月夜を見上げ、瞼を閉じる。
疲れきった目にマッサージを施して、一息。
「……」
疲れた。
「…向こうでは今…どうなって…」
寝室の敷かれた布団を眺めながら、木造の椅子に座り月を見る。
慧音さんは…私が寺子屋で、教鞭を取る代わりに、衣食住は担保してくれると言ってくれた。これでしばらくの間は何とか生きていけるだろうか。
任務の内容を聞いた時から、厳しい戦いになると思っていたが、まさかこんな形に落ち着くとは思ってもいなかったが……。
「…楽園」
「……ん…」
脇腹を擦り、抉られた傷を思い出す。今はもう完全に治癒したが…それもおかしなことだ。あんな傷がたった数時間で治るはずがない、他の傷も、呪力も。
悪いことではないというのは分かる、おそらくこの世界は、私たちの住む現代社会と違って、自然な呪いの循環も起きてすらない、言ってしまえば呪いが発生しない、呪術師が必要無い世界。
「…理不尽に、命を奪われることの無い…楽園」
…ーーなのかもしれない。
慧音さんに寝間着を貸してもらった、人里も少しばかり案内して貰い……生活様式も記録しておいた。ここの住民は皆…美しい自然に囲まれ、穏やかな時を過ごす。
「……」
昼間は多くの子供に囲まれて、多くの生徒と戯れた。上白沢慧音……彼女は慧音先生と呼ばれていて……強い信頼を得ているのか、私の様な風貌の者でも彼女の友人となれば快く受け入れてくれている。
身体によじ登られたり……強制的に鬼ごっこの鬼役をしたり…子供との時間は、心は癒されるが肉体がついていけない…。
「……」
慧音先生、恥ずかしながらも彼女の授業を生徒と共に、彼女の傍で聞かせてもらった。そこで彼女の人徳を知れたのと同時に……色々とまだ知れていないこの世界の事も教えて貰え、知識を得れた。
『妖怪』『神』『魔法使い』…まるで架空の童話に紛れ込んだ気分にさせられる。
「……」
『ナナミン!アタイとかけっこで勝負だ!!子分よりアタイの方が最強だって思い知らしてあげる!』
『チルノちゃんが鬼ごっこするってー!みんな〜!集まれー!』
『ぁ、あぅ…ご、ごめんなさい…七海さん…』
「……ぁぁ…」
……そうやって、温かな空間に身を置く度に…
「………」
「灰原…」
今でも、記憶が膿んでいる。
どうしようも無かったと諦めた、あの時の自分には無理だったと。
「……」
すると、記憶は膿んで、腐った。
清廉な月明かりの向こう側に彼を見る、暗がりの向こう側から手を振っている。彼は呪いなんて残さなかったのに、私は彼を呪ってしまった。
私の、後悔にしてしまった。
「……はぁ」
そんな自分が居ることを、私自身が絶望して呪術師を辞めた筈だったのに……。
また、ここへと戻ってきてしまったんだ。
…ーー何故?
「ーー寝つけなさそうだな、七海」
「…上白沢さん」
「すまん、一言は入れたが返ってこなかったものだから、少し心配になって」
「いえ、気付かず申し訳ない」
「大丈夫だ……それに、ここでの夜は初めてだろ?余計寝れないと思ってな、『コレ』を持ってきた」
ニコニコしながら背後から取り出したのは、一升瓶。
「お酒ですか」
「あぁ、酒は憂いの玉箒…見知らぬ異邦人とも一晩飲み交わせば友となる、七海はいける口か?」
「ある程度は、少なくとも下戸では無いです」
「行幸が重なるなぁ、1人で飲むのもずっと寂しかったんだ、貴方が来てくれて漸くといった感じだよ」
渡されたお猪口に、並々1杯日本酒が注がれる。
酒の中でも日本酒は土地柄が出やすい代物だ、鼻をちかづけて香りを鼻腔に満たす。
強いアルコールの奥にある、微かな甘さを感じ取った。
「…花、それも桜の匂い」
「お!分かるか!桜酒だ、この前の春の季節に取っておいた奴を使って作ってみたんだが……ここの桜は生命力が高い、そのまま食べても大丈夫だし、その分香りも強く出る…飲んでみろ」
催促に従い、唇を付けて口へ含み、数秒置いて喉へ流し込む。
「…!」
美味い、これ程のものは飲んだ事の無いレベルだ。独特の臭みが無い、味の濁りも無い、口当たりは辛口に近いが……以前、五条さんに渡された2桁万円を超える日本酒のソレに似た、透き通った飲みやすさに並行して桜の柔らかい甘さを楽しめる。
「美味いだろ、顔に書いてあるぞ」
「…これ程の日本酒を外来人に出すのは、少々勿体ないかと」
「ハッハッハ!ここじゃこれも安酒だ、気にしなくていい」
「……」
「さて…私も1杯……ーーうむ、上手く作れたな」
空になった2つのお猪口に、再び並々1杯酒が注がれる、乾杯の動作に七海も合わせ、月夜にその音が響いた。
「…七海はどうやってここへ来た?この幻想の地へ」
「それは…」
「嘘でもいい、本音でもいい、酒の席に憂いは要らない」
「……」
「…ここへは、連れ去られた…と言った方が正しいでしょう、昼時に話した『呪術』の事は覚えていますか?」
「チルノ達も言ってたアレか、人の呪い、澱み…負の感情、七海はそういった循環から産まれる負の存在を祓う職業だと聞いた」
「……私達はそういった問題を任務として受理し、現場へと赴きます、そのある任務の際に…見た事もない呪霊に出会ったんです、金髪で幼いゴシック服を来た少女、赤い瞳を持ち、暗闇を操る術式、恐ろしい呪霊でした」
「……ーー」
「その呪霊の影に呑まれ、気付けばここに………ーー上白沢さん?」
話しながら酒に口を付けていると、机を挟んで向き合っている慧音さんの顔が深刻なまま固まってしまっていた。
「……」
「大丈夫ですか?」
「…すまん、七海……そいつ、ウチの生徒だ…しばらく姿を見せていないと思ったらアイツ…!!だがどうやって…!」
「…ーー生徒」
生徒と言ったのか?大量に人を食い殺していたあの少女が、ここの生徒?
