海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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78・言わされた感のある誇り

「放送席――放送席――今日はやはりこの人しかいないでしょう。3安打、ホームランを1つに6打点を記録したこの人です――佳井選手にお越しいただきました!」

「……ありがとうございます」

 

いつもどおり、ぎこちない笑みを浮かべながら海はその場に立っていた。

この何年かの間にどれほどのファンが球場から離れたことだろうか――この時間帯、空席もちらほらと見えるほどに甲子園は客足が遠のきつつあった。

 

この場に立ってゆっくりとあたりを見渡すと、試合中には見えてこない本当の空席具合が現実味を帯びて見えてくるものだから、海は思わず目をしかめた。フラッシュをたくさん炊かれた間に起きた、わずか数秒のことである。

 

「ズバリお聞きします。佳井選手、正直言って、今日の打撃は何点ですか」

「……75点くらいですね」

「今日も辛口です。どこに75点の要素がありましたか」

「そうですね――4回の犠牲フライは、もう少し引っ張って打っていたらフェンス際ではなく届いていたと思います。結果的に1点入りましたけど、ちょっと打ち上げることを意識しすぎましたよね。ああいう場面でどんな打球を打つかに関しての判断はもうちょっと冷静でなければならないと思います。1回裏のチャンスを潰してしまったのも、あれで先制さえしていればまたちょっと違う展開があったでしょうし」

「逆に、今日よかった点としてはどこが挙げられますか。やはり流れを引き寄せたホームランでしょうか」

 

やはり、という言葉を使ってはいるが、正直なところホームランについて話してほしいという意図があるのだろう。

海としては確かにホームランを打って流れを変えた、というのはこの試合の大きな機転のひとつではあるから、確かに司会の気持ちはわかる一方で、その後の打席についてももう少し触れてほしいと思った。

 

「まず6回の満塁の場面ですね。打線に火がついてやっと2点差、っていうところまできた場面です。ああいう場面で打てない限りこうした試合や、この先何年もこういう試合を落としてしまうと思ったので……今日はスライダーがずいぶんよく見えてたので、あの場面もスライダーをしっかりはじき返しました。前にホームランも打ってるといういいイメージがあるから、欲張って高い打球を打ち上げることもできたのかもしれないですけど……2点差という場面で確実性の打球を打てない奴はどんな場面でも確実に打球なんて打てません。あの打席でしっかり2点――同点に追いつけたことが僕としてはこの試合の加点ポイントの一つになります」

 

海はあくまでも自分は一発だけを狙うような打者ではない――そんなメッセージをこめてタイムリーのことを強く話した。

司会は特にそんな海のメッセージ性のある言葉など理解していないようで、笑顔のままマイクを向け続けていた。それが海にはどこか腹立たしく、早く帰りたい気分だった。

 

「そうしますと、次の加点ポイントというのは8回の決勝点ですか」

「そうですね。3回始まった時点で5点差のついていた試合をあそこでひっくり返せたので。今日は清兵衛が頑張ってたくさん塁に出てくれたので、6回と同じようにセンターの頭さえ越えてくれればたぶん清兵衛はホームに帰ってきてくれると思ったのでスライダーに的を絞ってしっかり振りました」

「あわやホームランになりそうだった打球でしたが、あれは正直言って、狙ってましたか?」

 

司会がここぞとばかりに『正直言って』を連呼することにも海は内心腹立たしく思っていた。人の口癖を小ばかにする態度もそうだが、こっちがネタとして振ってるんだから、お前だって早く言えよ――そんな『お笑いの街』特有の空気を感じ取った海は、言ってなるものかと思いながら受け答えをしていた。

 

「普段のスイングを気持ち若干、大きめに振ることを考えました。結果的に飛距離がぐんぐん出てきてくれましたが、これも去年あれだけ大きく振っていたので出来たスイングだと思ってます。確実性こそが僕のバッティングの強みですが、いざと言うとき賭けに出られるようになったのもまた今の僕の強みだと思うので」

「最後に何か一言お願いします」

 

