シャンメリーの香りに秘めて   作:空色胡椒

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夢のような一夜の始まり

「明日…」

 

今日は定期団らん会もなく、テスト期間最終日だから勉強会もない。テストを終えて真っすぐ家に帰ったここねは、どうにもそわそわしてしまう気持ちを抱えながらベッドに背中から倒れこんだ。

 

ぼふん、という感触とともに身体が柔らかく受け止められる。そのまましばらく天井を見つめながら物思いにふける。

 

「もう、明日なのね」

 

そう。テスト期間最終日であるとともに、その日はクリスマスプロム前日。テストという重責から解放され、しかもプロムが待っているという楽しみを生徒たちは各々味わっているのだろうか。そんな状況にあって、どこか浮かない表情のここね。別にテストの手ごたえが悪かったわけではない。むしろ拓海との勉強の成果か1学期のころよりもいい出来が予想される。では何が彼女を悩ませているかといえば─

 

「─楽しみなのに、行くのが怖い」

 

最初に行くことを決めた時も、ダンスの練習をしていた時も、ドレスを選んでいた時も楽しい気持ちばかりだった。でも─

 

ベッドの上で体が横向きになるように転がり、部屋のクローゼットの方を見る。先ほど開けた時のままになっているそこには、彼が選んでくれたドレスが見える。

 

ここねのためだけに、彼が─

 

まただ。彼のことを、彼との時間のことを考えると胸の奥がキュッとしまる。同時に浮かぶのはいつか彼が見せてくれた優しさが向かうであろう少女のこと。

 

「ゆい…私、どうしちゃったのかな」

 

いつもなら彼女のことを考えると暖かい気持ちになった。分け合う喜びを教えてくれた人、最初の親友、大切な仲間。ゆいがいたから今の自分がいる。だから、ゆいには感謝の気持ちでいっぱいだ。なのに─

 

(─これじゃ…まるでフェンネルさんみたい)

 

分け合う喜びを知ったはずの自分に、分け合いたくないものができてしまった。この気持ちはかつて戦ったブンドル団のボスのそれに近いものなのかもしれない。

 

(─こんなに、苦しいんだ)

 

最終決戦で涙を流していたゴーダッツの姿を思い返し、そして今の自分を重ねる。なるほど、分け合う喜びの感情が素敵なものであるのに対して、この気持ちはとても─とてつもなく苦しい。まさか2年も経ってからその気持ちを推し量ることになるなんて思わなかった。

 

「…拓海、先輩…」

 

ピロリロリン!と急に入る通知音。いったい誰だろうと連絡が届いたキュアハートウォッチを見る。

 

「…ゆい?」

 

相手はつい先ほどまで考えていた相手の一人。急に電話だなんて、しかもこんなタイムリーに。何かあったのだろうか、そう思いここねは電話に出た。顔が見える通話ではなく、どうやら音声だけの通話であることを確認し、またはてなマークを頭の中に浮かべる。

 

「もしもし?」

『もしもしここねちゃん?急にごめんね。大丈夫だった?』

「うん、平気。何かあったの?」

『あ~、ううん。特に緊急事態ってわけじゃないんだけどね…なんだかここねちゃんと話がしたくて』

「話?」

 

思わず小さくごくりと喉を鳴らすここね。このタイミングでゆいからの話となると、必然妙な緊張感を覚えてしまう。特に悪いことをしていたわけではない、はず。でもどうしてか罪悪感にも似た、噓がばれないかひやひやするような気持がぐるぐるする。

 

『うん。いよいよ明日プロムだったよね?』

「う、うん」

『あのね、前にここねちゃんあたしに拓海を借りてごめんって言ってたよね?』

「うん」

『あの時あたしわかんなかった。ここねちゃんがどうしてそう言ったのか。でも、今はなんとなくわかる気がする』

 

明るい声の調子の中でどこか寂しさを感じさせる声音。きっと通話の向こうでは笑顔なのだろうけれども、いつものはじけるような笑顔でも、美味しいが溢れんばかりの笑顔でもないのは感じ取れる。

 

『拓海ね、結構プロム楽しみにしてるみたい。夜も練習してるってあんさん言ってたんだ』

「そうなんだ」

『でね、テスト期間だったからっていうのもあるけど、なかなか会える時間ができなくてさ…ちょっと、寂しかったかも』

「ゆい…」

 

いつもそばにいてくれた、そばにいようとしてくれた。そんな拓海が今回そうしない、できない。その理由を自分が作ってしまった。そのことで親友を傷つけてしまったかもしれない。そのことがここねにはひどく心苦しい。

 

「ゆい…ごめんね」

『あ、ううん!違うの!ここねちゃんが悪いとかじゃなくて!ここねちゃん、最初にちゃんと言ってくれたし』

「でも」

『むしろこっちの方がごめんだよ。折角のパーティーの前にここねちゃんに気を遣わせちゃう形になっちゃった。そんな話がしたかったわけじゃないのに』

 

