本作品を読んでくださっている方々は最終編までのストーリーを既に知っているのが殆どだと思いますが、念のためエデン条約編のネタバレ注意です。
ブラックマーケットでの一連の騒動の翌朝。
丁度シャーレでいつも通りの業務をしていた時だった。
『先生、メッセージを受信しました』
「ありがとうアロナ、相手は?」
『これは....差出人はトリニティ総合学園のティーパーティーとなっています』
アロナのその言葉に私は作業の手を止めてシッテムの箱を操作する。
”シャーレの先生、先日我が校の生徒がお世話になったようで感謝いたします。つきましては、その件について直接お礼をさせていただきたいのですが、これからお時間はありますでしょうか?”
やたらと丁寧な文面で送られてきたその内容、私は昨日ヒフミに頼んだお願いが上手くいったとわかり、すぐさま了承の返事をする。
『先生、今からトリニティに向かわれるのですか?』
「うん、お誘いみたいだしね」
『...これは特に関係はありませんが、トリニティにはスイーツ屋が沢山あるようです』
「....用事が済んだら行ってみようか」
アロナの隠そうともしない可愛らしい要求に苦笑しつつ、私はトリニティを目指してシャーレを出た。
大きな門やその先に見える広大な敷地。
噴水に美しい木々が立ち並ぶその光景は何度見ても凄みが薄れる事は無い。
トリニティ総合学園の敷地内へとたどり着いた私はその風景を見ながら校舎を目指し歩みを進めていた。
「あれ?...ねーねー、もしかして貴方が先生?」
そんな中不意に聞き覚えのある明るい声が背後から聞こえ、振り返ると
「....ミカ」
「え、私の事知ってるの?もしかして私って有名だったり?」
私の背後には、ティーパーティーの1人である聖園ミカがこちらを不思議そうに覗き込みながら立っていた。
「今日は天気が良いから散歩してたんだけど、そうしたらあんまり見かけない人がいたから声をかけようと思ってさ。まさかナギちゃんが言ってた先生だったなんて!」
ニコニコと明るく笑顔を見せながら話すミカを見ていると、脳裏にエデン条約での騒動がよぎる。
そしてその元凶でもあったゲマトリアの姿も...
「あれ、先生どうかした?」
「...ううん、何でもないよ」
「ふーん。あ、先生はこれからナギちゃんの所に行くんでしょ?私が案内してあげよっか?」
「大丈....いや、お願いしようかな」
「おっけー☆ じゃあ行こっか!」
そう言うとミカは笑いながら私の少し前を歩き始める。
それから楽しそうにこちらにいくつか質問するミカに答える時間がしばらく続き、気がつくと目的地の扉の前にたどり着いていた。
「入るよー」
彼女はその扉を軽くノックし遠慮なく扉を開くと、その扉越しに見えたのは優雅な雰囲気で紅茶を飲んでいたナギサの姿。
「...ミカさん、もう少し丁寧に扉を開くようにといつも言っているでしょう」
「ごめんごめん☆ でもほら、ナギちゃんが話してた先生を連れてきたんだからいいじゃん」
「.....先生、どうぞこちらにお座りください」
ナギサは私を一瞬見るとすぐさま視線をティーカップに戻して再び紅茶を啜り始める。
私はその言葉に従いナギサの元へと歩み寄った瞬間
「っ!?」
「...どうかされましたか?」
「先生、急に驚いてどうしたの?」
ミカとナギサの2人が心配と困惑の目でこちらを見ている。
だが、今の私にはその2人の言葉がまるで頭に入ってこなかった。
「......おや、どうしたんだい?私の顔に何かついているのかな」
「......セイア」
私の目の前には、椅子に座りじっとこちらを見つめている百合園セイアが居た。
「先生、今日こちらにお呼びした件ですが...メールでもお伝えしましたが、まずは改めて感謝を。ヒフミさんが外出時に不良に絡まれていた所を助けていただいたそうですね」
ナギサはそう言い頭を下げてお礼をしてくる。
どうやらヒフミもブラックマーケットの件は上手くぼかしてくれたらしい。
「ねーねー、私にも紅茶頂戴!」
「ミカさん...今日は先生もいらしているのですからもう少し真面目にしてください」
「えー、今日はせっかく皆集まれてるんだしさ。それに先生が来てるんならもっと楽しい話をした方が良くない?」
「...ティーパーティーとしての印象もあるでしょう」
「私は気にしないから、大丈夫だよ」
「ほら、先生もこう言ってるし☆」
「はぁ.....」
ミカとナギサのそんなやり取りの最中、私は丁度対面で紅茶を飲んでいるセイアの事で頭が埋め尽くされていた。
百合園セイア。
かつて私がナギサに呼ばれた時には既にとある襲撃により意識を失っており、その犯人に生きている事が知られないよう亡くなったと存在が誤魔化されていた少女。
その襲撃はかつてトリニティから離れた分派の1つであるアリウスの生徒....アズサにより行われたのだが、結果的にその事件はセイアとアズサによって仕組まれた二重スパイを成功させるためのカモフラージュであったというのが正しい。
そして襲撃の大元の依頼をしたのが、今この場にいるミカであり...
