前期混合戦をはさんでの9連敗――ここのところ、いいとこなしの試合が続いていたチーターズ。
田中はなんとか自分を奮い立たせマウンドに立ったが開幕戦は7回を4失点と打ち込まれ、次の登板では打ち合いの中で8回を4失点と、1点のリードを守った状態でマウンドを降りたものの後続が打たれ勝ちを消された挙句、延長戦では勝ち越しを許し試合にも負けてしまった。
前期混合戦2勝10敗という、あまりに上がり目のない戦績が、リーグ戦に戻った今なお尾を引いていた。
そのテレビ中継に今季から使われていた挿入歌『Pride』はファンの間では『あれが流れ始めると、あぁ、今日もそろそろ負けるな……って気になる』と囁かれるようになった。
街がどんどん薄着になっていくとともに、世間は今年も夏の高校野球の強豪校がどうだの、今年注目のひんやりスイーツがどうだの、新しくオープンした屋内プールがどうだの、今年の夏も平年より暑くなりそうだの、各地でのゲリラ豪雨がどうだの、また熱中症騒ぎで授業中に生徒が倒れただの――良くも悪くも夏らしいニュースが入ってくるようになった。
6月の中ごろ、早くも独走態勢に入ったドルフィンズと、それを必死で追い上げるスカイクロウズ、そしてそれ以外の4球団――というEリーグの勢力図がそこにはあった。
CリーグはCリーグで、完全に独走態勢に走ったコンドルスがそのあまりに圧倒的な強さから『今年は歴代最多勝利どころかシーズン120勝も夢ではないのではないか』などと騒がれていた。
熱狂的なコンドルスのファンか、あるいは球界そのもののたとえば記録なんかを中心に見ている者からしてみればそれは見所に満ちたシーズンなのかもしれないが、それ以外の野球ファンなんかは果たして何を楽しみにして今シーズン残りの野球を見ようか、という者も少なくなく――一種の抗議も込めてか、上位争いをしている地元サッカーチームのユニフォームを着て観戦しにくるファンも今年は見られた。
応援する気もないのになぜ球場に来るのだ、というファンや、不甲斐なさに対して自分たちを正当化するファン――同じチームを応援する野球ファン同士の軋轢すら生むようになり、各所で同一チームのファン同士の揉め事が散見され、今シーズンの野球界は焦げ臭いシーズンとなっていた。
「今日も森島くんと司くんが大喧嘩してさあ」
「また?」
「うん。また」
キッチンで三葉があらかじめ仕込んでおいてくれていたものを軽く炒めたり煮込んだりしながら晴留が夕飯の支度をし、今日あったことを三葉と話していた。
また、という互いの言葉に二人とも呆れたようにしながらも、ニッと笑顔を浮かべて料理を続ける。
それなりに慣れた手つきで炒め物の焼き具合を確認している晴留を横目で見ながら、三葉は晴留にその話題を掘り下げた。
「今度は何って?」
「大人になるまでにチーターズが優勝できるかどうかで」
海が居る前では到底口に出せない話題に、華耶はついケラケラと大きく笑い声を上げた。
「いかにも小5っぽい話題だねーえ。で?何でそんな大喧嘩になったの」
「バイソンズにお父さんが移籍したらバイソンズは優勝できるかもしれないけど、バイソンズの選手をチーターズに呼ぶほどの金があるとは思えないから、バイソンズがこの先優勝するよりもチーターズが勝てないほうが絶対可能性的には低いって森島くんが言うからさあ、司くんが『晴留がいる前でそんな話やめろよ』って」
「あー、それで森島くんが茶化しちゃったんだ」
「そういう感じ。森島くんが司くんにボッコボコにされてるところを先生が止めに入って」
「二人ともめっちゃ怒られたわけだ」
「そういうこと」
「子供だね」
「子供だもん」
晴留の花嫁修業のようなものだ――と三葉も華耶も、こうした晴留の家事を率先して手伝うことを好意的に捉え、最近はこうしてあとは軽く調理すれば料理として成立するものを作っておき、徐々に色々な料理ができるように――と工夫をしていた。
