「輝夜、この子どうするのよ」
さらりとした
「私が育てるわ」
「…仕方ないわねぇ」
「分かった!」
この子が『何』で、どうやってこの屋敷近くの裏山まで来たのか、姫に拾われたのも偶然か……色々考える事はあったけれど、そこまで重要な事じゃないと次第に思考は育児の方へと傾いていた。ちょうどこの時代の平均寿命は30歳…高々30年で散る命、暇つぶしになるかどうかも分からないが……。
「まずはお風呂ね」
「お風呂…」
「そうとなれば永琳、支度をお願い」
…こんなにも楽しそうにしている姿を見れる事以上に、欲しいものは無かったから、この子の事は大切にしようと思ったの。
屋敷へ連れて帰り、使うことの無いと思っていた宇宙船の機材を使って屋敷に風呂を取り付けて幼子を姫が連れていき……綺麗になった状態を今度は私が検査して、身体のどこかに異常は無いか徹底的に調べ、足りない栄養素を調査し育児の為の完璧な栄養ドリンクを作ったり…。
姫の一時の暇つぶしだと思って、私もこの子に多くの手間をかけた。本当に雛鳥の様な子だったから、姫も私もとんでもない苦労をしたわ。
概念も知識も何も無い、止められない好奇心と求めるものへの欲求も真っ直ぐな正に無垢の子。名を教え、肉体の機能を教え、知識を与え続けたけれど…ザルで水をすくうような毎日だった、だからこそ何万年の時間よりもたった3日の方が疲れたし、長い気がした。
人間が無意識的に理解する部分ですら知り得なかったのは……赤ん坊になってすぐ捨てられたから?
「でも生きれる訳が…ーーん」
人差し指が私の唇に添えられる。
「良いじゃないのよ、そこまで難しく考えずに……私はこの子を拾ったんじゃないし」
姫の膝で寝息を立てる幼子の頬を摩り、そう言い放つ。
「それ…どういう事?」
「私が拾ったんじゃなくて、この子が私を見つけたの」
「……」
「この子は私という宝を見つけ、私の手を取った…宝を見つけた勝者にはその分の報酬が与えられるべきと思っただけ」
「輝夜は相変わらず気まぐれねぇ……そうだ、名前…名前どうしようかしら」
この子を育てる上で最も苦難した所は…名付けだったわ、それはもう互いに悩みに悩んで、結局その日は決まらなかった。
「でもまずは…」
「…ええ、そうね」
「「名前が何なのか教えなきゃ…」」
■
ーーー1年後。
貪欲とも言える率直さと素直さによって、その子はすくすくと育っていった。
「…これが、名前」
「名前」
「蓬莱山輝夜、名前?」
「……!!!ええ、そうよ!」
長かった教養も、漸く成果が出始めて……それが、この子を拾って1年目の事、正直言って月の国を作った時よりも難しくて疲れた。
「貴方にも名前をあげる」
「私の名前?」
「そう、貴方の名前」
「……」
「貴方には…『
「うん、分かった」
この時を機に、彼女は瞬く間に逞しく強くなっていったの。今まであれだけ吸収が悪かった教養と教育も急激に理解するようになり、1ヶ月で四則演算もちゃんとできるようになったし…恥といった概念、社交性、人間性…名を与えた瞬間から彼女に欠けていたピースがどんどんと埋まっていった。
私も楽しくなってついつい月の技術を教えそうになったり、月の技術や私の製薬、色々…量子論とか、もう本当に色々見せちゃったり。
ずっと退屈そうだった姫も最近はずっと楽しそうで……。
気づけば、5年以上が経過していた。
「輝夜ー!見て、お魚取ってきた!」
「…素手で?」
「うん!」
「ちょっと、月…やり方教えなさい、なんて面白そうな事1人でやってるの」
「良いよ!今度は私が教える番ー!」
身体も幼児から子供…より少し成熟した様子になってきた頃には、もう立派に言語を話し、自分から意思を持って動ける様になっていた。
暑い夏の日、川でスイカを冷やすような時期でそれはもう活発な子に育ったのよね…。
それで、それで……。
……それで…?
