海の彼方で   作:錫樹トシアキ

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91・妻として、母親として

秋季キャンプのメンバーからも休養のため外されていた海は、しばらく家で買ったまま放置していたゲームを再び進めてみたが、どうにも集中して肩がこるゲームばかりが多く、かえって神経をすり減らすものだからこれも長続きしなかった。

 

流行のアニメだの、映画だの――何かと時間を潰せそうなコンテンツを探していたが、どれもうまくはいかなかった。

主人公に都合がいい展開が続く作品ならば『そんな都合のいいことが起きてばかりな人生などあるものか』と思ってしまうし、逆にシリアスな展開が続いてばかりであれば『なぜ娯楽で自分のような過酷な人生を歩んでいる人間を見なければならないのだ』と思ってしまっていた。

 

フィンランドに居た頃よく見ていたロボットアニメだとかを見ようとしても、結局何度も繰り返し見ているものだから内容を覚えてしまっているし、そうして台詞だって大体覚えてるようなものをまた一から見直すかと言われると、いくら休養で時間があるとはいえ、そこまで暇を持て余したくはないものだから、これも長続きしなかった。

 

その後は試しにアニメに登場するロボットのプラモデルの製作なんかをするようになった。普通に組み立てるだけでも700個ほどのパーツが必要な大型のものを買い、YoureTUNEでプラモデル製作動画を見ながら見よう見まねで塗装なんかも施してみた。

そこまではよかったのだが、そうして色々とプラモデルを作っている人の動画や写真なんかを見ていると、独創性に溢れているものが大量に目に入ってくるものだから、なんだか自分がこうして悪戦苦闘してオリジナルカラーで塗装している"程度"のプラモデルというものは果たしてどうしたものだろう――と考え込んでしまうようになり、ひっそりと棚の奥に完成したものをしまいこみ、もし肌に合うようならば次もやってみようと思って買った残り数台ほどの未開封のプラモデルは適当に理由をつけて真結と広乃の二人にプレゼントしてしまった。

 

時間を潰すための何かが欲しいと思っているのに、ただ長時間何かを見ているだけというものが、これほど自分にとって苦痛なものとは海は思わなかった。

それほどに自分は時間というものに追われていて、何かをしなければならないという脅迫概念にとらわれているものとはこれまで思いもしなかったのだが――だからと言って、あれもこれも自分を満たしてくれないのだからという理由で一日中寝て過ごすという生活を何日も続けるわけにもいかない。

 

そんなことをしているうちにテレビの収録だとかなんだとか――時間は待ってくれるわけではないのだから、多少は時間を有効に使いたいものなのだが、いざ自由を与えられると自分の時間の使い方が分からない。

 

いざ休養期間が始まってすぐの頃は、ギターをいくらでも弾けるという思いこそ最初のうちはあったのだが――マルコもニコも居ない今、自分ひとりが音楽をやったところで……という思いもそこにはあり、誰かが自分のフレーズに合わせてくれるわけでもなければ、誰かの伴奏に自分のフレーズを乗せるなんてこともないし、最近はコピーしてみたい曲というものにもあまりめぐり合っていなかったから、とうとうこれも手につかなくなってしまった。

 

結局リフレッシュとは何か――それがよく分からなくなった海は、最低限家で何かしら仕事している体でいようと思い、もともとそれほど苦手ではなかった料理に再び取り掛かることにした。

最近はもう晴留が自分の弁当を自分で詰めようとしていたので、朝食べるためのちょっとした常備菜、そして、自分と華耶が食べるための昼食を昼のうちに作る――そうしたことをするくらいしか、海の何か気分転換をする、ということは思いつかなかった。

 

家庭を持っている以上、自分だけが旅に出るわけにも行かないし、一人で旅なんかしても面白くもない。

どこか出かけようにも、一応、周りが必死で練習している間、休養期間を与えられた自分だけが近くをウロウロするのも気が引けたし、長野にある華耶の実家でしばらく一人にさせてもらうことも一瞬海の頭にはよぎったのだが――そんなことをして何かが変わるかと言われたら、何も変わる気がしなかった。