何か一言、という言葉の中には司会にも意図があって海にマイクを向けたのだろう。先ほどまで笑顔でマイクを向けていた司会の表情と違って、海の表情を見つめながら真剣な眼差しでうっすらと頷いた。

こうした試合をきっと司会もまた、待っていたのだろう。海にマイクを握らせ、好きに話してくださいと言わんばかりに手のひらを差し向けた。

 

海はちらりと観客席を見渡しながら――少しだけ間を置いて話し始めた。自由に話せと言われても、何を話すべきなのか――どこまで言っていいのか――海は一瞬戸惑ったが、司会はずっと真剣な眼差しのまま海を見つめている。

海は一瞬深呼吸をし、ゆっくりと呼吸を整えてから口を開いた。

 

「……今日、5点差がついた時点でいつものことか――と思って途中で試合を帰った人もきっと居ると思います。ひょっとしたら、どうせ今日も負けるだろうから、って最後まで居続けておいて、とりあえず選手に文句を言うためだけに残ってた人も居ると思います。今日全く反撃ができずにあのままボロボロにされたままで、その腹いせに選手や監督に一言叫んでやろうかと思ってた人だって、きっと居たと思います。……それは確かに、ここ何年も不甲斐ないシーズンを続けていた僕たちに責任がありますし、こうして今年もまた、上がり目のないチーム成績を見せているから、仕方のないことだと思います――」

 

球場がざわめく。拍手はまばらで、どう反応すべきなのか――そんな戸惑いがグラウンドにまでぴりぴりと伝わってきたが、海は止まらなかった。

 

「――ですが、最後まで勝利を信じて応援してくださってる人も少なからず居るわけです。その人の数がどれほどのものかは僕にはわかりません。実際、チーターズが長い間不甲斐ない試合をしているのは事実ですし、皆さんがたびたび僕の打撃に言及するように、僕が肝心なところで打てなかったから負けた、という試合はこれまでも――数え切れないくらいありましたし、これからもきっと――何度も何度もあると思います。ですが――負けたくてプレーしている選手は……プロであれば、居ないはずです。プロである以上――きっと、勝ちを諦めるプレーをする選手なんか、いないはずです」

 

自分だって時折自分ひとりだけが打ったところで――なんて思っているくせによくもまあこんなことを言えたものだ――。

そんなことを考えると自分の道化師っぷりに海は高笑いをしたくなるほどだったが、ここにいない横嶺や、『地獄だった』とジェネルが語っていた2軍――ファンへ対してだけでなく、戦う意志の感じられない選手たちへ向けてもその言葉は向けられていた。

 

お前たちだって不甲斐ないのだ――そんな気持ちを込めながら、海は再びファンへ向けて思いを語り始めた。

 

「……ですから、本気で野球をしている人へ向かっての心無い野次や、負けた腹いせをチームに八つ当たりするという行為に関しては――球団広報も何度もやめてほしいとアナウンスしてると思いますが、僕からもこの場を借りて言わせていただきます。本当にやめてください」

 

海は深々と脱帽して頭を下げ、しばらくそのまま黙った。球場全体をうっすらと拍手が包み込む。その中にはスカイクロウズのシャツを着たファンも混ざっていることを、海はきっと知らなかっただろう。

『甘ったれんな!』『綺麗事言ってんじゃねえ!』という野次も聞こえて来たが、そんな野次すらかき消すほどの拍手が球場を包んだが、海はそんな拍手を一旦制するように一度手を振り下げ、長い長い礼の後、海はもう一度帽子をかぶり、マイクを握った。

 

「僕たちは、ファンが居なければ仕事としてやっていけない仕事をしています。だからこそ、僕たちは自分たちのためだけでなく、ファンのためにプレーをしなければいけません。興行というのはそういうものです。……僕が最高のファンサービスをできているかどうかは、正直言って自分でも疑問符が浮かびますが――ファンが僕たちに本当に見向きもしないような世界になった時は、その時は大阪から一つの球団が消え――そして、やがては日本から一つのリーグが消えてしまうかもしれません。皆さんが次の10年、20年とチーターズと、プロ野球と共に生き、共に歩み続けるつもりなのであれば――今すぐじゃなくてもいいので、早めにそういった心無い野次や声かけをやめてください。もちろん――僕たちだけでなく、相手チームへの変な替え歌だとか、ピッチャーが間合いを取ってるときの野次だとか、投手交代のときの、リスペクトに欠けるようなコールだとか暴言なんかもやめてください。僕からは以上です」

