海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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71・上陸、佳井宅

「うっわ、やっぱおっきいですねー」

「どこ見て言ってるんだよ。家はあっちだよ」

「え?……ええ?あっちが家ですか?」

「そうだよ。お前、大きい建物イコール俺の家っていう先入観持ちすぎだよ。そもそもあれ、家じゃないから」

家の向かいにある緑地公園の管理棟を家だと勘違いしていたジェネルは、少しだけ海の言っていた『大きい家』というものを勘違いしていた。

 

改めて海が指をさした自宅は、近くの集合住宅よりも少し大きいくらいの建物で、広い庭も備え付けられている、近くの住宅とは確かにレベルの違う風格が漂っていた。

 

「そのうち家庭菜園もやりたいって言ってたし、お義母さんや華耶の叔母さんが家にいる間は飽きないようにちょっとした畑もあるんだよ。この辺、農園の名残がそこらじゅうにあるだろ。ここももともと農園だったんだよ」

「へー」

ガレージの前でジェネルを車から降ろし、海はガレージに車を停め、改めてジェネルのもとへと歩き出した。

 

「近くに池とか緑地公園とか、向こうにもなんか植物園っぽいの見えますよね。お散歩コース、飽きそうになくていいですね」

「俺が頻繁に散歩に連れて行けるわけでもないんだけどね」

「それはまあ、それですよ」

 

緑地公園を北上した先にあるイタリア料理店に立ち寄り、あらかじめ予約しておいたオードブルを受け取ってから家に帰った二人。

別に手土産など準備しなくてもとは海は話していたのだが、ジェネルがどうしても「ケーキくらいは買わないと」と帰りにふとケーキ屋に立ち寄った。

続けざまに思い出したかのように「ケーキだけだとなんですし、夕飯も買って帰りましょう」などと言うものだから、いっそついでに夕飯になるようなものも買って帰ることにした。華耶の負担が少しでも減るなら別に悪い選択肢でもないだろうと海もまた思ったからだ。

 

両手に料理とケーキを持って待っているロングスカート姿のジェネルのたたずまいを見て、ジェネルの言う「15年早かったら違う未来もあったかもしれない」という言葉は確かにあったのかもしれない――と海は一瞬思った。

 

それでも、きっと華耶でなければ自分をここまで導くことはなかっただろうし、ジェネルが見ているのはあくまでも野球選手としてすでに活躍していた頃の自分の姿であって――甲子園に立つ自分の姿や、そこに行き着くまでの自分を見ていたわけではない。

ジェネルが同じように東京にいて、あの時華耶と同じ立場にいたとき、華耶ほどの覚悟で自分と肌と心とを触れ合えただろうかと思うと――やはり疑問符が浮かんだ。

 

決してジェネルが劣っているわけではない。華耶が自分にとって出来すぎている女なのだ。

こうした超えられないほどの壁があるとき、人は『運命の人』という言葉を使うのだろう、と海はありふれて使い古されてしょうもないそのフレーズを少しだけ感じてみたりした。

 

「何笑ってるんですか」

「なんでもないよ」

玄関の扉を開け、リビングに入ると誰もいなかった。華耶は仕事中のようで、正門の鍵を開けてからは部屋からは出てこなかった。華耶の母も今日は長野に戻っているようで、部屋もガラリとしている。

 

琉美も諒斗も早めに幼稚園に通わせ始めたことから、平日のこの時間帯は静かで落ち着いている。

もうしばらくすると、家には少しずつ慌しさや賑わいが戻ってくるだろう。

「華耶も忙しいみたいだから、先にトレーニングルームにでも行こうか。邪魔しちゃ悪いし」

「地下室、どこにあるんです?」

「そこ」

海は入り口近くの物置を指差し、米びつに偽装してある隠し扉のロックを解除し、地下への階段を見せた。

 

「子供たちが入れないようなところに隠してる。ガレージからも繋がってるけど、ガレージからもちゃんと見えないようにしてあるんだ」

「どうしてですか?」

「親が必死で練習している様子なんて、見せるもんでもないしね。それに、防音室なんかは完全に俺の作業部屋みたいなもんだから、子供は入れたくないんだよ」

「防音室……ああ、音楽するための」

「うん。こんな住宅地で、夜遅くにギターなんか鳴らせないからね」

階段を降りた先のドアに備え付けてある電子錠を慣れた手つきで解除すると、廊下がまっすぐ広がり、そこに何個かの部屋が分かれている光景が広がっていく。

 