 

結局、自分を満たすものも、時間を潰すコンテンツもないのだから、居場所が変わっただけで何か自分にとってプラスになるとはとても思えなかったのだ。

 

秋季キャンプの間、そうしてとりあえず料理の練習をし、少しだけ役に立っている体で過ごし――それも裏を返せば『ちょっと自分が役に立っているということに浸りたいだけなのではないか――』という自己嫌悪に苛まれそうになったが、海は何か身体を動かすことを選んだ。

 

じっとなどしていられなかったし、そうして料理をしていない間は結局トレーニング室にこもってひたすら身体を動かした。

バットを握りたい気持ちも少しはあったが、今バットを持ってはキャンプから離れた意味がない――とそのバットも倉庫にしまってしまい、とにかくそれがトレーニングとして意味を成すのかどうかは別として、身体を動かし続けた。

 

周囲もまた気を遣ってか、海に練習の様子をBINE等で伝えることはしなかった。3週間ほどの秋季キャンプ期間を終え、少しは街に繰り出したり出来るな――と思っていた海のもとに、今年もベストナインを受賞したので式に出席するよう連絡が来た。

 

今年こそは出席を辞退してやろうか――海はそう思っていた。なんなら、受賞そのものを辞退してしまいたい気分だった。

 

自己最多となった昨シーズンの28本塁打に続き、今シーズンは、26本塁打を放った海。欠場さえしてなければ、4割だけでなく、初の30本台だってあったかもしれない――そんなことを聞かれるのは分かっていたし、わざわざ接点のない選手と一緒の場で会見をすることに、海は相変わらず何の意味も感じられなかった。

 

いいよな、よそは――そんな気持ちにも引きずられそうだったし、毎年こうして授賞式という場を借りてピエロを演じるのもなんだかな――と海は思っていたのだが――

 

「……もちろん出るよな、だってさ」

「あー、もう球団からは出ろ、って言われちゃってるんだ」

「出ない理由が向こうには見当たらないらしいからね」

「行きたくない理由は?」

「その倍じゃあすまない」

「今年の受賞者と面識は?」

「ない」

「ちょっとー。チームメイトだって選ばれてるじゃん。仮にもさあ、去年まで二遊間を組んでた子がさあ」

華耶はタブレットをいじりながら、ベストナイン受賞者を確認した。珍しくチーターズからの受賞者が海以外にあったのだが、海の態度はそっけなかった。

 

「俺はそいつの連絡先だって知らないし、向こうだってろくに俺と話したことなんてないよ。練習中でさえ、ろくに何か話した覚えだってない」

「……よくそれで二遊間なんとかなってたね」

「そもそも俺はアイツが何か喋ってるのを見たことがないよ。授賞式で一体何するもんか、見ものだね。大体、ああいうタイプが一番他人を馬鹿にしてるんだ。自分だけは群れから外れて、偉そうにしててさ」

「あー、卑屈になった。いーけないんだー。大体、海くんだってもとはそういうタイプだったじゃんー。ダメなんだー、そうやって自分のこと棚に上げるのー」

「うるさいな」

 

どさっ、とテーブルに足を投げて足を組む海。それを咎める華耶だが、海が授賞式に行きたくなさそうな顔をしていることは痛いほど分かっていた。

行きたくない、という事情を分かっていても、チームも、球界も、あるいは、野球ファンもそれを許してくれない。

 

個人タイトルには縁がないものの、とうとうありとあらゆる野球人が海に対して――かつて甲子園で絶対的存在となっていた佳井海に対して望んだ打撃の片鱗を見せ始めた――それを人々は黙っておけないのだ。

 

海は、行きたくないと言いながらも、行かなければならないことをよく分かっているだろうし、自分が止めたところできっと海は――自分で行くと決めるか、あるいは、渋っている間に球団から強制的に出席要請がかかるか――どのみち、渋れば渋るほど面倒になることを海は一番理解しているのだ。

 