 

海は至って真剣な眼差しでそう訴えかけ、壇上から降りた。

内心、こんなことを言わされている自分にも、ろくに勝てもしないくせに偉そうなことを言っている自分にも、こんなことをわざわざ言わないと態度を改めてくれない自称野球ファンにも――ありとあらゆるものに嫌気が差したりもしたが、自分がこういう場でこうした主張をすることを、球団も司会も求めていたのだ。

 

実際、自分だってあんな野次のもと野球なんかはしたくない。

とはいえ、本来は球団連盟だとか、球団オーナーや、選手会代表あたりが声を揃えてやらなければいけないことを、わざわざ自分ひとりが矢面に立って言わされた感というものが、どこか自分の喉の奥でせせら笑っているような気がして、海はベンチに戻るなり不機嫌そうにスポーツドリンクを飲み干した。

 

「おかえりー。……かっこよかったよ、うん。……かっこよかった」

家に帰るなり、帰りを待っていた華耶が玄関で突然抱きついてきた。

 

「……やめろよ。9人目はさすがに部屋が足りなくなるだろ」

「別に、そんなんじゃないけど……あんなの見せられたらあたしやっぱ、あたしの運命の人が海くんでよかったって思っちゃうよ。あたしが愛してきた男は――あたしが惚れ続けてきた男はやっぱり間違いじゃなかった、って……。柊理もさっき寝たところだし、もうちょっとこのままでいい?」

「玄関ではちょっと困るな」

「それもそっか」

華耶は舌をぺろっと出しながら、海の手を引いてリビングへとまさに連行させるような形で歩き始めた。

 

相変わらず二人で座るにはずいぶんと大きく感じられるソファに海を座らせ、華耶が覆いかぶさるようにして上から海の顔を覗き込み――顔を手繰り寄せて長い口づけをした。

 

本当にそれだけで済むのかどうか海は少しだけ戸惑ったが、華耶はそのまま海に抱きついて、足をじたばたとさせながら、大型犬が飼い主にじゃれつくようにして体を押し付けながら海の体になだれ込んだ。

 

「晴留ね、最近海くんを見る目がときめいてるんだ」

「最近そういう出来事が多くて嫌になるね」

「不思議なんだよね。ジェネルちゃんのときはなんとも思わなかったのに、なんかさ、晴留が海くんを推してるの見てると、なんか負けられない感が沸いて来るんだよ。娘に夫を取られることなんて、ないはずなのにさ。なんか、新が最近海くんに負けたくないって思ってるアレ、今ならちょっとだけなら分かってあげられる気がする」

「ああ、そう」

「新と違って、絶対負けない戦いだっていうのはわかってるんだけどさ。こういう時間だってあるのもわかってるし、あたしは基本的に海くんを独り占めできる立場にあるのだって分かってるんだけどさ。なんかこう……もっと愛してあげたいっていう気持ちとさ、あたしも海くんにベタベタしたいっていうなんか……変に乙女心をグサグサ刺してくるんだよね。なんかさ、ほんと……変な気分。娘だからこそ負けられないって思っちゃうのかもしれないし、それが歳あんまり離れてないからこそのことなのかどうかは分からないけどさ」

そう言って華耶は再び海の鎖骨のあたりへ顔をうずめ、しばらくじゃれついてきた。

 

海はまだヒーローインタビューのことで自分の気持ちに整理がついていないこともあり、内心一人で黙っていたい気持ちもあったのだが、華耶がきっと今夜は自分を離さないだろうから、黙って華耶の頭を撫でてやった。

 

