「始め!」
私の合図と共に静まり返った教室にはペンの走る音が響き渡った。
「よし....」
「えっと、確かここは...」
「ふむ....」
「....」
私の向かいに座っているのは用意された模擬試験の用紙に視線を落とす4人。
彼女達を見てみると、ヒフミはいつも通りな様子で問題を丁寧に解き進め、コハルは小さく唸り声を上げながら頭を抱えている。
アズサは淡々は黙々とペンを走らせ、ハナコはどこか涼しげな横顔のまま流れるような手つきで埋めていた。
....思い返してみるとここ最近過ごしてきた時間はとにかく濃厚なものだった。
朝は模擬試験を一通り解き、昼までの間に採点を行って間違えた箇所などを解説する。
午後には復習を兼ねた類似問題のセットをもう一度解き直し、夕方になると私はシャーレのオフィスへと戻って次回の試験問題を作成する。
そしてまた翌朝になれば再び彼女たちの元へ向かうのだ。
決して楽なスケジュールではなかったが、ヒフミ達の頑張りやアロナ達も手伝ってくれたおかげで何とかこなすことが出来ていた。
そうしてその日も無事に終わりシャーレへと戻った私はいつもの様に作業を進めていく。
〈終わりましたよ、彼女達それぞれの正答率の推移と、本日解けていなかった部分の項目もすべてピックアップ済みです〉
『報告、こちらも明日使用する問題の抽出が出来ました』
やがて目の前に置いてあるシッテムの箱からは作業を手伝ってくれていた2人の声が聞こえてくる。
「2人とも、いつもありがとう」
私はそんな2人に感謝しながら書類をまとめていると、アロナが画面越しに覗き込む様に見てきた。
『提案、先生も少し休まれた方がいいです。ここ数日はまた徹夜が続いていますし、明らかな疲労の蓄積が見られます』
「心配してくれてありがとう。でもあの子達も頑張っているからね、私もその頑張りに全力で応えてあげないと」
〈....まったく、仕方ありませんよアロナ。この人はこういう人です〉
『それはそうですが....』
「大丈夫、本当に危ない時は無理しないで休むよ。また倒れたりしたら大変だからね」
不安そうなアロナを安心させる様に声をかけながら、私はぐっと背筋を伸ばすともう少しだけシャーレの業務を進めるため書類を手繰り寄せた。
そうして合宿の日が1日、また1日と続いていき...とうとう1週間が経過した。
それはつまり─第2次特別学力試験の日がやってきたということ。
「つ、ついに本番ですね...!」
当日の朝、指定されたトリニティの薄暗い教室の中でヒフミはいつもよりも強張った表情で呟いた。
「うぅ...なんか緊張しすぎてお腹痛くなってきた....」
「大丈夫だコハル、私達はこれまでやってきたことをただぶつければいい。そしてあのふわふわなぬいぐるみを手に入れるんだ」
「それを目標にしてるのはアズサだけだと思うんだけど...」
そんなやり取りに少しだけ場の空気が和らいだように思えたが、ふと私が視線を横に向けるとそこには窓際に静かに佇んでいるハナコの姿があった。
「.....」
彼女は空を見上げながらどこかぼうっとしている様な物憂げな表情を浮かべており、いつも周囲を翻弄するようなからかいは完全に消え去っている。
「ハナコちゃん、大丈夫ですか?」
そんな彼女の様子に気づいたヒフミが心配そうに声をかけると、ハナコはハッとしたように視線を戻すとすぐにいつもの笑顔を浮かべた。
「....ああすみませんヒフミちゃん、少々考え事をしてしまって♪」
私は声をかけようとしたが、そのタイミングで試験の開始数分前となり全員が席へついてしまう。
とにかくまずは試験を始めなければ、私は用紙を全員に配り終えると時計を見ながら口を開いた。
「....始め!」
──────
「お疲れ様です、先生」
陽の光が差し込むトリニティのティーガーデン...そこにある椅子には今ティーカップを傾け紅茶を一口飲んでいるナギサと招待された私が座っていた。
「ありがとうねナギサ、招待してくれて」
「いえ、元々彼女達の顧問としての仕事はこちらからお願いしたことですから、これくらいの休息は必要でしょう?」
ナギサはそう言って微笑みながらカップをソーサーへと置くと、手元に置かれた1枚の書類に視線を落とした。
そんな彼女につられて私も手元の紙へ目を落とす。
そこには....
『第2次特別学力試験 結果』
ヒフミ ── 82点
アズサ ── 75点
コハル ── 64点
ハナコ ── 59点
今回受けた試験の結果が記されていた。
合格基準ラインは全員が60点以上、つまり不合格...
「...残念です、ですが皆さん第1次の時よりも確実に点数が伸びていますから第3次はきっと大丈夫でしょう」
ナギサは平静を保ちながらそう言葉を紡ぐ。
「今回で全員合格とならなかった以上、先生にはまだお力を貸していただくことになりますが....先生?」
「.....」
そんな中、私は紙をただじっと見つめ続けていた。
──彼女はわざとこの点数を取ったのだ。
ハナコが本来どれほど聡明で優秀な生徒なのかは良く理解している、そして同時に彼女がどれほど不器用で孤独を抱え込んでいるのかも....
胸の奥に苦い悔恨の念が広がっていく。
私は最近この世界とかつての世界との差異に気を取られ、さらにはセイアと共有している不可解で不吉な夢への対処に意識を奪われすぎていた。
だがどれほど差し迫った事情があろうとそれを言い訳にして生徒から目を逸らすことは生徒を、そして何よりも『私』自身を裏切ることに他ならない。
(....安全策を取ろうとしすぎていたのかも)
最善の選択肢ばかりを計算し波風を立てないように立ち回ろうとしていた...けれども最適解ばかりを求めて選択肢を狭めてしまうことは、結果として可能性や未来を狭めてしまうことと同じだ。
「先生?大丈夫ですか....?」
私が何も答えず長い沈黙を心配したのかナギサが心配そうに尋ねてくる。
「....ごめんねナギサ、ちょっと考え事をしてたんだ」
私は意識を現実へと引き戻し目の前に置かれていた紅茶を一気に飲み干した。
それからティーカップを机に置いた私は改めてナギサの瞳をまっすぐに見据えて口を開く。
「大丈夫、あの子たちのことは任せてほしい...紅茶美味しかったよ、またねナギサ」
「は、はいまた...」
目を瞬かせながら小さく頷くナギサを見ながら立ち上がった私は、白いコートを羽織るとシャーレへと向かって力強く歩み出した。