つまり、今セイアがここにいるという事はその襲撃自体がまだ起こっていない可能性が高いと言う事。
(あの頃と何かがズレている?襲撃はこれから起こるのか?そもそもミカがまだアリウスと接触していない?)
「先生....それで、昨日ヒフミさんから渡されたこちらですが」
様々な考えが頭の中を巡る中、昨日ヒフミにお願いしたメモ用紙がナギサによってテーブルに置かれる。
「中を拝見しましたが、”特に何も書かれていないただの白紙のメモ用紙”でした。....わざわざこれをどういう考えで私達に?」
そう、私が渡したのはなんて事はないただの白紙のメモ用紙だった。
「ああ、それは先生が私と話がしたいという秘密の合図なんだ」
私がそれについてナギサへ答えようとした瞬間、件のセイアが口を開いた。
「合図?...わざわざこのような手間のかかる方法を?それに、セイアさんと先生が会ったのは今日が初めてでは?」
「実は以前校外でこっそり会ったことがあってね、その時思いの外話が弾んでしまったんだ。お互い立場もあって簡単に連絡は取り合えない、だからいつかまた話せる時にどちらかが合図をしようと決めていたんだよ」
「えーセイアちゃんが外出?セイアちゃんほとんど外に出たことない引きこもりなのに?」
「ミカ、私だってたまには外を歩いて見聞を広める時だってあるさ」
セイアが何故誤魔化そうとしているのかはわからないが、何かしら理由があるのは明白だろう。
「ミカ、ナギサ、実はセイアの言う通りなんだ。てっきりセイアが2人に教えてるものだと思ってて」
「本当なのですか...?正直まだ疑問は残りますが、先生もそうおっしゃるのならこれ以上問う必要はありませんね」
「そういう事だ。そこで2人とも、せっかく3人揃った所で悪いんだが今から先生と2人きりにしてもらえないかい?積もる話もあるからね」
「えー私も先生と話したいんだけど」
「私個人の話だからね、いくら2人とはいえあまり聞かれたくない事だってある。終わったらこちらから連絡するよ」
「...わかりました。では先生、ゆっくりとお楽しみください」
「ちぇ、はいはい。じゃあね先生!セイアちゃんのお話小難しいけど頑張って☆」
セイアの言葉に席を立ちこの場から出て行った2人。
残された私とセイアの間をしばらく静寂が包み込んでいた。
そして突然の状況にどう切り出せば良いか悩んでいると
「さて、色々聞きたい事もあるだろうがまずは私から君に質問してもいいかい?」
「......」
「それは肯定として受け取らせてもらうよ。きっと君にとってもあまり他の人に聞かれたくない話だろうからね、じゃあさっそくだが...君は何者だい?」
セイアの細められた目が、まるで絡みつくように私の目をじっと見つめている。
「私は...先生だよ」
「そうか...いや、私の聞き方が悪かったね。確かに君は連邦生徒会が発足した組織、シャーレの先生という立場だ。それは私も疑ってはいないさ」
そう言ってコホンと一つ咳払いをしたセイアは再度口を開く。
「では、まずは私の話をしてもいいかい?私には夢を通して過去、現在、未来を観測できる力があってね。まあ自由に制御できるという訳ではないんだが....予知夢に近いものと思ってくれて構わない」
「それで、以前君の事を偶然夢で観測した事がある。 あれはシャーレが発足されたばかりの頃だったかな。なんせ君は連邦生徒会長の失踪という大事件の後にやって来た存在だったからね、私も少し気にはなっていたんだ」
「その時に見た君は、一言で言えば”よくわからない存在”だった。だが生徒のために奮闘する姿には素直に好感が持てたよ。だからその時点では特にそれ以上知ろうとは思わなかった」