「ジェネルに浮気するのはよくても、晴留に浮気するのは絶対許さなさそうだね、お前は」

「浮気するほどの歳でもないでしょ。だから別に向こうが突然二人で出かけたいとか言い出すのは勝手だよ。でも……そんなの聞いたらあたし、燃えると思う」

「ジェネルに浮気するのと晴留と二人で出かけるのが同義なのかよ、華耶にとっては」

「うん。だったらまだジェネルちゃんを抱くなりなんなりしてたほうがあたしにとっては健全」

華耶の主張に海はため息をつきながら苦笑し、華耶の言葉を脳内で咀嚼した。

その度に華耶の言葉が面白おかしく感じられ、海はもう一度鼻で笑い声を上げた。

 

「あのさ、何度も言うけどさ。俺がジェネルを抱く前提の話やめてよ」

「抱かないの?」「抱かないの?って言うのもやめてね」

「……」「……」

 

じ、っと上から覆いかぶさったままの華耶を睨む海。

華耶もまた少しだけ気まずそうにして、舌をぺろりと出してなんとか次に出す言葉で誤魔化そうとしながら、苦笑いを浮かべ――次の言葉が出てこなくて苦笑いのまま言葉が止まってしまった。

 

「……俺、そんな節操なしに見える?」

「海くんは節操なしじゃないかもしれないけど、海くんのトミーガンが節操なしっていうか暴れ馬にもほどがあるっていうか」

「……俺が許してもこいつが許すかな」

海はしばらくそうして華耶を睨んだまま――一方の華耶も気まずそうに苦笑いを浮かべたままそうしてしばらく黙り込んでしまった。

 

〜〜〜

 

休養日をはさんでから広島入りしたチーターズ。試合前の練習時間、キャッチボールを軽くこなしながら、清兵衛は一日空けてからもなお週刊誌などでも話題がやまない海のスピーチを茶化した。

 

「あんなこと言った手前、さすがに敵地で3タテなんかはまずいよなァ?佳井海よ」

「茶化すなよ。言わされたようなもんだろ、あんなの」

「でも、誰かが言わなきゃいけなかった。いやァ、つくづく俺はドラ1じゃなくてよかったと思うね。大変だよなァ、チームの看板背負ってる奴ァ」

「お前だって背負ってるだろうが」

「俺はもう下ろす準備をしなきゃいけねェ歳だからよ」

「お前、こないだはベテランに対してどうこうって飯食いながら偉そうなこと言ってたくせに」

「はて、あったかね、そんなことも」

 

とぼけてみせた清兵衛に海はやや乱暴にボールを投げながらつばを吐いた。

 

「大体、誰がそう簡単にお前に女遊びをさせるものかよ。あと5年は居てもらうからな」

「ガハハ。5年後お前さんがまともに動けてる保障もないのにか」

「あぁ、そうだよ」

茶化しながらも、奥で軽くランニングをしている田中を指差しながら――

 

「敵地ってこともあるかもしれねェが、今後、野次が止んで楽になるのはアイツだろうな」

と、いつもどおり青白い顔色をしている田中を見て笑った。

 

「やめてやれよ。あいつはあいつなりに頑張ってるんだ」

「誰も頑張ってねぇなんて言ってねェだろ。野次が止んだらアイツは本来のアイツに戻れるかもしれねぇ、って話だよ。……もっとも、アイツが一番向き合わないといけないのはアイツ自身かもしれねェが」

「……まぁ、でも楽をさせてやりたいもんだな。アイツにも」

「あぁ」

 

そう話していた海は、この試合の初回、内角低めいっぱいに決めてきたストレートを思い切り引っ張り、ライトスタンドめがけて矢のようなホームランを放った。

 

「初回に2点のリードもあれば十分だよな?」

ハイタッチで出迎えた田中にそう話した海。田中は少し噴出しながら笑って――

 

「……ここで俺が打たれたら、せっかく佳井さんが打ってくれたホームラン、テレビで映らなくなっちゃいますもんね。任せてください」

「バカ野郎」

そう軽口を叩いた田中を海は軽く小突いた。ケラケラと笑っていた清兵衛は、海を挑発するように、I love youのハンドサインをして出迎え、海は清兵衛をも小突いた。

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