華耶は晴留たちが料理をしている間、ゆっくりとしながら柊理に母乳を飲ませ――もうまもなく中継が始まるチーターズ戦に目をむけようとしていた。
「正直なところ、お母さんは優勝できると思ってる?」
「信じることしかできない側は、わざわざ優勝できないなんて言うわけないじゃん。質問するだけ無駄だよ、それは。できない、って言うことは、お母さんはお父さんを信じてないって言うことになっちゃうからね」
「それは、好きな人を信じてるから、っていうことでしょ。私だって、優勝してほしいと思ってるし、お父さんのことは信じてるよ。だから、さ」
晴留がテーブルに炒め物や煮物を運びながら、華耶をじっと見下ろすようにして見つめた。
「そういうの抜きにしてさ、単純にチーターズファンとしてのお母さんは、実際、今のチーターズのこと、どう思ってるのか――聞きたいんだ」
「晴留」
ニッ、と笑いながら華耶は真剣な表情をして見つめる晴留を見つめ返しながら――
「お父さんのことが心配なのはわかるよ。でもね、出て行こうと思えばすぐにでも出て行けるはずのお父さんがFA権を使ってないっていうことは、お父さんなりに晴留や新やあたし――みんなのことを思って、チーターズに居続けてるんだよ。お父さん、今とても大変な時期だし、つらいのもたぶん晴留もわかってると思う。……お父さん、あんまりそういうの隠し通せるタイプじゃないもんね」
「……」
〈25のつく日は、ポイント5倍〉
〈25日に勝利したら、翌日はポイント10倍!〉
〈佳井選手のレプリカユニフォームを着て商品を購入したお客様には、佳井選手のサインつきギターが今年も当たるチャンス!〉
〈皆でチーターズを応援しよう ジェーシン〉
華耶は柊理をあやしながら、テレビの向こうで相変わらず無愛想な笑顔で家電量販店のCMに出ている海を眺めた。
「……だから、信じてあげて。もし、バイソンズのかっこいいユニフォームや、ああいうノリのよくて強そうな応援歌のほうがお父さん似合ってるって思っちゃったとしても――仮にお父さんがいなくてもこうして家事ができるように頑張るから、お父さんはもっと上を目指せるところに行ってほしいとか思ったとしても――信じてあげて。みんなに信じてもらえてるから、お父さんは戦えてるんだよ。だから――お父さんなりの覚悟や思いを、否定しないであげて」
「……」
理解はできるが、納得はしたくない――そんな、複雑な表情を浮かべながら、晴留はテレビから流れてきた海の歌声に目線を向けた。
《――俺たちは勝つために生まれてきた――♪》
《――俺たちは勝利に導くために生まれてきた――♪》
《――誇りを手にしろ――♪今こそこの手に――♪》
「ところでさ、なんでお父さん、英語でしか歌歌わないの?」
「英語とかフィンランド語のほうがスっと出しやすい言葉があるんだって」
「『愛してる』とか?お父さん、ハンドサインじゃいくらでもI love youやってくれるけど言葉では絶対言わないじゃん」
「……茶化さないの」
晴留は華耶の表情を見てニヤリとした。
きっと海がそういう言葉を華耶に直接言うタイプではないだろうということを分かっているから、わざとらしくそうした言葉を言わずにはいられなかった。
歌に乗せた海の言葉は、自分が海に対して抱いている姿より力強く、攻撃的で、情熱的だった。
華耶が言うように『そのほうが出しやすい言葉がある』というのであれば、それは確かに納得のいくものだ。だとしたら、きっと華耶にも時折そうして英語で愛をささやいたりするものだと晴留は思わずには居られなかった。
「でも、お父さんとお母さん、たまになんか英語でひそひそ話してることとかあったよね。私が小さいときとか特に。あのころは何言ってたかわからなかったけど、あれ、何話してたの?」
「晴留とかに聞かれちゃまずい話」
ふーん、と晴留はニヤニヤしながら頷いた。やっぱり、そういうことなんだな――と思いながら晴留は外堀を埋めるように――
「じゃあ今英語であんまり話したりしないのは?」