こうした時、華耶は自分の無力さを痛感するし、それでも海を止めるほどの力があったならば――とも思った。

海が自分の感情なんかより、そうした周りの感情だとか思惑で動かなければいけないということは分かっている。目の前に自分が居るのに、自分のことなど見えてなくて、今そこに居ない球団代表だとか、色々な面々の顔が近くにいるように見えていることだって、容易に想像がつく。

晴留や新はともかく、柊理の面倒を見なければならない自分が東京についていくわけにもいかないし――と華耶の心は揺れた。

 

「――着いていってあげなさい」

「……やっぱ、そのほうがいいよね」

「自分がどうしたいかを考えなさい。好きな人のためにできることなら、なおさら」

「でも、柊理が」

「真結や広乃の面倒だって今まで見てきたんだよ?私。今さら何さ」

「……それも、そうだね」

「うん。それもそう」

案の定、三葉は華耶の相談に対して東京に一緒に行くように言った。きっと、そう言って欲しかった――ということすら、きっと母には見透かされているのだろう――と華耶は思った。

 

「いっそさ、二泊くらいしてきたらいいよ。私は別に子供たちの面倒見るの、苦じゃないからね。華耶と同じでさ」

「でも二泊もなんて――」

「たった二泊だよ。いてやりたいんでしょ、海くんの隣に」

「そりゃ、そう……だけど……」

歯切れの悪い返事をしてばかりの華耶に、三葉は組んでいた腕を解いて華耶の肩をバシバシと叩いてみせた。

 

「子供たちに申し訳ないって思う気持ちは分かるよ。分かるけどさ。ぶっちゃけ華耶さ、海くんと、あんま長いことゆっくりデートだってしてないでしょ。家族のことばっかり気にして」

「あたしは別に、それが母親のやるべきことだと思ってたから……」

「じゃあ、二日三日くらい、"みんなの"母親をやめなさい。母親やめられる時期、あんたは他の女よりもずっと短いんだから。たまに私に全部任せて出かけるくらいしないと、あんた、女としての旬が終わっちゃうよ。なんだかんだ言ってもう30後半に差し掛かるんだから。あんたはずっと綺麗なままだけど、何かバランスが崩れたら、女は一瞬でいっちゃうんだから」

「……」

 

華耶は鏡に映る自分の姿を見つめた。ずっと、自分は変わらないままだと思っている。海の女としてふさわしくあるため、ずっと変わらないように努力をしてきた。肌だって綺麗なままだし、顔だってシミ一つなく綺麗なままだ。10年後はともかく……5年後もずっとこんな風で居られるものだと思っている。

しかし、三葉の言葉にふと、現実を突きつけられた気がした。想像以上に悪い答案を見せ付けられた時のような気分だった。

 

三葉だって相変わらずいつ見ても若いままだと思っていたし、これで60代後半なものかと驚くほどに綺麗だが、最近はとうとう白髪も増えてきた。年末年始くらいしか実家に戻れないでいるが、竜匡だって毎年毎年、どこかしら老け込んでいく。

 

海も自分も、若いままでずっと暮らしてきたが、全員が高校を卒業する頃には、自分はもう定年退職間近だ。三葉が言うように、全てが落ち着く頃には自分たちはだいぶ歳をとってしまっている――。

 

「……三泊くらいしちゃうかもしれないけど、いい?」

「なんなら一週間くらいいなくたっていいよ。新だって、晴留だって、親の時間が欲しいということを分からない歳でもないはずだからさ」

「一週間はさすがにアレだけど……」

華耶は三葉の言葉に少し戸惑いながらも――

 

「……でも、ありがとう。叔母さんと交互に長野行き来してくれてさ。お父さんのところにお母さんだってずっと居たいはずなのにさ」

「柊理が立つようになったらさすがにあとは任せるよ。私も、お父さんと一緒にそろそろ居たいって思ってるからね。さすがに、もうしばらく子供は作らないでしょ。……フリじゃないからね。分かってるよね?」

