「ハナコ、どうしたの?」
「い、いえ、何でもありませんよ♪」
トリニティ郊外のとある道....そこにいたのは1人の大人と1人の生徒が並んで歩く姿。
そして特に気負うことなく進む先生の半歩後ろを歩いていたハナコの胸中は、現在猛烈に動揺していた。
(....どうして?)
ハナコは伏せ目がちに先生の横顔を盗み見ながら考える。
今の自分は補習授業部を放り出し、合宿所から無断で姿を消した生徒に過ぎない...だからこそ先程先生が自分の元に現れた時は連れ戻しに来たのか叱られるのだと思っていた。
けれども実際には突拍子もなく『デートしよう』と口にした上でお説教も追及もしてこない、こうしてただ歩いているだけだ。
何か深い意図があるのか、それとも全てを見透かした上で自分を試しているのか。
ハナコの頭は必死に隣の大人の行動裏を読もうとする、その時不意に先生はハナコの方を向くと口を開いた。
「ハナコ、そういえばお昼はもう食べた?」
「え、いえ、まだですが....」
「そっか、実は私もまだなんだ。ここから少し歩いた先に美味しい喫茶店があるんだけど、そこで何か食べてもいいかな?」
「は、はい....わかりました」
またもや予想外の提案にハナコは小さく頷くことしかできない、そうして暫く歩いた後に2人がやってきたのは落ち着いた佇まいの喫茶店。
店内へ入ると奥まった角のテーブル席へと通されお互いに料理を頼んでいく、そして料理を待つ間もハナコは自分の指先を何度も絡ませ落ち着かない様子で視線を彷徨わせていた。
向かいに座る先生は時折話題を投げかけてくるが、それにどう答えるべきかも曖昧で自分でも何を言っているのかわからない。
「お待たせいたしました」
やがて2人のテーブルへと運ばれたのは食欲を掻き立てる香りと見た目の軽食、それらを前に先生が手を合わせて食べ始めたのにつられてハナコも料理を口元へと運んでいく。
正直味に関しても楽しむ余裕は無い、だがいつまでもこうしていては"自分"を保てない....そう考えながらもいつも周りに見せていた"自分"はどんなものだったのかを中々思い出せずにいた。
「...ハナコ?もしかしてあんまりお腹が空いてなかったかな」
「え、いえ!そんなことは...ただ....」
余程顔が暗かったのか、心配して声をかけてきた先生にハナコは慌てて首を振る。
それからようやく見つけた"仮面"を手繰り寄せると、口元に笑みを浮かべて言葉を返した。
「ふふっ、こうして先生と2人きりのデートだなんて改めて考えると少しだけ緊張してしまって♡先生はこういうことには慣れていらっしゃるんですか?」
「ううん、私も凄く緊張してるよ....でもハナコの前だからね。大人として少しでも良いところを見せたいなと思って」
「そ、そうですか...」
やっとの思いで絞り出した甘い揶揄い、だがあっという間に投げ返されたボールにハナコは再び勢いを失ってしまう。
結局そのまま時間が過ぎていき、やがて喫茶店を出た2人は他愛のない雑談をぽつぽつと交わしながら次の店へと向かって歩き出した。
それからやって来たのはガラス張りのショーケースに色とりどりの小物が並ぶアクセサリーショップだった。
食事を終え雑談を交わす中で張り詰めていた緊張が解けてきたのか、その頃になるとハナコはようやくいつものような調子を取り戻しつつあった。
「こんなに種類があるんですね〜、何だかこうして誰かとゆっくりお店を見て回るのなんて初めてなので凄く新鮮な気分です♪」
棚に並ぶ細工を眺めながらハナコは目を細める。
「あ、先生。あちらに飾られているものなんて先生にとてもお似合いだと思いますよ♪」
「け、結構荒々しいデザインだね...私が身につけたら少し浮いちゃうかも....」
