「……!」
パキン!!と乾いた快音が球場に響き渡る。
秋季キャンプの終盤、打撃投手の投げたボールは鋭いライナー性の――文字通り、矢を放つような軌道のままぐんぐんと伸び、外野スタンドへと突き刺さっていった。
思い切り流れに任せて引っ張った打球だけではなく、しっかりとバックスクリーンへと目掛けた打球もまた、勢いを失うことなく、そのままぐんぐんと勢いが衰えぬまま白球は次々と突き刺さっていく。
バットをしっかり振り切った海もまた、その打球に確かな手ごたえを感じていた。
シーズン通してやっとどこか掴みかけていた、自分の追い求めるスイング。
その想像と現実の差が少しだけ――決して大げさではなく、ほんのわずかな差かもしれないが、自分の『こう打ちたい』という打球がイメージどおりに伸びていく回数が目に見えて増えていく。
流し方向への強い打球も、今までよりもしっかりとした弾道で飛距離を伸ばし、次々とフェンスを越えていく。わざとらしく打ち上げた打球も、スイングの一番力む瞬間の力の入れ具合やそのタイミング次第で、本当にボールが変わったわけではないのだろうかと疑いたくなるほどにあれよあれよと自我でもあるようにして外野席めがけて飛んでいく。
今までのスイングと同じように――でも、最後のボールをバットに乗せる瞬間の力み具合のほんのちょっとした違い――。
言葉にするのは簡単だが、実践するのは簡単なことではない。
常にフルスイングで一発長打を狙ったり、飛距離そのものを追求するような選手ほど極端にウェイトトレーニングなどをして筋力をつけているわけではない選手は、そのスイングの瞬間のちょっとした技量の差が飛距離に雲泥の差をもたらす。
力を入れすぎるスイングもダメだが、単に当てるだけのスイングだけでもダメ――。
今までなぜ時折ものすごい飛距離の打球が生まれていたのかを冷静に見直した結果、自分が長年使っているこのバットをフルに生かしたスイングというものは、ほんのちょっとの力み加減で自分をこうも最大限に生かすことができる――海はそう分析した。
単なる力任せの大振りだけではバットをフルには活かしきれず、そこに気づくまでのスイングがどれほど自分にとって無駄だったか――。
自分の中の本当のスイングと、このバットの本当の使い方を見極められただけでもこの一年は無駄ではなかったと思いたい。きっと、今年一年を棒に振るう覚悟ができなければ、自分は永遠に自分のバッティングを見失い続けるところだっただろう――海はそう確信した。
インパクトの瞬間の感覚を確かめるように、ジェネルもまた海のフォームを見ながらイメージトレーニングをしている様子が見えた。
海は特に言葉をかけるでもなく、ひたすらスイングし――時折、力強く振りながらわざと低いライナー性の打球を打ったり、内角の球を流して打つなどして、単に自分が柵越えばかり意識しているわけではない――ということをジェネルに教えるようにしてボールを打ち続けた。
そうしてこのキャンプもまた次々とバットは折れていき、広報たちは『今回のバットは何にリサイクルしようか』なとどグッズの案を練っていた。
一方のジェネルは、海のバッティングに感化されるあまり、ついつい気持ちが入りすぎて大振りになってしまうケースが増えた。
ジェネルの持ち味は飛距離だけではなくバットコントロールもまた大きな魅力だ。しかし、海の飛距離を見た後はジェネルもついついその飛距離を追い求めてしまい――つい打ち損じのゴロや内野フライを連発した。
ぶんぶんと頭を振って冷静になろうとしたジェネルはもう一度自分のバッティングを思い出そうとし、まずはしっかりバットに当てることを意識したようなスイングに切り替えた。
打撃センスは本物のようで、そうしてすぐに気持ちを切り替えてヒット性の当たりを連発してみせる姿に海は素直に感心していたのだが、ジェネルはなかなか満足していないようだった。
自分にもそのうち海のように試合を変える流れを求められるようになる――ということが頭にあるのだろう。単なるヒット性の当たりでは満足せず、打球を引きつけるタイミングだとか、足を揺らすタイミングだとか――ちょっとしたそのタイミングの取り方なんかも調整しながら、ひたすらスイングし続けることで快音を待っていた。
