シャンメリーの香りに秘めて   作:空色胡椒

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一歩前へ

昼食を取り、昼休憩を兼ねてダイニングで一旦学校の課題に取り組んだ2人。学校である以上当然プロムだけに現を抜かすわけにもいかず、出された課題を終わらせることも必須である。先輩である拓海がここねに教えることもありながら、無事に目標とした分を終わらせたため、再度轟とメイド1名とともにリビングの方に移動したのだった。

 

「今回のプロムはクラシックと聞いております。拓海様も馴染みはなくとも、どのような踊りになるかの雰囲気はお分かりですね?」

「ええ、まぁ。あくまでイメージですけど」

「それだけでもこれからのレッスンには十分役に立ちます。まずはそのイメージをより具体的にできるように、私共でお手本をお見せいたします。ここね様、音楽の方をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「ええ」

 

リビングに用意されていたのは何ともレトロなレコードプレイヤー。なかなかお目にかかれない品物に興味津々の拓海だったが、ひとまずは轟の方に意識を向ける。

 

初めにダンスフロアへ入る様子から見せてくれる轟。先ほどまでの移動の際とは異なり腕を組むのではなく、自身の掌が上に向くようにメイドに左手を差し出し、その上に手を重ねてもらう。メイドにとって高すぎないように、自身の胸元くらいの高さに腕を上げたまま、中央へと進む。

 

真ん中に立った2人が向かい合うように向きを変える。轟は繋がれていた方の左腕を軽く伸ばし、右手をメイドの腰に当てる。メイドの方は右腕を轟の左腕に合わせたまま、左手を腰に回された腕に沿うように右肩付近に置く。

 

準備ができたのを確認したここねがあらかじめ用意されていたレコードに、プレーヤーの針を下ろす。聞こえてきたのは拓海も曲名こそ覚えていないもののどこかで聞いたことのある音楽。初心者である拓海でもやりやすいようにか、わかりやすくゆっくりとした三拍子が聞こえる。その三拍子に合わせるように、轟たちは踊る。

 

ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー…

 

メイドのロングスカートを踏まないように、また蹴らないようにと絶妙な歩幅を維持しながら轟は踊る。メイドもまたスカートで足元が見えないにも関わらずよどみのない足取りで前へ、後ろへ、そして回るように横へとフロアを優雅に移動する。互いに移動する方向を見ることもなく、どうやって決めているのかも外から見ているだけではわからない。ただ、迷いなく踏み出す2人は一度も頭の向きを変えることもなく、穏やかな笑みを浮かべたまま、ただ真っすぐにその視線を向かい合わせていた。

 

 

 

「いかがでしたかな、拓海様?」

「いや…すごいですね、轟さん」

 

一曲踊り終えた轟はメイドから手を放し、一度礼をする。メイドがカーテシーで返すと再度左手を差し出し、フロアに入った時と同じようにフロアから拓海たちの前へと戻ってきた。一連の流れはなんとなく把握した。轟とメイドの優雅な所作はこれをいとも簡単なものかのように錯覚させそうになるが、そんな単純なことではないことは既に姿勢や歩き方の講座で実感している。

 

「まずは見様見真似でよいので、実際に音楽に合わせて体を動かすところから始めてみましょう。では拓海様、ここね様と前へ」

「は、はい」

 

轟の指示に応じる形で、拓海は一度姿勢を正してからここねに左手を差し出す。ウォーキングまではまだ比較的リラックスしていたのに対し、今は更なる緊張で硬くなっているのか、重ねた自身の右手から彼の指先がわずかに震えているをここねは感じた。ゆっくりと前へと歩き出す拓海の様子を横目で確認すると、やはり表情がやや硬い。

 

何とか中央に辿り着く2人。向かい合おうとするタイミングで、拓海はここねに聞こえないように深呼吸して心を落ち着けようとする。いよいよ本格的なダンスという初めての経験への緊張感、ここねの憧れを叶えると言った手前無様はさらさないようにしないとという義務感、そこに先ほどの轟の様子をなんとか思い出そうとイメージを続けていることから思考でいっぱいいっぱいになっている。

 

