたはずだから」
「で、サッカーでなら勝てそうだし張り合えそうだから、サッカーに手を出した、と」
海もまたビールを空け、華耶はアイスボックスから取り出したビール缶を海に手渡し、華耶もまたその缶をもうひとつ開けた。
「そ。単純に反抗期っちゃ反抗期だけど、それと同時に海くんがあたしとラブラブなのが気に入らないわけ。あのくらいの年齢なら、"子供が出来る理由"くらいわかってるだろうからね。だからあたしは言ってるんだよ。海くんは海くんのままでいい、って。海くんが新たちに対してどーこーするとかじゃなくて、新は今、新自身がこの壁を乗り越えなきゃいけないの。どれだけ新が嫉妬してようが、あたしが海くんを選んだっていう事実は変わらないし、ゆるぎないし、それに、今からどれだけ新があたしにふさわしい男になったとしても、絶対に海くん以上にはならない。だって新が生まれてきたのは、あたしが海くんのことを世界で一番好きだからだもん。もちろん、同じくらい新たちのことは好きだけどね。その事実に新は自分でどうにかしなきゃいけないわけ」
「……そんなもんかね」
「そんなもんよ。可愛いねー、子供って。息子があたしを全力で口説き落とそうとがんばるの、健気だと思うしさ、やっぱ海くんの息子だわ、って思うよ。海くんのちっこいバージョン見てるようでさ、ほんと」
華耶はそう楽しそうに笑いながら、家族の集合写真を見つめ――
「おまけにさ、自分からはその思いを言おうとはしないんだな。そこがなんか海くんとまんま同じでさ」
「……俺は息子には嫉妬しないよ。さすがに」
「あ、その手には乗らない?」
「……そこまで子供じゃないよ、俺は」
「半分、子供のままだけどね」
「……」
キッ、と華耶を睨みつける海。華耶はそれを見ながら腹を抱えて指をさし笑いながら――
「そういう顔、ほんと新とそっくり。いやー、似るもんだね。子は親を見て育つって言うもんだけど、ほんとだね」
と笑い声をあげた。海は相変わらず渋い表情をしたまま、じっとテーブルを見つめた。
翌日、早朝5時をまもなく回ろうとしていた頃。少し早く起きてしまった海は華耶を起こさないようにリビングへと向かい、眠気覚ましにコーヒーでも飲もうとした。
「……誰かいるのか?」
リビングから漂う甘ったるい匂いや、米の炊けた香り。華耶の母が朝食の準備をしているのかと思ったが、それでも早すぎる。何事か――と思って扉を開けるとそこには晴留が食卓に弁当を広げ、本人はパンケーキを焼き、もうすぐ皿に盛り付けようとしているような最中だった。
「あ、お父さん。おはよう。早いね」
「何言ってるんだ。この時間起きてるってことは、お前はもっと早く起きたんだろ?」
「えへへ。食べる?焼きたてだよ」
「別に何か食べにきたわけじゃないんだけど」
「もう一枚焼こうと思ってたところだったからさ。よかったら食べて食べて」
勝手にそうして皿に盛り付けた、はちみつとバターに、ベリーやクリームが添えられたパンケーキがテーブルに置かれる。
「いつの間にこんなことを」
「お母さん、もうすぐまた私たちにかまってられなくなるからさ。最近ちょっと料理練習してたんだ」
「弁当は?」
「新が練習先で食べるやつと私の分。おにぎらず、ってやつ。お父さん知ってる?」
「聞いたことはあるけど。いや、まさかこんなもん作ってるとは」
「朝からあんまり火使ったりフライパンの洗い物増やしたくなかったから、ツナとかスパムとか……サンドイッチにしたほうがよかったかな?って感じの中身だけどね。パンケーキに卵も使うから、卵焼き作ったそのフライパンでパンケーキも焼いちゃった」
てきぱきと準備を進める晴留の姿は、とても小学生じみた姿ではなかった。華耶の手伝いを普段からしているのが言葉だけのそれではないことが、海にはしっかりと見て取れた。
「段取り、お母さんみたいだな」