「ふふ、冗談です♪」
苦笑する先生の反応にハナコは小さく笑う、その顔には作られたものではなく自然な楽しさが徐々に浮かんできていた。
そんな中、ふとハナコは先生に問いかける。
「....ちなみに、先生から見て私にはどれが似合うと思いますか?」
ただの悪戯心の延長、この大人がどんなものを選ぶのか、どんなセンスをしているのかを少しからかおうという算段だった。
そんなハナコの言葉に先生はショーケースの中に視線を落とすと、それからすぐに指先をある物へ向ける。
先生が指差した場所に置かれていた物....それはよく目立つ派手なものでは決して無く、どこまでも清廉でシンプルなネックレスだった。
「...うふふ、随分と綺麗なものを選んでくれたんですね♪....ですが普段の私の印象とは少し違っているような気がしますけど」
ハナコは少しだけ目を丸くし自嘲を込めた笑みを浮かべながら尋ねる、だが彼女の声に先生は首を振ると真っ直ぐにハナコの瞳を見つめて告げた。
「ううん、何も違わないよ。私はこれが一番ハナコに似合うと思ったんだ。勿論私の主観でしかないんだけどね、あはは...」
ほんの少し照れくさそうに笑いながら告げられたその言葉には濁りなど微塵も存在しなかった。
「.....そうですか」
ハナコはそっと目を逸らし選ばれたネックレスをじっと見つめる、そんな彼女は隣の大人には見えない様にその口元を緩ませていた。
「あ、見てください先生♪あの棚にあるアクセサリー、ヒフミちゃんの好きなキャラクターの形になっていますよ」
「本当だ、折角だしあれも買っていこうかな」
「まあ随分と太っ腹なんですね♪あっ、こっちのストラップはアズサちゃんの雰囲気に合いそうですし、あっちの髪留めはコハルちゃんに渡せばきっと....」
そう楽しげに声を上げていたハナコだったが、その途中でハッと固まった彼女は急いでショーケースから離れると唇を噛み締める。
それからゆっくりと先生へと向き直った彼女は目元を伏せながらポツポツと呟いた。
「.....先生、次に行きたい場所があるんですが...いいですか?」
やがて2人が訪れたのはトリニティの市街地から少し離れた場所にある小さな公園だった。
その真ん中にあるのは学園に設置されているものと比べると古めの噴水、周りに誰もいない静かな空間で2人はその噴水の縁に腰を下ろした。
特に会話も無く、背後から水の流れる音だけがただただ響いている。
そんな中、ハナコはスカートの布地を握りしめながら思いを馳せていた。
(私は....何をしていたんでしょう)
心の中で自嘲と後悔が延々と渦を巻いていく。
あれほど自分から皆を遠ざけようとしていたはずだった、これから先裏切り者として軽蔑され、見放され、誰の記憶にも残らないように消えていこうと決めたはずだった。
それなのにどうして自分はあの店であんなにも楽しみながら彼女達へのプレゼントを選んでいたのだろう。
かつての考えと今の自分の立場は完全に矛盾している....いや違う、矛盾していると初めから諦める為の言い訳を自分に言い聞かせていただけだ。
本当は彼女達の傍にずっといたい、どんな風に思われようと彼女達と共に一緒に笑い合っていたい──それこそが自分自身の本当の願いだったのだ。
ハナコは覚悟を決めるように息を吸い込む、きっと先生は自分が本心と向き合えるように今日こうして"デート"という奇妙な口実を作って一緒に行動したのだろう。
先生はこれからどんな言葉を自分にかけるんだろう。
ハナコはゆっくりと顔を上げ先生の口から紡がれるであろう言葉を待つ、それを待っていたかの様に先生は静かにハナコの名を呼んだ。
「ハナコ」
「.....はい」
張り詰めた沈黙....そして先生の口が開かれ...