とここねが繋がれていた方の手をキュッと握った。ダンスするための握りではなく、隣り合って並びながら歩く時のような握り方。その意図がわからず、拓海がここねの顔を見ると優しく、それでいてどこかワクワクしている子供のような笑顔を彼女は見せていた。

 

「拓海先輩、緊張していますよね」

「あ、まぁ…そうだな」

「大丈夫ですよ。初めてのことに挑戦するのは誰だって緊張します。それに、別に轟さんがしていたように完璧にならなくてもいいんですから」

「いやけど、どうせやるならちゃんとやりたいさ。折角の機会なんだし」

「折角の機会だからですよ、拓海先輩」

「え?」

 

まるでクリスマスプレゼントを開ける前の子供のような笑顔で、ここねは続ける。今度はもう片方の手で拓海の空いていた手を取る─いつかデュ・ラクでみんなが踊っていた時のような、フォーマルとは違う手の取り方。

 

「確かにプロムのようなダンスパーティーに憧れていました。でもそれは、それがフォーマルで綺麗で完璧だからじゃないです。物語で描かれるそれは、主人公にとって楽しくて仕方がない、心からキラキラを感じられるものだったからです。だから、まずは楽しみましょう?」

「まずは、楽しむ…」

「拓海先輩。きっとそれってお料理と一緒なんです。作ること自体が楽しくて、出来上がったものを食べたり、食べてもらったりすることが嬉しくて。きっと初めてだったら完璧にはできなかったとしても、とても素敵な思い出になるんだと思います。それと同じです」

「芙羽…」

 

ここねのその例えはストンと腑に落ちた。初めて自分で料理を用意してみようとしたとき、手順もぐちゃぐちゃで、キッチンもごちゃごちゃ。出来上がったものもお世辞にも綺麗とは言えない出来だった。それでも作っているときは楽しかった。大切な幼馴染である彼女が、美味しいと食べてくれたことが嬉しかった。

 

今回もそれと同じ。自分が完璧にできるかどうかよりも、まず考えるべきは一つ。目の前の大事な後輩が、心から楽しんでくれるように、自分も目いっぱい楽しむこと。

 

「サンキュー、芙羽」

「はい。じゃあ、一つずつ始めましょう。まずは私の手を取ってください」

「おう」

 

一度繋がれていた両手を放してからここねは右手を改めて拓海に差し出す。今度はちゃんと踊る形にするために。拓海もそれを受けて自らの手を伸ばし、まずは左手でここねの右手を取る。

 

「次はもう片方の手で、私を引き寄せてみてください」

 

ここねの言葉の通り、拓海は右手を伸ばしてその華奢な腰に手を当てる。強く抱きしめてしまったら折れてしまうんじゃないかと思えるほどに細く、それでいて凛とした姿勢をしっかりと支えている腰にそのまま抱き込むように腕を軽く回す。

 

今までにないくらいに近くなる2人の距離。ふわりと優しい香りが一瞬鼻をくすぐる。それこそこんなに誰かと近づいたのは、子供のころにゆいがスキンシップで抱き着いてきた時くらいじゃないだろうか。でも、今その距離に踏み込んだのは彼女ではないことが、拓海を不思議な気持ちにさせる。

 

「じゃあこのまま、右足で一歩前へ踏み出してください」

「こ、こうか」

「はい。大きすぎるとドレスを踏んじゃいますし、女性側も大変になってしまいますから、そこだけ気を付けてください」

「わかった」

「それから─」

 

すっと繋がれていない方のここねの片手が拓海の頬に触れる。ついつい下を向いて足元を気にしてしまっていた彼の顎に軽く指をあてながらその視線を上に向ける。ダンスの練習のために履いているヒールのおかげで、学校にいる時よりもずっと近くにある彼の瞳に、自分の瞳が映るように。

 

「視線はここです。私の目だけを、見ていてください」

「あ、あぁ。けどこの状態だとうまくステップが」

「今はあまり気にしなくても平気ですよ。だからまずは、音楽に身を任せてください。もう一度、先輩の右足から前へ」

 