「……分かってるけど、ほら、柊理は海くんがほら……避妊薬すら突き破ったからさ……」

「……なんというか、たくましいっていうか……雄雄しいよね、そういうとこほんと。よっぽどたまってるっていうか……それだけ華耶を本気で抱いてるんだね」

「正直、子供たちには自分たちがどうして生まれてきたのかあんまり説明したくないくらいだよ」

「そんな激しいの?」

「……お母さんが思ってる多分10倍くらいは」

「……あんたもなんかこう……好きね……」

「……うん……」

自分も夜は激しいものだと思っていた三葉だったが、華耶が自分から思わず目を逸らして顔を赤らめたのを見て、相当海も華耶も激しく求め合っていることを察した。

華耶は言ってから恥ずかしそうにし、茶を飲みながら……三葉もまた、深堀りしていいのかどうかを迷いながら、若干気まずい空気がしばらくの間、部屋の中を埋め尽くした。

 

~~~

 

「それじゃあ、行ってくるから」

「ちゃんとお義母さん――おばあちゃんのこと聞くんだよ。いいね」

「分かってるってば。私もお母さんが居ない間、おばあちゃんに花嫁修業色々してもらうから」

「晴留はほんと勉強熱心だね」

早朝、入り口でタクシーを待っている間、早く起きていた晴留と新と真結と広乃の四人が二人を送り出すために立っていた。

 

「どうせ、二人で俺たちがまだ行ったことないようなとこ行くんだろ。いいよな、大人は自由で」

「お兄ちゃん」「そういう言い方よくないの」

「お母さんも普段大変だし」「お父さんだってずっと大変なの」

「子供が親の都合で振り回されちゃ、たまったもんじゃないんだよ。お土産、ちゃんと買ってきてよね、母さん」

「分かってるって。だからそういう言い方、あんまりしないで欲しいな?」

「新はほんと、そういうところひねくれてるよね。そんなんじゃモテないよ?」

晴留が新を茶化すが、新は「別にモテたくてワガママ我慢してるわけじゃないし」とそ知らぬ表情を見せている。

 

公園の曲がり角からタクシーが曲がってくるのが見える。どうやら、迎えが来たようだ。

式典用の着替えは未だに借りたままの武蔵小山のアパートに少しだけあるから、小型のスーツケースには下着と少しばかりの洋服が入ってるくらいで、スーツ類は武蔵小山で着替える形を取った二人。

どちらかというと、帰りの土産をスーツケースに全て入れられるだろうか――そんなことを考えながら、海と華耶はタクシーに乗り込んだ。

 

「それじゃお母さん、あとお願いね」

「任せておいて。晴留も家事頑張ってくれるらしいから」

「お母さんが居なくてもうちは回れるように頑張るよ」

「そんな甘いもんじゃないよ、晴留」

「えへへ。お父さんも、頑張ってね」

「ああ」

ドアの奥にいる海を覗き込むようにして晴留は手を振り、そして走り出したタクシーを、道路に出てまで晴留はずっと手を振って行方を見送っていた。

 

「ああいうところ、まだちょっと子供っぽいよな」

「身体はもうだいぶ大人だけどね」

「親が子供の身体つきを大人っぽいとか言うなよ」

「でも、あたしと同年代に晴留がいて、二人で海くんを取り合ってたなら、あたしちょっと自分の身体を気にしたかもしれない。背も高いし、多分、あたしと同じくらい胸育つよあれは。中学1年っていう身体じゃないもん、あれ。同級生にやらしい目で見られてそうなさあ」

「そういうのやめろって、お前」

 

海は華耶の口を手で塞ぎながら、指でタクシーの運転手を指し――一応公共の場だぞ、と華耶を止めた。華耶も舌をぺろっと出しながら――

「海くんの気が少しでも紛れるかなって思ったんだけど」

「一人で行けばよかったなって今めちゃくちゃ後悔してるところだよ」

と海は少し不機嫌そうにしながら――それでも華耶に一瞬笑顔を見せながら、窓の外の景色を眺めて肘をついた。

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