《そろそろ、本題に踏み込むとしようかしら》
虚空から声が響くと……ーー。
『自分が七海建人であった事』を思い出す。
「……」
凄まじい効能だ、今目を覚まさなければ永遠にこの記憶に囚われていたかもしれない。虚空の声の主、紫の力か風景が早送りになり、太陽が普段の数倍の速度で動き始める。
《…ここ辺りかしら》
加速が止まったのは、満月の夜の日だった。
「永琳」
「…あら、どうしたの?輝夜」
「
「……ーーなんですって?」
1つの転換期を、私達は迎えることになる。
■
あの子が消えた、なんて筈は無い。私が丹精込めて練り上げた結界術を常に備えさせておいたのだ、強盗が来ようが野獣が襲おうが、隕石が落ちてこようが無傷で姫の元まで送り届ける最高硬度の結界。
神としての力を使った程の結界だ、あれだけの術を掛けたのは…昔の月と地球を複製して経路を入れ替えて行き来を出来なくした『以来』だと言える程に、強い結界を付けていた……いつの間にかね。
本当にいつの間にか、あの子に私は心を許していた。
「有り得ないわ、一体何処へ…」
「探しなさい、永琳」
「勿論よ…!」
地球全体に彼女の遺伝子を持つ存在を探知できる術を使い、何処にいても……それこそ、月以外の全てを調べ尽くせる術で地球を覆った。
丁度満月の日だ、行使は容易かった。
「……っ」
地球上に、反応は無かった。
「馬鹿な、見つからない筈がない…!!」
「……」
「もう少し待ってて、輝夜…」
検索対象が悪かったのか?何が原因だ、死んでいる筈も無い…が…その前提を1度崩さなければ…。
ーー魂にまで適応内へと変え、再度術を発動させる。
「…………」
「……何故」
「何故ッ!?」
有り得るはずが無い、地球上の生命は全て術の適応内、そして魂にまで手を伸ばしたというのに…彼女の反応が一切消失してある。
反応があるのは屋敷に置いてある彼女との思い出の品からだけ、写真やそこに付いた指紋、落ちた髪の毛から細胞の1片にまで反応しているのが術が正常に働いている事を知らせている。
それは同時に絶望になった。どちらの術も正常に働いておきながらこの世界に彼女が居ると指し示す何かは無くなったのだから。
私の長い長い人生の中でも初めての事だ、あらゆる干渉を弾き…神すら手を伸ばす事の出来ない絶対防壁と、存在自体の消失を表す反応という矛盾の難題は、私の心を容易く揺さぶった。
「……ーーもう、いいわ…永琳」
「輝夜…」
「……」
「元から私が見つけられて手を取られた側だから、手放す権利はあの子にある」
「だけど…」
「いい、と私は言ったわよ」
「……分かったわ」
天真爛漫、唯我独尊の姫の背中にも…その日ばかりは影が指すことになったのだけれど…。
次の日、再び全てがひっくり返ることになる。
「あな、たは…蓬莱山、輝夜?」
屋敷への来訪者、あの子には似ても似つかない少女が敷地へと足を踏み入れる。
月とは全く別人の少女が…姫の名を呼んだ。
「……貴方…」
「……呼びに…呼んでって…あれ…ごめんなさい、私…あれ?」
「ふ、は、あはは、あははは!!そうね!名を呼ばせたのは私だっわね!」
「おかえりなさい、月」
「………」
「わからない…けれど…」
「ただい、ま?」
思えば…八意思兼神であり、月都の建造者であり…全知全能とも言える力を振るえるはずの私が……ーー。
心の底から恐怖してしまったのは、この時なのだろう。
■
私の術に間違いは無い、理論立てて考えても彼女はこの世界から存在を消失させていた、全ての力を用いて調べ尽くしたのに見つからなかったのに、輝夜が同じ存在だと笑いながら『2人目の月』を迎え入れた時から……私の理解が、能力が…積み上げてきたものが一切及ばない『アレ』に対して恐怖していたのよ。
科学者にとって何が怖いか分かるかしら?それは式に唐突に現れた穴、今までの研究全てが無価値になりかねない『前提』を崩す何か。
あれ程愛おしかったあの子も、今では未知の暗闇にしか見えない。
勿論アレを調べ尽くした、勇気を出して暗闇に身を投じ…肉体を、記憶を……でも、以前の月を指し示す何かは存在せず、本当に別人だったと分かった瞬間に、更なる恐怖が私を襲った。
夜な夜な彼女を殺して、殺した後にどうなるのかを調べたくなる欲求もあったのだけれど…ーーそれより前に、彼女は死んでしまった。
それは再び訪れた暑い夏の日だったわ、彼女は川で足を滑らせて頭を打ち、即死した。もう私の結界は張っていなかったから簡単にその命を散らしてしまったのだけれど……。
姫の笑みは変わらなかったの、何故だと思う?