拓海の瞳から視線を逸らすことなくここねが言うと、轟がレコードに針を下ろした。聞こえてきたのは先ほどと同じ音楽、同じ三拍子。頬を離れたここねの手が自身の腕にそっと添えられるのを感じる。レコードから聞こえてくるリズムを耳で聞き取りながら、拓海はここねのいうように、ただ少しおっかなびっくり、その足を踏み出した。

 

前、トントン。後ろ、トントン。前、トントン。後ろ、トントン。

 

まずは前後へと移動するだけ。右で前へ踏み込み左で後ろに下がる。音楽に揺られるように2人の身体が動く。

 

「ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー…いい感じです」

「そうか?ちょっとずつ、わかってきたのかもな」

「じゃあ次は横の移動も。拓海先輩は右斜め前へ踏み出してください」

「よしっ。こうか?」

 

リズムに慣れてきたところで動きを加える。拓海の足の動きに合わせるようにここねが動き、その場を行き来していただけの2人は少しずつフロアを移動する。くるり、くるりと回るようにステップを踏みながら移動し、音楽の生み出す流れに乗っているように踊る。

 

徐々にリズムに慣れてくると、足が自然とそれに合わせて動くようになる。ステップのことばかりに意識を集中させ、その他の情報をほぼシャットアウトしていた拓海にも少しずつ余裕が生まれてくる。確かに難しい、けれどもそれ以上にこうして音楽に身を任せることは、楽しいと思えてくる。

 

そして心の余裕が生まれたことで、自分の視線の先─ここねのこともよく見えてくる。ステップを踏むごとにふわふわと揺れる短めのブルーの髪、小さく弧を描くように微笑んでいる口元、そして自信を見守るような慈愛を感じさせる優し気に細められた瞳。拓海が全然自分の方に意識を向けることがなかったことを気にしている様子はないどころか、慣れるのを待っていてくれたらしい。

 

「悪いな、芙羽。さっきまでちょっと余裕なくて」

「大丈夫ですよ。初めての挑戦ですから。それに、今の拓海先輩は少し楽しそうだから」

「ま、こうして踊りながらでも芙羽と会話できるくらいには、なんとか慣れてきたからな。できなかったことができるようになる楽しみもあるし」

「よかった。レッスンばかりで拓海先輩が大変なのに、自分だけが楽しんでいたらちょっと悪いかな、って思っていたので」

「気を遣わせちゃったみたいで悪いな。けど、俺も結構楽しませてもらってるから、ありがとな」

「はい」

 

と、ここで曲も終わりが近付いてきたらしく、レコードから流れる演奏も締めに入っている。最後にもう一度ワン・ツー・スリー、そしてゆっくりと曲が終わりの音を鳴らす中で、拓海とここねも足を止める。曲が終わったのだからもう手を放してもいいはず、だというのに。拓海も、ここねも。互いに触れ合わせている手を放そうという動きはなかった。

 

ゆっくりな曲だったということもあり、激しく動いたわけではなかった。事実ほんの少し暖かくなったような気はしても汗をかくほど動いていない。それでも立ち止まって正面から互いを、この至近距離で見つめ合う中で、2人ともが心拍数の上昇を覚えていた。

 

「…なぁ、芙羽」

「はい…」

「折角調子が出てきたから、さ。もう少し練習、してもいいか?」

「はい。私も、もう少し一緒に踊りたいです。今度は少しリズムが速い曲はどうですか?」

「ありがとう。助かるよ」

 

ここねが轟の方に視線を向けると、その意図を察したのか轟がプレーヤーからレコードを外し、別のものを設置する。曲の準備ができると、そのまま針を下ろした。今度聞こえてきたのは先ほどのゆったりとしたものよりもやや華やかな曲。ダンスパーティーの最初の曲として選ばれてそうだな、なんて思いながらも拓海はすぐにその中の三拍子のリズムを頭に入れる。

 

「いいですか?」

「…あぁ。いける」

「じゃあ私の合図で…ワン・ツー・スリー」

 

新しいリズムに少し戸惑いながらも、拓海は一歩を踏み出した。

 

全然違う曲で、全然違うリズム。ステップのタイミングは早い分難しい。

 

ただそれでも、楽しいと感じた。

 

拓海もここねも、共に笑顔で練習を続けるのだった。

 