あのね、そう前置きしたゆいの声は先ほどの寂しさをはらんだものではなく、いつもの調子。普段通りのゆい。真っすぐで明るくて正直なゆいは、ここねに伝えたいことを述べる。

 

『あたし、ここねちゃんに目いっぱい明日は楽しんでほしい。この前とか今日とかみたいにあたしに気を使わないで、やりたい事全部やってほしい。それでね、その後も我慢しないでほしい』

「ゆい?それって、どういう?」

『あたしよくわからないけど…拓海もここねちゃんも、すごく楽しいってことだけはわかるから。でも、なんでかここねちゃん明日が終わったら、変に遠慮するようになるんじゃないかって思って』

 

それは確かに自分がついさっき思ったことではあった。ゆいが好きな拓海をいつまでも自分に引き留めるわけにはいかないと。拓海と過ごしたいゆいからいつまでも借りているわけにはいかないと。だったら、明日で─そう思っていたのを見透かされていたみたいで。

 

『いいんだよ!ここねちゃんが拓海にわがままを言っても。一緒に遊びたいとか、ご飯食べたいとか思っても』

「ゆい…」

『その代わりあたしも遠慮しない!学校が違うし、拓海も忙しいかなって思ったこともあるけど、それでもやっぱり拓海にしてほしいこと、一緒にしたい事、いろいろあるもん!だからあたしもわがままいっぱい言うつもり』

「わがまま…」

『だからね、ここねちゃんもやめなくていいんだからね!ちょっと形は違うかもしれないけど、お互いに遠慮しない。自分だけの拓海との時間をそれぞれが持って、お互いに邪魔をしない。こういう形の分け合い方もありなんじゃないかな?』

 

ふんす、という音が通話越しでも聞こえてきそうである。それはまるでここねの背中を押しているように聞こえる。心の中に芽生えてしまった分け合いたくないという気持ちを肯定しているようにすら聞こえてしまう。そんな都合のいいことを…望んでいいのだろうか。その疑問に答えは見つからず、また誰かが教えてくれることもない。ただ、

 

「ありがとう、ゆい。明日は楽しんでくるね」

「うん!あ、でもちゃんとどんなお料理が出てたとか、そういうことは教えてね!」

 

絶対だよ!と念を押してからおやすみと電話を切るゆい。ほんのちょっとだけ、先ほどまでの苦しさが減ったような気がする。それでも完全になくなったわけではなかったけれども、明日が怖いという気持ちのほうはもうない。立ち上がってクローゼットへと進む。拓海が選んでくれたドレスにそっと触れながら、ここねは微笑んだ。

 

「うん…明日、ちゃんと楽しもう。拓海先輩と一緒に」

 

そのあとのことは、その時に考えればいい。自分の心がどう動くのかは、明日の自分次第。だから今は─

 

(─どうか夢見ることを、許してください)

 

──────────

 

翌日。

 

通常のプロムの伝統としては男子側が女子を迎えに行くことが主流である、という話を聞いていた拓海はであればとここねの家に先に行き、そこから2人で轟の車で移動する形をとることにした。最初から轟が迎えに行ったほうが早いのではないかとここねも思ったが、

 

『こういうのは雰囲気を楽しむもんなんだろ?折角なら、楽しめそうなこと全部楽しんでみようぜ』

 

ということで、当日拓海がここねの家を訪れる形をとることとなった。なお移動手段については事情を聞いて快く協力してくれた湊が車を出してくれることになった。

 

「すみません、湊さん」

「いいんだよ。拓海には前に世話になったからな。これくらいどうってことねぇよ。にしてもまぁ…めかしこんじまって、いい男になったな、お前も」

「あはは」

「ま。相手がゆいちゃんじゃないのは意外だったが、拓海が選んだ子なら確かだろ。あの時一緒に俺を後押ししてくれるために力を貸してくれるようないい子みたいだしな」

「湊さん。俺と芙羽はそういう関係じゃないですよ。先輩後輩ってだけで」

「ただの後輩じゃないんだろ。話だけでの判断だけどさ、お前がそこまでしてやろうと思えるってことは、大事な相手なんだろ?」

「それは…まぁ、そう、ですけど…」

 

湊の言葉に歯切れの悪い返しをしてしまう。ここ数週間で芙羽ここねの存在が以前とは比べ物にならないほどに自分の中で大きくなったのは確かだ。大事かと聞かれたら当然大事だと答えられる…が、それでも自分の中にはいつだってゆいがいる。17年間ずっと、ゆいだけの部屋が心の中にあったのだ。けれども今は、果たしてそこはゆいだけの部屋なのだろうか…

 