「……」
「『3人目の月が、屋敷へ訪れた』」
悪夢。
悪夢よりも酷い何かだった。死体は調べた、何も無かった。脳を解剖した、何も無かった。魂を観測した、何も無かった。
それでも、彼女は再び現れてしまったの。
「……呪術、それが普及した今だからこそ言えるのは…」
「彼女は、藤原妹紅と呼ばれている『アレ』は、現存する『最古の術師』よ…仮定、推論でしかないのだけれど、地球上で一番最初に術式に目覚めた存在」
「いえ…地球が産まれるよりも前に存在していたかもしれない、彼女が彼女である事に必要なものは何も無いから」
「それに輝夜が名を与え、彼女に形を与えてしまった」
「呪術は生物の可能性…ーーその究極の存在、穢れを捨て去った月人と対極に立つ穢れの頂点」
「輪廻転生、それによる永続的な不老不死、その呪いは永遠に、
「不老不死の呪い、それが藤原妹紅という存在」
皮肉な話、変化を受け入れない月人に永遠は与えられず…逆に変化し、その生命を循環させ続ける存在には形は違えど永遠を与えられた。
呪いの循環こそが生命の根源であり、生命の循環とはそれ即ち全体子、ホロンとして捉えることで得られる永遠でもあったという事。個の連続性に執着を無くせば実現出来るものではあったが…私を以て、それは不可能なもの。
「術式…名称は輪廻転生、いえ…循環とでも称しましょうか」
「宇宙すらいつかは萎んで消えてなくなり、ビックバンと共に新しい宇宙を膨張させていく、それでも彼女は生き続けるの…蓬莱の玉の枝を要因としない、完全無欠の不老不死」
奇しくもそれは蓬莱山輝夜の須臾の能力と対を為し、また似通ったものでもある…結局、最初の消失の謎も解けずじまいで物語が終わる。
一息つくように、風景が絵本のように折りたたまれ……小さな少女と輝夜が遊んでいる風景が、遠くなっていく。
「……」
「如何かしら」
「………………」
「……矛盾する点があります、先程貴方は妹紅先生は蓬莱の玉の枝を口にしたと言いました、彼女がその様な存在であれば不老不死の存在になる薬等、必要無い筈」
それと『
「あとは…罪人でしたか……彼女には循環以外の能力は無いように思えた、人並みの力しかない彼女が一体何の罪を犯し、どうやって100億を超える生命を殺害したと?」
「…100億?」
「…?ええ、それが彼女が穢した数だと聞きました…正確には約120億ですが」
「ちょっと紫、アンタ妖怪の分しか数えてないじゃないのよ……この性悪、アレを過小する事は何があっても許さないと言っておいた筈だけど?」
「何も知らぬ客人にポンッとそれを伝えても困るじゃない、心遣いよ心遣い」
「……はぁぁぁ…まぁ、いい…数は問題じゃないから…結果的に言えば、蓬莱の玉の枝は…『アレ』を封じ込める為に与えようとしたものよ」
その様な存在が姫に目を付けた事に恐怖した私は…蓬莱の玉の枝による不老不死を与え、せめて私の理解出来る存在へと陥れようと画策した。
でもそれは意図せず成就してしまったの、それは何度目かも分からない『月』の死を迎えた時…突然、屋敷に彼女は訪れなくなった。
彼女が現れたのは、姫が月の居ない間の暇つぶしに…仕向けられた5人の婚約者に対して、5つの難題を与えた時の事。
「最後の『月』は、血筋を藤原家…丁度蓬莱の玉の枝を難題とした家に生まれ落ちていた」
「その時の名が藤原妹紅、難題の解答に失敗した藤原家は没落…ここらかは全て推論になってしまうから何も語らないけれど、再び私達の目の前に姿を現した彼女は『月』である事を証明する『何か』は失われ、唯の蓬莱人になっていたの」
「…ただ、輝夜に対する思いの大きさは変わらずにね」
それが殺意だったとしても、姫は再び沢山笑う様になり…人の都で暮らす事が面倒くさくなった姫は竹取物語の最後のように…あれは脚色されているけれど、人里を離れ…藤原妹紅だけを受け入れるようになった。
「発生を察知して、一から観察出来たら良かったものの、そんな事は出来ない……何があってこうなったのかは藤原妹紅本人に聞くしかない」
「さて」
「彼女の罪…だったわね…」
「次のページを捲りましょう、そこに真実はある」
懐から更にもう一本、記憶の中である筈だが薬品が入った小瓶が出てくる。
「安心して、ちゃんと現実の貴方の口に流し込んであげてるから」
「……そうですか」
「嫌そうな顔をするわねぇ…中身は精神補強と私の記憶に混ざり過ぎない様の精神剥離の効能だけだから大丈夫大丈夫」
「名前が危な過ぎる気が…」
一切の感覚は無いが、今現実では何か飲まされていれば…それは嫌な顔をしてしまうだろう。それに現実世界の方で彼女だけが動けているのもそことなく怖さがある。
……八雲紫も飲まされているのか?
「あら、私は境界をちょちょいっと弄れば全部解決しちゃうから、あんなまっずいモノ飲まなくても良いの…現実でボーッとしてるのも貴方だけだし」
心を読める…ーー
「『心を読めるんですか?』なんて、考えてそう…って、私も考えてみたり」
……。
「ほらね、悪趣味でしょこの女」
「ええ、反吐を吐きたいくらいに」
「あ、貴方も包み隠さなくなってきたわね…」
1周まわって恐怖を通りすごして皮肉しかぶつけれなくなりそうだ、八雲紫の天性だろうか?
「よし、丁度飲ませ終わったし……」
「最後の記憶へと、潜りましょうか」