「話が変わった、これからの七海の生活は全て私が補償させて貰おう、ルーミアのしでかした事は私が責任を持つ」
「待って…下さい、生徒と、言いましたか?」
「…あぁ、そうだ、七海を襲った奴は…多分ルーミアだな、ここで私の教育を受けている生徒の1人だ」
「……」
「…貴方は、彼女が…ここで俗に言われている『妖怪』であると、知っていたんですか?」
「…あぁ」
「…………」
「17名」
これは、貴方にぶつけるべき想いでは無いのを分かっている。
アレが呪霊なら、何も言わなかったもしれない。アレが純粋な本能で生きているのならば、私は……。
「17名、彼女が奪った命の数です」
「っ…」
「少年院と呼ばれる成人未満での犯罪を犯した者たちを、『更生の目的』で収容する場にて、彼女は17名を殺害、捕食を行っていました」
こんな事を言うべきでも無いことを理解している。
けれど、責任を持つのならば受け止めなければいけない事だ。
「子供の未来を導く貴方にとって、これをどう受け取るかは…貴方に任せます」
「……分かった」
沈黙を前にしてお猪口に再び口を付ける。
強いアルコールだけが、口に残った。
「七海」
「…明日、この里を一緒に回ってくれないか」
「この幻想の地、その真実を…」
「『幻想郷』の姿を、見せたい」
「……分かりました」
私は執行人であって、裁定人じゃない。
人間は長い時間を、一生懸命生きていれば…いつかは、誰かにとっての善になり、悪にもなる。だが呪術師はそうでは無い。
悪行に手を染める者も居るが、私達はいつかの……誰かの呪いを祓い続ける、ただひたすらに。
「酒は渡しておく、好きな時に飲んでくれ」
「はい」
そこに宿る想いも、後悔も、罪も全て呪いとして。
■
ーー早朝。
木の下駄がカランコロンと石畳を叩く音。
それを聞いた慧音が振り向く。
「着物、似合ってるな」
「そうですかね…こういった衣服は旅館でしか着たことがありませんが…」
「中々の男前だ、着こなしてる……さぁ、歩きながら話そうか」
そうして連れられた先は、里の外周。
人里の壁際には防壁が建てられており、防壁に連なって屋敷や家屋が建てられている、さながら平安京の囲いのようなものだ、明確な防壁では無いがその役目を果たしているのだろう。
「あそこの屋敷は人里唯一の退魔師訓練所だ、正式な名称では無いが…人里では手に入れられない代物を手に入れたい時や、人里より外への外出の時、野良妖怪に襲われない様に護衛する役目も持ってる」
「人里において、例外を除けば純粋な人間の最高峰の武力が揃っている所だ」
「…ここへ連れてきて話したい事とは…?」
「体験してもらった方が早いと思ってな……ーーおーーい!雄之助!!ちょっといいかー!」
屋敷の門番をしている男に慧音が声を掛ける、その声に気付いた大柄な男性が小走りに駆け寄ってきた。
「慧音先生、珍しいですね…この様な場所までこられるとは、そちらの方は?」
「話題の外来人だ……ここに用事があってな、屋敷の師範代……いや、屋敷全員を呼び集めてくれないかい?」
「そりゃまた急な…いえ、慧音先生の言うことでしたら何か意味があるのでしょう、準備してきます」
屋敷に戻る男性の背中を見ながら慧音の手が七海の肩へと置かれる。七海の方が身長が高い為につま先立ちをしてギリギリにだが。
「…上白沢さん、この屋敷と何の関係があって…」
「それは事が済んでからだ……今から七海には、この屋敷全員と手合わせをして貰う」
「……は」
「余り大きな怪我をさせるんじゃないぞ?」
「……待ってくださーー」
「雄之助ーー〜!!集め終わったら訓練所に行ってくれー!客人が全員と手合わせするからーー!!!」
「……はぁ…」
大きなため息をつく。
この後、慧音が言う通り……『人里最高峰』の意味を、身体を持って理解させられることになる。
■
『でやぁァァァアアッ!!!』
『こんのッ!喰らえぇいッ!!』
『ヨシッ…!入っ…ーー壁…?がフッ!?』
訓練所に広がる光景は、まさに死屍累々。
粉砕されたり、折られたりした木刀があちこちに散らばり、訓練所の木造の壁には副師範代らしき初老の男性が突き刺さっている。
「…加減が効かなくて申し訳ありません……」