「なんだかカラオケに来たみたいですね」

「まあ、ちょっとカラオケを意識したところはあるよ。部屋にも番号こうやって振ってるあたりね」

「部屋の大きさがどれも微妙に違うんですね。その辺もカラオケみたいですね」

「用途が違うからね。全部がトレーニングルームほどの広さが必要なわけじゃないしさ」

「それもそうですね。ほかはどんな部屋なんですか?」

「内緒」

「内緒、って」

「内緒は内緒だよ。趣味の部屋みたいな」

「へーえ、趣味」

本当は自分が何を隠してるかうっすら気づいたような表情を浮かべているジェネルを無視し、海はトレーニングルームへの入り口のロックを解除した。

 

大きな鏡と、ティーバッティング用の機材。サイクリングマシンやランニングマシン等の機械に、バランスボール――最近導入した、スイングスピードや打球速度、弾道などを計るゴルフの練習用のマシンを改良したブースも用意されていた。

 

「うっわ。練習オタクの部屋みたいになってるじゃないですか」

「野球の練習ってどうしてもアナログだからね。家に居る間は、自分の練習を数字で見ておきたくて。今年のキャンプ前に導入した」

「家にいながら練習したいって、どういう気持ちなんですか?家に帰っても練習って、それはそれでうんざりしちゃったりしません?」

「家の中で練習できたら、それに越したことないだろ。親っていう立場上、あんまりオフの日に練習で外に、っていうの、やっぱよくないなって思って」

「へぇー。なんか、結構ちゃんとお父さんしてるんですね」

「そうでもないよ」

備え付けの冷蔵庫を指差した海は

 

「分かってると思うけど、無茶は禁物だからな。あそこにスポーツドリンクがあるから適宜水分補給はとること。室内での怪我も厳禁。それさえ守ってくれれば、何使ってもいいから」

「はーい」

と、注意事項をジェネルに告げると、ジェネルはツインテールをいったん解き、長い髪をシニョンに束ねなおしてからバッティングマシンを早速触り始めた。

海は鏡を見ながらフォームのチェックを行いつつ、素振りを始めた。

 

「――そろそろ練習切り上げるぞ。長々練習し続けてもいいってもんじゃない」

「あ、そうですね。あのマシン、寮にも欲しいなーって思いました」

「寮から出たいんじゃなかったのか」

「家に置くにはちょっと大きすぎるじゃないですか。海さんだって毎日家貸してくれるわけじゃないですし」

「当たり前だ。ローンは返済額を大きくしてるからあと何年かで払い終えられるけど、湯水のように金が出てくるわけじゃないからね。奥にシャワー室あるから汗流すといいよ」

「海さんも一緒にどうですか」

「そういうの、冗談でも怒るよ」

海がジェネルを睨みつけると、ジェネルは舌を出しながら笑い――薄着のままシャワー室へと向かった。

 

「おかえりー。ごめんね、ちょっと仕事が忙しくて」

「いいんだよ。急にこいつが来たいって言うから」

入れ替わりでシャワーを浴び、髪を乾かしてから二人は再びリビングに移動した。華耶が幼稚園から戻ってきた直人、琉美、諒斗の三人の様子を見守りながらテレビを見ている最中だった。

真結と広乃は二人でピアノを弾いているようで、奥の部屋から音が聞こえていた。

 

「はじめまして。海さんの後輩の大爺双羽こと、ジェネルです」

「はじめましてー。海くんの妻の華耶です。ジェネルちゃんって呼んだほうが、都合いいんだっけ?」

「あー……そうですね。一応、そういうことでやらせてもらってるので」

華耶もジェネルもすぐ打ち解けたようだが、だからこそ、面倒くさい縛りをしているものだな――と海はジェネルを横目で眺めた。

 

「改めて見ると、ほんと海さんとこ、たくさんの子供がいますね」

「長男と長女があとで戻ってくるよ」

「これに近々もう一人増えるんですもんね」

「えへへ。海くん、なかなか獰猛なもんで。ジェネルちゃんも気をつけてくれたまえよ」

「もしものことがあっても、私にも海さんを扱いこなせると思ってますよ」

「さぁ、どうかなあ」

 

冷蔵庫から海がケーキを取り出そうとしている間に華耶とジェネルはそんな話をしていた。

華耶からしてみたら歳の離れた妹のような感じくらいに思ったのか――あるいは、妻としての自負がそうさせたのか、普段と変わらぬような余裕さを見せていた。

 

冷蔵庫から自家製のシマ――フィンランドでよく飲まれる、いわゆる発酵させるタイプの炭酸水を取り出し、海は華耶とジェネルが話し込んでいる間に一杯飲み干しながら、ケーキの箱を持ってくる。

 