「か~っ。悩んでるな~。しかもなかなか贅沢な悩みじゃねぇか、それ」

「そう言われても…俺もまだよくわかってないと言いますか」

「それでいいんだよ。若いうちには自分の気持ちの変化に大いに悩んで、それを青春の一部として糧にしていっちゃえ。変わらないものもあれば、変わるものもある。それでいいんだよ」

「おぉ…さすがにあれから2年経っても変わらない関係性をもっているだけのことはありますね」

「ほっとけ!!」

 

最後にちょっとした意趣返しをしてから、それでも拓海は湊に礼を言った。確実に自分の中で変化はあった。それがどういう形に落ち着くのかはまだわからない。ただそれについて考えるよりも、今の自分が考えるべきことがある。

 

(一緒に楽しめるといいな、芙羽と)

 

 

ここねの家の玄関で待つことしばし。約束の時間よりほんの少し早く着いた拓海は、手にした箱に収められている薄い水色のコサージュを眺めていた。これもまたプロムの伝統の一つ。男子は女子に送るコサージュを、女子はジャケットにつけるブートニアと呼ばれる人工花を用意するのだ。カラーリングはここねのドレスと喧嘩しないものを選んでいる。それを手に拓海はややそわそわしていた。

 

そして約束の時間ちょうど頃、轟が扉を開いた。

 

「拓海様、お待ちしておりました」

「轟さん、今日はお世話になります」

「いえいえ。私のほうこそ、ここね様がお世話になります。どうぞ今日はよろしくお願いいたします」

 

軽くあいさつを交わしあう2人。轟は拓海を見てふっと優しげに瞳を細める。

 

「では、あまり待たせてしまうのも酷ですな。どうぞ中へ。ここね様もすぐに来られますよ」

「は、はい」

 

轟に招き入れられるように玄関に通される拓海。見慣れた場所であるはずなのに自分の服装が違うことや状況が違うことが影響しているのか、どこか緊張してしまう。

 

「拓海先輩」

 

最近では聞き馴染みが深くなった声で呼ばれ、拓海はその方向へ視線を向ける。自分より高いところから声がしたのは単純に、ここねの自室が階段を上った先にあるからだろう。ここねを見上げるのは新鮮だな、なんてことを考えながら振り返った拓海は─

 

「っ」

 

ひゅっ、と軽く息を吸い込むように言葉を失った。

 

「お待たせしちゃいましたか」

「あ、いや…そんなことは、ない」

「良かった」

 

笑いかけながら一歩また一歩とここねが階段を下りてくる。スカートの裾から覗いたシルバーのパンプスが階段を鳴らし、ふわりふわりとスカートが揺れる。軽く階段の手すりに添えられた手は相変わらず白く美しく、その爪は薄いブルーに染められ、照明を受けてキラキラとしている。

 

普段はシンプルなヘアピンで留めている左側の髪は小さな花のアクセントが付いたピン使用されている他、編み込みが施されている。耳にはシルバーカラーのイヤリングがつけられ、上品なきらめきを見せている。

 

今回はドレスに合わせてメイクが施されており、チークがここねの頬を色付け、目元を彩るアイカラーはその瞳をまた輝かせ、いつもよりほんのり朱色な唇が綺麗な弧を描いている。

 

はっきり言うと見とれていた。

 

2年前はゆいのことばかり気になっていて、だから気づかなかった─あるいは気づこうとしていなかったのかもしれない。芙羽ここねという少女が、どれほど美しく、魅力的な少女であるということを。

 

 

最後の段までここねが来そうだったので、拓海はすぐに歩き出した。階段の下まで向かうと、ここねに自身の手を差し出す。一瞬驚いたようなここねだったが、すぐに拓海の手を取り、最後の段を降りる。

 

「ありがとうございます、拓海先輩」

「あぁ…その、やっぱりすごい似合ってるな」

「ふふっ。ありがとうございます。拓海先輩こそ、とても素敵です」

 

そう言いながらここねはあらかじめ用意していたのであろうブートニアを手に持った小さなカバンから取り出し、そっと拓海の胸に取り付ける。ポンポンと軽くその箇所に触れるここねにすこしドキッとしながらも、拓海もここねにコサージュを手渡す。受け取ったそれを見て「可愛い…」とつぶやいてから、ここねはそれを自身の左胸、心臓の位置近くに取り付ける。

 

「んんっ!あ~、その…楽しめるといいな」

「…はい。よろしくお願いしますね、拓海先輩」

 

いよいよ会場へと向かう時。どこかふわふわとした現実味の無さを互いに感じているのは、クリスマスプロムという夢のような場所へ向かう雰囲気にあてられているからだろうか。

 

そっと拓海が腕をここねへと差し出すと、彼女はその腕を取った。彼が腕に感じる熱も、彼女が指先に感じる熱も夢ではないことを物語っている。

 

「行くか、ここね」

「はい」

 

最後に確認のための言葉を交わし、2人は轟が用意してくれているであろう車へと向かうため、玄関に向けて共に一歩踏み出すのだった。

 

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