「アイツ、お前と似てるのかもな」
「俺は女にはなりませんよ」
「そういうこと言ってるんじゃない。野球選手としての話、してるんだ。お前に憧れてるっていうの、ハッタリなんかじゃないようだよな。打撃に関してだいぶこだわりがある。お前と同じような打球をアイツもまた求めているみたいだけど、お前、アイツのことをどう思ってる?」
コーチの生駒がジェネルの打席の様子を眺めていたが、時折練習から下がってベンチで休む海のほうもじろじろと見つめ――つぶやいた。
海はスポーツドリンクを飲みながら、しばらく直視しないうちに生駒がまた少し太ったように見えて、あまりじろじろと見ないように練習光景ばかり眺めていた。
「アイツはきっと俺よりも簡単にホームランを打つと思いますよ。頭がどちらかというと飛距離のほうにあるし、俺と違って気持ちの切り替えが早いです。俺と同じような飛距離を出すことはアイツにとっては楽でしょう。でも――」
「お前と同じようにヒットを量産することは今のままでは難しい、ってことか」
海はうっすらと頷き、思い切りスイングして空振りしたジェネルを眉間にしわを寄せながら見つめていた。
「あのままのスイングじゃ、ダメです。もちろん、変にこじんまりとして打率ばかり気にするような打者にはなってほしくないと思ってます。だから、難しいんですよ。今のアイツに、試合の勝敗を託すようなプレッシャーなんかかけたら、アイツまで俺みたいに壊れますよ」
海は遠まわしに『ジェネルには変なことを吹き込むなよ』と生駒に釘を刺した。
生駒は少し咳払いをしながら腕を組み、手首を器用に回してバットを時計回りに大きく振り回しながら声を出すジェネルを再び眺め、その打席でのたたずまいをしっかりと見つめていた。
背ネームに刻まれたGENELLEという文字と、その背番号45が若くして様になっている。本人にこだわりさえなければ、結果を出せばもっといい数字を与えられるのも時間の問題だろう。
海のような潰され方をしなければ、きっとジェネルが大物になることくらいは自分にも想像できる。そのくらい、分かっているのだ。だからこそ、もしジェネルが大物になる素質があると思っているのであれば、お前が責任を取ってこいつを面倒見ろ――そんな気持ちも生駒の中にはあった。
「……伸びしろは?」
「俺なんかよりよっぽどあるでしょう。アイツが俺のいいところだけ吸収しようっていうのなら、俺なんかよりよっぽどいい打者になると思いますよ、アイツは。俺はいつも自分の力で自分のスイングを追ってきましたし、逆に俺が教わった教えっていうのは『ヒットじゃ勝てない』『アイツらみたいなスイングをしろ』くらいですからね」
「やめろよ。俺にも刺さるんだよ、さっきからお前がちょいちょい言うような言葉は」
生駒は海の言葉に苦虫を噛んだような表情を向け、嫌がった。
「刺してるんですよ。あんたは俺のこと、そんなに守ってくれなかったですからね」
「……これでも守ったつもりなんだよ。お前はそう思ってくれないかもしれないけど」
「俺もね、たまに思いますよ。アイツはよく俺に対して、15年早かったら、って言葉を使います。俺ももし、15年アイツと出会うのが早かったら、もっと共鳴しあえたのかな、って思うんですよ、最近。清兵衛と俺はタイプが違うから、清兵衛から教わったことは数知れませんが、バッティングの参考や手本になりそうなものというものは、とうとう俺の近くには誰もいなかった。長い間中距離打者なんてうちのチームにはいなかったし、居ても俺以上に誰とも関わらないで、俺には格があるから――みたいなのをひけらかすようなやつばっかりだったでしょう」
「……」
「もちろん、アイツが俺を真似たからこそ今のアイツが存在してるんでしょうから、15年早く生まれてきたアイツのバッティングは、ひょっとしたら今俺たちが見てるものほど大したものじゃなかったかもしれませんけど」
海は遠い目をしながらぼやいた。
生駒はもし自分と海とがもっと違うチームで出会えていたならば、もっと素直でいい打者にできていただろうに――と思っていたが、一方の海は――