「晴留も新も、真結や広乃なんかも塾で英語使いこなせるようになってきたから」
ああ、やはりな――と晴留は思いながらも、華耶にはそれ以上詮索しないでおきながら
「ふ~ん」
と再度あまり興味なさそうなそぶりで頷いておき、再び料理をテーブルに運び始めた。
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:
「悪いな、清兵衛。初回からもっと楽をさせてやりたかったんだけど」
「また打ちゃいいんだよ。二度も三度も同じミス繰り返す打者じゃねェだろ、お前さんは」
「お前が次打てるかどうか含めて申し訳ないんだよ」
「ははは、お前も言うようになったじゃねェか。馬鹿野郎め」
初回、二塁打を放った清兵衛をホームへ返すことを意識しすぎた海はカーブをちょっとしたところで打ち損じ、二塁前にボールを転がしてしまった。
海が確実にバットに当ててくることを見切って走り出した清兵衛は三塁まで進むことができたが、海としては清兵衛をホームに帰しつつ、自分も同じように二塁とセンターの間を割るような鋭いライナーをイメージして打席に立っていたものだから、海は一塁でアウトを告げられると少しだけ悔しがった。
続いた打者がタイムリーを放ったからいいものの、チーターズ含め4球団を完全に跳ね除ける形で首位争いをしているスカイクロウズ相手にこうしたミスをしているようでは、このリーグでは一生勝てない――その思いが海にプレッシャーをかけた。
本当のところ、自分に次に回ってくるチャンスなど、ないのかもしれない――そういう思いが海にはあった。
一度リードを許されたらそう簡単に奪い返すことは容易ではないスカイクロウズ打線。そして、その海の試合展開の予想は3回――見事に的中した。
ストライクが入らない――
3回になって突然強くなったレフト方向への風がそうさせたのか、先発投手の中で何か気持ちの変化があったのか、何らかの身体の不調があったのかは分からない。
先頭打者をセンターへのライナーで打ち取った後、何かが狂ったかのようにストライクが入らなくなった先発投手。
そうして甘く入った打球を次々と捕らえられ、そして最後にはエラーも絡んで一気に6失点――。当然、ベンチの真上の内野席からは怒号が今日も飛び交い、『金返せ!』だとか、言葉にするのも躊躇われるほどの怒りの声がどこからか聞こえてくる。
「プロ野球にも、雨天中止以外にコールドっていうのがあればいいのになって思うときが、たまにあるよ」
「何言ってるんですか。たった5点差じゃないですか」
「今はね」
バットをベンチで見つめながら、ぽつりとつぶやいた海をジェネルは諌めた。
「だから、言ってるだろ。"今は"5点差だって」
先頭打者が凡退して帰ってきたのを見て、海は腰を重そうにしながら席を立ってネクストバッターサークルへと向かった。
ネクストバッターサークルで手首の返しと腰の動きを気にしている海を見て、ジェネルはふと海の言葉を思い出した。
"今は"5点差――。
そうだ、海はコールドという言葉は引き合いに出したが、コールド"負け"とは一言も言っていない――。
『俺が引退するまでに、あのゴミの数を0に出来るとまだ思う?』
海は自分ひとりの力で試合に勝てるとは思ってはいない。だが、海は勝利への執着心を決して捨てたわけではない――。
自分ひとりで勝てないからこそ、海は絶望しているのだ――。
――闘志をたぎらせて
ここで決めろ 大博打
メーター振り切って
揺らせ長い辮髪――♪
清兵衛の調子が今日はずいぶんといいらしく、初球をファウルにした後、すぐさま投げられた二球目をレフト前に軽く当ててあっさりと一塁へと足を進めた。出塁テーマが球場に鳴り響く中、打席に向かう海に対して、清兵衛が何かを訴えている。
『カーブはやめておけ。見た目でだまされてるがアレは今日はキレてるぞ』
『むしろ、スライダーは今ぜんぜんダメだ。打席に立ったら分かるが、だいぶ早いうちに曲がってる。打つならアレしかねェ――』
