「芙羽さん。俺と付き合ってください」
(またこのパターン…)
放課後に帰り支度を済ませたタイミングで声をかけられ、少し人目のない場所へ移動する。手紙の呼び出し、休み時間の呼び出し、そして今回のような教室への訪問と大分パターンがわかりやすい上に、告白の場所まで似たようなところが選ばれるのは定石があるのだろうかとすら思ってしまう。
目の前にいるのは3年生の先輩。ここねにとっては知らない相手だったが、呼び出しの際のクラスメートの反応からするとそれなりに人気のある先輩だったのかもしれない。とはいえ、相手の肩書や評判についてはここねにとっては関係なかった。答えは最初から決まっているのだから。
「ごめんなさい」
いつも通り、少々冷たすぎるかもしれないくらいの声の調子でそう告げる。入学当初はそうすることに戸惑うことも、心苦しさを感じることもあったが、あまねによるアドバイス、「余計な期待を持たせるような優しさは見せない方がいい」という言葉の通り、勘違いの余地がないように断ることにしている。
「芙羽さんって、お付き合いしている人がいるの?」
「いえ、そういうわけではないです」
「だったら、俺にチャンスをくれないかな?入学した頃にカフェで一人でお茶を楽しんでいるのを見かけてから、芙羽さんのこと綺麗な人だなって思ってて。なんなら今度のプロムだけでも一緒に行ってくれたら嬉しいんだけど。それでもし気が合えば付き合ってほしいけど、ダメならあきらめる。それじゃだめかな?」
先ほどの断りの言葉を聞いてなお、ほぼほぼドアインザフェイスみたいな方法を使ってまで誘うあたり、それなりの行動力はあるんだとほんの少しだけここねは関心するような気持ちがあった。それでも自分はきっとこの人を恋愛的な対象としてみることはできないだろうと考える。いや、それについてだけは何故か確信を持っていた。
だってきっと、何かあったときに自分が頼りたいと思うのはこの人じゃない。本当に誰かを必要としたとき、自分が頼るのはゆい、らん、あまね、マリちゃん…そして─
先輩が一歩前に出てここねの手をとる。考え事をしていたここねはそこでようやく意識を目の前の相手に戻す。別に強く握られたわけではない。むしろ相手としてはこの上なく優しく、丁寧に接するようにしてくれているのはわかる。それでも咄嗟に沸いたのは触れられた箇所に対する嫌悪感と、知らない相手の接近を許してしまったことへの恐怖だった。
「ねぇ、やっぱりダメかな?」
「あの、私…「ここね?」…えっ」
かけられた声は目の前の先輩からではなく、馴染みのある男の子の声。視線をそちらへ向けると、やはり馴染みのある姿。スクールかばんの持ち手に腕を通して、片側で背負うように持っていることから、もう帰ろうとしていたと思われる格好で、彼はここね達の方へと近づきながら、視線をここね、先輩、先輩が取った手へと動かす。
「ゆい達のところに向かう約束の時間に来ないからどうしたのかと思ったけど…そういうことか」
「拓海…先輩」
思わず漏らした声が少し震えている。本来いるはずのない彼がいる、そのことにほっとしている自分がいることを、ここねははっきりと感じた。ほんの直前まで思っていたのだから。何かあったときに頼りたいと思う相手の一人として彼―品田拓海のことを。
「え~と、君は?」
「品田拓海です。ここねとは中学のころからの付き合いがあって。今日は約束があったんですが、待ち合わせ場所に来ないから探してたんです。邪魔するような形になってしまって、すみません」
突然登場した相手に困惑する先輩に対して当たり障りのない返しをしながら、軽く頭を下げる拓海。この状況においても至って普通の対応をしてくる見知らぬ人物に先輩の表情にますます戸惑いの色が濃くなる。
「ここね。返事はもうしたのか?なんなら向こうでもう少し待ってるけど」
「あ、いえ。大丈夫です」
先輩に向けていた爽やかな笑顔のまま自分に視線を向けた拓海の言葉を受け、ここねは先輩に繋がれていた手を離すように抜き、肩にかけていたカバンのひもを握るようにする。
「ごめんなさい」
「…ダメな理由とか、聞いてもいい?」
「プロムへのお誘いも、ありがたいんですけど…私…」
その誘いを受けるのがダメな理由。言葉で説明しようにも、核心をぼかしたうえで納得のいくような話ができる気がしない。ゆえに一瞬生じてしまう間─
「すみません先輩。ここねはもう先約があるんですよ」
先ほど先輩に取られた手が今度は違う人の温もりに包まれた。先ほどよりも強く握られていて、先ほどよりも近く相手を感じているけれども、ここねが感じたのは全く反対の気持ち。デリシャストーンを使った彼の癒しの力を受けた時のような、暖かくて優しくて、安心できる気持ち。
