昨日のハナコ失踪騒動から一夜が明けた翌朝、私は彼女を連れて合宿所へとやってきていた。
「先生!ハナコちゃんは....!」
扉を開けて早々息を切らせて駆け寄ってきたヒフミは私の半歩後ろへと視線を移し目を丸くさせる。
「...あ」
やがて奥からバタバタと複数の足音が聞こえ、コハルとアズサもまあ姿を現しこちらを見て固まる。
少しの間玄関に流れた張り詰めた静寂、3人の視線を真正面から受け止めていたそれからハナコはゆっくりとその場で頭を下げた。
「.....皆さん、本当に...ごめんなさい」
その掠れた謝罪が溢れた瞬間
「──っ!」
「あ、コハルちゃんっ!」
コハルが弾かれたように駆け寄ってくると、ハナコの胸元を両手でポカポカと叩き始めた。
「どれだけ心配したと思ってるのよバカハナコ!連絡くらいすぐに返しなさいよ....!いつも余計な時ばかりうるさいくせに急にこんな事して...絶対に許さないんだから...!」
「コハルちゃん....」
怒声を張り上げながらもコハルの瞳には大粒の涙が浮かんでいた、ハナコはそんな彼女を見下ろしながら優しく抱き止める。
「無事で良かった、怪我も無いようだから安心した」
「先生から昨日のうちに連絡を頂いていたのでハナコちゃんが無事だということは分かっていました....でもやっぱりこうして直接お顔を見るまでは怖くて、不安で...本当にホッとしました」
そう言いながら眉を下げ泣きそうな笑顔を浮かべるヒフミ。
彼女達の偽りのない温もりに包まれたハナコは痛切な思いを噛みしめるように唇を震わせ声を上げる。
「皆さん、本当に....本当にごめんなさいっ」
そうして玄関先でのやり取りの後私達はいつもの教室へと移動し、そこでハナコから本当の気持ちが語られた。
第2次特別学力試験や1次試験では意図的に点数を調整して不合格になっていたこと。
トリニティでの重圧や周囲の打算に疲れ果て、自分という存在が誰からも期待されないように学園から消えてしまおうと考えていたこと──、これまで誰にも明かしてこなかった逃避の願望....そして仲間達を裏切ろうとしていた己の卑怯さをハナコは一言一言自らを削り取るようにして告白していった。
3人は誰もその告白を遮ることはしない、ただ静かに息を詰めてハナコの紡ぐ言葉を受け止めている。
「...私は皆さんの必死な思いを踏みにじり自分の都合で裏切ろうとしました...本当に申し訳ありませんでした」
やがて全てを話し終えたハナコは椅子から立ち上がると再度深く頭を下げた。
教室を支配する重苦しい沈黙....その静寂を破ったのはヒフミだった。
「...確かにハナコちゃんがわざとそんなことをしていたのはすごく悲しかったです」
「....ごめんなさい」
「許しません、私はすっごく怒ってます!」
ヒフミの言葉にハナコが絶望を滲ませて顔を上げる。
だがその視線の先にあったヒフミの表情は怒り狂ったものでは決してなかった。
ヒフミはぷっと頬を少しだけ膨らませた後、柔らかい笑みを浮かべ言葉を続けた。
「なので....今度のテストでしっかり合格しましょう!ハナコちゃんには私達の誰よりももっともっと頑張ってもらって合格するんです!それで許してあげます!」
ヒフミはそう言ってハナコに真っ直ぐに右手を差し出した。
「....っ!」
ハナコは息を呑み目を見開く、自分のような狡猾な人間を"仲間"として受け入れてくれる圧倒的な眩しさに圧倒されながら、零れ落ちそうになる涙を必死に堪え震える手でその手をしっかりと握り返した。
「....はい、ヒフミちゃん!」
そんな光景にコハルも涙を拭いながら鼻を鳴らし、アズサも満足そうに小さく頷いていた。
「よし!それじゃあ早速今日の勉強会を──」
けれどもヒフミが気持ちを切り替えるように明るく声を張り上げたその時だった。
「待ってくれ」
教室の空気を一変させるような硬い声音でアズサが口を開く。
「アズサちゃん、どうかしたんですか?」
「ハナコがちゃんと本心を明かしてくれたんだ....なら私もこれ以上は隠しておけない」
「隠す?って何のことよ」
「私の....本当の目的を話す」
アズサは一切の躊躇を捨て淡々と己の素性を語り始めた。
自分がトリニティの生徒ではなく、かつて学園を追われたアリウス分校から送り込まれた工作員であること。
ある目的を達成するためにこの学園に潜入していたこと。
そして──本来の任務はティーパーティーの百合園セイアのヘイローを破壊することだったという事実。
「ヘイローを破壊....!?」
「そ、それってどういうことよ!?」
ヒフミ達は息を呑み青ざめた手で口元を覆う。
ヘイローの破壊というのは文字通り禁忌中の禁忌、彼女達の視線の中アズサは動揺する事もなく話続ける。
「.....だが、その任務は途中で変更された。今の私にとって百合園セイアは関係無い....」
そう言うとアズサの冷徹な紫の瞳が机の端に立っていた私へと真っ直ぐに向けられた。
「今は....先生の監視が私の目的になっている」
「私の....?」
私は思わず驚きの声を漏らしてしまった。
「ど、どうして先生を監視しなきゃいけないのよ!?先生は私達を助けてくれてるだけじゃない!怪しいことなんて何一つしてないのに何でそんな事.....」
「....わからない、詳しい理由までは私にも聞かされていない」
コハルが詰め寄るがアズサは静かに首を横に振るのみだった。
「けどそう命じられた、先生の行動、発言、接触する人物....他にも常に確認できる間はすべて監視して記録するようにって」
(監視、か)
合宿が始まって以来アズサから時折鋭い視線を感じる瞬間があった。
何故かはわからなかったがそれが目的であるのなら全て繋がってくる、でも不可解なのはその命令の『意図』だ。
かつて私が辿った世界ではアズサがそんな命令を受けていた記憶はない、彼女達の背後にいる筈のベアトリーチェは私に眼中など無かった筈だ。
この世界にとって私という存在は"異質"だ、黒服もあの時私を見て"何か"があると判断し交渉を持ちかけていた。
その"何か"を知ったベアトリーチェが元々あった計画を変更してまで私を狙っているのか?