なんとなく手話っぽいジェスチャーで何を訴えてるか、顔芸まで交えてくるものだから海は清兵衛が何を訴えようとしているかイメージできた。
イメージできたからといって、そのすべての球を打てるなら苦労しないし――もちろん、そのすべての球を打てるように練習してきたからこそ、海に苦手なコースはないのだが、それは逆に、きわめて得意なコースもないということにもつながる。
どこも同じような自信でボールを振れるからこそ、どの球をどう捌くべきなのか――海は迷った。
その初球、やはり見た目以上にキレを感じるカーブが投げ込まれた。判定は少しきわどかったが、これはボールを告げられる。
続けざまにストレートを投げてくるが、これは外に大きく外れてボール。
清兵衛のリードを見るに、盗塁を仕掛けにいくような様子ではないし、リードをあまり大きく取っていないということは――清兵衛もこの場面、海が何を考えているかよくわかっている様子だった。
『無理に走って1球無駄になんかしてやらねェから、打て――』
そんな顔を清兵衛はしているように見えた。
攻守交替の間に風が徐々に追い風へと変わっていった甲子園。変わりやすく、強くなりやすいその風が、この試合を気まぐれに動かしそうな――そんな予感を漂わせていた。
「ここでアイツが一発本当に打てれば、この試合、ちょっとわからなくなるかもしれへんよ」
「コーチもそう思いますか」
「向こうは打撃のチームやからね。こういう乱打戦で、ただでさえ登板数のかさんでいる中継ぎエースを出したくなんかないやろ。だから、乱打戦になればなるほど、ウチが有利や。試合は落としたくないけど、うちらみたいなチームを相手に中継ぎも使い潰しとうもない……アイツの一撃でそこに漬け込むことができればええのやけど」
ヘッドコーチとジェネルがベンチから海の様子をじっと見つめる。
カウント、3ボール1ストライク――少し高めの、見送ればボールになったかもしれないストレートを海は強引に振りにいき、ストライクをとられる。
「わざとやね、あれは」
「わざとなんですか」
「どうしてもここで一発決めたいんちゃうの。歩かそうったってそうはいかへん、俺と勝負せぇ、ってつもりで振ったんやと思うよ、今のは」
ヘッドコーチは笑いながら海のたたずまいを見つめていた。
海は不機嫌そうにバットを何度もくるくると回し、少しだけ大きく構えて――逃げられると思うな、といった表情で相手投手を睨みつけるようなそぶりで打席に立っていた。
一塁で今にも笑い出しそうな表情を浮かべている清兵衛は一応、カウントの都合上走り出す準備だけはしていたが――それでもリードは控えめに、勝負どころとなる一球をしっかりと見極めようとしていた。
一度ベンチを確認し、何度か首を振った相手投手。
高めいっぱい――というには少し高すぎる、ふわっと浮いた球がきゅるきゅるとゆっくり向かってくる。内角というほど内角でもない、真ん中のあたりへ吸い込まれるようにして曲がり、そして、少しだけ落ちながら――それでも素直に見送ればボールを告げられるであろう球がゆっくり、ゆっくりと向かってくる。
振ってくれれば空振りを取れるかもしれないし、見送ればボールだし――バッテリーとしても考え抜いた末、勝負を避けながらなんとか今の自分を打ち取る方法を考えた結果なのだろう。
しかし、海はこの勝負を避けられたことによほど不快感があったのか――その白球をひっぱたく、というよりは、バットを使って思い切って"ぶん殴る"という表現が正しいだろう――高めに浮いた球をその長い腕を思い切り振り回してバットを振り抜いた。
パキン!!と甲高い破裂音のような音を立てながら、珍しく随分と月まで目掛けて飛ぶような高く高くと上がったフライ性の打球が一瞬にして甲子園の夜空に浮かんでいた。
バックスクリーンさえなければ球場の外まで飛んでいくのではないか――そんな強い意思を持ったような白球を見送った海はバットを軽く放り投げ、一塁へ向かって普段どおり走り出した。