淡々とセイアの口から紡がれる言葉を私は黙って聞いていた。
「そして、それからしばらくしたある日私は再び君を夢で見た。私としても突然君の姿が現れた時は驚いたよ、なんせその時の君は何があったか砂の中で倒れていたのだからね、驚くなと言われる方が無茶だろう。...重要なのは夢の中で君の意識が戻った時だった」
「初めてだったよ、あそこまで他人の感情が読み取れた事は」
「驚愕、喜び、悲しみ...様々な感情が波のように押し寄せるのがわかった。以前までの君の様子からは考えられない程の変わり様に私は一体何があったのかとずっと悩んできた」
「そして先程君と直接会ってはっきりしたよ。....君は私が最初に見た君じゃない、正確には君の精神が全くの別物に....まるで”別の君”に置き換わっているというのが正しいかな」
そう言い終わり紅茶を啜り始めたセイアの言葉に、私は驚愕....する事はなく、むしろ不思議な程に落ち着いていた。
元々、私もここにいる自分は一体何なのかとずっと考えていた。
アビドスでいきなり意識が芽生えた事。
意識が芽生えるまでの私の体は確かにこの世界で存在していた事。
かつて聞いたアロナの言葉からも薄々気づいてはいたが、やはり今の私は意識だけが”元々居たこの世界の私”に乗り移っている存在なのだろう。
...といっても、そもそも何故そんな事が起こったのかという肝心の理由はわからない為、それ以上は確かめようがないのだが。
(...話し合いの前にシッテムの箱の電源を切っておいてよかった)
こんな話はまだアロナに聞かせるわけにはいかない。
勿論いずれどこかで打ち明けなければならないが....
「...やっぱりセイアは凄いね」
「ふむ、その言い方だと私の考察は当たっていたという事かな?」
「私にも、正直わからないことだらけだけどね」
セイアは新しい紅茶を注ぎながら話を続ける。
「君は何故ここにいるのか、どんな存在なのか、興味を引かれるものは沢山あるが....ひとつだけ聞きたい。...君は一体何を経験したんだい?何があってあれ程の感情を持つに至ったんだ?」
「...ごめんセイア、それだけは言えない」
「....そうか...いや、構わないとも。それ程話しづらい内容であるのは何となくわかるからね」
セイアは少しの間目を瞑り、改めて私を見つめ直した。
「...すまない、私ばかり話してしまったね。君自身についてはいずれまた別の機会を設けて話をするとしよう。それで、君から何か聞きたい事はあるのかい?わざわざあんなやり方をしてまでここに来たんだ、それなりの理由があるのだろう?」
...そうだ、あまりの衝撃に本来の目的を忘れてしまう所だった。
確かにセイアが今この場にいるというのには驚いたが、だからといって私がやるべき事は変わらない。
「ところで今のティーパーティーのホストは...?」
「私だよ、でも自分で言うのもなんだが最近は体調を崩す事が多くてまともに仕事を全う出来なくてね。だから代わりに仕事を手伝ってくれているナギサが実質的なホストのようなものだ」
「そっか、じゃあ....」
真剣な目で私を見つめ、こちらの言葉を待っているセイアに尋ねた。
「ナギサは最近、ちゃんと眠れてる?」
「.....は?」
出てきた私の言葉が予想外のものだったのか、ポカンとした表情で固まるセイア。
「もちろんミカやセイアもそうだけど、色々根をつめすぎて疲れてない?忙しいからって徹夜は余計に体を壊しちゃうからね。気持ちをリラックスさせるのも大事だから...」
「ちょ、ちょっと待ってくれ...まさかとは思うが、君がここに来た理由は私達の体調を気にかける事だったのかい?」