「運命ってね、よく出来てるんですよ。みんなが平等によりよい人生を送ることが出来ないようにね。必ず誰かが割を食うようにできている。俺はあと一体、どれほどの割を食わされることになるんでしょうね。それこそ、ジェネルの面倒を俺が見るように、とか思ってるんじゃないんですかね、きっとあんたのことでしょうから」
そんな事を言って、鼻で引きつった笑い声をあげていた。生駒は海の言葉に不意をつかれ、罰が悪そうに頭をかきながら唇を噛んだ。
~~~
「――で、さ」
「何です?」
「何です?じゃないよ。なんでお前が今日ここにいるんだよ」
「いやーあ、クリスマスって言ったらサンタコスの女の子じゃないですか」
「日本人のこういうところは本当に俺はクレイジーだと思うね。日本人ってのはサンタを何だと思ってるんだ。何かにつけてすぐそういう安直な自己主張に結び付けたがる」
秋季キャンプも無事終え、年末年始にかけての地元番組や在京キー局の番組の収録も終え、今年のカレンダーも残すところわずかとなっていた頃、ジェネルは突然家を訪ねてきた。
人気チェーン店のチキンを大量に持ってきて、おまけに腹を露出させた、露出度の高いサンタ風のコスチュームに身を包んでいる。どうやら華耶が部屋を貸してくれて、そこで着替えてきたらしい。
海が収録だのなんだのと所用で家を空けている間にジェネルが家を訪ねてきて、家に変えるなりこんな格好で出迎えてくるものだから、海は思わず頭を抱えた。
「ごめんね海くん。あたしは今ほら、対抗できる状況じゃないからさ」
「対抗しなくていい。分かってるか、うちには子供がいるんだぞ。子供が見たら何思うかどうか」
海は華耶の意地悪そうな笑みを横目に、まだ学校や幼稚園から子供たちが帰ってきていないことを確認し――ジェネルをいったん座らせた。
「だって、もっと恥ずかしい格好させてたって私、華耶さんから聞きましたよ」
「子供たちの前ではそんな格好させたことがなかっただろ」
「えー、でも海くん。前に子供たちの前であたしに――」
「それとこれとは話が別だろ」
「え?何ですか何ですか?」
「お前は首突っ込まなくていいんだよ」
華耶が思わずとんでもないことを口走りそうになったので海は慌てて割り込み、話に食いついてきたジェネルにも割り込んだ。
「とにかく、そういうのは俺の前ではともかく子供たちの前じゃまだちょっと早い――いや遅かったら遅かったでそれはそれは問題なわけだけど」
「ただいまー」
何も知らずに先に帰ってきた晴留がリビングに入った瞬間、やはりその目線はジェネルに注がれていた――。
「――ねー、お父さん。いいじゃん。私もそういう格好できるなら家の中でだならやっぱしてみたいっていうのはあるよ」
「…………」
「だそうですよ?お父さん?」
「お前はちょっと黙ってろ」
なぜかもう一着持ってきているというその衣装をニヤニヤしながら海にチラつかせたジェネルを海は一喝した。
「本人が着たがってるならいいと思うよ。家の中のコスプレくらいさ、いいじゃん」
「ねーお父さん、お願い」
華耶も晴留もきっと、ダメと言っても聞かないだろう。二人で衣装を手にとって、目をきらきらと輝かせている。
「……分かったよ。好きにすりゃいいだろ」
「ありがとう、お父さん!」
「ありがとうお父さーん」
「……お前マジで春季キャンプでしばき倒してやるからな」
晴留の声真似をしたジェネルを海は鬼の形相で睨んだ。
「……何やってんの、皆してさ」
ただ一人、平常運転だった新が家に戻ってきた。リビングの様子を見るなり、冷めた目で周囲を見渡しながら――
「とっ……父さんだろ、こんなん着ろって言ったの」
「俺は着ろとは言ってないよ。こいつが勝手に着てきたのと、晴留がそれに感化されただけで」
思わず海は新に向けて『俺』と言ったくらいには動揺をしていた。新は一体どこを見ればいいんだ――というような表情で海を睨み、すぐにでも部屋にこもりそうな雰囲気を醸し出していた。
「ねー。ほらほら新。私結構イケてるでしょ?ねっ、ねっ?」
「……姉さんやめなよ。まだ早いよ、そういうの」
「早いなんてひっどいなーあ。私結構、これでも成長が早いって周りから言われてるんだけど。ほらほら」
「晴留、やめなさい」
前のめりにして新に身体を見せつけようとする晴留を海が止める。晴留は新にこっそりあかんべえをしてみせて、ソファのほうへと戻ってきた。
「新くんは大人のお姉さんのほうが好きなんだもんねー?」