「ここねとは前から入学したらプロムに一緒に行くって約束してたんです」
「あ、そう…なのか」
「ええ。付き合ってるわけではないので、先輩の告白については止めるつもりはありません。でも、プロムへのお誘いについてはすみませんけど遠慮してもらえるとありがたいです。ここねは、俺のパートナーなんで」
人当たりのいい印象の声と言葉遣いのまま、それでも拓海はきっぱりと先輩に対して手を引くように告げた。手を握ったときに感じたここねの震え。これ以上先輩と話させるのは良くないと判断した彼がとった、大事な仲間でもある後輩を守るための行動。ここねを庇うように半身が彼女と先輩の間に来るように一歩だけ踏み出し、拓海は先輩を真正面から見据えた。
「…そっか。うん、わかったよ」
「ありがとうございます。それとさっきも言いましたが、告白の方は邪魔してしまったならすみません」
「いや、君が来る前にそっちは振られてしまってたからね。結局は芙羽さんを困らせてしまっただけだったか」
「あの…ごめんなさい」
さみし気で悲しげな笑顔で背を向けた先輩に、最後にもう一度だけ謝るここね。告白の返事のこと、プロムのお誘いのこと、そして彼に本当のことは話すことができないこと。全部ひっくるめた上で、ここねが彼に言える言葉だった。
「今日だけでもう3回目だよ、芙羽さんにそう言われたの。こっちこそ、時間取っちゃってごめんね。君たちがプロムを精一杯楽しめることを願ってるよ」
そう言って先輩は2人に背を向けて校門のある方へと歩き去っていった。それでもその背中が校舎の壁の向こう側へ見えなくなるまで、拓海の手はしっかりとここねの手を握ったままだった。
──────────
「ふぅ~。なんとかなったか」
先輩が去ってから少し、拓海が息を吐きだしながら肩の荷が下りたかのように脱力する。それによって繋がれていた2人の手が離れる。そっと空いていた方の手で握られていた方に触れるここね。先ほどまでそこにあった自分とは違う体温を指先に感じながらここねは改めて拓海の方を見る。
「拓海先輩…どうしてここに?」
「悪い、覗き見してたみたいで。この近くを通ったのはたまたまだよ。ただまぁ、最初の告白を受けているところを見かけてさ。芙羽ならいつも通り断ると思ってたけど、意外とあの先輩が食い下がってたから、ちょっと気になって様子を見てた。ごめん」
「いえ、そんな。拓海先輩のおかげで今日は助かりましたから」
ばつが悪そうに頭をガシガシとかいている拓海は本当にすまなそうな表情をしている。そういえば中学の頃には逆に彼が告白を受けるところとその告白への返事をするところを覗き見する形になっていたことをふと思い出し、今回は逆になったことが少しだけおかしく感じて思わず小さく笑みがこぼれた。
「大丈夫そうか?」
「え?」
「さっきからずっと困ってるような表情しっぱなしだったからな。さっきの俺の行動も、結局は先輩と同じで芙羽を困らせちまってたら、元も子もないと思ったから」
「さっきの、あ」
『ここねは、俺のパートナーなんで』
先ほどの拓海の言葉と手の温もりを思い出して、つい頬に熱が集まるのをここねは感じた。
「悪かったな。その、勝手に適当なこと言っちまって」
「いえ!本当に、ありがとうございます」
「まぁ、今回は何とかなったけど、これからどうするかだよな。芙羽にプロムへ誘いたい相手がいたなら、話がややこしくなりそうだし」
「誘いたい相手…」
自分からプロムに誘いたいと思えるような相手。気軽に誘えるようなクラスメートでもいればよかったのかもしれないが、入学からの度重なる告白された経験によってそれは半ばあきらめていた。相手のことを気にしなければいけなくて、プロムそのものを楽しむことも難しくなってしまうだろうから。だから、プロムの相手なんて特に思いついていなかった。
いや、より正しくは、わかりやすい選択肢を最初から除外していたのだ。それは彼にとって迷惑をかけてしまうんじゃないかって、そう思っていたから。居心地のいいあの場所に変化を与えてしまうんじゃないかって、そう思っていたから。でも今日のことを経て、もしかしたらと思ってしまった。
「拓海先輩…」
「ん?」
「あの、ご迷惑でなければ、なんですけど─」
思い出すのはあまねの言葉。
『ここねにしても品田にしても、あの距離感を許容できる相手が学校で見つからないことには始まらないだろう』
自分にとってその距離に近づかれても大丈夫と思える相手。そんな人は初めから一人しかいないのだ。
「─私と一緒に、プロムに行ってくれませんか?」