「芙羽、どうした?」
「おはようございます。すみません、拓海先輩。急に来てしまって」
「いや、別にいいけど…」
小さく礼をしてから申し訳なさそうな表情を見せるここね。なんのアポイントメントもなしにわざわざ教室まで押しかけるように来てしまったことを本人なりに気にしているらしい様子に、拓海はなんてことないと軽く首を振り、ここねに少し教室から離れた方を指さしながら移動の意を伝える。
一年生の教室へと向かうための階段の踊り場付近で立ち止まる2人。先を歩いていた拓海が振り返り改めてここねと向き合う。
「なんかあったのか?」
「あ、その…実は今日、私と先輩の噂が流れているって話を聞いて…」
「あ〜、それな。俺も今聞いた。どっから広まったんだか」
なるほど、と納得する拓海。ここねの性格を考えると、この噂が広まることによって当事者でもある拓海に迷惑がかかるのかもしれないと思ったのだろう。
「すみません、なんだか大事になってしまったみたいで。先輩にもご迷惑を」
「いや、俺も驚いてはいるけど、別に迷惑とは思ってないしな。実際プロムに行くってことはホントなんだし、秘密にしたいわけでもないんだろ?」
「それはそう、ですけど」
「だったら別にいいだろ。これで芙羽への誘いの数も減るだろうし、結果的にはむしろプラスに働くかもな」
「…そうかもしれませんが…」
状況を把握しているように話す拓海の様子に、どうやら彼の耳にはまだ全ての噂が届いているわけではないことをここねは察した。
確かに噂の大部分は正確な情報が広められているが、一部ではまたやや誇張されたものもあるのだ。
「拓海先輩…広まっている噂は1つじゃないんです」
「え?他になんかあるのか?」
「その…プロムのパートナーという部分が間違って伝わったらしくて…わ、私と拓海先輩が…お付き合いしている、というものも」
「はぃ?」
「なるほど…そういう状況に」
「はわわ〜!でもでも、本当にお付き合い始めたわけじゃないんだよね?」
「うん」
「そりゃまぁな」
「ん〜…なんか難しいね。2人は2年前から友達だっただけなのに」
「まぁ、けど噂しちゃう人の気持ちも…分からなくはないよね」
「なんとなく親しい男女がいたら、ってやつか…」
状況に対して何か新しい動きを取ろうにも最善の手が思いつかなかった2人は一旦この件を保留にし、その日行われる定例団らん会で相談することにした。
結局その日一日中拓海は色んな視線を感じることとなった。なるほどこれが芙羽の普段なのかとややげんなりしながらも少しここねに対する理解が上がった気もして、ますます最近告白が続いていた芙羽の放課後が大変だったのだと実感させられたのだった。
「確かに品田の言うように、男女が仲睦まじくしているのを見たら、ついそういう邪推をしてしまうのは不思議ではない。特に君たちの学校は今、プロムのパートナー探しの時期だから尚更だろう。真偽の分からない話を噂として流すのは、流石に感心しないがな」
「う〜ん…1回広まっちゃった噂って難しいよね…特に影響力大きい人からとか、注目されてる人のこととかだと…」
「らんちゃんが言うとほんとに説得力あるよね。インフルエンサーさんはそういう話の広がり方をいい方法で伝える立場だもんね」
「そうなんだよ!人が少しでも嬉しくなったり、小さな幸せを感じたり、新しい発見ができたり。本当なら伝えていきたいのはそういう情報なんだけどね〜」
「今回はここねの注目度が高かったからこその状況だな。ところでここねと品田はこの噂をどうしたいんだ?」
あまねの質問に対して拓海とここねは少し考える。実際相談はしたものの重要なのはそこである。
「いや正直どうしたらいいのかよくわかんねぇんだよな」
「私はクラスメートに聞かれた時は正直にお付き合いしていない、って言ったけど…でも直接聞きに来ない人に発信することなのかなって思って」
「俺も正直似たような感じだな…自分から言いふらしにいくもんなのか、それがかえって逆効果になることもあるんじゃないかって」
「ふむ…らん、ゆい。君達は何かアイディアはあるか?」
当事者2人がどうするか分からないのであればと、顎に指を当てながら考えるあまねは他の2人に話題を振る。
「ん〜…らんらん的には静観がおすすめかな。こういう噂は当事者が変に絡むと余計にややこしくなっちゃうものだからね。特にここぴーの方はやめといた方がいいよ。なんて答えても多分大袈裟に伝わっちゃうから…」
流石ある意味では情報発信に関する話題だけあって、らんはしっかりと自分の考えを述べる。いつになく真面目な様子に拓海もここねも真剣に聞き入っている。
「じゃあ質問された時は…」
「ノーコメントが一番かな〜。そもそも噂って新しい情報の供給がなければ自然と消えるし」
「なるほど…流石に華満の言葉は説得力あるな」
「まぁらんらんはこう思うってだけだから…ゆいぴょんは?」
「あたし?」
自分の考えを述べたらんからバトンを渡されたゆい。こういう色恋沙汰についてはほとんど考えたこともなかったから、腕を組んでう~んとうねる。首をかしげて思考を続ける。おばあちゃんはこういう時にアドバイスになりそうなことを言っていたかも考える。しかし─