セイアの問いに首を縦に振ると、セイアは彼女にしては珍しく大きなため息を吐き頭を抱え出した。
「そんな事のためにわざわざここに....なら、あの意味深なメモ用紙は?」
「今エデン条約の取り決めで忙しいだろうし、普通にメールをしても、もしかしたら見てくれなかったり断られるかなって思って...あんな感じで意味ありげにすれば逆に興味を持って招待してくれるかなーなんて....」
「いや、流石にいくらなんでもそれは回りくどすぎるだろう。忙しいのは確かだが、送り主がシャーレの先生であれば普通に連絡を貰えば断る事なんてなかったよ」
「あ、あれ?そうだった!?」
「はぁ...なんだかシャーレの先生というのはどこか抜けているとは噂では聞いていたがここまで能天気だとはね、さっきまで変に緊張していたのが馬鹿馬鹿しく思えてきたよ」
「あはは...なんか、ごめんね」
「....いや、今のでわかった事もある。君は確かに不可解な存在だ。どこから、どうやって今の君の意識がやってきたのかは謎だが.....どうやら根本的なものは変わっていないらしい」
「たとえ君が別人だとしても、君が”先生”であるというのは間違いないようだね」
「.......そっか、ありがとう」
「それで、質問の答えだが...まあミカはいつも通り変わらず羨ましいくらい元気だね、ナギサはやはり最近疲れた様子を見る事が多くなった。エデン条約という最も重要な案件を仕切る責任もあるだろうし、私自身ホストという立場を押し付けてしまっている罪悪感が今でもあるよ」
「3人で何か話したりとかは?」
「....そんな機会も少なくなったね、今日も君が来るとなって始めに集まっていただけで、普段から全員揃うというのは珍しくなってしまった....そう考えると、少し寂しい気持ちもある」
「そっか....」
どうやら話を聞く限り、3人の状況はあの頃とあまり変わっていないようだった。
心の中で思っている事を伝えられず、それを1人で抱え込んでしまう。
...あの時の彼女達もそうやって苦しみ、互いを傷つけてしまっていたのを私は知っている。
「...そろそろお暇しようかな」
「おや、もう行くのかい?」
「うん、聞きたい事は聞けたからね」
「....私は、てっきりアビドスの問題について何か尋ねてくるのかと思っていたけれどね」
椅子から立ち上がっていた私はセイアのその言葉に動きを止める。
「かつて我々と同じ程の力を持っていたアビドス、あそこが抱えている問題についてはティーパーティーも把握している。勿論、今君が深く関与しているという事も」
「てっきり、今日その”手助け”をして欲しいと頼まれると思っていたが...」
「それは彼女達が望んでいない事だし、私が勝手に頼める事じゃないからね」
「......そうか」
私の言葉を聞いて、何杯目かの紅茶を啜り始めたセイアを背にこの場を去ろうとした私は最後に彼女に振り返り
「....セイア」
「...何かな?」
「今セイアやミカ、ナギサが考えている事も、気持ちも、苦しみも完全に理解する事は誰にもできない。でも、それを自分1人で抱え込み続けてしまえば、いつか必ず自分で自分を傷つけてしまう」
「だからまずはどんなに小さな事、くだらない事でも、それを誰でもいいから話してみて。君達の周りには、ちゃんと君達の話を聞いてくれる大事な人がいる筈だよ」
「....それは.....」
「あ、勿論私でよければいつでも大歓迎だからね!」
「....ふふ、そうか」
微かに微笑んだセイアを見た私は、今度こそその場から去っていった。
...その後両手一杯に大量のスイーツの入った袋を持った私は、周りから不思議そうな視線を向けられながらも帰路に着くのだった