でも私が知るアイツであればもっと直接的な手段をとってきそうにも感じる。
「.....でも、わからなくなったんだ」
アズサの掠れた声が私の思考を急速に引き戻した。
「最初はただ任務を遂行することだけを考えていた、でもヒフミやコハルやハナコとここで過ごしているうちに....何が正しくて何が間違っているのかが曖昧になっていった」
「...でもそれを今こうして話してくれたってことは、アズサちゃんが私達を信頼してくれているからですよね?」
「.....うん、そうだと思う」
暫く見守っていたヒフミがそう問いかけるとアズサは瞳を伏せ小さく呟いた。
「これ以上ヒフミ達を欺き続けるのが苦しくてたまらなかったから....裏切るような真似をしてごめん....今回の第3次試験が終わったら私はナギサの元へ出頭しすべてを打ち明けるつもりだ」
自ら処刑台に上がるかのような覚悟を口にするアズサ。
あまりにも重く学園の根幹を揺るがすような告白の連続にヒフミはこめかみを押さえながら力なく息を吐き出した。
「な、なんだか色々なことが一気に押し寄せてきて少し頭が混乱してきました....でも!お二人は自分の一番隠しておきたかった秘密を話してくれたんです!なら私も自分の秘密を話さないと全然平等じゃありませんよね!」
「えっ....いやヒフミそれは違うんじゃないの!?」
コハルが思わずツッコミを入れるがヒフミの勢いは止まらなかった。
「私!実はこの合宿の最中に深夜こっそり抜け出して限定ペロロ様フェアのイベントに出ようと本気で計画書まで作ってしまっていたんです!」
「ペ、ペロロ様...?」
「もちろん流石にこの大事な時期に行くのは絶対に駄目だと抑え込んで諦めましたけど....でも皆さんが必死に勉強している裏でそんな誘惑に負けそうになっていたんです!なので私も悪いことをしようとしていたという意味ではお二人と全く同じです!」
堂々と同じであることを宣言するヒフミのあまりに純粋な言い分にハナコが堪えきれずに吹き出した。
「うふふ...あはは、ヒフミちゃんらしいですね〜♪」
「そ、そんなに大規模な催しがあるのか....ペロロ...一度私も実物を見てみたいな...」
「ぜひ行きましょう!今回の試験に合格したら皆で!」
「え、私は別にいいんだけど...」
満面の笑みで提案するヒフミ、そしてそのキラキラとした視線が自然と隣にいたコハルへと向けられた。
「....ちょっと待って、もしかしてこれ私も言わないといけないの?」
嫌な予感を察知したコハルはじりじりと後ずさる。
「べ、別に悪いことなんて何もしてないわよ!私は正義実現委員会として常に清く正しく生きてるんだから!」
けれども三方向からの無言の圧力に耐えかねたのか、コハルは顔を真っ赤に染め上げ視線を彷徨わせながらやがて小さな声で語り出した。
「そ、その...べ、別に大したことじゃないわよ!今回の合宿所に来る時普段は風紀上...所持しちゃいけないような....ちょっとだけ刺激の強い本を荷物の底に隠して持ち込もうと...ほんのちょっぴりだけ考えたことはあったけど!」
「まあまあまあまあ♡」
コハルの発言にハナコが目をこれ以上ないほど爛々と輝かせ身を乗り出してきた。
「そのお話ぜひ詳しくじっくりとお聞きしたいですね〜♡一体どのような素晴らしい内容の本だったのでしょうか♪」
「あ、あんたが頭の中で想像してるようなエッチなものとは全然違うから!誤解しないでよね!ただのちょっと大人向けの恋愛小説なんだからぁっ!」
恥ずかしさのあまり湯気を吹き出しそうになりながら絶叫するコハルにそれを笑いながら見守るヒフミ達...先ほどまで漂っていた重苦しい空気はもはや跡形もなく消え去っていた。
誰かが重い荷物を背負っていれば別の誰かが笑い飛ばして分かち合う、たとえそれぞれが異なる過去や秘密を抱えていてもただの"仲間"として笑い合うことができる。
その眩しい光景を私は胸の奥が熱くなるのを感じながら見つめていた。
やがてヒフミがパンッと両手を打ち合わせ改めて告げる。
「はい!これで皆さんの秘密は全部無し、おあいこです!後はもう全員で前を向いて3度目の試験に向けて全力で頑張るだけですね!」
「そ、そうね!」
「そうだな」
「はい♪」
ヒフミの宣言に3人は力強く頷く。
互いを隔てていた見えない壁は完全に崩れ去り、今や彼女達の心はかつてないほど強固に結ばれていた。
「では先生!今日の問題をお願いします!」
「....うん、任せて」
ヒフミにそう言われ私は机の上に用意していた問題用紙を並べていく。
「じゃあ....始め!」
こうしてその日、本当の意味での合宿が幕を上げたのだった。