「はぁっ…はァッ……ーーよい、我々の未熟故だ」
そして、その中心には一切息を切らさず、着物の型1つ崩れていない七海と、汗だくになりながら木刀を振りかざす六十半ばの男性…師範代が最後の組手をしていた。
「ふッ!!」
流れる様な剣筋が光ると共に、木刀を握っていないもう片方の手から限られた人間だけが使える霊気弾を放つ。
片手で『剣技』と言える行動を起こすのも、飛び道具を動きの1連として組み込むのも圧倒的な技量と長年の経験、積み重ね、研鑽あっての事だが……。
「……とったと思ったが…いやはや、無念… 」
木刀は握りつぶされ、片手の手首を握られて狙いをそらされる。
そのまま木刀を握りつぶした方の手をヒラヒラとフリーな事を示し、組手を終えた。
「ふはっ……カカ…揃いも揃ってこのザマとは、未熟が過ぎますな…凄まじい怪力、まるで等身大の羆を相手にしている様でしたぞ」
「こちらこそ…凄まじい技量でした、お付き合い頂きありがとうございます」
「武術の心得がある様には見えませんでしたが、経験は?」
「……自己流ですね」
「ふむ、ならば…お暇があれば時々訓練所まで来て下され、我々の稽古を付けてもらいたい…その代わりに武術なら教えられる、と言っても敗者の戯言ですがな」
「卑下為さらないで下さい、…私もお暇があれば寄らせていただきます………上白沢さん、行きましょう……上白沢さん?」
「…あ、あぁ…行こうか…まさか無傷とは…多分、話したい事もある、洋太、世話になったな」
「慧音先生の頼みなら幾らでも、さてさて、我らもこれから稽古があります……お二人はご退場なさって下され」
2人で屋敷を後にすれば、聞こえてくるのは激しい怒号。ガタガタと屋敷の門衛をしているものも子犬の様に震えている。
木刀の鍔迫り合いの音が響き渡り、その日の警備隊は皆青い顔をしていたという。
「……」
「で、どうだった?私の伝えたい事は…ある程度理解して貰えただろうか」
「……ええ」
いきなりの事で困惑したまま戦ったが……。
「……」
ーー弱い、余りにも。
人里の最高峰、それがあの程度…恐らく、あの師範代が死力を尽くしても討伐出来るのは準2級までだろう。
「七海、強い力を持つ妖怪としてのルーミアと戦ったお前に聞く」
「人を狙い、人を喰うことを生き甲斐とする、ルーミアと同程度の妖怪が人里に現れたとして……」
「人里の者が、抗えるだろうか?」
「……」
「良くて半壊、平常で全滅が良い所でしょう」
「そうだな、こんな防壁はなんの意味を成さない…言ってしまえば、私の生徒の頑張りもある程度の妖怪なら退けれても…それ以上の妖怪は、言葉通り全滅で終わりだ」
なら、疑問が湧いて出てくる。彼女が伝えたい真実の輪郭が見えてきた。
「そんな人里が、どうして今の今まで滅せられずにいるのか……まっ、そこに関しては幻想郷最強を謳ってる奴が人里の味方だからってのもあるが……一個人に里の存亡が握られているなんて、みんな思っちゃいない」
ここを歩き回る中で、人里の違和感に気づき始めた。
里の周囲を囲っている家々、それに連なる壁は…外敵から人里を守っているというよりは、『区切り』の様に感じ取れる。
人里を囲い込むように、その外は妖怪が跋扈する妖怪の山と、人死がでやすい魔法の森とやらに包み込まれていた……。
この感じ、この感覚……この人里は、人々の生活する地域であると共に…人を守る、というよりも……。
「…閉じ込めている、いや……まさか…」
「……」
上白沢慧音の視線が物語っている、人里の皆に慕われながら、この真実をずっと隠し通してきた彼女の深い傷が見えてきていた。
「1つ、妖怪や神といった存在は、人の心を餌とし生きる」
「2つ、妖怪達には人里への侵入を禁じている命令がある」
「3つ、周囲を捕食者に囲まれ、存亡を一個人に握られ、その事情を知るものは高い権力を有す1部の者のみに限られている」
「……」
ーーなるほど。
「人、里は…人の為のものではなく…」
「それを糧としている存在達の為の場所、という事ですか」
だから違和感があった、だから既視感があった。
ーーここは、養育場だ。
家畜を育て、捕食者の為に環境を整え、手入れをする。
「……そして、私も…」
「白沢と人間の間、半妖怪のワーハクタクだ」