ジェネルがわざとらしく脚を組みなおして見せながら新に向かって笑顔を見せる。新はそれを気まずそうにしながら無言で目線を反らし――とうとう黙って部屋へと戻ってしまった。
「ああいうところ、海さんと似てると思います」
「でも、海くんは先に手が出るタイプだから」
「お前ら、子供の前だぞ」
なんとなく言葉の意味を理解しているような晴留もまたニヤニヤしながらお菓子に手を伸ばして早くもパーティ気分を楽しんでいた。
その後戻ってきた真結と広乃はもちろんといった態度でジェネルに食いつき、タブレットであちこち写真を撮ったり、皆が食事をしている様子もひっきりなしに撮影しまくっていた。ジェネルに興味津々らしく、写真の半分以上はジェネルのものだった。
まだよく分かっていない様子の直人や琉美、諒斗の三人はジェネルよりもジェネルが持ってきたチキンや、海が買ってきたケーキなどのほうがよっぽど興味津々らしく、ジェネルには挨拶をする一方でその関心はどちらかというと食べ物のほうに向いていた。
新は食事こそリビングでしたものの、飲食をしたあとはすぐに部屋に戻ってしまい、なかなか降りてこようとはしなかった。
毎年のように海は子供たちに向けてフィンランドのサンタクロースから手紙を送るようにしていた。
日本のクリスマス特有の、プレゼントというものはサンタクロースではなく親が買うものであって――でも、サンタクロースという存在があやふやなものとされている、という特殊な文化に関してはしっかり手紙という形で届けてもらい、サンタクロースというものはちゃんと存在はしているという方針で子供たちに接していた。
幸い、マルコとニコはフィンランドにまだ知り合いがいるものだから、実際にサンタクロースのいる街からこの時期現地の写真を送ってもらってもいた。
プレゼントは明日の朝、部屋の前にでも置いておくとして、クリスマスというイベントは半分日本流、もう半分はフィンランド流で海は行っていた。
「でもねー、海さん。私は結構本気で、海さんに優勝――ううん。シリーズ制覇を届けたいと思ってるんですよ」
「サッカーみたいに野球もこの時期やってりゃ、その言葉も現実味を帯びるのにな」
海はジェネルからの真剣な言葉も本気にせず、ひどく現実的な言葉を言って綺麗にチキンの骨を取り外した。
「茶化さないでくださいよ。私は本気でそう思ってるんですから。で――」
「で?」
「海さんは私に何かプレゼント、ないんですか?」
「俺はお前から何も受け取ってないだろ」
「だから、そのうちシリーズ制覇を届けたいと思ってる、っていう思いは届けたじゃないですか」
何を見返り前提で人に話しかけているんだ――と思いながら、海はジェネルの言葉を鼻で笑った。
「バカ。俺がお前にやれるものなんか、特にないよ。まさか、一夜限り恋人になってやる、みたいなそんな甘ったれたものを俺がやるとでも思ってたのか?華耶だって今日ここにいるってのに」
「だからなんかこう、気の利いたものを」
「ないよ、そんなもん」
「えー……」
むう、と膨れっ面をしてみせるジェネルを無視し、海は切り分けてあるチーズへ手を伸ばした。
「大体、クリスマスにこうやって家で好き勝手やらせてやってるんだからそれで十分だろ。なあ華耶」
「えー?何かプレゼントしてあげてもいいと思うよ、あたしは」
「……お前がそれ言っちゃおかしくなるだろ」
華耶の予想外の返事に海は頭をかいた。
こういう時に止めてもらわなければ困ると思って話題を振ったのに、華耶自体はジェネルが海にからむことをよしとしているものだから、大して歯止めにならないのだ。
「だそうですよ、海さん」
勝利を確信してニヤついたジェネルに、海はうんざりしたような様子で――
「……そのうちなんか飯でも奢ってやるよ。それでいいだろ」
そう言って手をひらひらさせながら、この話はおしまい、といった態度で話を締めようとしたのだが、ジェネルは不満そうだった。
「あー、なんか消去法っぽいやつ。なんかもっとこう、ちゃんとしたプレゼントが欲しいんですよー、私は」
「うるさいな」
海はそう言いながら余ったピザを平らげ、脚を組みなおした。
楽しそうに笑っている華耶の表情だけが幸いだったが、その華耶は結局ジェネルを一切止めてはくれなかった。