「次はどんなデートにしようか?」
「..........え?」
予想外すぎる発言にハナコの思考は完全に停止した。
「いや、よくよく振り返ってみたら今日連れて行った喫茶店もアクセサリー屋さんも私が行きたいって言った場所ばかりだったなぁって思ったんだ」
先生はどこか申し訳無さそうな顔をしながら話続ける。
「無理矢理連れ回しちゃってあんまりハナコの行きたい場所や意見を聞けていなかったなって、本当にごめんねハナコ!」
そう言って先生は深々と頭を下げた。
「..........」
ハナコは開いた口が塞がらずポカンと硬直していた。
お説教でもなく諭しでもなく、ただ"自分のデートプランのエスコートが下手だったこと"を本気で悔いて謝罪してくる大人。
「だから次はハナコが本当に行きたいデートプランを教えてほしいんだ、今度こそもっと格好よくエスコートしてみせるよ!」
一方の先生は相変わらず大真面目な顔で力強くそう言い切る、そのあまりにもわからない発言やこれまでの自分が抱えていた重苦しい空気との差に、ハナコの心の奥で何かがプツリと音を立てて弾けた。
「....っ、ふ...ふふっ」
彼女の肩がかすかに震え始める、手で口元を覆おうとするが指の隙間から笑いが零れ落ちていく、
「あはは.....あはははははっ!」
ついに堪えきれなくなったハナコはお腹を抱え込み、これまで彼女自身が上げたことが無い程の大声で笑い出した。
喉が痛くなるほどの心の底からの笑い声、彼女の目尻には涙が浮かぶが笑いの波が止まってくれない。
「せ、先生っ...あははっ、ほ、本気で言ってるんですか、それ....っ!?」
「勿論だよ、大人は嘘をつかないからね!....あ、いやたまには都合のいい嘘をついちゃうこともあるかもしれないけれど、さっきの言葉は正真正銘本気だよ!」
「そ、そうですか....っ!ふふ、あはははっ...!」
先生の慌てたような弁明が尚更ハナコの笑いのツボを刺激する、これまで彼女の心を縛り付けていた鎖が粉々に砕けていくのを感じていた。
──それからどれだけの時間笑い転げていただろうか。
やがて息も絶え絶えになりようやく笑いがおさまったハナコは、指先で目尻に溜まった涙を拭いながら深く息を吐き出した。
「......ふぅ」
そして、ハナコは朝からずっと電源を切っていた自分の携帯端末を取り出し電源をつける。
画面が開かれた瞬間そこには信じられないほどの数の通知が流れ込んできた。
『ハナコちゃん大丈夫ですか!今どこにいるんですか!?』
『ハナコ、何かあったのか。無事なら連絡をくれ』
『これ見たらすぐに返事しなさいよ!無視なんて絶対に許さないんだから!』
手元の画面いっぱいに表示される3人からのメッセージの数々、そこにはハナコが恐れていたような蔑みや怒りは一切存在しなかった。
ただひたすらに自分という存在を案じ無事を祈る温かい言葉だけが並んでいるたのだ。
「....私は本当に悪い子ですね、こんなにも彼女達に心配させてしまって」
そう小さく呟きながらハナコは噴水の縁から静かに立ち上がり、こちらを見つめていた先生へと振り返る。
「先生.....こんな私でも、まだ生徒として...補習授業部のメンバーとして接してくれますか?」
許しを乞うような、けれど信じることを恐れない瞳...そんな彼女の目を見て先生は力強く頷いた。
やがて空が夕暮れに染まり始めた頃、帰り道を歩いていたハナコはふと小首を傾げながら口を開く。
「ふふ...でも本当に楽しかったですね〜、先生との二人きりのデートだなんて滅多に体験できない時間でしたし♡....そう考えるとこのまま素直に合宿所へ帰ってしまうのは、何だか少しだけ勿体無いような気がしてきちゃいました」
そして一歩、また一歩とハナコは先生へと歩み寄っていく。
それから夕日を浴びながらほんの少しだけ悪戯っぽく瞳を輝かせた彼女は囁くように口を開いた。
「先生?....今日はもう少しだけ、我儘を言う"悪い子"になっても良いですか?」