「俺、席外そうか?」

「お構いなく」

「お前に言ってるんじゃないよ」

冷えた紅茶を飲みながら、ジェネルはすでに一家の一員のような構図で海を見上げてそう言った。海はそれを見て呆れた様子をしながら、華耶のほうへと目をやった。

特段、敵意は抱いていないようだ。

 

前に自分に話したとおり、自分に手を出せるものなら手を出して見ればいいという余裕は口先だけではなく本物だったようで、いつもと変わらぬ様子でこちらを見ながら――

「別にこのままでもいいよ、あたしは」

と笑ってみせた。

 

「お姉さん、綺麗なの」「お母さんとは違うタイプの可愛さなの」

「えへへ。そうでしょー?」

ケーキがあるから食べにくるようにと声をかけた真結と広乃はすぐにジェネルに打ち解けたようで、左右をはさむようにしてジェネルの身体に寄り添った。

 

「いい匂いがする」

「シャワー浴びてきたからね」

「ううん。そういうのじゃなくて、なんか」「お姉さんみたいな匂いがするの」

「お姉さんだからね」

「お姉ちゃんともまた違う」「これがお姉さんの匂いなの、たぶん」

晴留とは違う女性の魅力というものを感じ取ったのか真結と広乃はしばらくジェネルを観察し、タブレットで写真を撮って回った。ジェネルもまた、カメラを向けられていることに悪い気はしなかったようで、たくさん写真を撮らせてやった。

しばらくして新が家に帰ってきた。新が家に帰ってきたということは、晴留ももうすぐ帰るはずだ。

 

「ただいま――」

「おかえり」

「おかえりなさーい」

「……っ?!」

見慣れない"女性"の姿に新は少し驚いたようで、一瞬眼を丸くさせ――少しだけ頭を下げてから、自分の部屋へと足早に駆け上がっていった。

 

「今の子が長男ですか?」

「そそ。新っていうんだけどね。最近ちょっとまあ……うん。あんな感じなんだ」

「海くんそっくりですね、なんか」

「ねー。髪はツンツンしててそこは海くんのいわゆるサラサラヘアーとは違うんだけど、そこ以外はまあ海くんを小さくしたような感じ。性格もまあ、うん。そっくり」

「俺の悪いところ全部受け継いだような感じ」

「またー。海くんとはまたちょっと違うんだって」

海の自虐じみた悪態に華耶は海をゆすってジェネルと海とを交互に見つめた。

 

「新くんは野球してないんでしたっけ?」

「うん。サッカーやってるんだ。フォワードで点取り屋やってるんだよ」

「へー。海さんはサッカーやれなかった代わりに、新くんがサッカーやってるのってなんかエモいですね」

「やめろよ。俺があのままサッカーやれてたらどうなってたんだろうってあんまり考えないようにしてるんだから」

 

海はジェネルの声を遮るようにしてコーヒーを飲み、今度は自分の膝のあたりをすりすりしている真結と広乃の頭を撫でた。

新を華耶に呼んで来てもらおうか、あるいは真結と広乃に新を呼んで来てもらおうか――と考えていた頃、新はリビングにやってきた。

 

「新。ケーキ買ってきたから好きなのを選んでいいよ」

「……うん」

「あと、こいつは後輩のジェネル。挨拶しなさい」

「ジェネルです。新くん、はじめまして」

「……どうも」

華耶の身体を見ることに慣れていた新だったが、華耶よりもずいぶん現実的に歳の近い年上の女性というものを見た新は目線を泳がせ、ずいぶんと動揺した様子で――軽くジェネルに対して会釈をしたのち、なかなか冷蔵庫のあたりからソファのほうへは来なかった。

 

「どうしたの?新。スプーンとフォークならこっちにあるよ」

「……わ、分かってるよ」

新はしぶしぶソファのほうへと歩き出し、全員とは少し距離をとる形でコップにジュースを注ぎ、とりあえず一番近くにあったケーキに手を伸ばして食べ始めた。

 

「おいしい?新くん」

ジェネルは意図的に距離をとろうとしている新に気づいたのか、わざとらしく新に話しかけると、新はぶっきらぼうに「えぇ、まぁ……はい」と返事をし、なかなか飲み込みづらかったそのケーキをジュースで無理やり流し込んだ。

 

なんだかその様子が、自分が華耶と出会った頃の様子に似ている気がした海は、ジェネルと華耶が思わぬところで似ているような――そんな気持ちを抱いたが、自分のひざのあたりでシュークリームを上手に半分に割れずにどちらがどちらを食べるかで意見が合わない真結と広乃をなだめるのに精一杯だった。

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