「やっぱりよくわかんないかな。嘘をつくのは良くないことだけど、今回は別に2人が悪いことしているわけじゃないし。でも周りが勘違いしちゃってることを全部怒るのも何か違う気がするし…」
「まぁ、実際ゆいの言う通りだしな。それに噂と言ってもあくまで学校で流れてるだけのものだし、華満のいう対応が一番かもしれないな。ちなみに菓彩は何か別案あるか?」
「いや、私もらんに賛成だな。噂の一人歩きは放っておくに限る。悪質で害のあるものであれば話は別だが、今回の場合はむしろここねへの告白が減るだろうことを考えれば、プラスと言ってもいいかもしれないな」
「じゃ、やっぱり静観するってことになるか。芙羽もそれでいいか?」
ゆい、らん、あまねの言葉を受けて拓海の中では結論が出たらしく、それで問題ないかとここねの考えを伺う。
「えっと…私は、」
この噂のことを一番気にするのは拓海なんじゃないかと、ここねはそう思っていた。自身には別の想い人がいるのに、他の人と付き合っているという噂は不快になるんじゃないかと。ちらりと確認の意を込めて拓海の方へ視線を一度向ける。その意図を察したのかはわからないが、拓海は小さく肩をすくめてから彼女へと頷き返した。
「…わかった。らんの言う通りにしてみる。ありがとう」
その後ここねにちょっとしたしこりを残しながらも定例団らん会はまた別の話題に移り、気が付けばいつもの解散の時間となっていた。
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「ではゆい、品田。また来週だな」
「ゆいぴょんまた明日~。拓海先輩はまた今度ね」
「うん!あまねちゃん、楽しみにしてるね!らんちゃんは明日も学校でね!」
「気をつけて帰れよ」
和実家の玄関で隣り合って三人を見送る拓海とゆい。先に挨拶をしたあまねとらんがドアを開けて外へと出たところで、
「あの、拓海先輩。ちょっと」
「ん?」
靴を履いたまま外へ向かわなかったここねが拓海を手招きする。ん?と首をかしげながら拓海はここねの方へと歩み寄った。同じく首をかしげて様子を見ているゆいに聞こえないようにここねが小声で拓海に話しかける。
「あの…本当にいいんですか?噂のこと。その…ゆいのこととか」
「あぁ…それで芙羽はやたら噂を気にしてたのか。俺のこと気遣ってくれて、ありがとな」
「いえ、そんな。私の方こそ拓海先輩に助けてもらったのにまた変な形で巻き込んでしまって」
「気にすんなよ。そりゃ確かにちょっとは気になるけどさ。ゆいの様子見る限り、変に誤解してなさそうだし、何ならほんとに気にもしてなさそうだしな。まぁわかってたことだけど。学校の中のことなら別にゆい達を巻き込むようなこともないし」
「そうですか…」
先ほどまで感じていたしこりが軽くなったように感じる。自分が拓海に迷惑をかけていないか心配していたけれども、彼は本当にそれに対して怒っているわけでも、迷惑だと思っているわけでもないのだと、その言葉と態度で示してくれている。そのことにほっとして、心が軽くなる。
「それより芙羽の方こそ本当に良かったのか?それこそ変に誤解されたくないとかはないのか?」
「いえ、特には。誤解されて困るような相手なんていませんから」
「そうか。ならまぁ、様子見ってことだな」
「はい」
「…ちなみに呼び方はどうしたらいい?」
若干の照れを滲ませながらそう問いかける拓海。この前ちょっとしたからかいで言ったことを律儀に覚えてくれているらしい様子にここねは内心可愛いと思った。あの時は本気でそう言っていたわけではなかったから、今日みたいに芙羽と変わらず名字で呼び続けられるのも別に嫌いではない。
でも今回噂を静観する選択をしたこと、それがここねへの告白へのけん制にもなるという結論に達したこと。そこに加えてゆい達他の3人と拓海のそれぞれの特別を昨日見たこと。先ほどまで感じていたちょっとしたしこりを取り除いてくれた拓海の態度。それらの要素が噛み合わさったことで芽生えた想い。きっとその願いを叶えてくれるだろう先輩への、小さな我儘。
「学校では、って話でしたよね?」
「やっぱりマジなのかよ。いや、まぁ、わかったよ。努力する」
「じゃあ明日からお願いしますね」
やっぱり叶えてくれた、そう思いながらここねは玄関の方へと踏み出した。最後にゆいとその少し手前に立っている拓海の方を見て手を振る。
「ゆい、またね。拓海先輩、また明日」
「うん!ここねちゃん、またね~!」
「おう。またな」
2人に見送られながら外に出ると、一緒に帰るためにあまねとらんが待っていてくれていた。
「来たな。さて、では帰ろうか」
「うん!ってあれ?ここぴーなんだかご機嫌?」
「そうかな?」
らんに言われるならそうなのかもしれない。わからないけれども、さっき彼と交わせた挨拶が、何故か無性に嬉しいものとして心に残っている。
(また明日…)
小さく微笑んだここねの様子に、あまねとらんは顔を見合わせて首をかしげるのだった。
「そういえば拓海~」
「なんだよ?」
「また明日ってここねちゃん言ってたけど、何か約束してるの?」
「え?あ、そういえば言ってたな…いや、何もなかったと思うけど」
「ふ~ん」