 

 

結局その日のダンスレッスンは思ったよりも熱中した影響もあって、夕方5時頃まで続いた。

 

「すみません、ほぼ1日お世話になってしまって。それに送ってもらうことにもなっちゃって」

「いえいえ。拓海様が本当に熱心に学ぼうとしてくださって、私としても大変うれしく思いますので」

「轟さん、お願いします」

「かしこまりました。では拓海様、行きましょう」

「はい」

 

轟について行こうと拓海が一歩踏み出すと、右腕の袖が引っ張られるのを感じた。立ち止まり振り返ると、ここねの細い指がそっとそこをつまんでいる。思わずきょとんとした顔で首をかしげてしまう拓海。

 

先ほどまで手をつないでいたのにここに来て服の袖なのは、引き留めてしまったことに対する若干の申し訳なさと、引き留めようと動いてしまった自分に対する戸惑いの表れか。何を言おうとしていたのかもわからなかったここねは、それでも控えめに口を開いた。

 

「拓海先輩。また明日、学校で」

「ああ。またな、芙羽」

 

その言葉を聞いたここねはそっと拓海の袖を放し、胸の高さで小さく手を振って遠ざかる背中を見送った。

 

──────────

 

「ただいま」

「あ、拓海。おかえり~!」

「ゆい?」

 

自宅のリビングに入るとゆいが出迎えてくれたことに拓海は少々驚く。今日はここねの家に行くことは前もって伝えていたから、わざわざこっちに来る用事もないはずだがと首をかしげる。

 

「どうしたんだ?なんか用事でもあったのか?」

「う~ん、用事ってわけでもないんだけどね」

 

そう言いながら椅子に座っていた状態から立ち上がり拓海に近づく。怪訝な顔をしている拓海の前まで行くと、ぎゅっと正面から抱き着いた。

 

「は?え?ゆい?」

「ん~?」

「いや、何してんだよ」

「何って…充電、みたいな?」

「はぁ?」

「だって今日もだけど、拓海最近ずっとここねちゃんと一緒でしょ?学校だって一緒だし。前よりだいぶ拓海と一緒の時間も減っちゃったし、ここらで一度しっかり拓海を堪能しておこうかなって」

 

そう言いながらすりっと寄せられた頬の感触にどぎまぎしながらも、拓海はゆいが寂しさを感じていたのだろうかと考える。思えば去年までは学校が別でも一緒にいる時間はなるべく持つようにしていたし、休みの日もみんなで行動することが多かった。それが今回できなかったことが、ゆいにとって少し寂しかったのだろう。

 

「ったく、しょうがねえな。好きにしろよ」

「うん…ねぇ拓海?」

「ん?」

「今日はダンスレッスンってことは、ここねちゃんにこの前のあまねちゃんみたいなことをしてたってことだよね?」

「まぁ、そうだけど…どうかしたのか?」

「…ううん。なんでもない」

 

そのまま黙ってしまったゆい。拓海の方も好きにさせることにしたため、ゆいが満足するまではどうすることもできず、ただひたすら待つだけだった。はたして5分、10分、体感的にもっとだったかもしれないが─経ってから、ゆいは拓海の身体を放した。

 

「うん。今日はこれでいいかな。ありがと、拓海」

「そうか。よくわかんねぇけど、ゆいが満足したならいいよ」

「それじゃ、あたし帰るね」

「あ、時間も時間だし、夕飯とか食ってくか?」

「ううん。今日はお家で食べる約束してるんだ!お母さんが沢山作ってくれるって」

「そうか。なら、また今度だな」

「うん。また今度ね」

 

玄関へと見送りに来た拓海に手を振ってから、ゆいは隣の自宅へと戻った。

 

(─今日の拓海から、ここねちゃんと同じ匂いがした)

 

ちょっとしたスパイスのような香りを、脳裏に焼き付けながら。

 




若干曇らせっぽい描写となっておりますが、そういう方向のストーリーではないためご安心ください。

また、ここねの行動には元ネタがあります。
ディズニーオリジナル作品、ハイスクール・ミュージカル3の「Can I Have This Dance」という曲なので、ご参考までに。
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