「お母さんから段取りいろいろ教わったからね。でも、火も包丁もこれから。私でも出来そうなことだけ今はやってるよ。お米の炊き方だって今はスイッチひとつだけどさ。研ぎ方とかもちゃんと教えてもらったんだよ、これでも」
「へぇ」
「これで何があってもお母さんの代わりになれるからね?私」
「まだ早いだろ」
髪をかきあげ、腰に手を当ててみせて大人の女性を意識したようなポーズを取った晴留を海は一蹴した。
「でもお母さんがいないときは私がお母さんの代わりやってあげたいなーとは思ってるんだよ、これでも」
「まだ小学5年だってのに。気が早いよ、晴留は」
「えへへ。背だけ大きい子って思われたくないしね」
自分と同じ金髪をなびかせながら晴留は上機嫌にフライパンをゆすって、パンケーキをひっくり返してみせた。
段取りがうまいだけではなく、フライパンの扱いが料理に慣れた人間のしっかりとした動作だった。今、自分と一緒の料理を作ったら、多分晴留のほうがうまく料理を作れるのではないかと思うくらいには手つきがこなれていた。
「どう?おいしいー?パンケーキなんて大体"もと"を売られてるやつを焼くだけだからおいしいもなにも、おいしいに決まってるんだけどさ」
「晴留が作ってくれたって思うと余計おいしいよ」
「えへへ。ありがとう。でも、同じようなこと、お母さんにもたくさん言ってきたんでしょ?」
「それは……父親としてはあんまり言いたくないかな」
晴留にはきっと、自分と華耶との仲の深いところが見えているのだろう。海は子供にまでそうした部分を見透かされてしまうのが嫌で、少しごまかすような言い方をした。
「なんでー?お父さんとお母さん、どういう出会いしたかとかそういうのも、そろそろ気になる年頃なんだけどなあ」
「別にそういうのは……いいじゃないか」
「お父さんにおじいちゃんやおばあちゃんがいないのも、なんか関係ある?」
「……晴留。人にはね、あんまり言いたくない過去もあるもんだよ。お父さんだけじゃなくて、他の人にも、あまり答えたがってない話題には深く聞いちゃいけないよ」
「じゃあ、娘の私にも言えないようなことなんだ?」
「……そうだよ。お父さんとお母さんとの馴れ初め以上に言えないことかな。別に不謹慎だ、とかじゃなくてね。お父さん、晴留が思ってる以上にいろいろワケありな人間だから」
「ふーん」
ふーん、と自分で聞いておきながらあまり興味なさそうな表情で晴留は同じように皿にパンケーキを盛り付け、ささっと食べ始める。
「まあ、無難においしいよね」
晴留は自分のパンケーキをそう一言、笑顔で評価した。
「まあ……誰が作ってもおいしいように作られてるからね、こういう"もと"って」
「そそ。だから、こういう料理がおいしいって言われるだけじゃなくて、そのうちちゃんとした料理も覚えたいなって思ってるんだ」
「そういうところ、お母さんそっくりだね」
「お母さんより綺麗になってみせるよ、私は。背も大きいし」
「それをお母さんが聞いたら何言うものかね」
「あはは。どうかなあ。お母さん、背が私より低いことはもう諦めてるみたいだから」
ささっとパンケーキを食べながら日曜早朝のアニメを晴留は見届け、誰よりも早く家を出る支度をする。
「もう練習行くの?」
「お父さんみたいな野球選手になるためには、お父さんよりもずっとたくさん練習しないといけないからね」
「練習時間だけじゃどうにもならないよ。怪我のリスクだってあるし」
「でも、私は野球が楽しいからさ。あ、でも新体操も楽しいんだよ。ほらほら」
ユニフォーム姿で片足をぐいっと上げてみせる晴留を海は「やめなさい」と制した。
「今日は午後には戻ってくるから、またあとでね、お父さん」
「行ってらっしゃい」
そうして見送った金髪のロングヘアーが遠ざかっていくのを見届けながら、海はなんだか華耶の寝顔をもう一度ゆっくり見つめなおしたくなり、部屋へと戻った。